第6話:『逢魔が時の再会』
――ガクンッ。
再び、鼓膜を内側からぐっと圧迫される強い衝撃。
視界が陽炎のように一度大きく歪み、次の瞬間、フロントガラスの向こうにはオレンジ色の夕日を浴びて静まり返る江戸時代の原生林が広がっていた。
「……よし、時間通りだな」
俺はツーンと鳴る耳をすする。現代の車内で夕方まで時間を潰してから転移したため、こちらの世界でも目論見通り、あの初接触から丸1日が経った夕暮れ時だ。
車内はエアコンで快適そのものだが、フロントガラス越しに見える世界は、じわじわと夜の闇が這い上がってくる『逢魔が時』の薄暗さに包まれ始めている。街灯も、車のヘッドライトも、電柱も一切ない時代だ。この時間からの徒歩の移動は、現代人が想像する何倍も不気味で、命がけのはずだった。
「……よし、行くか」
俺はN-VANのピラーレスドアを静かに開き、カモフラージュを終えた荷物を抱えて外へ出た。
スニーカーが踏みしめる土の道は、昨日よりも少し乾燥して硬い。むせ返るような緑の匂いの向こうに、うっすらとだが、あのボロ小屋から立ち上る生活の煙の匂いが混じっているのが分かった。
肩には、米1キロを詰めた無地の麻袋を担いでいる。その中には、100均の竹皮で丁寧に包んで麻紐で縛った干物と味噌の包みが収まっていた。そしてもう一方の手には、私物という体の小さな鉄鍋や木製のお椀、箸を入れた風呂敷包みを抱えている。どこからどう見ても、博多の市場で買い出しを済ませて帰路につく、荷物の多い旅の商人だ。
街道の右側、あの粗末な小屋が見えてくる。
破れた筵のカーテンの奥から、かすかに子供たちの小さな話し声が聞こえた。飴玉を大事そうに舐めているのだろうか、昨日よりはほんの少しだけ、家に生気が戻っている気がする。
「……すいません」
俺はわざと少し声を枯らし、長旅で疲れた風を装って、筵の前に立って声をかけた。
「昨日の、長崎の旅の者です。博多からの帰りに、また立ち寄らせていただきました」
家の中の空気が、ぴたりと止まった。
すぐにガササと音がして、筵が勢いよく持ち上げられる。
「あ……っ!」
そこに立っていた若い母親は、目を見開いたまま声を漏らし、呆然と俺の姿を見つめていた。
彼女の目は、昨日と同じ奇妙なツーブロックの髪型と黒い防風ジャケットを捉え、それから、俺が抱えている麻袋や風呂敷包みへと移っていく。
「お侍様……! 本当に、また、来てくださったんですか……?」
不審さよりも、不思議と実直な旅の商人の姿への安心感が、彼女の若い顔に広がっていく。
俺は一歩下がり、旅の疲れで肩を少し落としながら、あらかじめ用意していた「居候の交渉」を切り出すために、ゆっくりと口を開いた――。
不審さよりも、驚きと、実直な旅の商人の姿への安心感が、彼女の若い顔に広がっていく。
俺は一歩下がり、長旅の疲れを演出するようにわざと小さくため息をついて見せた。
「ええ、博多での用事が思いのほか早く片付きましてね。ただ、急いで戻ってきたものの、すっかり日が暮れてしまいました。この辺りは夜道が物騒ですし、次の宿場町まで歩く体力が、もう残っていなくて……」
俺は肩の麻袋を少し持ち上げ、若い母親の目をまっすぐに見つめた。
「身勝手なお願いなのですが、土間で構いませんので、今夜一晩だけ、こちらの屋根の下に泊めていただけないでしょうか」
「えっ……!?」
母親は言葉を失い、慌てて両手を振った。
「そんな、とんでもないです! うちみたいな、布団もまともにないボロ小屋にお侍様を泊めるなんて、罰が当たります。それに、お出しできる夕餉だって……」
「お食事なら、心配いりません」
俺はそう言って微笑み、抱えていた風呂敷包みと、肩の麻袋を土間の隅へとそっと下ろした。そして、中身が見えるようにゆっくりと紐を解いていく。
「昨日、少しお見受けしたところ、大変失礼ながら、お食べ物に困っていらっしゃるご様子でした。……余計なお節介だとは思ったのですが、私がどこかの宿場に宿賃を払うくらいなら、そのお金を使って、子供たちに食べ物の足しになるものを買おうと思ったのです。それを、今夜の『一宿一飯の礼』として、受け取ってはいただけないでしょうか」
麻袋の中から、丁寧に整えられた竹皮の包みを取り出していく。
「これは、博多の米問屋で分けてもらった米です。それと、これが向こうでいただいたが美味しかったので譲ってもらった味噌。もう一つの竹皮の中身は、博多津の魚市場で仕入れたアジの干物です」
さらに、もう一つの風呂敷包みを開く。
「それからこれ。長い旅をする人間が、道中で自炊するために常に持ち歩くと便利かと思った道具なのですが……よくよく考えてみれば宿場に泊まりますし、荷物になるのでいらないな、と。博多の金物問屋で見つけた小さめの鍋と椀、箸です。もし良ければ、これもそのままここに置いていきます」
土間の上に広げられた、純白の米、香りの良い味噌、上質なアジの干物。そして、傷一つない新品の小さめな鍋と椀、箸。
筵の奥から、昨日飴をあげた二人の子供たちが、ごくりと大きな生唾を鳴らす音が聞こえた。
若い母親は、土間に並んだ『奇跡のような宿賃』を前に、ぽろぽろと目から大粒の涙をこぼし始めた。
それは、飢えに怯えていた家族に、博多帰りの謎の商人がもたらした、あまりにも温かく完璧な「救い」の光だった――。




