俗に言うチュートリアルってところか。 Ⅱ
十二
ほんの数メートル先すら見えない中を、ハティは速度を落さないまま迷う事も無く進んでいく。
暫らく走り続けると不意に霧が晴れ、木々一つない丸く拓けた場所に出た。手入れをされてない草が茂り、中央にはめちゃくちゃ大きな石球の下半分を地面に埋め込んだようなものが見える。
「さあ着いたぞ、すずめ殿」
ハティは石球の前まで進み身を屈めると、前足を寄せてくれた。
「ありがとーー」
礼を言い、背中に思いっきり頬擦りすると、前足から滑るように地面に降り立つ。一度、このふっかふかの毛皮に顔を埋めてみたかったのです。
とはいえ大きな背中に跨ったまま、十五分ほど揺さぶられていただからだろうか、ちょっとお股がイタヒ。無意識でいるとガニ股になってしまうのを意識的に矯正しないと乙女のピンチ。
さあ、霧の中に佇む研究所。これはなかなか好きな展開だ。で……どこにあるのだろう。
「研究所は……?」
見渡すが、目に留まるのは目の前のドーム状の石球みたいな物くらいしかない。とはいえこの石でかすぎる、直径三十メートルはあるんじゃなかろうか。もしかしてこれが研究所? しかしどう見ても、ただの石にしか見えない。はて?
「目の前なのだが、まあすぐに分からないのも無理はない、関係の無い者が入り込まないよう、入り口はそれと分からぬように偽装しているのでな」
「な……なるほど」
よーく石球を見上げてみる。偽装された入り口の奥にある研究所。尚更燃える展開だ。とはいえ、入り口には見えなくてもとても怪しいオブジェクトである事は疑いようがない。
「ではすずめ殿、この辺りをちょっと見てくれぬか」
ハティは前足で石球の表面をポンポンと叩く。その仕草をちょっと可愛いなと思った事は秘密だ。
「りょーかい!」
示された部分に顔を近づけて良く見てみる。すると、表面には不自然に整列した五つの突起のようなものが日の出のように弧を描き並んでいた。
「五つの突起物があるだろう。その一つずつに指先が当たるようにして、右手を置いてみてくれ」
「うん。えーっと……こう……かな……?」
指示通り、親指から人差し指、中指、薬指、小指と順に当てていき、最後に掌をしっかりと表面に付ける。
すると、ガコンと何かが外れるような鈍い音が辺りに響くと、引きずるような音と共に目の前の石が門の如く大きく分かれスライドしていった。
「おおおおおーー!」
思わず歓喜の声を上げる。これは心躍る光景だ。
「さあ、すずめ殿、中へ」
「うわーい」
言われるまでもなく駆け出す。堪らない現状に、隠された研究所ということも相まって、私のテンションは急上昇だ。
「うっひゃーーー!」
中に入って見回した光景は驚愕の一言だ。外の石球をそのまま平らにしたような床が広がり、中に入ったというのに今までいた外の風景が見渡す限り続いているのだ。
「何コレ、どうなってるのーー!」
ハティに乗って霧の中を抜けて、石球に隠された門を抜けるとこの光景。今まで夢見ていたような事が立て続けに起こり、正に夢見心地だ。
「ここは、古代の研究者が技術の粋を集めて建造した施設でな、いまだに機能が生きている。ここなら暫らく身を置くには十分な場所であろう」
「古代……素敵な響き……」
その甘くて甘美な言葉にうっとりと酔いしれる。──古代……それは乙女のロマン。
「すずめ殿、浸っているところ済まぬが、そろそろスフィアについての説明を始めたいのだがよろしいか?」
「はい! よろしいデス!」
ふと我に返って、首を上下にブンブンと振り頷く。
「では、先ほどのスフィアを出してくれるかな」
「えっとえっと……」
肩に掛けたカバンを漁り、スフィアを取り出す。何度見ても不思議な感じのする球体だ。中央の薄っすらとした光がとても神秘的に思える。
「中央に光があるのが見えるだろう、何色に見えるか?」
言われて、光をじっくりと見つめてみる。何となく光っているとだけしか認識していなかったが、確かに良く見ると青く淡い光を放っているのが分かった。
「青……かな、すっごく薄い青です」
「青……か。それは現象を制御するために調整されたスフィアだな。この世界での様々な自然界の形無き現象、炎が『燃える』風が『吹く』雷が『閃く』物質が『凍る』光が『照らす』闇で『潰す』それらを制御し創り出すことが出来る」
炎、風、雷、氷、光、闇。制御し創り出す……つまり……それって……。
「魔法が使えるようになるってことですね!」
「魔法か、まあ簡単に言うとそういう事ではあるな。万能ではないが、この世界ではスフィアを持つ者は、魔導士、魔闘士などと呼ばれている。なのでその者達と同じ使い方を教えよう。きっとすずめ殿を守る力となるだろう」
