ここは妖精の世界ではないらしい
「えーっと?」
穂柚葉、本日で16歳になる。本人的にはごくごく普通の家庭に生まれ、ごくごく普通の生活を送ってきた。だからごくごく普通に家族と友達に祝われるというごくごく普通の誕生日を迎えたはずだったのだ。
それが一体どうしたことだ。きっと、今夜は御馳走とケーキが待っていると浮足立って学校から帰路に就いたのが悪かったのだろう。本来なら重く閉ざされているはずのマンホールがぱっくり口を開けているのにも気付かず、楽しそうにスキップでそこへダイブしていった。浮遊感と落下の重力が襲ってきたのはほんの一瞬、あとは恐らく気を失ってしまったのだと思う。
それからどれくらいの時間が経ったのかは定かではないが、ずきりと痛む頭を誤魔化して無理矢理目を開けた。マンホールの暗闇の中にいるか、もしかして誰かが気が付いてくれて助けてくれたのなら、病院にいるのかもしれない。どちらにしても、さぞかし今自分は下水の臭いを蔓延らせていることだろう。覚悟の上で目を開けたのだが、目に映る風景はそのどちらでもなかった。
「・・・めるへん?」
そう口から勝手に出てきてしまうほどに、辺りは色濃く彩られた世界だった。身を起こしただけの足元に草や土が広がっているところから見ると、どうやら柚葉は今外にいることは間違いないらしいが、見たことのない植物、主張が激しい虫、空を舞う鳥までも柚葉の記憶にはない形だ。これはあれか、マンホールの中の世界は実は人間から外界を絶った妖精たちが静かに生計を立てていたのか。妖精だから魔法とか使えるかもだし、植物を作ったり、本当は真っ暗な世界にも空を生やしたりできるのかもしれない。
「おい」
ふむふむ、と顎に手を当てて状況を勝手に理解していく柚葉の頭の上から、ふいに声が聞こえてきた。そういえば辺りを見回したときに、人の足のようなものが見えたのだが、柚葉は自分の状況を把握するのを急いでいたため、気のせいにして無視していた。
「お前、ミノリカズハか?」
「・・・・はい?」
降ってきた声の元を辿り、上を見上げると、ローアングルでも崩れ知らずのイケメンが仁王立ちしていた。腕を組み、見下ろしてくるその人は、腰に剣を携えた、柚葉の人生経験では見たこともない恰好だった。
「お前はミノリカズハかと聞いているんだ」
「・・・・違いますけど」
「何?」
いくらイケメンでもこのまま見下ろされているのも何だかいい気持ちはしなくて、柚葉は服の汚れを払いつつ立ち上がる。その動きに合わせて男も視線を上げたが、それでも見下ろされることには変わりはなかった。立ち上がったからこそ分かる、身長差だった。
「・・・小さいな」
「あなたが大きいんですよ」
男が漏らした感想に間髪入れずに返してやった。柚葉の身長は155センチ。特別大きくはないが、小さくもない。欲を言えばあと3センチ程伸びてくれれば理想の身長になる。それに対して、男は概算170後半の高さはあるだろう。男性にとって大きすぎるわけではないのだろうが、それと比べてしまっては酷と言うものだ。
「ミノリカズハではないということは、お前は誰なんだ」
「人に名前を尋ねるときはまず自分からと教わらなかったんですか?」
「教わったな」
「ではどうぞ」
先ほどは結構な角度から見下ろされていたために陰になってよく分からなかったが、よく見れば男の切れ長の瞳は銀を散りばめた濃紺をしていた。光に当たるとその銀がきらきらと光って見える。紫がかった黒髪とシミ一つない白めの肌に合う整った容姿は、およそ日本人とは思えない。それでも、芸能人を見たことのない柚葉にとって、テレビに出る人はこんなものなのかと納得した。
「俺はアリス。アリス=ルヴィンだ」
「・・・・・・・ん?」
「聞こえなかったのか?アリス=ルヴィンだ」
「はい?」
「アリスだ」
「今なんと?」
「アリスだ」
「不思議の国の?」
「アリスだ」
最後のは偶然の一致だ。
