神代愛憎模様 参
家で映画を見ているとしよう。
ジャンルは何でも良い、強いて言うなら見る者にとって触れたことのないジャンルという方が分かり易いか。
彼、もしくは彼女はバイオレンス映画なんて触れようと思ったことすらない。
何百年も続く伝統のネズミーな会社のアニメ映画とかそういうのが大好きな人種だ。
だがそんな彼、もしくは彼女が何の気紛れかそういうものを手に取ってしまった。
レンタルなんてたかだか百円か二百円、たまには任侠ものでも見ようじゃないかと手に取ってしまった。
今日は金曜の夜で明日は土日、任侠ものも含めて幾つか映画を借りどっぷり創作の世界に浸ろうじゃないか。
そうして家に戻った彼は早速、自分にとって未知の領域である任侠ものを再生。
開始十分でこれは……と顔を顰め気晴らしにツマミのスナック菓子を食べる。
三十分でちょっとクールダウンとして一時停止して煙草で一服。
一時間でこれはもう駄目だ、やっぱり合わないと中断して別の映画に取り掛かる。
そんな風に合わなければ、見たくなければ気晴らしなり途中で止めることが出来るのだ、自宅で見る映画ならば。
『はぁ……』
大きな溜息が漏れてしまうのも已む無しだ。
スナック菓子を食べることも一服することも中断することも出来ないこの夢。
ノンストップ、ノンカットでどう足掻いても見続けなければいけない。
栞はいい加減、この夢から抜け出したくてしょうがなかった。
女神姉妹が運命の男、邇邇藝命と出会ってから徐々に歪みが出来始めた。
最初は木花之佐久夜毘売も石長比売も互いが互いをどうとも思っていなかったが、
時間を重ねるにつれ姉は妹を、妹は姉を露骨に避け始めた。
理由は語るまでもない、互いが互いを恋敵と認識したからだ。
唯一の救いはかつての醍醐姉妹のように憎み合い、殺し合っていないことか。
否、それも救いとは言えないかもしれない。
栞の目から見て破綻は避けられないのだから。
真綿でじわじわと首を絞められているようなものだ。
『……私と姉様を見る紫苑さんも、こんな気持ちだったんでしょうね』
今更ながらにかつての己を恥じる栞。
だが心配することはない。紫苑は姉妹の確執を見て内心で超馬鹿にしていたのだから。
良い見世物だ。他人の愛憎劇ほど哂えるものは無いぞ、と。
『しかしどうしたものでしょうか』
これまで幾度も自問した。折り良く姉と話す機会が訪れた時には何度も意見を交し合った。
しかし今を以ってしても何故自分達が木花之佐久夜毘売と石長比売の記憶を追体験しているかが分からない。
せめてそこが分かれば抜け出す糸口も見えるかもしれないのに……。
「むにゃ……」
『人の気も知らずに暢気ですねこの神様』
思わず毒づいてしまうのも無理はない。
宿主とも言うべき木花之佐久夜毘売はだらしない顔でグースカ寝ているのだから。
「ににぎさまぁ……でへへ……」
無数の花で形成された寝台の上で眠る彼女の口からは涎が零れ出ていた。
花のベッドに眠る女神、星の天蓋、シチュエーションは最高なのにどうにも締まらない。
『でへへって……』
出来るものならその餅のように柔らかそうなほっぺを引っ叩いてやりたかった。
そうすればこのストレスもきっと晴れるだろう。
『ああもう、一人だから余計に苛々しま――ん?』
ふと、誰かの気配を感じる。
視線をやれば厳のような肉体を揺らしながら男が近付いて来た。
ワイルドな髭を撫でながら木花之佐久夜毘売を見下ろす彼は美しい女神を手篭めにしようとする暴漢――ではない。
姉妹の父親である大山祇神である。
「ふむぅ……」
威厳ある大山祇神だが、その表情は情けないぐらいに緩んでいる。
