表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/41

招待

「頼むよマリー。僕の顔を立てると思って、ね」

「ですが叔父さま」


 午後の柔らかい陽光が居間に差し込む。

 熱心に説くアンソニーに対し、マリーは困惑の面持ちで、類まれな紫瞳を伏せた。


「どうしても出席出来ないんだ。急なことだから頼める友人もいない」

「何度も申し上げましたが、私は夜会に出たくないのです」


 マリーはやんわりと首を振った。菫の双眸には疲労の色が濃い。相手方、アンソニーにしてもそれは同じことだ。互いに譲らない話は一向に進まず、先程から平行線をたどるばかりだった。二人同時にため息し、微苦笑を浮かべる。マリーは困惑の原因を恨めしく見つめた。

 二人の間にある机に置かれた、一通の封書。夜会へと誘うそれの宛名には叔父の名、アンソニー・ミュートスとある。急な用事で出られなくなった彼は、姪のマリーに代役を頼みにきたのだ。

 マリーはずんとにぶい頭痛を覚え、のろのろとした仕草でこめかみに触れた。栗色の髪がふわりと揺れる。アンソニーは難しい顔で思索しているようだった。

 マリーとて、何も叔父のことが嫌いで頼みを断る訳ではない。拒否したいだけの理由があるのだ。叔父もそれを熟知した上で、もう何度もこの手の話を持ってきている。彼なりの愛情の示し方なのだろう。十八にもなれば、それくらいの察しはつく。

 マリーはこっそりと嘆息し、ふるふると首を振って抗いを示した。


「叔父さま。何をお考えかは薄々分かりますが、私に気を遣っていただかなくても」

「ローズマリー、君には楽しみが必要だ。鏡を見てごらん。以前の君はもっと顔色がよかったよ」


 呼び方が愛称でなくなる。それは真剣な話をする時の叔父の癖だった。これまで無理強いなど一切しなかったアンソニーだが、今回はあくまで譲らないつもりらしい。

 後れ髪をかき上げ、マリーは弱々しく微笑んだ。


 そもそもマリーが憂鬱の檻に囚われた原因は、昨年に勃発した隣国との戦だった。マリーの生まれ育った地レイデンは、長い王政と芸術が育んだ平和な国だ。歴史の揺れ動く現代にあって、戦争を長らく経験しなかったのは幸か不幸か。そこに目をつけたのが、隣国クローネ連邦だった。一方的な言い分を火種とした戦いは、クローネの圧勝をもって終結した。長年戦いによって台頭してきたクローネにレイデンが敗れたのは、至極当然のことだった。

 レイデン側に一方的な犠牲を強いた戦は、マリーからもまた、多くを奪った。父を戦いで、夫の死に打ちひしがれた母を病で。一人娘を心から愛した彼らが冥府へと去ったのは、ほんの数ヶ月前のことだ。縁戚も多くが戦渦に巻き込まれ、レイデン指折りの名家であったミュートスの栄華は失われた。


 以来、すっかり鬱ぎ込んだマリーは夜会の誘いを断り続けていた。

 両親を喪って以来、華やかなドレスが、きらびやかな社交の場が、すべて色あせて見えるのだ。以前はあんなに心躍った夜会も、わずらわしいとしか思えない。郊外にある叔父の屋敷に引き取られてからも、マリーの厭世は悪化するばかりだった。

 アンソニーはそんな姪を心配し、ありもしない用事を作ったのだろう。あるいは、その招待自体が彼の仕組んだものなのかもしれない。見え透いた、それでいて優しい叔父の嘘にマリーは苦笑するしかなかった。


「マリー、もう一度よく考えてみてくれないかな。返事をするにはまだ時間があるから」


 マリーの内心を知ってか知らずか、アンソニーの声はあくまで優しい。マリーはちらりと彼を見やって、指を口元に当てた。

 マリーは、この人のいい叔父が好きだった。兄と義姉の死は彼にも深い傷を残したはずなのに、姪にはそれを決して見せようとしない。優しさと静かな強さを持ち合わせた姿は、どこか亡父に似ていた。マリーは静かに息を吸い、菫と形容される瞳を閉じる。


 こんなことを続けていいはずがないと、心のどこかでは分かっていた。現在のマリーの姿を見れば、両親はきっと悲しむだろう。叔父の厚意を無下にし続けることだって、正しい行為だとは言えない。これは、いい機会なのだろうか。

 マリーは顔を上げ、きっぱりと意志の強い表情を見せた。紫水晶と賞賛された美しい瞳は、真っ直ぐに相手を見つめていた。


「……そこまでおっしゃられるのでしたら」

「出てくれるのかい!?」


 アンソニーの顔が輝く。マリーはやんわりと付け足した。


「ただし、壁の花にならない保証はありませんよ」

「構わないさ。……ああ、それじゃ早速用意をしないといけないな。ドレスは何色がいいかな? 小物なんかも必要だろうし……仕立て屋さんに連絡しないと」

「以前に作ったものがありますから」


 さっさと立ち上がり動き始めた気の早い叔父に、マリーは思わずくすりと笑いを漏らす。晩秋の居間に、久方振りの笑声が響いた。アンソニーは姪の表情を驚いたように見つめ、そろそろ皺の入り始めた目尻を嬉しげに下げる。彼は、このたった一言をずっと待ってくれていたのだ。今までそれに気づかなかったマリーは、口元の微笑みを絶やさないまま手をぎゅっと握った。

 見計らったかのように、窓外の木陰が手を居間へと滑り込ませてくる。吹き始めた冷風は、冬の来訪を知らせていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/25 お礼閑話更新しました。(一種類)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