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ハルジオン~口だけ野郎一代記~  作者: 曖昧
嘘を重ね続けた末路を知る第二部
127/204

近未来屑合戦ポンポコ 中

 紫苑のメッセージが関東に届くや、再びテレビを通してメッセージが返って来た。

 二十四時間以内に東京タワーまで来られたし――内容は実にシンプルだ。

 二十四時間ではロクに対策も出来ない、交通機関が死んでいる今では東京に辿り着くのが精一杯。

 そんなところなのだろうが、


「(ま、向こうもアホではなかろう。事前に何某かの仕込みはやってることくらい見抜いてる)」

『だがそれをものともしないだけの自信がある……だな』

「(その種についても、既に知ってるんだがな)」


 流れる景色を見つめながら家康を哂う紫苑。

 しかし、実際家康は勝てたのだ――ある要素さえ無ければ。

 その情報を得ることが出来なかったのは仕方のないことで、家康に欠点は無い。

 紫苑の運が良過ぎただけ。


「……すまない春風くん。偉そうに言っておいて酷いザマだ」


 ギルド大阪で合流し、途中まで同行することになったカマキリが苦い顔で頭を下げる。


「これまでの散発的な徳川の襲撃、あれはブラフだった……。

単純に攻めて来たのを追い返していれば何とかなると考えていた。

いや、勿論警戒はしていたがそれでも……」


 ギルド日本支部の要であるギルド東京は今朝早くに圧倒的な物量で制圧されてしまった。

 関東で戦っていた冒険者は散り散りとなった。

 唯一の救いはどういうわけか撤退がスムーズで死者が少ないことだろう。


「徳川全軍が永続的に活動出来る結界の仕込みをしていたなんて……」


 これまでの散髪的な襲撃、その目的は大結界を仕込むためだった。

 酒呑童子がそうしたように、現世での活動限界を失くすために結界を張ったのだ。

 結果、物量作戦に出ることが可能となりギルド東京――ひいては関東が陥落した。


「いや、謝るのならば俺もです。連中が何かやっているのは分かっていたんですよ」

「! それは、どういうことだい?」


 紫苑の言葉に目を見開くカマキリ。

 どうして自分達も分かっていなかったことを彼が知っているのか。


「大阪城に雲母さんを送ってすぐ、信長は関東に偵察をやってたんです。

その時に怪しい術式を幾つか発見したんですよ。

そして確証はありませんでしたが、どういう目的の下に刻まれたかの予想を立てていた」

「ならば何故僕らに……!」

「連中の目的は俺です。今、この状況をこそ俺達は作り出したかった」


 関東が徳川の手に落ちた今、家康は無差別な殺戮が出来なくなっている。

 下手に殺し過ぎれば関東を見捨てるという選択肢を紫苑に取らせてしまうかもしれないから。

 だから今の徳川に出来ることがあるとすれば一般人や冒険者を拘束することくらいだ。

 それも兵隊に限りがある以上見張りなどの関係から数万人程度が限界。

 ある意味今の関東は一番平和なのかもしれない。


「もし、結界完成を阻止していれば……」


 徳川全軍による無差別殺戮が行われていただろう。

 労せず紫苑を手中に収める選択肢が消えた以上は、

殺して殺して殺しまくり紫苑を釣り出す以外に方法は無い。

 活動限界があるものの、全軍でもニ~三時間くらいは行動が出来る。

 そうなれば関東一帯は地獄になってしまう。

 再び徳川軍が出現するまでの間に一般人を避難させるにしても、すぐには出来ない。

 全員を避難させるよりも先にまた襲撃が来て大勢の人間が死ぬ。


「つまり君達は最悪を避けた……と?」


