十年前
いつものように魔法使い協会アーストへ来たロッグは、廊下で先輩魔法使い達の会話を耳にした。
「マーディン? マーディンって……あの? ええっ、やっぱり生きてたのか」
「辺りが暗かったから自信はないけど、そうじゃないのかなぁ。背格好に見覚えがあったからさ。着てる物は普通だけど、雰囲気がかなり落ちぶれたってふうに見えたぜ」
「そりゃ、協会を追放されれば、魔法使いとしての仕事なんてまずできないからな。プライドの高い奴だったから、今更普通の仕事なんてできないって、わがまま言ってるんじゃないか? で、結局は物乞いみたいな生活になっちまったんだろ。本当に落ちぶれたのなら、自業自得だぜ」
「そう言えば、隣に小汚い婆さんも一緒に歩いてたぜ。暗くてよく見えなかったけど、案外マーディンの妻だったりして」
「まさか。あいつは自分の顔を武器に、美人で有名だった理事長の娘を狙ってた男だぜ。それ以外でも、レンディックの街で美人と言われる女性に片っ端から手を出してた、なんて噂もあったくらいなのに」
「それは知ってる。けどさ、人間、落ちる時はとことん落ちるんだってば」
「あの……」
気になったロッグは、二人の魔法使いに声をかけた。
「誰の話?」
「ん? ああ、何だ、ロッグか。マーディンの話さ」
会話をしていた先輩魔法使いの一人、ダヤが答えた。
「マーディン?」
さっき、魔法使いと言われていたようだが、ロッグはその名前を聞いたことがなかった。
「ああ、そうか。ロッグは知らないよな。十年くらい前の話だし」
マーディンを見たという先輩魔法使いのリグが、首を傾げるロッグを見て説明してくれた。
「十年前、アーストから追放された魔法使いがいたんだ。それがマーディン。今の俺達より上だったから、その頃で三十半ばくらいか。腕は悪くない奴だったんだけど」
「代わりに、感心するくらい性格と行いが悪かったんだよな」
ダヤが笑いながら口をはさむ。
「そうそう。早い話が、不良だな。問題児って奴だ。きっとアースト創立以来のワルじゃないかな。その頃の俺達は、今のお前くらいのペーペーでさ。そんな俺達から見ても、そのマーディンってのはロクな魔法使いじゃなかったぜ」
「魔法使い以前に、人間としてどうかって感じだったな」
内容が自分の実力より程度が低いからと言って仕事を断ったり、時には無断で放棄したりということもあったらしい。仕事をしたらしたで、あれこれと文句を言い、注文をつけたりもした。
仕事は完了してもその対応の悪さに、仕事の依頼人からの苦情は絶えなかったと言う。
それを先輩の魔法使いや協会のお偉方に注意されれば、気に入らないとばかりに反論する。時には手も一緒に。
それが数回続き、手が出るだけならまだしも、最後には魔法で攻撃に出たのだ。
それまでに謹慎処分など、マーディンを少しでも優良な魔法使いにしようと指導を繰り返してきた協会側も、その行為にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
魔法使いとしての資格を取り上げ、協会から追放という処分を下したのだ。
他の街にも、アーストと同じような魔法使い協会がいくつもある。だが、追放処分を受けた魔法使いはどこにも受け入れてもらえない。
世間にはあえて協会に所属せず、魔法使いのような仕事をする人間もいるが、信用度は雲泥の差。そういった人間は、たいがい裏の社会で動いている。つまり、胸を張って魔法使いの仕事はできないのだ。
当然、マーディンはその処分を不服とし、抗議した。しかし、普段の行いの悪さがこういう時に物を言うのだ。誰も彼の抗議に耳を傾ける人はいない。
さらには、彼の持つ魔力を封印するとまで言われた。
そんなことをされれば、当然ながらもう魔法は使えなくなる。魔法使いにとって、極刑のようなものだ。
これは、魔法を使って犯罪を犯した者に科せられる刑である。つまり、マーディンは犯罪者扱いされているのだ。ただの追放より、さらに重い処分である。
反論した時に攻撃魔法を使ったことが、その処分が下された最大の理由だった。
どこの国であろうと、今後マーディンが魔法でまた何かしらの問題を起こせば。そして、マーディンはそういうことを起こす可能性が非常に高い。