遂にきた! やはり剣と魔法の世界に、魔法は欠かせない。これはもう全力をもって挑むしかないでしょう。
「どうすれば使えるように!?」
「うむ、それではまず登録を済ませてしまうとしよう」
「登録?」
「スフィアに持ち主を認証させることだ。これを行う事によりスフィアを扱うことが出来るようになると同時に、登録者本人のみの専用となる。つまり登録済みのスフィアは、他人にとってはまったくの無価値となる訳だ」
「なるほど……」
聞いているとドンドン期待が加速していく。いずれ私もスフィアを手に大魔導師として活躍する日が来るのだ。これは決定事項だ。
「で、どうすれば!?」
ハティを見つめる。が、堪らずスフィアを持つ手を振り回してみたり、両手でスフィアを掲げて祈ってみたりした。──うんにゃらかんにゃらぁ~。
「登録の仕方だが、…………まずは落ち着こうか」
「はい!」
背を伸ばし、起立の姿勢で言葉を待つ。
「それでは。登録の仕方だが、そう難しくは無い。まずは未登録のスフィアを己の心音と同期させる。これは肌から心臓までの距離により掛かる時間は疎らだが、大抵一分もあれば終わるだろう。成功すれば中の光がはっきりと輝くのですぐに分かるはずだ」
「ふむふむ」
「では、すずめ殿、スフィアを心臓に近い部分に当ててみてくれるかな」
言われ、左手に持ったスフィアを心臓に近い部分、左胸の辺りに当ててみる。
「こうかな?」
「うむ、では同期するまでしばらく待つとしよう」
…………、スフィアを見つめながらじっと待つこと約二十秒、中心の光が明らかに強くなり、淡い青がはっきりとした青へと変わっていった。
「おお、変わった! なんか結構早いんですね、もういいのかな?」
「ああ、しっかりと同期したようだ。早かったな。きっと心臓までの距離が短かったのだろう。それで登録準備は完了だ。次の段階へ移ろう」
「そっか、心臓までの距離が…………、それって私の胸が小さいって事ですかね? 遠回しだけどそういうことですね? そういうことですよね?」
じっとハティを見上げる。
「むむむ、まあ……その…………すまぬすずめ殿、失言であった」
申し訳なさそうに頭を下げるハティ。私としては、そんな事は無いぞ、と言ってほしかった。──しょぼーん。
兎にも角にも、スフィアは無駄な厚みがない分、心臓に近いためかすぐに同期してくれた。
「まだ成長期まだ成長期…………、それで次は?」
「オ……オホン。次の段階だが、スフィアの表面を見てみてくれ、どこかに白い小さな円が浮かんでいまいか?」
「えっとえっと」
スフィアを回しながら良く見てみると、あからさまに白く光る円が黒い球体の表面に見つかった。
「あ、あった」
「では、そこに人差し指を当てて、自分の名前をスフィアに向かい言ってみてくれ」
「えっと……こうかな」
白い円に指を当てると、薄い青の波紋のようなものがそこから広がった。なんだか凝ったエフェクトのようだ。
「森野すずめ」
名前を言った途端、ピコーンとかいう効果音のようなものと共に、波紋の色が黄色に変わる。
──……登録完了しました……──
「おお!」
突如スフィアから声がした。なんだか機械的な感じの声だが、しっかりとした発音だ。
「うむ、これで生体情報の登録は完了し、そのスフィアはすずめ殿の専用となった。失くさぬ様、大切にするのだぞ」
「はーい。それで、どうやったら火とか出せるんですかな!?」
「まあ、そう急くでない。今はまだ、使用者の登録をしたに過ぎぬ。次はパスワードを登録せねばな」
「パスワード?」
「そうだ。明確な使用意思表示用といったところだな。登録したパスワードの後に、登録した効果の登録名を言葉として発することで実際にその現象を発現させることが出来るようになる」
「効果、登録名? むむむ?」
少し理解が追いつかず、つい小首を傾げる。
「簡単に例を挙げると、まず効果というのは発動した魔法の効果ということだ。そして魔導士達は呪文を唱え、魔法名を言い発動させるといった感じで設定しておるな。つまりだ、呪文がパスワード。登録名を魔法名として、効果と一致させることで分かりやすくするということだが……、どうかな、分かってもらえただろうか?」
「おおお、なるほど! たぶん大丈夫です!」
呪文がパスワードで、効果の登録名が魔法名……、ふむ、好き勝手に魔法を使えるわけじゃなくて、まず登録しなくちゃいけないわけだ。これは私が毎日書き続けたノートの封印を解く日が来たようだね!
