カリナ国の王女
先程からアリスのため息が酷い。ついに国境を越え、このカリナ国に入ってから十分に一回くらいは聞こえてくる。最初は疲れているのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
「・・・・アリスさん、うるさいんですけど」
「お前に俺の気持ちが分かるか」
「分かりませんよ。かまってちゃんの男はウザいだけですよ」
理由を聞いてほしいというよりは、誰かにこの気持ちを吐露したいといったところだろうか。残念ながら柚葉はこれみよがしに病んでいる人間に構ってやるほど優しくはない。正直見せつける元気があるんだからそれで立ち直れと思っている。
「別に構ってほしいなんて思ってないけどな、いろいろあんだよ、王子にも」
「さいですか大変ですね王子」
「心ねぇな」
カリナ国に入るとすぐに城の立つ町が見えた。アステリア国の城下町と同じく、人は多く、賑わっている。これはまた例の剣のリードで引っ張ってもらわねばはぐれてしまいそうだ。
アステリア国内ほどアリスを呼ぶ声は多くはないが、それでも隣の国の王子の顔を知っているものはいるのか、ところどころで騒ぐ声もしている。アリスが王子だからというわけでもなく、アイドル的な騒ぎ方ではあったが。
「どこ行っても人気なんですね、アリスさん」
「はあ?何がだ」
「この黄色い声が聞こえないんなら病院行った方がいいですよ」
「別に、物珍しさに騒いでいるだけだろ。俺はあまり国外にはでないからな」
「へえ」
「なんだその返事は」
無自覚のイケメンはこれだから。
半分呆れた目をアリスに向けていると、ふわりと鼻腔をくすぐる香りが漂ってくる。それだけで腹の虫が騒ぎそうな、美味しそうな匂い。それを辿っていくと、洒落た看板の割と新しめの店が視界に入ってきた。入り口付近では、五十代くらいの男性が呼び込みをしていて、柚葉の姿もその目で捉えたようだ。
「よお、そこの可愛い嬢ちゃん!サービスするからちょっと食っていかないか?」
「行きます」
「行くな」
後ろ襟を掴まれてしまった為、踏み出した足は前に進まなかった。夕食の時間としてもタイミングがいいし、せっかくサービスしてくれるし、何よりも美味しそうな匂いなのに何故。
「先に寄る所がある。飯はそれからだ」
「サービスしてくれます?」
「何の話だ」
知らない人についていくなと注意を受けていた時だ。呼び込みや商売するする声、アリスに対しての黄色い声とは別に、少し離れたところでざわっと空気が変わった音がした。騒ぐというよりは、そこから徐々に波のごとく静かな波紋が生まれているような。
「きゃあっ!テティ様よ!」
誰かが、どこかでそう叫んだ。それはまるで、周りがアリスを見て騒いでいるのと似ている、憧れや高嶺の花を表すような声。
人々がモーゼのように散っていく様は見ていて気持ちがいいほどだった。
その中心から颯爽と現れたのは、一人のフランス人形のような少女。
「う、わ」
水晶のようなコバルトブルーの瞳も、それを囲む長い睫毛も、色素の薄い金色の髪も、陶器を思わせる白い肌も、美しすぎて本当に作り物ではないかと疑ってしまう。身を包むドレスはその容姿によく似合うプリンセスラインの深い青。
声を漏らしてしまった一番の理由は、その纏う空気だ。その周りだけ妖精でも舞っていそうな、澄んだ空気が彼女を包んでいる。マイナスイオンでも発生しているのではないだろうか。
「な、んか、空気清浄機みたい」
柚葉のそんな感想は、誰にも聞かれないでよかったと思う。
町民の声をよく聞くと、きっとそれを聞かれた暁には袋叩きに遭うことになっただろうことが分かったからだ。
「テティ王女!」
「お・・・おう、じょ」
確かに、言われてみればそんな雰囲気だ。いや、そんな雰囲気しかしない。絶対そうでしかない雰囲気だ。空気清浄機だなんてとんでもない。
テティは、何かを探すような素振りを見せ、優雅な動きで右左と首を振っているが、そのうち正面に求めていたものを見つけると、パッと顔を輝かせて少し早足になった。どうでもいいが、嬉しそうな、でも不器用に走る姿がとてつもなく可愛い。
「アリス様・・・・!」
「・・・・!?」
テティに見惚れていて気付かなかったが、どうやら彼女はこちらに向かって走ってきていた。細い腕を振り、少し頬を赤らめた、とにかく可愛い笑顔で。
「アリス様!!おいで頂くのでしたら、事前にご連絡くだされば準備も致しましたのに!」
「今回は旅の途中に通りがかっただけだ。連絡する暇もなかったんだよ。それよりお前、出てきていいのか?」
「ええ、アリス様が来ていらっしゃると聞いて、居ても立ってもいられなくて、飛び出してきちゃいました!」
てへぺろ、なんて本当にやって許されるのはあんたみたいな可愛い子だけだぞ。
アリスの胸に飛び込んで見上げる姿は、まさに女の子そのものだし、なによりもこの二人がとても画になる。こんな陶器の置物ありそうだ。台座を回すとオルゴールが流れるアレ。
親しげな二人の会話に水を差しようもなく、柚葉は少し離れたところで目をぱちくりしてその様子を見ていた。
