夜のガーラ
その日の夜も、いつものようにガーラは満員だった。
夜は昼間に比べて酒の出る量も多いので、店内は賑やかだ。周りも知っている人間ばかりだから、ほとんど宴会場のようなもの。盛り上がらない方がおかしい。
ピュアも忙しく動き回り、彼女が動く度に背中で茶色い三つ編みが元気に跳ねる。
「来るかな~」
本日の来店二度目のエルナがちらちらと、何度も出入口の方を見ている。
お目当てはもちろん、昼間来ていた青年イシュトラルだ。
「いつって言わなかったんだし、今日来るとは限らないだろ」
「それはそうだけど……とか何とか言いながら、どうしてロッグまでここにいるのよ」
「う、うるさいな。俺は仕事が終わったタイミングで……」
語尾を濁らせるロッグ。気になるならはっきりそう言えばいいのに、などと思うが、どうせ言っても相手が素直になるとは思えないので、エルナはそれ以上言わなかった。
「ふぅん。で、ジーンまで一緒にいるのはどうして?」
「二人が来るなら、ストッパー役は必要だと思って」
ロッグの隣には、ジーンがしっかり座っている。
「確かにいつ来るとは言わなかったけど、彼のあの言い方だと今日か明日にでも来そうな感じだっただろ。だから、きっとエルナとロッグも来るだろうってね」
打ち合わせも待ち合わせもしていないが、だてに付き合いは長くない。ジーンはしっかり、友の性格と自分の役を認識している。
店内はますます賑わい、やがていい感じに赤い顔をした客がピュアを呼んだ。
「よぉ、ピュア。今夜もいっちょ、いきますかっ」
「いいわよ」
呼び掛けた客がギターを持ち、ピュアは持っていた料理を素早くそれぞれのテーブルに配ってしまうと、演奏者のそばへと行く。周りから「待ってました!」の声がいくつも飛んだ。
「あ、来た!」
エルナが小さく叫び、席を立った。
「え……?」
ロッグとジーンがエルナの方を見ていると、彼女はさっさとテーブルの間をすり抜けて出入口へと向かう。そこには、確かに昼間会ったイシュトラルが立っていた。
彼は入って来たものの、店の中はすでに満員だ。カウンター席もあるのだが、そこも全て埋まっているので行き場所がない。
店内を見回し、立ち往生していたイシュトラルに、エルナが素早く近付いた。
「こんばんは。お一人……ですよね? よろしかったら、あたし達のテーブルに来ませんか? 四人がけの席に三人だから、空いてますよ。他はしばらく無理だと思うし」
「よろしいのですか?」
突然声をかけてきたエルナに警戒する様子もなく、イシュトラルが尋ねた。エルナと直接話はしていなくても、ロッグのそばにいたことを覚えていたのだろう。
「もっちろん。ほら、すっごくいいタイミングですよ。ちょうど今からピュアが歌うところだから」
エルナはイシュトラルの腕を取り、自分達のいるテーブルへと彼を導いた。ロッグがエルナの積極的かつ素早い行動にポカンとしている間に、彼女はさっさとイシュトラルを自分の隣に座らせる。
フランが飲み物の追加を持ってきてくれた。
そうこうしているうちに、店内にギターの音が響き始める。それに合わせてピュアが歌い出した。
ステージなどはないが、ピュアの澄んだ声は店のどこにいてもよく聞こえる。どれもみんなが知っている流行歌だ。曲によってはみんなで手拍子をしたり、合唱したり。
そして、ゆったりした曲の時はピュアの歌声が店内に満ちた。
最後は柔らかなメロディの子守歌が流れる。
さぁ ゆっくりと おやすみなさい
いとしい あなた おやすみなさい
お月様に ほほえまれ
お星様に 見守られ……
この地方の人なら誰でも知っている、優しい旋律の歌だ。
大抵この曲が最後にくるので、客達もそろそろだとわかって残念に思い、同時に今日も楽しかったと思えるのである。
ロッグがそっと窺うと、イシュトラルはじっとピュアを見詰めながらその声に聴き入っていた。ひどく真剣に思えるその横顔を見ていると、いつもならピュアの子守歌を聴くと穏やかな気分になれるのに、今は心がやけにざわめくのを感じる。
歌ってるピュアを見るのはわかるけど……ちょっと見過ぎだろ。
そうは思っても、口に出して見るなとは言えない。
