その存在の理由
太陽も一日の疲れを癒し姿を見隠す頃、兄弟は酒を酌み交わす。
といっても、弟の方は一口飲んだだけであとは手をつけていない。
柚葉とルナはそれぞれ別の部屋、アリスとランは同じ部屋に泊まっている。
「まさかここで会えるとは思ってなかったよアリス」
「思ってただろ。途中からつけてきてるんだから」
「人聞きの悪い。お前達と会ったこと自体は偶然だろ」
アリスにはランが言うことが未だにどこまで本気なのか分からない時がある。兄弟なのに、謎に包まれすぎた存在だと昔から感じていた。恐ろしいのに人からは慕われ、冷酷だと言われるのにそんな様子はこれっぽっちも見せない。そんな噂のがたってしまう彼の戦いぶりは知っている。もしこんな人物が敵だったらと思うと恐怖で震えることになりそうだ。
「アリスとはもちろん、ユズハやルナにも会えて良かった」
「ユズハとルナに?」
「ああ」
ランが持つグラスの氷が溶けて、カランと音を立てた。小さな音なのに、月明かり指す静かな夜には充分響いてしまう。
「ルナは恐らく相当な腕を持つ医者だろしね。久々にあんな洗練された人を見たよ」
ランがルナの医者としての顔を見たのは恐らく海で柚葉が溺れてしまった時だけだ。確かに処置はしたが、何かが特別なことをしていた訳ではない。あれで何が分かったのだろうか。
「彼みたいなのがいずれ世界をも救う医者になるだろう」
未来を見据えたランの瞳は、何もかも見透かしているようで、その分迷っているようで。
「腕がいいのは認めるよ。ただ、あいつはマッドサイエンティストだからな」
「はは、探究心があることはいいことだよ。自分を高めていくのに欠かせない要素だ」
「そんなもんかね」
自分を高めていくとか、ルナはそんな理由で研究を続けているわけではなさそうだけど、とアリスは窓枠に座って月に目を向けた。今宵は満月。闇に呑まれる夜が明るく照らされる日。
「それから、ユズハにも驚かされたよ」
「・・・・・・」
それはそうだろうと思った。
四六時中ニコニコ笑っているような奴が、あれだけ虚を突かれた顔をしているのをアリスも初めて見た。どんなに劣勢だろうとポーカーフェイスを気取っているような奴が。
「そんな顔してた」
「だろ?・・・こんなこと聞いてごめんなさいみたいな顔してたのにさ、俺が第一王子で良かったなんて言い出すから」
我儘を通してくれてよかったと。それで世界は救われていると。
世界の運命を人に押し付けることしかしていないと思っていたのに。
人々の混乱を防ぐためだなんて取って付けた言い訳だ。
自分の運命さえも背負いきれなくなって、逃げる為に体裁を繕った、苦し紛れの言い訳を、彼女はそれがあったから世界は守らていると言った。
「救われた気がしたよ」
月明かりが照らすランの顔は、いつも周りが騒ぐどの時よりも美しかった。
「そんなつもりはなかったんだけど、俺はどこかでユズハのように言ってくれる人を捜していたのかな?」
ランが第一王子である事実を、ランでなければならなかった理由を、ランがこの世に生を受けた意味を。
捜して、
捜して、
捜して、
どんなに犠牲を払っても手に入れられなかったものが、こんなに簡単に与えられるなんて。
「俺が知るか」
「はは、そうだね」
口をつけなくなったグラスの中は、氷が殆ど溶けて二層になった曖昧な境界線が滲んでいる。
「ありがとうな、アリス」
「・・・何が」
「俺はお前が弟で良かった」
「なんだ急に。気持ち悪い」
「気持ち悪いってことないだろ。これでも、本当に感謝してんだよ」
兄のくだらない我儘に、文句ひとつ言わず付き合ってくれたこと。
ランはそう言うが、アリスだってランが我儘を言っているとは一度も思ったことはない。いつもそうであったように、多くは語らないけれど、国を思って世界を思って動いていると信じて疑ったことはない。
当たり前だった思いに今更お礼を言われても、違和感しか積もらないのだ。
「お前には感謝しても感謝しても、謝っても謝っても、どうしようもないと思ってた」
「・・・・・・」
「出来の悪い兄の為に、何でお前がこんなことになるのか分からなかった」
出来の悪い。
一体誰の話だ。
「お前がいつかニブルに行く為に旅立つ日が怖くて、俺は逃げた。どんな顔して見送ればいいのかと」