 紫苑を楽に手中に収める術があれば、当面の間は大人しくなる。

 それが信長らの見立てだった。


「はい、情報も寛野さんだけにしか流していません」


 何処から漏れるか分からない状況、

なので日本ギルドの総責任者にのみ情報を伝えてそれ以降のことを丸投げした。

 相手に悟られないように傷を最小限に抑えろ――寛厳は見事、その要求に答えてみせた。


「! 支部長に……だから冒険者の死者が少なかったのか!」

「後はここからです」


 結界は活動制限を失くすという効果だけではない。

 紫苑の召喚を阻害する効果も持っている。

 ゆえに関東に踏み入った後では信長やジャンヌを召喚することは出来なくなる。

 ならば関東に入る寸前で召喚を? 相手を刺激するようなことをするのは馬鹿だけだ。


「何か策があるのかい?」

「一応。何処に耳があるかは分からないのでこれ以上は言えませんが――――信じてください」


 これまでの会話ならば聞かれていたとしても問題はない――というよりむしろ好都合。

 何をやって来るのかと疑心の種を植え付け暗鬼の花を咲かせることが出来るかもしれない。

 そうすることで本命を眩ませられたのならば僥倖だ。

 まあ、本命を知られたとしても一日二日で対策も何も出来ないだろうが。

 といってもカス蛇が何も言わないところを見るにここらに監視の目は無いらしい。

 やはり関東に入らねば家康も兵を配置出来ないのだろう。


「俺を、ではなく稀代の英傑織田信長を」


 今回絵を描いたのは信長で、心底忌々しいが紫苑も策の内容自体は評価している。

 十中八九成功するだろう。例え中身が分かっていようとも即座に対応出来るようなものではない。

 少なくとも紫苑自身がやられる側に立った場合でも対策が思い浮かばないのだ。

 織田信長、安倍晴明というジョーカー二枚に醍醐姉妹、

外道天魔、アイリーン・ハーン、アリス・ミラー、逆鬼雲母のエースカード多数。

 それを惜しみなく使用した策を破ろうと思えばそれ相応のカードが必要になる。


「君も含めて信じているよ」


 ニコリと笑うカマキリ。

 信じるというのは本当に難しいことだ。

 それでも彼はこれまで過した時間と築いた絆を信じて総てを紫苑達に任せることに決めた。


「といっても、僕は所詮下っ端だがね。それに支部長も君らに賭けたんだろ? 野暮は言わないさ」


 寛厳が紫苑らの意を汲んでいるのは明白。

 であればここで愚痴愚痴いうのはお門違いだろう。

 自分も信じているし、自分の上司も信じている、ならば何も問題は無い。


「ありがとうございます」

「いや良いさ。僕らは直接戦えないからね」


 現在、徳川は関東――彼らの時代に合わせるのならば関八州を丸ごと手中に収めていることになる。

 徳川二百六十年の歴史丸々を動員したとしてもその兵力は八州に万遍なく行き渡らせられるほどではない。

 兵力の大部分はかつての江戸――東京に集中している。

 雑兵程度ならばまだ普通の冒険者でも太刀打ち出来るだろうが、名有りはそうもいかない。

 東京を真正面から奪還しようと思えば日本中の冒険者を総動員するぐらいは当然だ。

 しかし現実的にそんな手は打てない。徳川方もそれは理解しているだろう。


「(だが、胡坐を掻いてられるのも後僅か……三日天下にもなりゃしねえぜ脱糞狸)」


 一度死んだのに他を踏み付けてまでもまだ生きたいと願う家康。

 そんな彼の願いを蹂躙する様を想像するだけで笑いが止まらない。

 高鳴る胸を抑えながら紫苑は静かに目を閉じた。


『……しかし、どうにも胸がざわつくなぁオイ』


 紫苑が眠りに着いたところでカス蛇が独り言を漏らす。

 ところで蛇の胸って何処ら辺でしょうか?