やがて、大きな拍手と歓声が上がり、音楽の時間は終わった。店内はまたさっきまでの賑やかさに戻る。
フランに教えられたらしいピュアが、ロッグ達のいるテーブルへやって来た。嬉しそうに見えるその顔に、ロッグは心の中がもやもやしてくる。
自分達だけなら、あんな嬉しそうな顔にはならないのに、と。
「こんばんは、イシュトラル。本当に来てくださったのね。あの……どうでした?」
「こんばんは、ピュア。ちょうど歌が始まる直前に来られたようです。とても素晴らしかったですよ。天使の歌声とは、あなたのような声のことを言うのでしょうね」
ロッグには絶対口にできない褒め言葉を、イシュトラルはさらっと言ってしまう。
「えっと……ありがとうございます」
真っ直ぐにほめられ、ピュアは赤くなりながら頭を下げた。
「ねぇ、ピュア。少しだけでも時間取れない? せっかくだから、ピュアも一緒におしゃべりしようよ」
「え、でも……」
今は一番忙しい時間帯だ。時間を取れと言われても、そう簡単には無理。
「あたしがフランに言ってきてあげる。ほら、座ってて」
そう言うと、エルナはさっさと席を立ち、自分が座っていたイスにピュアを座らせて行ってしまう。彼女は思い立ったらすぐ行動、というのを実践するタイプだ。
「あ、そう言えば、どうしてイシュトラルがロッグ達のテーブルに?」
「エルナが彼に気付いて、引っ張って来たんだよ」
「ええ。満員だったので、もう入るのは無理かとあきらめかけていたんですけれどね。彼女が自分達のテーブルに空きがあるからと、誘ってくれました」
「今と同じくらい、素早い行動だったよ」
「おかげで、座ってゆっくりとピュアの歌を聴くことができました」
そのエルナが、フランに話をつけたのか、席へ戻って来た。
「ピュア、少しだけならいいって許可が出たわよ。よかったわね」
「ありがとう、エルナ」
忙しい時間帯なのに自分一人だけが休憩をもらえたみたいで、姉達には少し申し訳ない気がしたが、やっぱり嬉しい。空いたイスはもうないので、エルナの席に二人で半分ずつ腰掛ける。
「みんな、自己紹介した? イシュトラル、彼女がエルナ。こっちがロッグとジーンです。みんな、あたしの幼なじみなんです」
「よろしく。イシュトラルです」
改めてイシュトラルが名乗り、軽く会釈した。
「なぁ、イシュトラル。捜し物っての、見付かったのか?」
ロッグがいきなり昼間の話を蒸し返した。エルナがテーブルの下でこそっとロッグの足を蹴ろうとしたが、逃げられる。
「ええ、たぶん」
「たぶん? 何だよ、それ。確信が持てないのか?」
「間違いないとは思っています。でも、まだ最後の確認ができていないので」
横でイシュトラルの話を聞いていたピュアは、ふいに胸の奥がうずいたような気がした。自分でも知らないうちに、うずいた部分を手で押さえる。
「じゃあ、確認ができたら手に入れるってことか」
「ええ。ですが、すぐに、という訳にはいかなくて。相手があることなので、自分の都合で無理はしたくないのです」
「何だかややっこしい捜し物だな」
「私にとっては、そうでもないのですよ。だいたいのことは知らされているので」
「けど、話を聞いてるだけだとややこしいぜ。捜し物って何だよ」
「……形見、のようなものです。元々、それは私の物ではあるのですけれど」
「ふぅん」
それまでと変わらない口調でイシュトラルは話しているが、それ以上深入りしない方がいいような気がして、ロッグは追求するのをやめた。プライベートなことに、ずかずかと踏み込むのはロッグの趣味じゃない。
「確かあちこち転々としてたって、昼間話されてましたよね。どんな所に住んでたんですか?」
ジーンが問題なさそうな話題に方向を変えた。
「ああ、少し誤解を招く言い方をしてしまいましたね。住んでいたのではなく、旅をしていました。見聞を広めるために」
「わぁ、どこを旅されたんですか」
エルナが目を輝かせる。
「そうですね。たとえば……」
彼らがまだ地図でしか聞いたことのない地名を出しながら、イシュトラルは旅先での話をしてくれた。