気のせいではなければカタカナでしか変換できない名前を言われた気がする。そうか、外国人か。観光にでも来ているのだろう。
「あぁ、それはそれは遠いところまでご苦労様です」
「何が」
「日本には観光で?あ、日本語堪能でいらっしゃいますね」
「一応言っておくが、遠いところまで来ているのはお前の方だからな」
「ん?」
日本人よろしくおもてなしの心を披露しようと作った笑顔が固まった。顔の前に開いた手が虚しい。
「多分分かってないだろうから教えてやるよ。ここはお前の国じゃない。それどころかお前の世界でもない」
「ああ、分かってますよ。マンホールの中の妖精の世界でしょ?」
「まんほーる?」
「あれ?ご存じない?あれです、小学生が踏んだら死んでしまうアレ」
「地雷か?」
「それは小学生じゃなくても死んでしまいますね」
どうやら話が噛み合わないとなると、柚葉の状況に対する理解は改めなければならないらしい。アリスというこの男の言っていることが本当だとしたら、遠いところまでご苦労様なのは柚葉の方らしい。マンホールの中は地上までの距離を測ったとしても数メートル。遠いということでもないが、それを遠いと無理矢理感じるのなら仕方がない。ただ、そもそもマンホールが通じない。まさか、発音が悪かったのだろうか。
「むぁんふぉーる、です」
「?」
珍しい生き物を見るような目をされた。
外国語には自信がないが、今のはなかなかいい発音だったと思うのだが。
「・・・いいか、よく聞け」
たっぷり溜めたため息を盛大につくと、アリスはしぶしぶと話し始めた。相手が馬鹿だと確信したらしい。
「何を勘違いしているかは知らんが、ここはアステリア王国。日本ではないし、お前の生まれ育った世界ではない。ちなみに妖精の世界でもない」
「妖精の世界ではない?!」
「驚くところそこか?」
衝撃だった。変な植物、虫、動物、どれをとっても幻想的な風景だったので、すでに妖精の世界以外の何ものでもないと思っていた柚葉にとっては、ここが日本ではないことは薄々分かっていたことなのだ。だから妖精の世界だということで片を付けていたのに、それまでも否定されてしまったのだから、考えを一体どこに落ち着ければよいか分からない。
「じゃあここは一体・・・」
「アステリア王国。お前の立場から言えば、異世界ということになるな」
「・・・・異世界・・・?」
柚葉の日本人にしては茶色い瞳が真ん丸になった。妖精の世界とて異世界には違いないのだから、それを受け入れていたのなら今更異世界と言われたところでそんなに驚かなくてもよいと思うが。
「話すと長くなるから端折るが、どうやらお前はこの世界に間違えて喚ばれたようだ」
「ま、間違えて?」
「ミノリカズハではないんだろ?」
確かめるようにアリスの綺麗な顔が近づいてくる。柚葉は今朝誕生日の記念に伸ばしていた前髪を眉上に切り揃えてしまったのを後悔した。視界が開けすぎて美形が眩しい。
「俺たちはミノリカズハを喚んだはずだった。・・・・・改名したのか?」
「しとらんわ」
自分でもどういうわけで柚葉がここにいるのか分かっていなく、片手で口元を押さえて眉を寄せていたアリスは、ハッと気付いたように柚葉に視線を送ってくる。日本に改名する機会があるとしたら、結婚・離婚・伝承くらいが大きな理由。柚葉は当然結婚もしてなければ離婚もしていないし、何かの伝承者でもない。
「私は穂柚葉。改名はしていません。ちなみに穂和葉は私のお姉ちゃん」
「妹の方だったのか。・・・・でも一体何故」
「こっちが聞きたいんですが。そもそも喚ばれた意味も分かんないし、何でお姉ちゃんなんですか」
その理由がさっきアリスが端折ったところにあるように思えた。面倒くさがると返って面倒なことになるから覚えておけ。
「ミノリカズハはこの世界の生贄になるはずだった」
「え」
これは、異世界初心者にとっては、結構猟奇的な召喚なのかもしれない。




