見える覚悟を見る
扉をノックする音が聞こえ、柚葉は聞こえるように返事をした。自分が返事をしないと今この部屋には柚葉一人であるし、この部屋を訪ねてくるということは柚葉に用があるのだろう。扉が開くと間もなく、食欲のそそる香りがふわりと漂ってくる。
「ユズハ様、お食事をお持ちいたしました」
「あ、ありがとうございます。そちらへ置いていただけますか?」
「かしこまりました」
入ってきたのはこの城のメイドと見るだけで涎が溢れ出そうになる夕食だった。メイドは、恐らく決められている配置に食事を並べ、柚葉に一礼すると無駄な所作なく部屋を出ていった。にこやかなメイドではあったが、決められたように流れていった会話に何だか虚しさを感じた。閉まった扉を見つめていても、食事が冷めるだけだ。せっかく用意してもらったのだから温かいうちにいただこう。
「おいしそう」
一人で寂しくとも、お腹は減る。こちらの世界に来たときは夕方で、まだ日もそこまで低くなかったのに、外はすっかり暗闇に飲まれてしまった。
今のところ頼れる存在はアリスとイヴァンしかいないのに、アリスは柚葉に部屋と食事は用意すると言い残してこの部屋に送り届けたのが最後、数時間一人にされたままだ。イヴァンは先ほどの部屋にいるのだろうが、一人であそこまで行く自信はない。
「・・・生贄、」
スープを口に運びながら、言い渡された役目を反芻する。口の中にじわりと広がった野菜の甘みが優しい。
生贄とは言われたが、一体何をされるのかは分からない。火炙りにされるのか、水責めされるのか。食事を与えてくれるということは、もしかしたら太らせて食われるのか。何にせよ、その名前からして良いことであるはずがないのだ。それでもこのご飯はおいしい。
「ごちそうさまでした」
悶々と考えてはいても、手と口は正常に動いていたのか、あっという間に平らげてしまった。空になった食器はどうしたらいいのだろう。放っておいたら汚れが取れなくなるから、水にでもつけておいた方がよくないだろうか。折角綺麗な装飾がされた、高級そうな食器だ。見たところ陶器っぽいから、値も張るだろう。日本に持って帰って売り捌いたら1年分のお小遣いくらいになりそうだ。柚葉は食器を重ねて、割らないようにそっと両手で持ち上げた。
「どこへ持っていく」
「へ!?い、いや、これはですね、水につけておこうと・・・盗もうとしたわけじゃないですよ決して!」
「そこに置いておけ。すぐにメイドが取りに来る」
「そうですか・・・盗もうとしたわけじゃないんですよ断じて!」
「何度も言うと余計怪しいぞ」
いつの間にか扉に背を預けて佇んでいたアリスが訝しげな目を向けてくる。いや、本当に違うんです。部屋に奥にあったお風呂場で水を拝借して付け置きしておこうとしただけなんです。
どうやらその庶民的気遣いは無用だったらしく、アリスの言った通り、すぐにメイドが片付けにやってきた。こんなにタイミングよく来るなんて、どこかで見張られていたのではなかろうか。
「あの、ご飯ありがとうございました」
「あぁ、美味かっただろう」
「はい。高そうな味がしました」
「そりゃ、一国の城に勤めるシェフだ。選りすぐりの者を集っているからな」
そうは言っているものの、アリスはあまり興味のなさそうな表情をしていた。この国の王子なら、この城に住んでいるのなら、毎日こんな食事をしているのだろうに、不満があるのだろうか。
「それで、何か用ではなかったんですか?」
「そうだった。・・・明日、謁見の準備が整った」
「謁見、て・・・国王陛下ということですか?」
「そうだ。朝早いから、遅れないよう準備しておけよ」
これは困った。柚葉は非常に低血圧で寝起きが悪い。国王に謁見なんて遅刻するのは大問題なのは柚葉にだって分かる。ただ自信がない。学校だって母親にモーニング寝技をされてやっと起きるのだ。今考えたらよく生きていられたな。
「モーニングコールのサービスはありますか?」
「ない」
「んな殺生な!」