『家康が――ってのじゃなさそうだが……』


 ハッキリ言ってカス蛇は家康を脅威だとは思っていない。

 まだ茶々と相対した時の方が警戒度数が高い。

 つまるところこの胸のざわめきは家康に対するものではないということだ。


『となると……この後、か?』


 家康が倒した後にまた一悶着待っていて、それが紫苑の命を危ぶませるかもしれない。

 カス蛇はまだ見えぬ脅威を感じ取り――――小さく笑った。

 それでこそだと、望まざるとも向こうから厄介ごとがやって来る。

 紫苑はそれを超える度に何かを得る。彼自身が何か成長するということではない。

 春風紫苑は生まれながらに殆ど完成していて、今の段階で完全体と言える。

 紫苑が得るものは仲間だったり、仲間の成長だったり――彼自身が望まないものばかりだ。

 保身が生んだのは力を殺すことだけではない、他者を輝かせる力も保身が生んだものの一つである。

 強化魔法に適正があるのもその一端といえよう。

 まあ、それでも魔法の方は幻想の力を完全に殺されているせいで魔力も少ないし魔法の精度も低いが。

 高鳴る胸を抑えながらカス蛇もまた眠りについた――で、胸は何処だ?


「……くん……んくん!」


 夢の中に沈んでいた紫苑を呼ぶ声。


「……?」


 目を擦りながら起きると外は既に暗くなっていた。


「……どうしました鎌田さん?」

「あれを、見てくれ」


 後部座席から前方を指差すカマキリ。

 紫苑はその指を辿り車の前方に視線を向けると……。


「成るほど――――迎えか。鎌田さん、ありがとうございます」


 ヘッドライトに照らされている僧侶の姿は明らかに人ではない。

 頭巾の下は人の顔をしているのかもしれないが、纏う空気が違う。


「……武運を」


 車を降りて僧侶の下に向かう紫苑に静かな激励を投げるカマキリ。

 「余計な御世話だってか何様だテメェ」という内心を押し殺しながら紫苑は微笑を返す。


「徳川の遣いか。名ぐらいは聞かせてくれるんだろうな?」


 コッソリ召喚を試してみるが、微塵も反応しない。

 それは信長だけではなく槍もだ。完全に敵の腹の中に飛び込んだということだろう。


「無論。拙僧は天海。大御所様の命により貴殿を迎えに参った」


 老人特有の掠れた声。


「天海……南公坊天海か」


 南公坊天海が存在しているだろうことは予想していた。

 何せ徳川方で関東八州を覆い尽くすような結界を張れるとしたら天海ぐらいだ。


「左様。しかし、拙僧のような木っ端の名を存じておられるとは恐悦至極」


 慇懃ではあるが天海は紫苑を見下している。

 くだらぬ情動に囚われて死にに来た彼を馬鹿にしているのだ。

 例えここで死んだとて人質が解放されるとは限らないどころか命の保障さえない。

 それでも見捨てられぬと死にに来るなど馬鹿の所業。愚かもここに極まったと言えよう。


「謙遜を……さて、死ぬ覚悟は出来ているがその前に一つ。俺の願いは聞いてくれるのだろうか?」

「無論。大御所様は御心が広い御方。自ら貴殿の介錯を仕るほどに」

「(……見せしめの処刑か)」


 紫苑を殺せば幻想内での地位も確固たるものになるだろう。

 それでも他の人間が総て死に絶えない限り安心は出来ない。

 家康はまだ戦い続けるつもりなのだ。

 ゆえに紫苑を処刑する場面を大々的に流して人々の心を圧し折りことを容易くするつもりなのだろう。


「成るほど、最期に言葉を交わせると」

「左様。では、此方へ」


 シャラン、と地面に叩き付けられた錫杖が鳴る。


「御乗り下され」

「……ああ」


 現れたのは雲だった。紫苑は色々言いたいこともあったが黙って雲の上に乗り込む。

 秀吉のように居城が残っているわけではない家康。

 何処に連れて行かれるかは分からないがロクな場所ではないだろう。


「ところで天海僧正。聞きたいことがあるんだが良いか?」


 空を飛んでいるのだが不思議と寒さは無い。

 恐らく天海が何かしてくれているのだろう。余りの芸達者っぷりに紫苑のヘイトが千上がった!