呪文詠唱をして高らかに魔法名を叫ぶ。すると魔法が発動して敵を一掃する。私の憧れの一つだ。
「ではまず、パスワードの登録だが……どうするかね? 様々な登録名にも合うようなパスワードにしようと悩む者が多い。暫らく考える時間があった方が良いかな?」
「大丈夫です! こんな時のために色々考えてたから!」
「ハハハ、それは頼もしい限りだ。では早速始めるとしようか」
「よしきた!」
テンションは絶好調。苦節十五年、この時をどれだけ待ち続けた事か。
「では、パスワードの設定方法だが先ほどと同じように、表面に白い円があるであろう」
再びスフィアを見ると、確かにさっきと同じような白い円が見て取れた。
「ありますあります」
「その円に二度、トントンという感じで触れてみてくれ」
二度トントン、ダブルクリックみたいな感じでいいのだろうか。
トントンと白い円に触れてみると、今度はその部分を中心に赤い色の波紋が広がる。すると白い横長の長方形が縦に五つ並び、明滅を繰り返し始める。
「おお、さっきとはちょっと違う」
「うむ、ではその点滅する一番上のに触れながら、すずめ殿の決めたパスワードをスフィアに向かい言ってみてくれ」
「りょーかい」
指先で触れると、白い横長の長方形がスフィアの表面を右へと伸びていき疑問符が現れた。この状態がパスワード入力画面みたいなものなのだろう。
ともかく、パスワードの入力、つまり魔法の呪文の入力をするというわけだ。そして私には、いつかこんな時のために考えておいた呪文や魔法の名前が沢山ある。その内から、汎用性の利きそうなのをパスワードにするとしよう。
いくつもの案から私が選び出したパスワードは、「我願わくば光を」に決定。言い終わると白い長方形が赤に変わる。
──……登録完了しました……──
スフィアから声がして、ちゃんと登録できたことが確認できた。
「よし、これでパスワードの設定も完了だ。格好良いパスワードであるな、すずめ殿」
「いやぁ~、エヘヘ」
改めてそう言われるとちょっと照れる。そういえば私の妄想から生まれた何かを、誰かに知られるというのはこれが初めてな気がする。
思うと、なんだかかなり恥ずかしくなってきた。でもいいんだ、これはこの世界の人たちが皆してる事らしいから問題ない。うん、問題ない。自分に言い聞かせ納得させてみた。
「ちなみにパスワードは入力時と同じ手順で変更可能だ。さあ次は、いよいよお待ちかねの効果の登録だ」
「いよ! 待ってました!」
両手を振り回してから拍手で、その言葉を迎える。私の大魔導師としての道が始まる瞬間だ。
「少し複雑ではあるが、流れを理解すれば誰でも簡単に出来るようになる。ただし、この設定には制限がある。まずスフィアの制御外の効果は、どうしようと登録不可だ。他にも、全て思い通りにという訳でもなく、設定した一つの性質に付随するもののみとなる」
ふむむ、聞く限りではなんだか結構ややこしい感じだ。そして一つの性質とはなんだろう。
「登録した一つの性質というのは?」
「これは、炎なら炎、風なら風、凍結なら凍結といった、俗に属性と言われているな。これを一つだけスフィアに設定するということだ。そしてその設定した属性ならばスフィアの制御範囲内で自由に登録出来るという事になる」
「ああ、それなら分かります!」
属性、ゲーム等でもよく耳にする単語だ。これなら分かりやすい。いよいよもって私の好きな展開になってきた。
「さあ、まずはその属性の設定だが、これも後ほど変更可能とはいえ、少し変更には時間がかかるので戦闘時に変更するのは得策とはいえぬ。よってすずめ殿が使いやすいと思える属性を選ぶと良い。なおそのスフィアの扱える属性は、先ほど言ったように、炎、風、雷、凍結、光、闇だ。戦闘用と言ってもよい攻撃特化のスフィアであるから、どれも強力な効果ばかりだ。決まったら言ってくれ」
一つだけ……かぁ。戦闘中に変更は難しいとなるとやっぱり私的に扱いやすい属性がいいよね。全部で……えっと……六つか、うーん……想像して見るとどれも格好よくて悩む。
頭の中で何十種類と魔法のエフェクトが浮かび上がる。
ああ、どれにしようか……!