聞くまでもなくこの世界に目覚まし時計はなさそうだ。あっても破壊してしまうから日本でも持っていなかったが。こうなっては眠らないという選択肢しかない。起きられないのなら最初から寝なければいいのだ。徹夜なんて数年前の大晦日以来だが、謁見が終わってから泥のように寝ればいいことだ。ちなみに、大晦日のカウントダウンは毎年挑戦しているが、成功に至ったのは人生で一度しかない。
「・・・・分かった。起こしにきてやるから」
「お?」
「ただし一度で起きなかった場合は斬るからな」
「私!滅びの年を救う生贄!ここで死ぬ則ち世界滅ぶ!」
「阿保だな。半殺しに決まっているだろう」
「とりあえず剣をしまってください」
いや、国王の謁見に遅刻して不敬罪だと死刑になるよりは、多少斬られてでも時間を守った方が得策か。
穏やかではないアリスのモーニングコールサービスに思わず自分で名乗ってしまったが、柚葉はこの世界の生贄として国王の前に姿を晒す。どうぞ私を使ってくださいと。
「私は、本当に生贄になるんですね?」
「ああ」
「私は、本当にこの世界を救うんですね?」
「ああ」
縁もゆかりもないこの世界を、身を犠牲にして救うらしい。漠然としすぎている使命にいまいち実感が湧かない。何で自分が、何で今、何で何で。疑問と不満ばかりが募るが、それに応えてくる人も、受け止めてくれる人もここにはいなさそうだ。
「じょ、冗談でしょ・・・?」
和葉が生贄と聞いた時は、それは驚いた。だが、平然としてられたのはその生贄はもうこの世にいないと分かっていたからだ。もちろん、生きていたら自分のことのように必死に抵抗していただろう。まさかそれが今度は本当に自分の身に起こることになろうとは。
「冗談だとしたら、俺たちの今までの話は全部作り話だったとでも?」
「本でも出せそうですね」
「生憎、そんな暇はない」
分かっている。冗談だとしたら壮大すぎるドッキリだし、アリスが冗談を言うような人物ではないというのも分かっている。いくら信じられなくても、受け止めるしか道はないということも分かっている。分かりたくなどなかったが。
「言っておくが」
目を伏せてため息をつく柚葉を見てか、アリスが横目に面倒そうに声を掛けた。本意ではないという声色。
「国王への謁見は晒し者として行くのでない」
「へ?」
「名誉ある者としてその姿を貴覧に供して頂くんだ」
この世界を身を挺して救う者として、国王はその者の姿をその眼に焼き付け、その者の人となりを記憶に宿し、国を、世界を守った者として、その名を頭に刻み付ける。その身が滅んでしまうまで、それは消えることはない。
「この国は世界の中心を担っている。世界の生死はこの国に左右される」
だから生贄を差し出す役目も、それを言い渡す責任も、この国が背負う。
そう押し込めるように言うアリスは、どこか憤怒が混じっているようにも思えた。いや、憤怒というよりも悔恨かもしれない。
「見方を変えれば滅びに臆することなく立ち向かう勇者であり、救世主だ。だが、それは聞こえの良さばかりを気にした一時しのぎの仮名に過ぎない」
だから、敢えて生贄と言葉にするのだ。アリスが言わなくともなんとなく分かった。これが分からなければ、冷徹な対応だとこの先ずっと思っていたはずだ。アリスはそう思われても痛くも痒くもないようではあったが。
「生贄を言い渡すのは、俺達の責任だ。生贄にならせる責任が、俺達にはある」
初めて、アリスに王子の肩書きを見た。一国を背負う一族になるということは、柚葉を含む民間人にはおよそ計り知れない重圧がその身にのしかかる。それを空気のように当たり前に受け取るのだ。決められた運命として。
「アリスさん」
「何だ」
「アリスさんって王子様みたいですね」
「本物だ」
こいつの脳には皴がないのかと表情を歪ませた後、諦めたようにため息をついた。アリスも柚葉の相手は疲れたようだ。もういいと片手で額を覆うと、肩を落として部屋の扉を開き、そっと振り返って柚葉を見た。何だか森へ帰っていく熊のようで可愛いなんて、王子様に向かって不躾な目線を送っているのがバレただろうか。
「早く寝ろよ、ユズハ」
パタン、と扉の閉まる音がした。