もううちの所属ではないと言っても「元・アーストの魔法使い」という目で世間は見る。協会にとっては非常に不名誉であり、協会の経歴に汚点がつく。
他の魔法使いにとっても、同一視されて迷惑この上ない。何かささいなミスをしただけで、ああいうことをする魔法使いがいるような協会だから、と後ろ指を差されかねないのだ。
魔力を封じられては、ただの人と何ら変わらない。魔法の腕を自慢していたマーディンに、そんな処分が受け入れられるはずもなかった。
マーディンは魔法を封じられるより先に、協会から逃げ出した。さすがに十数人を相手にすることになれば分が悪い、と思ったようだ。
その時、思い知らせてやる、などと叫んでいたと言う。
「俺は竜の力を手に入れて、お前達を見返してやる……なーんてことを言ってたらしいぞ。これじゃ、プライドが高いと言うより、ただのバカだよなぁ」
「竜の……力?」
ロッグのつぶやきに、二人は気付いていない。リグはさらに語り続ける。
「バローグの山に竜がいるらしいって話は、ロッグも聞いたことがあるだろ? そんなことを叫びながら逃げた奴だし、何をしでかすかわからないってんで、何人かの魔法使いが山に入ってマーディンを捜したんだ」
「俺達も追跡隊に入れられてな。ったく、迷惑な話だったぜ」
昔の話だが、ダヤは不愉快そうに鼻をならす。
「まったくだよなぁ。だけど、結局はマーディンも竜も見付からなかった。先輩の誰かがマーディンのものらしい足跡を見付けたんだけど、それが崖の方へ続いていてな。その下に川があって、そこへ落ちたんだろうって話になった。近くに血の跡もかなり残っていて、獣にでも襲われて逃げようとしたら足をすべらせて……ってところだろう。実際、マーディンがアーストへ報復に現われたってこともないし、その後レンディックの街で奴の姿を見た人間はいない。死んだんじゃないかって話も出たけど、死体が上がったってことは聞いてないからな。でも、生きてたって、ケガして川へ落ちたんじゃ、まともな身体じゃないだろ。実際、俺が見たマーディンらしき奴も、少し足を引きずってたし」
その様子は、とても竜の力を得たとは思えないものだった。
「リグ、どこでマーディンを見たんだ?」
「ガーラの近く。メシを食いに行こうと思ったんだけど、ちょっと時間が遅くなったからもう満員でさ。別の店へ行こうとした時、その二人を見たんだ。昔のマーディンは、男の俺達が見てもなかなかの美形だったんだけどなぁ。ご自慢の顔に大きな傷があった。左目の辺りに肉が盛り上がってんの。暗い場所で見たから余計不気味に見えちまった。あれじゃ、目は見えてないだろうな」
言いながら、自分でうんうんと頷く。
「へぇ。それが本当にマーディンだったとしても、今更何しにレンディックの街へ戻って来たのかねぇ」
「さぁ。今になって復讐に来たのかも」
「やめてくれ。冗談きついぜ、リグ。あの時に奴の処分を決定したお偉方はみんな、とっくに引退してるぞ。本当に復讐ってんなら、俺達は思いっ切りとばっちりじゃねぇの」
ダヤが苦笑する。
「……アーストにも、そんな魔法使いがいたんだ」
ロッグはこんな話は初耳だった。周りにいるのはいい人ばかり。もちろん、いやな奴もいるが、それは性格の不一致などでお互い様だろう。少なくとも、協会から追放処分を受けるような素行の悪い魔法使いは、今まで自分の知っている中にはいない。
「まぁな。色んな場所から色んな奴が集まれば、中にはそういったちょいとヤバい奴がいるもんだ。他の協会でも、そういう奴がいるっていうのは聞いたことがあるからな」
「ついでに言えば、そういう奴に限って腕がよかったりするから、余計始末に悪いんだ。まぁ、心配するな、ロッグ。リグや俺はそういう奴じゃないからな」
「ちょっと待て、ダヤ。それは腕が悪いって言ってるのか? お前と一緒にするなよ」
「そういきがるなって。お互い、どっこいどっこいの腕だろ」
先輩達の会話に、思わずロッグは吹き出した。
「笑ったな。ロッグ、お前だって俺達と同じだぜ」
ダヤがロッグの首に腕を回す。
「んなの、わかるかよ。俺はまだまだ伸び盛りなんだから」
言いながら、ロッグはダヤの腕からすり抜けた。
「面白い話、ありがと」