娘が可愛くて可愛くてしゃーない親馬鹿の顔だ。
とはいえ、そのファニーダディフェイスも長くは続かず、すぐに憂鬱顔になってしまう。
親は子供をよく見ている――姉妹の不仲についても当然承知の上だ。
邇邇藝命――厭らしいことを言うならば血筋は十分に過ぎる。
見た目もグッド、そして滞在中にそれとなく観察した結果、性格も良し。
娘を託す相手としてはこの上ない物件だ。
こちらから娘を貰って欲しいと頼みたいくらいなのだが……。
「サクヤもイワも儂にとっては可愛い可愛い娘だしのう……」
どちらか片方となれば間違いなく姉妹の間に確執が生まれる。
今だってそうなのだ。大山祇神は不協和音を奏でている姉妹の現状に心を痛めている。
相争うくらいならばいっそ二人に諦めさせるか。
そんな選択もアリだろう。だが邇邇藝命にそれは選べない。
「……幸せそうだものなぁ」
こんなに幸福に包まれた娘の寝顔が曇るような結論は突きつけられない。
此処に来る前に見た石長比売の顔も妹と同じく幸せそうだった。
娘の幸福を願わない父親など父親ではない。
だから、
「……二人を貰ってくれるよう頼むか」
こんな答えが出てしまう。素晴らしきは父親の愛。
だがそれも視点を変えてみれば酷く滑稽だ。
父親は娘の幸福を願う、ならば娘を託す相手についてちゃんと見ているのか?
もし見ていて、その上で邇邇藝命という男を理解していたのならば分かったはずだ。
『――――木花之佐久夜毘売も石長比売も幸せにはなれない』
邇邇藝命という神は善良な男である。
だが、同時にこの時代では赦されない、あまりにも異質な考えを持つ男だ。
彼がそれを言葉にして理解を求めることはないだろう。
ゆえに察するしかない、だが察することすら難しい。女神の――娘の夫にするにはあまりに不適格。
致命的な陥穽に気付かぬまま時間は更に流れた。
山の深奥に建造された大山祇神の屋敷に集められた邇邇藝命、石長比売、木花之佐久夜毘売。
姉妹は互いに目を合わすこともなく父を見ていて、邇邇藝命は静かに目を閉じ、成り行きに身を任せている。
大山祇神は一つ咳払いをしてから口を開く。
「邇邇藝命殿」
「何でしょうか?」
「今日は貴殿に提案があってこうして招かせてもらった」
もうこの時点で邇邇藝命は先の展開と、己の望みのためにどうすれば良いかを理解していた。
だからこそ、答えは既に決まっていて、分かっていないのは彼を除く三人のみ。
『姉様』
『ええ』
邇邇藝命は木花之佐久夜毘売だけを嫁に貰うだろう、醍醐姉妹の知る通りに。
だがそれは記紀に綴られているような理由ではない。
徹頭徹尾、己のためだけに打算を以って嫁を取るはずだ。
「どうだろうか邇邇藝命殿、我が娘――サクヤとイワを娶ってくれないだろうか?」
ギョッと目を剥く花と岩の姉妹。
父である大山祇神の提案はあまりにも突拍子が無いものだった。少なくとも彼女らにとっては。
『嬉しい、というより複雑そうな顔ですね』
『ええ。まあ、彼女らの気持ちも分からないでもないけど……』
醍醐姉妹の言うように木花之佐久夜毘売と石長比売の表情は決して良いものではなかった。
同じ女だからこそ分かる――――何故、私だけじゃないの?
木花之佐久夜毘売はナルシストではないが自分の容姿や明るい性格に自信を持っている。
だからこそ、自分のオマケとして姉が邇邇藝命に娶られることを快く思えない。
一方の石長比売だってそうだ。
ハッキリ言って自分の方が邇邇藝命に好かれているのに何故妹と?
木花之佐久夜毘売はいっぱい持っているじゃないか。
ここで邇邇藝命と結ばれずとも、いずれ別の素敵な誰かと結ばれる。なのに何故、邪魔をする?