「ふむ?」


 小首を傾げる天海、自分に話があるとは思っていなかったのだろう。


「俗説では南公坊天海と言えば明智光秀かその血縁じゃないかと言われてるんだがそこらはどうなんだ?

死ぬにしても少しでも心残りは無くしておきたい。聞ける時に聞いておきたいんだが……駄目かな?」


 無論嘘だ。紫苑は死ぬ気なんて微塵も無い。

 これはあくまで暇潰しのための会話である。


「……」


 天海の目に映る紫苑は死を覚悟した人間のそれにしか見えない。

 何某か小細工をやって来るであろうと予想していたが、これでは少し拍子抜け。

 勿論気を抜くつもりはないがそれでも春風紫苑から策謀の匂いが見えない。

 しかしそれも当然。常日頃から総てを欺いている紫苑の演技を看破出来るわけがないのだ。


「(彼奴の仲間が何かを仕掛けるのか……? 何にしろ気を付けておかねばな)」


 どんな謀も打ち砕けるだけの自負が天海にはあった。

 今、この関東八州は完全に徳川のもの。

 大結界を張り巡らせた今、少しでも異変があれば即座に感知出来る。

 天海は含み笑いを零しながら紫苑に向き合う。


「彼の大逆人と同一視されておるとは、まこと歴史とは不思議なものよな」


 まあ確かに天海もあんな陰キャラと一緒にはされたくないだろう。

 それどころか持ちネタが自殺の奴とか関わり合いにもなりたくない。


「となるとやはり別人か?」


 光秀の存在は既知なので白々しいにもほどがある。


「然り。それどころか明智縁の者ですらない」


 明智縁の者であるという説も完全否定。

 紫苑はそのことに少しだけ驚いた。

 彼は光秀と天海が同一人物だとは思っていなかったが明智縁の誰かという説を信じていた。


「天海僧正は己の弟子にすら出自を語らなかったというし、

家康も明智縁の者を保護していたらしいから光秀ではなくても秀満辺りだと思ってたんだがな」


 言いながらも今では家康が明智縁の者を保護していた理由も察せる。

 ようは天使との結び付きを深めたかったのだ。

 表面上はキリスト教徒らに露骨に甘い顔はしなかったが、

それでもあなた方と敵対するつもりは無いんですよと伝えたかったので明智縁の者らを保護した。


「(バテレン追放令を出したのもしっかりパイプを結べたからだろう。

……ああ、ひょっとしたら自身の神格化に際して天使の協力を得たりもしたのかな?)」


 色々と暇潰しの考察が浮かんで来る。

 これで道中は暇せずに済みそうだと紫苑はほくそ笑んだ。


「(しかしそうなると島原の乱とかはあれ、どういう位置づけなんだろう?)」


 最早紫苑は天海の出自になど興味は無かった。


「拙僧が己のことを語らなかったことにそう大した理由は無い。語れるほどのことが無いだけよ」


 天海は酷くつまらなさそうに自分をそう評した。


「というと?(おい、考えごとしてんだから邪魔するなよ)」


 自分で話題を振っておいてそりゃないだろう。身勝手にもほどがある。


「平々凡々な生まれで、流されるように仏門に入った……つまらんだろう?」


 枯れた笑い声を上げる天海。

 彼の言葉に虚飾は感じられない。実際に大した出自ではなかったのだろう。

 だというのに関八州に結界を張り巡らせることの出来る才があるのだから恐ろしい。

 努力したからではなく、生まれながらの天才――紫苑の一番嫌いなタイプである。