よその国にある有名で大きな街。その土地で受け継がれる文化や慣習。この国にはない海や、そこに浮かぶ島々。海の生き物。遺跡や城、塔などなど……。
本当ならもっと聞いていたいピュアだが、ずっとここで耳を傾けたままという訳にもいかない。今は本来なら仕事中だ。そろそろ戻らなければ。
それに、なぜかさっきから胸のうずきが止まらないのだ。痛みがあるのではないが、自分の胸の中で何かがうごめいているような、妙な感覚がおさまらない。
「あ、あの……もっとお話を聞いていたいんだけど、そろそろ戻るね」
イシュトラルが話す合間にうまく割り込み、ピュアはそう断って席を離れた。
「……ちょっと失礼」
ジーンがほぼ同時に席を立った。トイレかと思ったが、ジーンはピュアの後を追っている。すぐに追い付き、何やら話しているみたいだが、距離があるためと周りの雑音で会話の中身までは聞こえない。
ジーンが何か尋ね、ピュアが首を横に振っている。もう一度ジーンが何か言い、今度は頷くピュア。彼女の肩を軽く叩き、ジーンは戻って来た。
「どうしたの?」
「うん……少し疲れてたみたいだから、無理しないようにって。まぁ、毎日これだけ繁盛していれば、休みたくてもなかなか休めないだろうけどね」
「さすが先生。よく見てるな」
「ぼくはまだ医者じゃないってば」
ロッグにからかわれても、ジーンは真面目に返す。
「ピュアに何か気を遣わせてしまったでしょうか」
「そんなんじゃないわよ、イシュトラル。嬉しい悲鳴って言うの? いっつも店が忙しいから、ピュアもゆっくり休む時間がないのよ。だから、今日みたいに理由をつけられそうな時は、あたしが休み時間を作ってあげたりしてるの。とは言っても、それだって限りがあるけどね」
言いながら、エルナは壁にかかった時計を見た。
「えっ? やだ、もうこんな時間。楽しい時間って、本当にすーぐ過ぎるのよね。もっとイシュトラルの話を聞きたかったけど、明日も仕事があるし……そろそろ帰るかぁ」
日付が変わるにはもう少しあるが、睡眠不足はお肌の敵だ。
「ここは私が出しておきます」
「えっ、でも……悪いわ」
「そうだよ。イシュトラル、ほとんど食ってないだろ」
ほとんどどころか、最初に出された飲み物以外は手をつけていないのではなかろうか。
店へ来てすぐにピュアの歌をじっと聴き、その後はエルナ達に請われてずっと旅の話をしていた。食べる暇はなかったはずだ。
「そんなことはかまいません。おかげで楽しい時間が過ごせましたから。では、また。おやすみなさい」
穏やかな微笑みを残して、イシュトラルは先に店を出た。
「うーん、まさかおごってもらうとは思わなかったね。そんなつもりじゃなかったのに」
「やっぱりあいつ、貴族の坊ちゃんか何かじゃねぇの?」
「あー、気が付いたら旅の話ばっかりで、彼のことについてはあまりわかんなかったー。失敗したわ」
旅先の話は色々と出たが、そこにイシュトラルの情報はなかった。せいぜい、行った先の美しい自然が……すばらしい文化が……といった感想だけだ。
「でも、またって言ってたから、明日以降も来るんじゃないかな。よくわからなかったけど、捜し物はまだ手に入ってないみたいだし、当分はこの近くにいるのかも知れないよ」
「そっか。そうよね。よし、それに期待しよっと」
気を取り直したエルナは、ジーンの方を向いた。
「ねぇ、さっきのこと、どうなの?」
「さっきって?」
「ピュアのことよ。本当のところ、具合はどうなの」
「あいつ、また胸を押さえてたぞ」
エルナは隣だったのでわかりにくかったが、向かい側にいたロッグとジーンにはピュアの様子がよく見えていた。
このテーブルに来た時。
歌い終わった直後でもあり、同じテーブルにイシュトラルがいたこともあってか、ピュアの顔は紅潮していた。
だが、彼が話をしているうちに、だんだん顔色が悪くなっていったのだ。真っ青というのではないが、どこか具合が悪そうな顔色になるのが見ていてわかった。
「ねぇ、それって……あのことと関係あるのかしら」
「何とも言えないね。本当に疲れてるだけかも知れないし。そうなら、何かしらの薬を処方することもできるけど、そうじゃなかったら……現時点では、ぼくにはどうしようもないよ」