もっと早くに大山祇神が提案していればこんなことにはならなかっただろう。
少なくとも邇邇藝命が己の想いを見出す前ならば間に合った。
彼は姉妹を受け容れただろうし、姉妹も二人揃って貰われることを喜んだはずだ。
二人一緒に娶ってくれという提案は余りにも遅過ぎた。
「邇邇藝命様」
「……邇邇藝命様」
決して自分の口からは言わない、だが名を呼ぶことで何かを訴えかける。
栞と紗織は痛いほどに女神姉妹の気持ちが分かった。
どうか自分だけを選んで下さい――――二柱の女神はそうアピールしているのだ。
『大山祇神、無責任が過ぎると思いませんか姉様』
『ええ。邇邇藝命、姉妹、それぞれにも原因はあるけれど大山祇神の思慮の無さも酷いわ』
こんな状態の姉妹を娶ってどうしろと?
そんな提案をするのならばまず姉妹を仲直りさせるべきだ。
結婚させて後は娘の旦那に総て放り投げるなんて無責任の極み。
これはもう親馬鹿ではない、ただの馬鹿親である。
「――――お断りします」
邇邇藝命はバッサリと切り捨てた。
その答えを聞いて尚も粘ろうと口を開く大山祇神だったが、
「しかし、木花之佐久夜毘売だけというならば引き受けましょう」
その瞬間の石長比売は見ている方が気の毒なくらいだった。
信じられないという顔から一転、絶望に塗り潰されハラハラと静かに涙を流して蹲るその姿は、ただただ哀れ。
世界の春風紫苑が見れば丼十杯は平らげられるほどだ。
「……待ちたれい邇邇藝命殿。何故、イワは駄目なのかね?」
石長比売の哀れな姿を見て、若干怒気を滲ませる大山祇神。
だがお前がそれを言うか? そもそも婚姻の提案などせずに黙って邇邇藝命を行かせれば良かったのだ。
娘のためにと引き止めた結果がこれだ、大山祇神が怒るのは筋違いである。
娘が好いているからと言って邇邇藝命は夫となるには不適格な男なのだ。
そんな男に娘を差し出そうとする前にもっと深く言葉を交わし、邇邇藝命を知る努力をすべきだった。
表面的な行動や言動だけで分かった気になっていたからこそ、こんな結果になってしまったのに。
ハッキリ言って邇邇藝命に妻を幸せにしようなんて気はさらさら無い。
木花之佐久夜毘売を娶ったのも愛ゆえではなく、打算ゆえ。
「お父様、余計なことは仰らないで。それと、これまで御世話になりました。サクヤは嫁に参ります」
選ばれたことへの優越と幸福が木花之佐久夜毘売の気を大きくさせていた。
選ばれた理由や、姉のことにほんの少しでも考えを巡らせれば良いのに。
「邇邇藝命様」
「ああ」
並び立つ邇邇藝命と木花之佐久夜毘売。
それぞれの左手と右手がパン! と打ち鳴らされ合掌の形を作る。
人のそれとは違い、神々の婚姻とは単なる儀式ではない。
互いの神格をほんの少し混ぜ合わせることによって初めてつがいとなるのだ。
そしてその儀は今この瞬間、成されてしまった。
「う、ぐぅ……邇邇藝命殿、儂が二人を差し上げると言ったのには理由があったのだぞ」
『アホですね』
『アホだわ』
良かれと思ってやったことが良い結果を生むとは限らないのだ。
「イワを妻にやったのは貴殿の命が岩のように永遠のものとするため、
サクヤを妻にやったのは木の花が咲くように繁栄するからだったのだぞ!!」
成るほど、そいつは素敵だ。
だがそれが邇邇藝命にとっての幸福だと誰が決めた?