「また使用人が探し回ってるんじゃないのか?」
「ちゃんと置き手紙はしてきました。安心です」
「それはお前が安心なだけだろっ。早く戻ってやれ」
「えーっ!久々にお会いできましたのに、もうちょっとだけ!」
ダーメーだ、とアリスに抓られる頬は良く伸びる。それでも整いすぎた容姿は崩れることはないが、王女様にそんなことして大丈夫だろうか。可愛い女の子に、なんてことするんだ。というか、なんかこの二人、妙に距離が近くないか?抱き合っているわけではないが、テティは細い手をアリスの胸に添え、アリスは自然にテティの腰に腕を回している。日本人は謙虚すぎて、外国では当たり前の挨拶のキスやハグさえも抵抗があるくらいだが、この二人はそんな段階は既に越しているように感じる。
「・・・おい、テティ?」
胸元で突然黙ったテティをアリスが覗き込む。その顔には少し心配の色が見えていた。
そんな顔、初めて見た。
「・・・ごめんなさい、なんでもないです」
「何でもなくないだろ。顔色が悪い。ちょっと移動するぞ」
「・・・すみません・・・」
俯いたテティは、確かに顔色が芳しくない。元々色白なのに、血色を失っていて青白くなってしまっていた。それを診るようにアリスはテティの顔にかかる髪をそっと避け、首筋に手を当てる。
具合が悪くなった人を介抱しているだけ。それだけだ。
「ユズハ、離れるなよ」
「あ、はい・・・」
テティの腰を支えながら肩越しに柚葉に声を掛け、木陰に入っていくアリスをそれでもはぐれてはいけないと、少し距離を取りながら追いかけていった。
テティ=メルヴィ=カリナ第一王女。カリナ国唯一の息女だ。
中々子宝に恵まれなかった現王家は、やっと授かったテティを城の中で大切に大切に育ててきた。危険なことはさせなかったし、そんな場所にも行かせない。常にボディーガードをつけていて、城の警備は厳重にし続けた。そんな環境で育てたのに、何故か当の本人は親の望むようには育ってくれなかった。お転婆もお転婆、危険なことは進んでするし、そんな場所に行きたがる。使用人達の目を盗んで城を出ては汚れて帰ってくる。そんなテティに両親は精神をすり減らしていたことだろう。だが、唯一の救いは、そんな恵まれた環境で甘やかされて育ってきたのに、彼女はそれに甘えることがなかったその性格だ。望むものは何でも与えてやろうと思っていたのにまず望まない。欲しいものは自分で努力して手に入れたし、自分がすべきことは何でも自分でやった。誰に似たのかは分からないが、そんな彼女は国民からも愛された。少し考えなしなところはあるが、王室の人間にとって、それは誇るべきことであった。
「大丈夫ですか?テティさん」
「ええ。ごめんなさい、手間をかけさせてしまいましたね」
「いえ、とんでもないです」
木陰に座ったテティに水を持ってくると、それだけで天使の微笑みを向けられてしまった。思いがけない臨時収入をもらった気分だ。
「ほら、これ飲むんだろ」
テティの前にしゃがんで手を広げるアリス。そこには三つほどの錠剤が置かれていた。これは、何かの薬だろうか。
「い・・・嫌です」
「嫌じゃないだろ」
「だってお薬嫌いです」
「嫌いでも飲め」
「うう・・・」
テティは苦い顔をしてアリスの手にある薬とにらめっこをしている。その姿が可愛らしくて、思わず笑ってしまった柚葉を、アリスとテティが同時に見つめた。
「あ、ごめんなさい。テティさんが可愛くて」
「確かに、何でも吸い込むように食べるお前に比べたらな」
「吸い込むって何ですか」
否定はしないけど。そういえば昔カービィのようだと言われたな。
「テティさん、何かの病気、なんですか?」
そういうことはあまり聞かない方がいいかもと思う派だが、テティ自身があまり隠している様子もないので、恐る恐るながらも訊いてみた。
テティは案の定あっけらかんとして頷いた。
「生まれつき、あまり身体が強くなくて。これでも昔に比べたら強くなった方ですよ?でも、今日みたいに日差しの強い日だったり、気候の変化が激しいと身体がついていかなくなってしまって・・・」
嫌になっちゃう、と頬を膨らますテティはやっぱり可愛い。
アリスに促されてやっとのことで薬を飲み下し、ふぅっと息をつく。さらりと肩から落ちた髪の毛を、アリスが先程と同じように避けて顔色を診る。
「・・・気分は?」
「大丈夫です。申し訳ありません、ご心配おかけして」
「全くだ。迎えを呼んだから今日はこのまま真っ直ぐ帰れよ」
「んうー・・・はい・・・」
「明日、ちゃんと挨拶しに行くから」
不満そうではあったが、アリスの強い瞳に押されてテティはやむなく頷いた。
柚葉は、アリスのテティを見る目が、ただの知り合いに向けるそれではないような気がしていた。
割れ物に触るようなその手つきが、彼女に触れるその手が、いちいち目に飛び込んでくる理由が柚葉には分からない。
少し低めの優しい声も、気遣うからこそ戒める声も、自分以外に向けられているのを聞くのが、こんなに気になるとは思わなかった。
水を持ってきた際に濡れてしまったスカートの裾を、いつの間にかぎゅっと握りしめていた。




