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第十三話 心地よくなった空間

 この異空間では、腹が減る概念も排泄という概念もない。

 ただ、それでも思うのは――。

「風呂くらいは入りてえよ」

「だってお湯を温めるっていう行為にどれだけ時間かけるか知ってる? この異空間は時間を止めてるから、吹雪から移動して子犬ちゃんの体も治ったんだよッ」

 オレは手桶の水で、手ぬぐいを湿らせて、体を拭く。

 さみぃ。

 水で体を拭くだけで寒いって思い出す、この空間はそれだけ居心地がいい場所になってるってことかもしれない。

 不満があるとすれば、風呂と二人の病。この二つなんて、異常だ。

 慣らされてしまった、という屈辱と諦めで溜息が出そうになる。

 食事とかに対して何か思えばいいし、同郷の仲間への心配ですら一切していない。

 デクスターは大丈夫だろうか、なんて少しくらいは思ってもいいはずなのに。


 巡も二見も、オレに体を求めることはしない。

 最初は知識がないからと思っていたが、知識はあるようで。

 じゃあどうして求めないのか尋ねてみたら、オレの時間から見た色ぼけした女どもと被るのが嫌だと教えてくれた。

「体が欲しいんじゃないし、子犬ちゃんが欲しいンだし」

「なぁ、一つ聞いて良いか。テメェらなら知ってるだろ、綾様はどうなった――?」

 オレの言葉に巡は黙り込んでから、二見へ視線を向ける。

 二見は首を振るが、巡は暫く考えた後に意を決してオレへ教えてくれる。

「綾はゴミツの相手。御劔を追い詰める手段を考えているんだよ……」

「もうゴミツは現世の御劔と出会ったのか、早いな」

「……子犬ちゃん。御劔はね、現世ではゴミツの息子だよ。一番の化け物はあの子だ……僕らは怯えている。あの子には人間らしい可愛らしさが、消えている。感情や執着が無いんだ……」

 人間らしくない御劔? いったいどういうことだ?

 巡が困惑したままオレに、そっと人差し指をオレの額につけた。

 オレの額に触れた指先から、何か視界情報が入ってくる。


 一瞬、見えたのは――恐ろしいほど、何も感情を持たずに笑う御劔と、その表情に満足して嬉しげに笑うゴミツ。

 御劔の手元には、刃物。

 御劔の足下には――。


「……今のは」

「あの子は、あの子の手で、自分の母親を殺したんだよ。化け物から加護を得るために――生きるために」

「母親への愛情よりも先に選んだのが、〝執着してない命〟なのが驚きなんだ……執着してるなら判るけど、ね。生きたい、とかなら。でも、あの子の目的は――」

 巡と二見は顔を見合わせて、揃えて言い放つ。

『〝肉〟を食べる為に、生きている』

 ゴミツは昔と変わらない――御劔に、人を嫌えと。人を食わせているのは、変わらないのか。

 そして、その切っ掛けはきっと、病を救う選択をしなかったオレ自身。

 巡り廻って、オレへ罰が来ている。

「この異空間の世界を、ゴミツは見られるのか?」

「僕らがロックしてる間は誰も見られないよ」

「今は?」

「ロックしている。ゴミツの話だから。……ゴミツのところに向かいたいって話でしょ」

「え、そうなの、子犬ちゃん!? 嫌だよ、ふみは嫌だよ!」

 二見が慌てて、オレへ縋ろうとする。

 今まではその気持ちに絆されて頷いてきたが、もう綾様が気になってどうしようもないんだ。

 それに――。

「……綾様を守る為だけじゃねぇ。御劔を、守る為でもあるんだ」

「――何それ、綾様なら判ったよ、子犬ちゃんの全てを賭けた人だからって納得いくけれど、御劔を守る為に僕らを突き放すって意味判ンねぇ!」

 二見は噛みつくようにぎゃんぎゃん吼えるが、巡は小さく頷く。

 巡が何故こんなに聞き分けがいいのか判らなかった、オレは視線だけで問いかける。

 どうして、そこまでオレの気持ちを汲んでくれるんだ――と。

 御劔が今、また人肉を食わされているのなら、それはオレの罪と罰だ。

 だから御劔を守る為にオレは、何かをしたいと思ったんだ。

 判ってくれるわけがない、身勝手な願いだと我ながら思うんだが。

「僕はさ、子犬ちゃんが明確に自分らしい目的を持ってくれるの嬉しいよ」

「どうして? 御劔のためって、子犬ちゃんの恋でもないじゃん!」

「だからだよ。だって子犬ちゃんの生き様を否定しない為の行動でしょう? 子犬ちゃんが、自分らしさを持つ瞬間だよ」

「あ……」

 巡の言葉に、二見は何かを悟り、黙り込んでからむすっとする。

 二見は、でも……と言葉を続けようとしてから、再び黙り込む。

「めぐ、後悔しないんだね?」

「僕は、ふみの気持ちを大事にしたい。ふみの気持ちを」

「……そっかぁ……。でも、そうだね、うん。いつまでも、こうして縛り付けてるわけにはいかないよね……」

 二見は判った、と頷くと、オレへ抱きついてきて「準備ができたら教えて」と囁く。

 瞬いたら、消えていた。

 巡だけがこの空間に突っ立っていて、オレは――ああそういえば体を拭いていた途中だったと思い出す。


 寒ささえ、もう思い出せない空間に、捕らわれている。


 オレは二見に応えられないと、このときは思っていた。

 だって綾様で頭はいっぱいだし。

 でもそれって、二見の気持ちに真面目に向き合って、惚れてるって自覚するのが怖かっただけなんだよな。

 だからオレは、なるべく考えないようにしていた。

 二見の好意に溺れるような残酷さで、甘えることを覚えてしまった。




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