「御身はサクヤだけを妻とした、貴殿の命は木の花のように儚いものとなるぞ」
そう、それこそが邇邇藝命の望みだった。
誰にも告げられない、自身の真なる望みを果たすために彼は木花之佐久夜毘売を妻としたのだ。
「そうですか……己の愚に対する教訓としましょう。行こうか、サクヤ」
「はい!」
屋敷を出て山を下り、新たな地への一歩を踏み出す寸前のことだった。
「サクヤ」
「はい?」
僅かな逡巡を見せた後で彼は小さくこう告げた。
「――――これから先、一度でも心が通じ合うと良いな」
それはきっと、罪悪感から出た言葉だったのだろう。
しかしそれを知らない木花之佐久夜毘売をそれをポジティブな意味で受け取った。
『姉様!』
邇邇藝命の言葉が終わった瞬間、夢の世界が崩壊する。
砕け散った夢の後に残ったのは死の世界。
森は禿げ上がり、川は枯れ、土は栄養を無くした命の息吹が感じられない山中異界。
"その後、邇邇藝命様は変わってしまったわ"
既に姉妹は自分の肉体を取り戻していた。
いや、正確には生身の身体ではないのだが先ほどまでの憑依状態からは脱している。
ゆえに姉妹揃って背中合わせで周囲を警戒しているのだが声の主が何処にも見当たらない。
"どんどん愚劣になっていく"
邇邇藝命氏、認知拒否問題のことを言っているのだろうか?
"そうしてそのまま、愚かなまま、力まで失い呆気なく死んでしまった"
邇邇藝命様、と言っているがそこに愛情は感じられない。
声の主――木花之佐久夜毘売から既に愛情は失せていた。
あるのは胸を掻き毟り掻っ捌いてしまいたくなるほどの悔恨と負い目。
"どうして、私はあんな方に嫁いでしまったのか……どうして、もっと大切なものに目を向けなかったのか……"
泣いている、のだろうか。木花之佐久夜毘売の声は湿っていた。
"姉様、大切な姉様……優しい姉様、愛しい姉様……私のせいで姉様を変えてしまった……。
姉様はとっても御優しい方だった……妹である私に惜しみない愛を注いでくれた……"
怨念染みた後悔が醍醐姉妹に纏わりつく。
"いいえ、違うわサクヤ……妹であるあなたを呪ったのは私の愚かさよ……"
新たに加わった姉が更に陰鬱さを加速させる。
"私はお姉ちゃんなのに……あんな男に惑わされ、心を狂わせられたばかりに……"
栞も紗織も、内心で沸々と怒りを抱いていた。
何だこの女達は。ちょっと待て、あんなのを女と認めたくはないぞ、と。
"ごめんなさいサクヤ……嗚呼、どうして私達は……"
その瞬間、背中合わせで佇む醍醐姉妹の目の前に女神達が姿を現す。
美貌を嘆きに歪ませ、血涙を流す姉妹。
木花之佐久夜毘売に往時の花のような美しさは欠片も無く、石長比売はあの当時よりも更に暗くなっている。
「何故、私と姉様にあなた方の記憶を追体験させたのですか?」
成るほど、こうして直に見つめ合うと分かる。
人とは違う次元に座する者――――すなわち神。たかだか山の女神と言えどもその威圧感は半端ではない。
純化を使わねばあっさりと殺されるだけだろう。
いや、使用したとしても今の女神二柱相手ならばどうだろうか。
永きに渡る怨念のような嘆きがこの姉妹の力を更に強めている。
「生憎と私達とあなたに接点は無いはずですよ?」
心情的に思うところはあれども、縁という意味では微塵も繋がっていない。
まさか醍醐の家が天孫の血を継いでいるなどというわけでもあるまいに。
五摂家一条家の人間が霊元天皇の詔により醍醐家を興した。
二人の家は一条の流れを汲む醍醐家である可能性が高い。
由緒ある家柄とはいえ皇族にまで連なるような家でないことは確かだ。
「栞、紗織、あなた達は……私と姉様によぉく似ています」
優しい声色。しかしジメっとした情念が酷く不吉だ。
「……己の責ではなく、他者の愚劣さによって人生を狂わされた。私とサクヤのように」
「ちょっと待ってください。あなた達は私と姉様のことを知っているのですか?」
醍醐栞と醍醐紗織の過去を知る人間はそう多くない。
特別隠しているわけでもないが、