「……何故、徳川に尽くす?」


 別に知りたいわけではない。

 ただ単純に目的地に辿り着くまでの暇潰しとしてそれっぽい空気を作っているだけだ。


「仏門に帰依した男が、好んで人を殺し我欲を満たすような男に何故尽くす?」


 我欲を満たしているという意味では紫苑もそうだろう。

 自分の我欲を満たすために他人を道化にして強制的に役者に仕立て上げているのだから。


「ほほほ……今では神仏すらもが人を見捨てておるというにおかしなことを」


 嘲るような物言いだが、天海には天海なりに家康へ尽くす理由があった。


「仏の道に足を踏み入るということは、己もまた仏足らんと悟りの境地を目指すこと。

小悟、大悟、一度開けばそれで終わりというものではなく延々と自らに問い続けねばならん。

破戒もまた一つの手段。あらゆる方法を以って道を模索するのが拙僧の持論でな。

そのうちの一つよ。拙僧はどうにも、我欲というものに欠けておる。

生きたいという当たり前の執着も薄い。

だからこそ、いっそ醜悪とも言える位階で生きたいと願う大御所様が眩しく見えた」


 ゆえに家康に付き従い続けることで新たな道を探ろうとしている。

 死しても尚、求道は続く。天海は今も修行中なのだ。


「期待外れだったか?

三河武士のように時に泥をかけながらも何のかんのと熱い忠義を尽くしておると思うたか?

であればすまぬな。拙僧はあくまで坊主。生きること……いや、今は死んでおるか。

何にせよ存在し続けることそのものが修行なのよ。呼吸も、殺生も、何もかもが求道の一端」


 だからこそ天海は紫苑を侮蔑する。

 坊主でも何でもないくせに悟ったかの如く聖者の振る舞いをする愚か者。

 只人には只人の生き方がある――その考え自体が傲慢といえば傲慢か。

 だがしかし、傲慢のレベルで天海は紫苑に遠く及ばない。


「その求道の果てにお前は何を得る?」

「さてな。得られるかもしれぬし得られぬかもしれん。しかしそれもまた善し」


 次の道を探るだけ。

 己という存在が続く限り探求し続けるその様は何処までも純粋だった。


「――――大人になれない糞餓鬼ってわけか」


 哀れむような紫苑の言葉に天海が眉を顰める。まあ、頭巾のせいで見えないわけだが。


「何だと……?」

「ようはあれだろ、楽しい時間が何時までも終わって欲しくないってだけだ」


 求道の果てに何らかの境地に至る――――のが目的ではない。

 色んな手段で見つけた道を気が済むまで歩くことが楽しいのだ。


「一つの道が徒労に終わっても、それもまた善しというのは答えを出したくないから。

何某か得るものがあったとして、そこで満足してしまうことを畏れただけ。

だからお前は答えを出さずにまた次の道へ移る。

得られるかもしれないし得られないかもしれない、しかしそれもまた善し? 阿呆が。

得ることを、旅の終わりが訪れるかもしれないことを畏れているから思考を放棄してるだけだろうが」


 求道、正にその通り。しかしそれは本来の意味ではなく字面のまま。

 ただただ徒に道を求めているだけ。


「知ったような口を……」

「悟りは一回開いてそれで終わりじゃないかもしれない、だが明確に区切りはある。

自らも仏に――お前が言ってたことだな。無論、仏になってからも修行は終わらんだろう。

しかしまずは仏になることが一つの区切り。なあ、お前は仏になりたいのか?