またヘッドロックされないうちに、ロッグはその場から逃げ出した。
竜の力、か……。
一人になると、ロッグは今聞いた話を思い返した。同時に、十年前の光景がよみがえる。
あれからロッグ達はバローグの山へは入っていないし、周辺の地形や血の跡のことは詳しく覚えていない。
だが、確かにロッグは竜の姿を見た。ピュアの身体に竜の身体から出た光が入り、直後にピュアが倒れてしまったことも、竜の姿が消えてしまったことも、昨日のことのようにはっきり覚えている。
もしかしたら、あの竜はそのマーディンという魔法使いに何かされ、死んでしまったのかも知れない。
竜は死ぬとその身体が消える場合と、人間や獣のように残る場合があると聞いた。どういう時にその違いが出るのか、ということまでは解明されてない。
何にしろ、あの状況から考えて、ロッグ達が見た竜はあの時点で亡くなったのだろう。瞬間移動でいなくなった、という雰囲気ではなかった。
だとすれば、その直前にピュアの身体へ入って行ったあの光は何なのか。
まさか、あれは竜の魂……なんかじゃないよな。
「ロッグ、どうしたの? 珍しく真剣な顔しちゃって」
考え込むロッグの後ろから声をかけてきたのは、エルナだ。
「珍しく、は余計だ」
むっとしながら、ロッグは言い返す。
「あら、失礼。イシュトラルのことでも考えてたのかしら?」
「何で俺が奴のことを考えるんだよ。それはお前だろ」
「あら、ライバルのことを考えるのは、自然なことだと思うけど」
「ライバルって何だよ、ライバルって。俺が考えてたのは……」
言いかけて、思い出す。エルナも一緒に竜の姿を見ているのだ。彼女に意見を求めるのもいいだろう。昨夜もこの件について、しっかり話し合わなくては、と言っていたところだ。
「なぁ、今いいか?」
「いいわよ」
「ピュアのことなんだけど」
「やっと口説く気になった?」
「何でそういう……。あのなぁ、話を混ぜっ返すなよ」
「ごめんごめん。で、何?」
「ああ……そこ、入ろうぜ」
ロッグはすぐそばにある小さな会議室のドアを指差す。他に聞かれたくない話らしいと知り、エルナもロッグの話したいことを察した。
ノックをして中に誰もいないことを確認し、ドアに「使用中」のプレートをかけておく。部屋へ入ると、念のために声がもれないようにロッグは魔法をかけた。
「ついさっき聞いたんだけどさ。十年前、竜の力を狙ってた魔法使いがアーストにいたらしいんだ」
「竜の力?」
ロッグは聞いたばかりのマーディンについて、エルナに話した。
「なるほどね。竜の力はその源が珠に込められてると聞くわ。その珠がどんな物なのか、具体的に記載されてる本はなかったけど……それじゃあ、ピュアの身体に入ったのがその珠とか?」
「可能性は大きいよな。けどさ、本の通りだとすれば、竜はそれぞれ自分の珠を持つんだろ。あの竜があの時に死んだとして、どうしてピュアに自分の魔力の源を入れるんだ? 竜一体が珠を一つ持つとしたら、死んだらもう必要ないだろ。まさか……ピュアの身体を使ってよみがえるつもりでいるんじゃないよな。俺、竜の魂じゃないかって思ったりしたんだけど」
ロッグの大胆すぎる仮説に、エルナは苦笑しながら首を振った。
「それはないんじゃない? だって、人間と竜じゃ、魔力の器が違うわ。それに、あの時のピュアは七つよ。魔法使いでもない、そんな小さな子どもに竜の魔力の珠なんか渡したら、ピュアの身体が間違いなく壊れるわよ。あの子の身体を使って生まれ変わるなんて、論外だわ。いくら死にかけていたって、竜だって相手を選ぶわよ。生まれ変わってもすぐに死ぬんじゃ、意味がないもの。その可能性については、あたしはありえないと思う」
「だよな……」
やはり突飛すぎたかな、と自分でも少し思っていた。
「……だけど、それなら、あの時竜がピュアに向けた光は何なんだ。それに、あの光が入った辺り……最近よく見るけど、胸を押さえてるのが気になる。あれがピュアに何か悪い影響を及ぼしてるんじゃないかって」
「考えすぎよ……と言いたいけど、真相がわからないから、完全否定できないわね」