他人に無遠慮に騒ぎ立てられるのも嫌いなので好んで吹聴などは一切していない。
だというのに木花之佐久夜毘売と石長比売はそれを知っているかのような口ぶりだ。
「ここ百年、私達の領域と現世はかつてないほどに接近しているのよ。
そちらからは観測する術は無いでしょうけど、私達の側からはある程度の観測は出来る」
「……それが私達に近い境遇の者ならば尚更」
今生きている人間が生まれた時代は非常に特殊だ。
砂時計で例えるならば両方の砂の量が完全に拮抗した状態。
人間は一部を除き気付いていなかったが、彼女ら幻想はその目で現世を覗いていた。
無論、ラプラスのような観測魔ならまだしも普通の神魔は世界中何処でも見渡せるわけではない。
木花之佐久夜毘売と石長比売の姉妹とて本来ならば自分達の領域に一番近しい土地ぐらいだ。
しかし例外が無いわけでもない。条件が重なればその個人のみを観測することが出来る。
そういう意味で女神姉妹の視点で醍醐姉妹は条件が重なり過ぎていた。
いっそ滑稽なまでに似ているのだ。
まず第一に姉妹であること。第二に己が責ではなく他者の責により姉妹の仲が裂かれたこと。
第三に姉が不幸の道を辿ること。第四に妹が一見すれば幸せの道を歩いているように見えること。
一つ二つはともかく四つだ。四つも重なってしまっている。
ここまでダブっているともう笑うしかないだろう。
「悪戯な運命に翻弄されて引き裂かれた姉妹」
「……憎み合って、殺し合いにまで発展した」
改めて指摘されると泥沼とかそういうレベルじゃない。
身内同士で殺し合うなんて何時の時代なのか。
「なのに」
「どうして」
「和解しているの?」
「何故」
「以前よりも強い絆で結ばれているの?」
女神姉妹の瞳が絶対零度のそれに変わる。
「私 達 と 同 じ な の に」
ぞっとするほど蒼白い腕が醍醐姉妹の首を掴む。
ギチギチとその細腕からは信じられないほどの力が発露している。
「ぐ……!」
「あぅ……!」
ミシミシと軋む頚骨。何とか腕を外そうと足掻くがまるで外れない。
そんな醍醐姉妹を女神姉妹は怨念滲む瞳で見つめ続ける。
怨念の中に潜む妬み嫉みはドス黒く、吐き気を誘うものだった。
彼女らの目は口ほどにものを語っていた――――どうしてお前らだけ、と。
自分達は失意の内に虚無に消え、今日に至るまで嘆きの中に居て以前のようには戻れていない。
なのに神でも何でもない人間であるお前達は何故、そんな風に成った。
赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない。
お前達の幸福が赦せない――――ひょっとして女神姉妹は紫苑くんの親戚か何かだろうか?
「私も姉様も……今も、今になっても苦しんでいるのに……」
「……何故、あなた達は幸せなの?」
今は憎悪の対象でしかないが、女神姉妹はかつて同じ男に惚れていた。
そしてそれは醍醐姉妹も同じだ。まあ、彼女らは現在進行形で愛を謳っているわけだが。
列挙してみると女神姉妹と醍醐姉妹は本当に似通っている。
だからこそ納得出来ない。
「不公平だわ、あなた達と私達で何が違うと言うの……?」
強いてあげるならば惚れた男の違いだろうか。
善良といえば善良だが、己の望みを叶えることに必死だった邇邇藝命。
見栄の化身で三千大千世界を騙し切る演技派のガチ屑野郎春風紫苑。
上手に騙してくれるかくれないか。
邇邇藝命には己の望みを完遂しつつ女神らを騙せるだけの器用さが無かっただけのこと。
今に至った結果の理由の一つはそれだ。
「――――」
さて、理不尽な八つ当たりを受けている醍醐姉妹は今、静かにキレていた。
首の拘束を外そうと足掻いていたがもうそんなことはどうでも良い。
この頭の中がお花畑になってる馬鹿娘達に一言かましてやらねば気が済まない。
栞と紗織の気持ちは今、完全に一つになっていた。
「甘ったれるな」
醍醐姉妹は力いっぱい腕に力を込めて、
「――――この箱入り馬鹿娘が!!!!」
渾身の力で木花之佐久夜毘売と石長比売の顔を引っ叩いた。
