ep 推し活
第一章:全25話(各4000文字程度)
第二章:全20話(各2000文字程度)
完結済みのため、安定更新
今日もまほろば喫茶店の扉が開かれる。
からんからんと鐘を鳴らして入ってきたのはショートカットの快活そうな女性。
少しくたびれたパンツスーツに名札を下げた姿から、お仕事帰りかと推測できる。
「いらっしゃいませ」
いつも通りに声をかければ、なにやら決意した表情でこちらを見る。
「あ、あのォ…っ!」
少し裏返った高い声が店に響く。
「早急にお金が欲しいんです!具体的には、S席で1万3千円、それが2日分で大体3万。往復の交通費とホテル代が合わせて10万。物販でも最低3万はかかるから、大体16万?そこに食事代とか入ると、えっと、えっと、20万円くらい!」
おねがいします!と勢いよく頭を下げられる。
まるで呪文のような、流れるような言葉に状況をつかみきれず思わずフリーズしてしまう。よくわからないけれど、おそらく何かのイベントごとに参加するための資金を欲しているよう。
ああ、こんな時にバイトくんがいてくれれば…と、バイトくんの出勤時間までまだ10分程度あることに思考を飛ばしつつ、何とかお客様を落ち着かせようと試みる。
「ええと、では順番に伺いますので…。まずお席へご案内してもよろしいでしょうか」
そうやんわりとことわりながらカウンターを出て近寄れば、女性もハッと身を起こして頷いた。
「も、もちろんですすみません!」
「いえいえ。ではこちらへどうぞ」
「はい!」
椅子よりは深く落ち着けるソファがいいか、と奥へ案内する。ついでに滅多に使わないアロマキャンドルを棚から出して火をつける。
「お飲み物をお持ちします。それまで少しお待ちください」
「は、はい。ありがとうございます」
席に着いたおかげか少し勢いのそがれた女性が小さく頭を下げる。
テーブルに置いたキャンドルは何の魔術もかけられていない市販のものだが、火の揺らめきにはリラックス効果があるとバイトくんが言っていたのでそれを期待してとりあえず。
「さて、と」
カウンターへ戻り、時計を見る。
遅刻せずに来るとして、あと9分。その位ならまあ、大丈夫でしょう。
「どれにしようか…」
アイスかホットか。やはりここはホットドリンクでしょうね。その方がゆっくり飲んでいただけるでしょう。
香りも欲しいところですし、コーヒーもいいですが今日は紅茶にしましょう。
さっと決めればあとは簡単。
お湯を沸かし、ポットとカップを温める。温めたポットへ適量の茶葉とお湯を入れて2分半ほど蒸らせば完成。
カップへ注いでソーサーにのせ、小さなミルクポットとティースプーンをつけてご提供。
「お待たせいたしました。本日の紅茶、アールグレイダージリンでございます」
「ありがとうございます。あれ、アールグレイでダージリン…?」
それって別のお茶なんじゃ…?と不思議そうに首をかしげる女性に微笑んで返す。
「ええ。本来ダージリンと呼ばれる茶葉とアールグレイと呼ばれるお茶は別のもの。と言っても、ダージリンが地方の名を関する茶葉の総称であるのに対し、アールグレイとは茶葉にベルガモットの香りをつけたフレーバーティの総称ですので…」
「あ!なるほど。だからこれは、ダージリンの茶葉にベルガモットの香りがついているお茶ってことなんですね!」
「さようでございます」
「へえ~。だからアールグレイダージリンなんだあ…」
しげしげと湯気の立つカップを覗いて香りを楽しむ。
透明なティーカップだからこそわかりやすい、透明度の高い赤味がかったオレンジの水色。柑橘の特有の爽やかで甘い香り。
「いただきます。…美味しい!」
「ありがとうございます」
「私、推しの影響で最近アールグレイとかいろいろ紅茶を飲むようになったんですけど、これ、このお茶が一番美味しいです…!」
にこにことあどけない満面の笑みで紅茶を飲む女性に、ごゆっくりどうぞと軽く一礼してカウンターへ戻る。
すると、ちょうどいいタイミングでバイトくんが出勤してきた。
「おはようございますぅ。あれ、もうお客様いらっしゃるんですねえ!」
「ああ、おはようございます。そうだ、バイトくんに頼みたいのですが…」
「はい?なんですぅ?」
きょとんとまあるい目をしたバイトくんへそっと耳打ち。
「あ、ああ~!なるほどお!それはたしかに、わたしの方がわかりますね!任せてください!」
「おねがいします」
そんなこんなでバイトくんも準備万端、お客様もほとんど紅茶を召し上がったというタイミングで行ってもらうことに。
軽い足取りでテーブルへと近づいていく。
「失礼いたします!」
「はい?」
「お客様がお望みの件について、おそらくわたしの方が分かるので代わりにうかがいました!」
「望み…。あ、はい!そうなんです!お恥ずかしい話なんですが、いまお金が欲しくて…!」
「なるほど!ちなみに、S席とか物販といった話があったそうなんですけど、もしかして、推し活ですか!?ドームツアーとか!?」
はじめは突然のバイトくんからの声掛けに驚いていたものの、ここへ来た目的、そして話の分かりそうな相手ということも相まって、わかりやすく表情が輝きだす。