そんなもの、いつも通り笑っていればいいものを。
「・・・でも、ユズハはお前に会えてよかったと言った」
「!」
生贄になったことを嘆くではなく、理不尽な境遇に不平を募らせる訳ではなく、異世界の運命を背負ってしまったことから逃げるのではなく。
ただ、アリスに会えてよかったと。
「お前にとんでもない荷物を押し付けたことは一生感謝と謝罪しかない。けれど、それを聞いてユズハのパートナーはお前でよかったと思ったよ」
もしあの時柚葉を迎えに行ったのがランだったら。柚葉を助けるのも、柚葉に助けられるのも、ずっと味方だと言われるのも、全てランだったら。
「お前じゃなきゃ、ユズハはそう言ってなかった」
「・・・・そんなことないだろ・・・」
自信のない声が漏れた。兄にはバレているだろう。
「もし俺だったら俺だったで、彼女は別の答えを見つけてくれるだろうけど、今進んでいる運命は今だ」
アリスに会えたことを喜んでくれる彼女がいるのは、この瞬間。
何通りもある未来から選ばれたのは、この瞬間なのだ。
「それを選び、受け止めたユズハを大事にしろよ」
「――――・・・分かってるよ」
そんなこと。
ラウズガードにも言われたが、そんなこと、百も承知だ。
口煩い保護者ばっかりだ、とアリスはため息と共に疲れを吐き出した。
ソファでギシリと音がしたので目を向けると、飲んでない酒はそのままに、ランが寝転がって寝る体勢に入っていた。
「あーあ、惜しかったな」
「あ?」
「俺が同行者だったら、ユズハは俺に会えてよかったと言ってくれるかなーって」
「・・・・・何言ってんだ」
眉を下げて本当に口惜しそうにするランの本心は掴めない。
「あんな子、欲しくなっちゃうよねってこと」
「ああそう・・・・、は!?」
話半分で聞いていたが、ランが言ったことの意味を理解すると、アリスは満月を見ている薄くした目をその瞬間に見開いて、自分でも予想もしないスピードでランに顔を向けた。
「だめ?」
「・・・だめ、だろ・・・。生贄だぞ」
「何で?生贄は関係ないだろ?」
「何で、って・・・・」
アリスを見てくるランの目は思いの外真剣な色を見せている。何でこんなときに笑っていないんだ。
よく似た瞳が互いの色を映し出し、月に照らされたそれは、二人の色を混ぜた新しい色を生み出す。
「・・・・本気か?」
「本気だと言ったら?」
動揺に揺れた瞳はどこに行ったのか、アリスの紺色はランの色を掴んで離さない。
「・・・・・・・・・今度は俺の我儘を聞いてもらう番だ」
「―――――・・・・冗談だ」
ふふ、と笑ってランはアリスから目を離して寝返りをうった。ソファがまたギシリと軋む。
冗談。
そう言ってランは話を終わらせたが、それは誤魔化したことくらいアリスにも分かっている。生涯ミステリアスをモットーに生きているような奴でも、兄弟なのに殆ど顔を合わせたことがなくても、それくらい分かるようになったのだ。
「半分、だろ」
「ん?」
ランは閉じかけた目を半分だけ開いて何でもないように返事をした。
「半分冗談、半分本気、だろ」
「・・・・・・」
跡形もなく溶けてしまったグラスの氷は、その名残を残すようにじわりと酒に融合していった。
「・・・・さあ、どうだろう」
いつもより少し低い彼の声からは、何も読み取ることはできない。元よりちゃんとした返事が返ってくるとは思っていなかったが。
「ラン」
だから、アリスは彼を呼んだ。
「俺は、お前が第一王子でいてくれるから、第二王子ができている。お前は逃げたと言ったが、決して第一王子の地位を捨てたわけではない」
そうすればどんなに楽だっただろう。
身分を捨て、行方を完全にくらまし、別人として生きていくことくらい、彼には容易かったはずだ。だが、彼はそうしなかった。第一王子の名を胸に、身体に刻み、手放そうとはしなかった。
「ランが第一王子で良かったのは、俺も一緒だよ」
「・・・・・、」
のらりくらりとしながらも責任感が強く、笑いながらも未来を見据え、味方には頼られ、敵には恐れられる。
「俺はお前が兄貴で良かった」
「――――――――」
ランが兄であることは、昔も今も、変わらない誇り。
「・・・・お前はずるいな」
「どっちが」
顔を見なくても、お互いの口角が上がっているのが分かる。
「おやすみ、アリス」
「ああ、おやすみ」




