第1話:『死にとうない』と言った俺、古代ギリシャの樽の中で目覚める
〜全財産没収されたが、そもそも一休なので問題なかった〜
「死にとうない」
それが、一国の帝の落胤と謳われ、禅の深淵に触れたはずの俺、一休宗純が八十八年の生涯の最後に遺した言葉だった。
看取っていた弟子たちの、鳩が豆鉄砲を食ったような顔といったらなかったが、知ったことか。
生きたいから生きる。死ぬのが嫌だから叫ぶ。
取り繕った「悟り」の皮を剥ぎ取れば、最後に残るのは剥き出しの「生」への執着だ。これこそが究極のトンチだろうが。
……だが、次に目を開けた時、俺を待っていたのは冥土の沙汰ではなかった。
「……あちぃな。三途の川が干上がったか?」
目の前には、眩いばかりの碧い海と、見覚えのない巨大な陶器の甕……「樽」が転がっていた。
自分の姿を見れば、シワだらけの老体ではなく、引き締まった若者の肉体。
そして脳裏には、この体の持ち主が受けた『神託』の記憶がこびりついていた。
――『通貨を改鋳せよ』
銀行家の息子であったこの若者・ディオゲネスは、その言葉を真に受け、本物の金貨をハンマーで叩き壊して国外追放されたらしい。
「カカッ! バカな奴だ。だが、気に入ったぜ」
俺は右手に握られた、見覚えのある『髑髏のついた杖』を軽く振った。
神の言う『通貨』とは、金属の丸薬のことじゃねぇ。
人間が勝手に価値があると思い込み、それがないと生きていけないと錯覚している『既成概念』という名の偽金のことだ。
それを叩き壊せ、更地にせよ……。なるほど、これこそが俺に与えられた新しい「トンチ」の題材か。
「おい、起きろ偽造犯ディオゲネス! 追放の刻だ!」
青銅の鎧をまとった衛兵が、樽の縁を槍の柄で叩く。
俺はニヤリと笑い、纏っていたボロ布のようなトガをその場に脱ぎ捨てた。
「いいぜ。金も、市民権も、この服も全部置いていくよ。……だが、俺のイチモツだけは神から授かった『私有物』だ。これだけは持って行かせてもらうぜ?」
「なっ……貴様、全裸でどこへ行く!」
「どこへって? 『人間』を探しにだよ」
呆然とする衛兵を尻目に、俺は全裸で、しかし堂々と髑髏の杖を突いて歩き出した。
後世に「犬儒派」と呼ばれる狂犬の旅路が、一人の男の「死にとうない」という執着から始まった瞬間だった。
アテナイへ続く街道の入り口。豪華な馬車が止まり、中から一人の令嬢が降りようとしていた。
左右対称の完璧な骨格に、贅肉のない肉の包み紙――もとい、アテナイ一の才女と名高いパンタシアだ。
彼女は俺の姿を見るなり、この世の終わりを見たかのように叫んだ。
「きゃあああああああああああああ!! 何をしているの、この不潔な野蛮人! 衛兵! 早くこの『歩く不敬』を捕まえて!」
俺は足を止め、彼女をじろじろと眺めた。杖の先の髑髏が、彼女の頭上に鮮やかな文字を浮かび上がらせる。
【煩悩:八百五十(知性への執着、虚栄心、隠された好奇心)】
「不潔? 裸が不潔だと言うなら、お前を産んだ母親の胎内も不潔だったのか? お嬢ちゃん、お前が着ているその高価な絹。それは虫の吐いた糸、いわば『虫のゲロ』だ。虫のゲロを纏って高潔ぶるお前と、天が与えた皮膚で歩く俺、どっちが神の意に沿ってると思う?」
「む、虫の……ゲロ……!?」
パンタシアが絶句する。彼女が大事そうに抱えていたプラトンの写本が、地面に落ちた。
(ポクポクポク……チーン!)
どこからともなく木魚の音が響き、俺は杖をパンタシアの鼻先に突きつけた。
「お嬢ちゃん、いいところにいた。背中が痒くて手が届かねぇんだ。……ちょっと流してくれねぇか?」
「なっ………………っ!?」
パンタシアの顔が真っ赤に染まった瞬間、彼女の背中のドレスの紐が、乾いた音を立てて弾け飛んだ。
「ほう。言葉より先に、服の方が正直だな。一本脱げたぜ、おめでとう」
真っ赤な顔で胸元を押さえ、馬車へ逃げ帰る才女。
俺は中指を一本立てて、アテナイの空を仰いだ。
「さて。まずは寝床だ。……あそこの神殿の甕、住み心地が良さそうじゃねぇか」
室町の狂僧と、ギリシャの狂犬。
二つの魂が混ざり合った災厄が、今、アテナイの「常識」を更地にするべく歩き出す。
【今回の狂歌】
「死にとうない 叫んで死んだ その果てに 全裸の犬と 化すも一興」
【あとがき】
どうも、一休です。室町から古代ギリシャへ。贅沢三昧の生臭坊主から、一気に全裸のホームレスへ転落しましたが、身一つになれば「真理」ってやつがよく見えます。
「門松は冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし。……それより日光の邪魔だ、どけよ」
次話:『自称「神の代理人」が豪華な馬車で煽ってきたので、神の全裸について説法してメンタルを物理で折ってやった』