威力はそうでもなかったが、顔を叩かれるという経験自体が未知のもの。
女神姉妹は虚を突かれたことで首の拘束を緩め醍醐姉妹はその隙を突いて馬鹿女神達から距離を取る。
「散々好き勝手言ってくれましたけど……舐めてんですかあなた達?」
「不公平? あなた達と私達の何が違う? 違うに決まっているでしょう」
女神姉妹の言葉は侮辱にも等しい。
醍醐栞の矜持を、醍醐紗織の矜持をグチャグチャに踏み躙るものだ。
そんなものを赦しておけるほど物分りの良い女ではない。
「悪戯な運命に翻弄されて、自分のせいじゃない……そんなことはありませんよ。
確かに私達の父母が元凶と言えば元凶でしょう。しかし、私達にも責はあります。
私が妹を――栞を妬んで短慮を犯さねば過ちが起こらなかった可能性もあるのだから」
自分には責任が無いなんて被害者ヅラを出来るほど厚顔ではない。
紗織は堂々と己の責任を言葉にした。
「お姉ちゃんなのに、血を分けた姉妹なのに姉様の苦しみに気付かなかった。
何も知らず、知ろうとせずに父母を殺したのは私の罪です。
姉様が激情に駆られて襲い掛かって来たことは確かに理不尽かもしれませんが私にだって責はある」
そこから目を逸らして不幸な女を気取れるほどに恥知らずではない。
栞は堂々と己の罪咎を言葉にした。
「自分に責任があることを知りながらも憎しみを捨てられずに復讐の道に走ったのは私の罪」
「父母も、姉様も死んだと思い込んでそこで思考停止し何も知ろうとしなかったのは私の怠慢」
そうしてあの夜、十年越しの再会へと至った。
「私達のために心を砕いてくれた人が居て、その貴さを知りながらも私は復讐を捨てられず」
「想い人に涙を流させてしまって、申し訳ないと思いながらもそれを振り切りもう一度姉様を殺そうとした」
言い訳のしようが無い。どう考えてもそれらは己の失点だ。
偽りの終着を経てからも、胸の裡でずっと燻り続けていた。
「だけどまた栞と道が交わった」
「すぐに相手を受け容れられずにいがみ合って随分迷惑をかけました」
「それでも互いから目を逸らすことはなく」
「だからこそ、死の淵で私達は本当に大切なものを取り戻せた」
「喪ったものは多くて、それらは永劫戻りはしない」
「だけども私達は生きている」
痛みを抱えながらも、今度こそ正しい未来へ向かって進むことが出来た。
そうすることが出来たのは、迷い、遠回りをしながらも足掻くことを止めなかったから。
己以外に責任を求めて、泣き続けるなんてみっともない真似をしなかったから。
醍醐栞は、醍醐紗織は――――己の往くべき道に戻ることが出来たのだ。
「辛い辛いと泣き続けるだけの甘えた馬鹿娘とは違うんですよ、私も栞も」
「自分が辛いからって自分と同じ境遇の人間まで不幸になれと思うほど落ちぶれてないんですよ」
お前達とは違う、一緒にするな、醍醐姉妹はバッサリと切り捨てた。
「確かにあなた達の境遇に自分を重ねていたこともありますよ」
「でも分かりました。違うんです、似てるけど違う。私も姉様もあなた達のように馬鹿じゃない」
ワナワナと怒りに震える女神姉妹。
何と言い返せば良いのか、それすら怒りで定かじゃない。
ならばまだまだ言わせてもらおうじゃないか――醍醐姉妹は更に口撃を続ける。
「木花之佐久夜毘売、石長比売、被害者ヅラしてますけどあなた達に責が無いとでも?」
紗織の嘲笑が響き渡る。
心底から女神姉妹を馬鹿にした振る舞いは正に煽りのセミプロ。
伊達に紫苑の傍に居るわけではないということか。
「男を見る目が無い……とは言いませんよ。好きになるって言うのは理屈じゃありませんからね。
ですが、好きになったのならば相手を知る努力を欠かしてはいけない。
言葉を交わし、想いを伝え、相手を理解しようとしなければならない」
尚、そんなこと言ってる栞は紫苑を理解したつもりになっているだけの模様。
諸行無常とはこのことである。
「御二人に聞きますけど、あなた達はどれだけ邇邇藝命のことを分かっているんですか?
