<悪魔は甘美な闇に棲む>
──ヴァレンティ王国。
第二王子グレアムは帰国後すぐに、父王から大公位を授かって与えられた領地に向かった。
制御できているとはいっても『魅了』の魔導を持つ人間が王都、社交界に顔を出すのは憚られるからだ。
ヴァレンティの国民はブリガンテの父親の所業を忘れていない。
留学先のサンナ王国で暴れていたように、彼は故郷のヴァレンティ王国でも好き勝手していた。
彼を可愛い坊やと呼ぶのは離宮で軟禁状態にある先代王妃だけだ。彼女にはもう王位継承に口出しするような権力はない。グレアムが最初ブリガンテの存在を無視しようとしていたのは、本当は王位継承権の問題でもなんでもなく、単に面倒だったからだ。
(お婆様は厳ついお爺様を嫌って、ご自分そっくりな叔父上を溺愛していたと言います)
だからといって王妃の地位を捨てるつもりはなかった愚かな祖母だ。
その祖母と叔父に似た外見と同じ魔導を持って生まれたことは、グレアムにとって一生の不覚だった。
選べるものではないとはいえ、自分の外見と魔導のせいで現王妃である母が叔父との不倫を疑われていたこと、祖母が溺愛するからますます叔父の遺児ではないかと疑われていたこと(この場合は実母から国王夫婦が引き取ったとされていた)は、彼の心に大きな傷を残していた。
(父上も母上も兄上も大好きなのに、私が姿を見せると心ない噂が湧いてみんなを傷つけてしまいます)
髪型と眼鏡で誤魔化していても、自分がいれば叔父の話を出してくる人間は必ずいる。
隣国サンナ王国に留学したときは、いっそ周囲の視線に従って叔父のような色魔になってやろうかと思うまで追い詰められていた。
(彼女に会わなければ危なかったでしょうね)
最初は『守護』の魔導が目当てだった。
王太子の婚約者の役目として留学生である自分に気を配ってくれるのを利用して、常に近くにいるようにしていた。
そして本当の彼女を知っていくごとに好きになっていった。ブリガンテの尻を追いかけて生徒会活動を放り出した王太子達の代わりに運営に携わるようになってからは、パトリシアの能力にも感嘆した。
パトリシアの一途な想いを受けながら、それに応えるどころか当然のように甘受するだけの王太子をどれだけ憎んだかしれない。いや、正直に言えば嫉妬していた。
寂しげに王太子と男爵令嬢を見つめる彼女に気づくたび、何度抱き締めたいと思ったことだろう。
しかし不倫は、自分にも彼女にも許しがたいものだった。
(あの莫迦太子が婚約破棄してくれて助かりました)
ブリガンテの『魅了』の魔導がわかってから再構築とかふざけたことを言って、さらにパトリシアを苦しめていたことを思うと今でも怒りで体が熱くなるが、莫迦が高じて彼女を手放してくれたことには感謝している。
いくらグレアムが男爵令嬢の素性を明かしても、パトリシアと王太子が再構築を果たしていたら意味のないことだった。
「……ねえ、パティ」
グレアムが肩に手を置いて耳元で囁いても、パトリシアは振り向いてくれなかった。
まだ昨夜のことを怒っているのだ。いや、怒っているというより照れている。
赤く染まった彼女の耳を軽く食む。
「……恥ずかしがっていてもあなたは可愛いですね」
「……グレアム様の悪魔」
ふたりは両国に認められてすぐ、祝福されて結婚した。
グレアムは婚約というお預け期間が我慢できなかったのだ。
「私は悪魔なんですか?」
「はい。……世界で一番美しい悪魔です」
振り向いて微笑むパトリシアが可愛くて、多分今夜も怒られるまで愛してしまうのだろうと思いながら、美しい悪魔は彼女に甘いキスをした。
──パトリシアは今も、甘く美しい闇に落ち続けている。