「そうなんです…!あ、あの、私すっごい推してるグループがいて!その中でも最推しがいるんですけどその人が紅茶好きらしくて!ああ、じゃなかった、えっと、今度ライブツアーがあって…!」
「すごいですね!ライブツアー、ってことは当たったんですね!?」
「そ、そうなんです!すごく行きたかったけどまさかほんとに当たると思ってなくて!いえ、めちゃくちゃ嬉しいんですけど、そしたら遠征費とかかかるじゃないですか?!予定外すぎてほんとに金欠で…!」
わたわたと目と手をぐるぐるさせながらヒートアップしていく2人。
うーん、ダメそうかも。
「わっかりましたあ!」
パパーン!と効果音が鳴りそうな勢いで、バイトくんが手を上げて宣言する。その勢いに、ハイテンションで混乱していた女性も目をぱちぱちさせて思わず黙る。
「つまり、最推しに会うために遠征費その他もろもろでお金がいるってことですね!そのために記憶を買い取ってほしいと!」
「そ、そうです…」
「そうと決まれば話は早いです!ね、マスター!」
圧倒される女性をよそに、くるりと身をひるがえしてこちらを見る。この勢いでぶった切れるなんて流石、と内心驚くやら。
もちろん、ふられた言葉には肯定を返す。
「ええ、おまかせください。希望額がある程度わかっていればこちらとしても分かりやすいですから」
そっとカウンターを出て近づく。手にはいつもの本を持って。
「では、ある程度の記憶ならいいかという目安などはございますか?たとえば幼少期や思春期といった時期でもいいですし、無くしたい思い出などがあれば合わせて対応いたしますが…」
「…ハッ。あ、はい、そうですね…。ええっと、推しと仕事関係以外の記憶ならとくには…。あ、でも家族やいまの人間関係に支障が出ない程度で…」
「それはもちろん。では、そのように」
こちらを、と差し出した本を恐る恐る受け取る。
「この本を膝に抱えてしかっりと握って、好きなページで開いてください」
「…はい」
ぎゅっと手に力がこもる。
膝に置かれた本を開くように縦に持ち直して、両の親指が紙を撫で、そして。
『Anoixis』
◇
仕事帰り。
普段なら解放感と共に足早に帰宅して推しの配信を見返すところ。
「はあ~、どうしよ…」
どよんと暗いため息を吐く。
それもこれも金欠のせい。いや、それも推しに課金してるからなんだけどそうじゃなく。
「え~ん、ライブ行きたいよ~!」
もうライブのチケット代、振込期限迫ってるのに!と誰もいないのをいいことに道端で頭を抱えてしゃがみこむ。
するとピロンと音が鳴って、一件の通知メールが。
「どうせいつものメールマガジンかなんかでしょ…。…えっ」
くさくさした心のままにメールフォルダを開き、メールを削除しようとタップすれば、そこには使用している銀行からの口座の入金通知。
まさかとは思いつつ、アプリを開いて銀行口座を確認すればなんと20万円ほどの入金。
「え、なんで?詐欺?なんかあったっけ!?」
あわてて詳しく見てみれば、いつもアプリを通して自動購入している宝くじの当選金。
「や、やったー!」
思わず飛び上がって喜び、ふと冷静になって周囲を見回す。
きょろきょろと不審な動きをしつつ誰もいないことを確認すれば、じわじわとこみ上げてくる。
「これでチケット変える!あ、しかもホテル押さえて飛行機予約して、物販にも回せる…!神!」
さっそくチケット代を支払いに行こう!と、5分前とは打って変わって鼻歌でも歌いそうな明るさでコンビニへと向かった。
◇
「そういえば」
ふと言葉が漏れる。
「なんですかあ?」
「いえ、バイトくんは推し活?でしたっけ。そういうことはしているのかと思いまして。以前動画は見ていると言っていましたが、グッズのようなものは見たことがないのでふと疑問に思いまして」
「ああ、なるほど!」
バイトくんが手を止めてこちらを見る。
「わたし、ちゃんと自分の事わかってるので!」
「ふむ。というと?」
「グッズとか形あるものは場所も取るし無限に出ます!一個買ったら他も欲しくなるに決まってるので、絶対買いません!」
きっぱりと言い切って胸を張る。
「なので基本、動画見て支援プラン入って、たまに投げ銭するだけ!」
「支援…?投げ…?」
「支援プランっていうのは、その動画サイト上で月額課金して応援するってことですぅ!人によってはプラスで限定動画配信もあったりします!投げ銭は配信上でお金をプレゼントする機能です!金額も頻度も投げる側がある程度自由にできます!」
「ああ、そういう…」
直接目に見える形で応援が出来るというのは、はたして良いのか悪いのか。
「まあ、ほどほどに。もちろんわたくしとしては、バイトくんがここで働き続けてくれるならどちらでもいいことですけれどねえ」
「まったまたあ!そんなこと言うとほんとにずっといますよお?」
「ふふふ」
冗談めかして笑うバイトくんに、本心なのですがと心の中で呟きつつ手を動かす。
コーヒーの香りが店内にふんわりと満ちた。