違うだろ、なりたくないんだろ。なっちまえば道が狭まるもんなぁ」


 僧侶ならば破戒も一つの道、そう嘯ける。既に前例も居るのだから。

 だが、仏になってしまえば求道の幅は一気に狭まる。

 別に殺生をする仏が居て良いだろう、姦淫を犯す仏が居て良いだろう、

立小便をする仏が居て良いだろう、しかし天海はそれを認められない。

 ある意味で頭が固い、囚われているのだ。

 己で仏を定義出来ぬから誰それが定めた仏はこう在るべしという形に嵌まってしまっている。

 ゆえに、


「大したことないな天海僧正。ガッカリだよ――いやむしろ可哀想だ」


 時に嘲りよりも哀れみが人を傷付けることがあるのを紫苑は知っている。

 ゆえに彼は己という存在を使って極大の哀れみを体現した。


「小僧……!」


 良い具合に沸騰したらしく天海が始めて怒りを露にする。


「さも超越の存在であるかのように説教垂れといて、

実際はあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、何時まで立っても己の場所すら定められない。

まあ、それも良いだろうよ。だが少なくとも俺はそこに幸せを見出せないから可哀想だと思う」

『偉そうに語ってるけどよ、実際のとこそうなのか?』


 事前情報も無かったし、出会って間もなく交わした言葉も少ない。

 この現状で天海という一人の人間の本質を見出せたのか? カス蛇はそう言いたいのだろう。


「(さあ? ただ、さも真実であるかのように言ってやれば人ってのは案外そう思い込んじまう。

百発撃って何発か当たってれば余計にな。その何発かが毒となって自問自答の迷路に誘ってくれる。

後は勝手に自爆して俺はそういう人間なのかもしれないって思わせられれば良い。

特にこの男、坊主だろ? そういう己への問いかけが好きな人種だってのは間違いない。

だからこそ、苦くて痛くて認めたくないような言葉にこそ反応しちまう。良い暇潰しだぜ)」


 丸っきり悪徳宗教家のやり口である。

 しかも宗教家相手にそれを仕掛けるのだから心底恐ろしい。

 心底恐ろしく心底最低最悪。暇潰しでその人間の人生に亀裂を刻むなど鬼畜外道の行いだ。


「……」


 天海はすっかり黙りこくってしまった。

 その胸中を窺い知る術は無いが愉快なものではないだろう。


「(カカカ、俺を見下すような真似するからそうなるんだバーカ)」


 ちょっと見下されたくらいでここまでするなんて何処まで腐っているんだこの男。

 もうそろそろシュル缶辺りとタメ張るレベルで悪臭を放っているんじゃかろうか。


『藪を突付いて毒蛇出しちゃったわけかー。倍返しだ! ってやつ? いや、倍どころじゃねえけど』


 そんなお気楽コンビを巻き込み時間は流れてゆく。

 辿り着いたのは東京、それ自体は予想の範囲内だったが……。


「(東京タワーって……)」


 まさか東京タワーに連れて来られるとは思っていなかった。

 吹き荒ぶ風が肌を刺し、見下ろす地上はとても遠い。

 せめて中に入れてくれよと思ったがどうやら家康はここで紫苑を処刑するらしい。


「(テレビカメラやら何やらも用意して……ようやるわ)」


 紫苑を取り囲む屈強な男達。中には分かり易い者らも何人か居た。

 赤備え井伊、鹿の角をあしらった兜は本多、幸村そっくりの顔立ちで真面目さを感じさせるのは信之。

 そんな豪華な面子を侍らせているのは巨大な狸。


「フォッフォッフォ……よう来たのう」


 醜い巨体を揺らして紫苑に近付く家康。

 ようやく待ち望んだものが来たと喜色に濡れる瞳はひたすら不愉快だった。


「(他の将軍方は居ないらしいな……。

それぞれ別の場所を任せられているのかな?)ああ、来たとも」


 トクザイルトライブは見れないらしい。

 リーダーであるIEYASUはこれから死ぬので速攻で解散することになるのは避けられない。

 一度くらいは歴代将軍を見ておきたかった紫苑はほんの少し残念な気持ちを味わっていた。


「俺の死で、捕らえた者らの命を保障して欲しい」

「無論。儂は約定を違えんよ」


 何て白々しいやり取りだろうか。

 紫苑は演技で苦い顔を作る、分かっていてもここに来ざるを得なかったジレンマを表現するために。


「(おうおう、全国放送されてんだろうなぁ……画面の向こうの愚民はどう思ってるかねえ)」


 悲劇の英雄、あるいは大局を見られない甘ちゃん。