彼が何を考えていたのか、何を想って生きていたのか……。
愚劣になっていったと言いましたがその理由は? 嘆くばかりで何一つ知ろうとしていない……愚かなのはお互い様でしょう」
紫苑が何を考えているのか、何を想って生きているのか。
紗織にそれが説明出来るとでも言うのだろうか? とんだブーメランである。
「たった一度でも心が通じ合えば良い……その言葉の意味だって分かってないでしょう」
「彼が何処を目指していたのかも分かっていない。よくそれで好きだどうだと言えたもんです」
厳しいことを言っているようだが醍醐姉妹の指摘は正しい。
無論、彼女ら以外にも責任はあっただろうが総てが総て他人のせいではない。
木花之佐久夜毘売にも石長比売にもしかりと責任は存在しているのだ。
「辛い、どうして自分だけこんな目に、性根が腐ってますね」
「自分の責すら直視出来ないような女が幸せになれるとでも?」
おめでたいのも程ほどにしておけ――その言葉が限界だった。
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいぃいいいいいいいいいいい!!!!」
ガリガリと皮膚が裂け血が滲むほどに喉を掻き毟り、髪を振り乱す木花之佐久夜毘売。
「……あなた達に何が分かるの? 好き勝手言って」
爪を噛むだけでは飽き足らず骨に食い込むほど指を噛む石長比売。
典型的なメンヘラの症状ですね、処方箋は何処にあるんでしょうか?
「うるさいうるさいとちゃんとした喚き散らすだけで真っ当な反論一つ出来ない。
それって認めてるようなものですよ? 分からないんですか? 分からないですよね、馬鹿だし」
口元に手を当て上品に微笑みながらディスる栞。
「良いこと教えてあげますよ。あなたに何が分かるの!?
なんて言葉を平気で使う人はですねえ……残らずダサいです。無様の極み。恥そのもの」
優雅に髪を掻き上げながらディスる紗織。
姉妹はここぞとばかりに溜まっていたストレスを発散している。
「まあ、やると言うなら相手になってあげますよ」
「ええ。あなた方をどうにかしなければ私も栞も帰れないようですしね」
向かい合い、互いの指を絡めて祈りを深める。
溶ける、溶ける、溶けていく。栞が、紗織が、溶け合っていく。
鼻腔を擽る甘い梅の香り。舞い散る花弁の中で悠然と佇む妙齢の女。
往時の木花之佐久夜毘売にも劣らぬ美麗さを纏い、姉妹は悠然と微笑んだ。
「不愉快な……死ねぇええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
「……消えなさい、私達の目の前から!!!!」
手の平から放たれた神気の波動が大地を抉り醍醐姉妹へと接近する。
手加減抜きの全力全開の一撃。
ディスられたこともそうだが、仲の良さを魅せ付けるように一つとなった醍醐姉妹が心底気に入らないのだ。
「まあ、はしたない」
パチン! と姉妹が指を鳴らすと花弁から出現した糸が盾を編む。
糸で形成された盾に波動が直撃し、余波が周囲を破壊する。
それでも姉妹には傷一つつけられない。衝撃の風が美しい御髪を揺らすぐらいだ。
そうして鬩ぎ合う波動と盾。先に消滅したのは前者だった。
女神二柱の全力攻撃すら防いでのけるほど、今の醍醐姉妹は強かった。
誰に負けてもあの馬鹿女神達には負けられない――その想いが二人に力を与えているのだ。
「さあて、泣いて赦しを乞うまでイジメてあげますよ――――ま、泣いても赦しませんけど」
そう口にする姉妹の顔は、それはそれは美しいブチキレた笑顔だった。