不謹慎だが、ピュアが本当に熱でも出してくれれば、などとジーンは思ってしまう。そうすれば、あの日に見た光が悪い影響を及ぼしていないかどうか、彼女の身体を調べられるのに。
転んだりして小さなケガをすることはあったが、ピュアは昔から見事に健康優良児だった。なので、具合が悪くて診察してもらう、ということがこれまで全くなかったのだ。
今まで何もなかったのだから大丈夫なのだろう、とは思うのだが、楽観しすぎだろうか。
時々、今夜のように胸を押さえる仕種をするピュア。やはり何かあるのでは、とつい疑ってしまうのだ。本人は平気だと笑い飛ばすのだが、ジーンはそれを素直に受け入れることはできない。
「これまで、はっきりと話すことがなかったけど、一度くらい、ちゃんとひざを付き合わせて話した方がいいかもね」
エルナの言葉に、二人は小さく頷いた。
☆☆☆
胸が熱い。胸の奥が……身体が熱い。どうしたんだろう。いつもはもっと早くおさまるのに、どうして今日はこんなにいつまでも熱いの。
ベッドの中で、ピュアは何度も寝返りを打っていた。胸の奥が熱くて、ゆっくり寝ていられない。その熱さがじわじわと広がってゆくような感覚に、不安が頭をもたげる。
やだな。あたし、このまま焼けたり溶けたりなんて、しないわよね。
すまぬ、幼き者よ……
頭のどこかで、そんな声がする。誰の声かわからない。聞き覚えがない。……いや、そう思ってるだけかも知れない。本当は知っているのに、忘れてしまっているような。
優しく、深い声。誰だったんだろう、あの声は。
ピュアは、暗い中を一人で、その声の主を求めて歩き出す。先は見えない。先どころか、自分の周りには何一つ見えない。暗闇だけだ。さっきの声も、どこから聞こえたのかわからない。きょろきょろと周りを見回すが、自分一人でいるということ以外、何もわからなかった。
そんなピュアの行き先に、緑の光がぽつんと灯る。
あれは……何……? 昔見た竜と……同じ色。竜があたしに……えっと、何だっけ。
ピュアは暗闇でふと目を開けた。じっと一点を見詰めていると、さっきまで夢を見ていたらしいとわかる。
ここは自分の部屋だ。暗い、というのは夢と同じだが、目が慣れてきたので部屋にある物の影がぼんやりと浮かんできた。
「ふぅ……」
ため息をつきながら、ピュアはベッドの上に起きあがった。もう胸のうずきはなくなっている。あれのせいで、あんな夢を見たのだろう。
ピュアは枕元にあるランプに明かりを灯した。顔に浮かぶ汗を拭き、大きく息を吐く。
熱かった胸の部分をしばらく押さえていたが、ピュアはゆっくりと寝間着をはだけた。
やっぱり……このせい、よね。
ちょうど胸の谷間部分に、明るい緑色のあざがある。人差し指くらいの長さで、ふっくらした木の葉のような形のあざが、ピュアの胸にあるのだ。
熱くなるのは、ちょうどこのあざの付近。その周辺が、傷でもないのに時々うずく。
うんと小さい頃は、こんなあざなどなかった。人間の身体にこんな緑色のあざが現れる、なんてことがあるのだろうか。
これがいつ頃現われたのか、よく覚えていない。気が付けばここにあった……ような気がする。
そして、ここ一、二年であざの周辺が熱くなるのを感じるようになった。あざを中心にして、身体中の血が駆けめぐるような感覚。
そう頻繁に起きるのではないが、その症状が起きると少し不快になる。何だか気持ち悪いな、という程度ではあるのだが……。
あたしの中に何かいるような気がして……ちょっと怖いな。
胸を閉じ、ピュアはまたベッドに入る。
ロッグに相談してみようか。……きっと、気のせいだろ、とか何とか言いそうね。エルナは……ちゃんと医者に診てもらった方がいい、なんて言うんじゃないかしら。ジーンは……たぶん、彼も父さんに診てもらうといいよ、とか言うわね。一度、ちゃんと診察してもらった方がいいかなぁ。でも……クノック先生の腕を信じない訳じゃないけど、診てもらってもわからないような気がするな。これ、病気じゃないもん。きっと何か他に原因があって……。
あれこれ考えながら、ピュアはゆっくりと眠りの中へ入った。