 だが人としての心情だけでいうならば紫苑を否定することは出来ないだろう。


「(まあ良いさ。こっから俺SUGEEEEEE! やるし)」


 尚、その俺SUGEEEEE! な策を立てたのは信長の模様。


『割と離れたとっからヘリで撮ってる連中は現代人だし良いよ。

でもこの場で撮影してるの鎧武者って……シュールにもほどがあるわ。使い方習ったのかな?』

「(間抜け極まりねえな)ならば、良い。さて、死ぬ前に少しぐらい話はさせてくれるんだろう?」

「無論」


 己の身長の半ばほどもある大太刀を片手に家康は微笑む。

 予想通りにこの狸が紫苑の首を刎ねるらしい。


「では、少しばかり語らせてもらおう。なあ家康、俺は生きたいと願うことは否定せんよ」

「フン、あの猿にでも聞きおったか?」


 自分の行動がみっともないことだという自覚はあるのだろう。

 紫苑に願いを指摘されたことで家康の顔が若干不機嫌なものに変わる。


「しかしお前は一度人生をまっとうしている。人間五十年の世で大往生だ。

死しても尚、他を踏み付けてまで生き足掻こうとするその醜悪な姿は俺に美観に合わん。

汚物そのものだ。一度しかない、限りある人生だからこそ人は一生懸命生きられる。

もっと生きたいと願い、無念を抱きながら死んだとしても人はそこで終わりなんだ。

二度目があったらそりゃ望外の幸運だと思うべきだ。

だというのに浅ましくも罪無き人々を殺めてまで生きようとする過去の残骸を俺は心底軽蔑する」


 偉そうに説教垂れる資格も無いのに偉そうに説教かますコイツを心底軽蔑する。


「負け犬の遠吠えよ。己が弱さの言い訳じゃて」


 家康の嘲笑を無視し、紫苑は更に舌を回す。


「俺は別に無謬の善人じゃない、好き嫌いだってある。

お前は俺が嫌悪する最たるものだ。

浅ましい我欲を満たすためだけに人を踏み付けるのも人の性。

しかし、その愚かさを殺してままならぬ人生を精一杯生きていけるのもまた人。

俺はそういう人間をこそ心底尊敬している。お前のような屑と違ってな」


 浅ましい我欲で他人を踏み付けその場で連続ジャンプをしているのは誰だ?


「フォッフォッフォ……何を囀ろうともお主の終わりは変わらんて」


 家康の哄笑が響き渡る、彼の狸は今完全に勝ち誇っていた。

 その姿を家臣らは苦々しく見てはいるが、逆らうつもりはないらしい。

 歪な忠誠――織田信長に集う男達とは随分違うようだ。


「ああ、そうだな。おい、誰か刀を貸してくれ。腹ぐらい斬らせてくれるんだろう?」

「……これを」


 紫苑に刀を渡したのは信之だった。

 彼は哀れみを滲ませた目をしていて、それがまた紫苑を苛立たせる。


「感謝する」


 タワーの淵に正座し、上半身を曝け出す。

 もう寒いとかそういうレベルじゃないがここで震えるのはあまりにもみっともない。

 鉄の見栄で寒さに負けそうな己を覆い隠す。


「(あぁ……超寒い……)」


 さて、関東全域に張り巡らされている大結界について語ろう。

 それは物理的な防壁というわけではない。

 あくまで徳川全軍を制限無しで自由に動かすためのもの。

 無論、異物を感知したりそれに対応する何某かの備えはある。

 しかし、異物を知覚するにしても限界はある。

 結界はドーム上で地中深くまでは根付いていないし、上だって地球圏ギリギリなんてこともない。

 加えて言うならば凄まじい速度にも対応出来るか怪しい。


「家康、ここで俺が死んでもそれは人の敗北ではない。

諦めない誰かが居る限り道は続いてゆく。

薄汚い汚物に成り果てたお前と違ってなぁ……人は輝くことが出来るんだ!!」


 腹に押し当て刃を一気に引き裂くと鮮血の花が夜空に咲く。


「介錯は要らん!!」


 言うや紫苑は東京タワーからダイブ。

 突然のことに誰もが呆気に取られている頃、


「ロッズ・フロム・ユッキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」


 此処よりもずっとずーっとずーっと高い場所で誰かが叫んでいた。


「まあ幸村の杖じゃなくて幸村本人ですけどぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」


 馬鹿が――――宇宙そらからやって来る。

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