正直なところ、エルナもピュアが何でもない顔をしながら胸を押さえるのを何回か見ていて、心配はしているのだ。具合が悪いのかと直接尋ねたこともあるが、ピュアは違うといつも否定していた。だから、これまではあまり突っ込んで言わなかったのだ。
「やっぱり、ちゃんとピュアに尋ねた方がいいかも。目を覚ました時、ぼんやりしていたけど、あの子が一番あの時の真相に近いことを知ってるはずだもの。あたしなりに、これまでずっと竜について調べてきたけど……文献を調べてゆくのもすでに限界がきてるのよね。どれを読んでも、似たようなことばっかりで」
「エルナ、竜のことを調べてたのか?」
「まぁね。昔から魔法使いや竜のことについては興味があったし、実際に竜のことを調べようと思ったら、アーストが一番手っ取り早いと思ったのよ。だからこの道を選んだ訳だけど……。一般人じゃ読めない言語も、ここで勉強してわかるようになったし」
魔法使いになるのは、小さい頃からのエルナの夢だった。
でも、あの日。
ピュアが竜の前で倒れたのを見て、さらに強く思った。
魔法や妖精、そして竜のことをもっと知りたい、と。
もし、自分の大切な友達に何かあった時、その知識を生かして救ってあげたい。あの光が彼女にとってよくないものであれば、取り除いてあげたい。
そんなことを思いながら、エルナは魔法使いの勉強をしていたのだ。
「そう言うロッグだって、似たようなもんでしょ?」
「う……うん」
ピュアと竜を見た時、彼女を守らなければ、と思った。
竜を悪しき存在だと思った訳ではない。ただひたすら、ピュアを守らなければいけない、と思ったのだ。彼女が何かに巻き込まれてしまったように感じて。
あの後は、これと言って何も起きていない。だが、ピュアは竜の前で倒れたのだし、何かに巻き込まれたのだとすれば、竜絡み。そして、竜は人間から見れば、魔力そのもの。
魔力に対抗するなら、普通の人間ではダメだ。魔力しかない。どうすればいい?
魔力を得るなら、魔法使いだ。それなら、いっぱい勉強して、いっぱい魔法の練習をして、どんなことがあってもピュアを守ってあげられる力をつけよう。
そう考えて、ロッグは懸命に魔法使いとしての修行を重ね、今では同年代の魔法使いよりずっとレベルの高い魔法が使えるようになったのだ。
「昨夜、送ってもらった時にジーンも言ってたわよ。ぼくの力が及ぶ限り、ピュアを助けてあげたいって。みんな、同じなのよ。ピュアを助けてあげたいって気持ちはね」
ジーンは魔法についての勉強をしていないから、魔力が関わると手は出せない。だが、もしピュアが体調を崩しても、魔力が関わらない部分でなら助けてあげられる。
魔法が関わっていればロッグやエルナの出番となるが、その後に自分の出番が恐らく必ず来るはず。その時に自分の役目を遂行できるよう、ジーンはジーンのやり方で日々努力しているのだ。
もしあの時、ピュアが竜から何かを受け取っていたとすれば、彼らも同時に受け取ったようなものかも知れない。ピュアを、その何かを守るために、努力しているようなものだから。
その何かがいい物かは知らない。正直なところ、それが何だろうとどうでもいい。でも、ピュアは間違いなく、大切な友達だ。彼女は守らなくてはいけない。
「今まで、この話については触れちゃいけないような気がしてたけど……いいよね。もうあたし達だって子どもじゃないし、何かが起きた時に対処できるだけの力はついたと思う」
あれから十年近くが経った。考えることも、力を使うこともできる。
友達を助けることができるはずだ。
「ああ。ピュアが何を抱えて生きて来たのか、知ってもいい頃だよな」
「あたし、ちゃんとピュアから聞いてみる。あの時何があったのかって」
今まで触れなかったことを話すのは、少し怖い気もした。でも、もう放っておいてはいけない気がする。
だから、ちゃんと話さなくては。
「ピュアの奴、ちゃんと覚えてるのかな。あの時も、夢見たような顔してただろ」
「うん。でも、話してるうちに思い出すことだってあるじゃない。それに、思い出してるけど、ずっとあたし達に話せないでいたってこともありえるわ」
「そうだな」
「じゃ、あたしはピュアに話してみるから、ロッグはジーンにこの話をしておいてね」
「わかった」
ここで相談は一旦終了し、二人はそれぞれ自分が話をする相手のいる場所へと向かった。