第五十三話「次へ向かう前に」
翌朝、起きた瞬間に違いが分かった。
宿の床に足をつけた。
地下の水の流れが——来た。今まで何度も感じていたはずなのに、今朝は違う。速度が分かる。方向が分かる。地下十メートルあたりを、北から南に向かって動いていることが、ただ立っているだけで分かった。
「——思ったより変わった」
声に出した。誰もいない部屋で。
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廊下に出た。
宿の構造が、足の裏から来る。石積みの壁が、どの石とどの石の間に隙間があるか、大まかに分かる。地声が体の一部になったような感触があった。
今まで:意識して傾けないと来ない。
今:傾けると鮮明に来る。傾けなくても、薄く来ている。
その違いだった。
常時開いていて、必要な時に鮮明になる。
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朝食の場所で、ノエルがいた。
「顔が違う」とノエルは言った。席に座るなり。
「そうか」
「何かあった?」
「スキルが変わった」
ノエルは少し眼を細めた。
「地声?」
「スロットに入った」
「それ、どういう意味?」
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蓮は少し考えてから言った。
「スロットに入る前は、道具のような感じだった。使いたい時に、手を伸ばして使う。スロットに入ると——体の一部に近くなる。常に開いている」
「じゃあ、今も地声が来てる?」
「薄く、来ている」
「この部屋で?」
「宿の地下に水が通っている。この建物の壁が石積みで、西側の壁に一か所、石の組み方が違う場所がある。おそらく、昔に補修した」
ノエルはしばらく蓮を見た。
「……それ、気持ち悪くない? ずっと来てたら」
「慣れると思う。たぶん」
「たぶん、ね」
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フィルが来たのは昼前だった。
フィルはすでに旅支度をしていた。荷物が大きい。「次の場所に行く」と言った。
「東の方に、もう一か所、記録が残っているかもしれない場所がある。確認してみたい」
「山岳地帯の方ですか」と蓮は言った。
「あの辺りだ。行って戻れるか分からないが——行かないよりはましだ」
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フィルは話しながら、蓮の顔を見た。
「何か変わったな」
「スキルが変わりました」
「そうか」フィルはうなずいた。「継承士というのは、そういうものか」
「そういうものか、私にも分からないですが」
「分からなくていい。変わったことが分かれば充分だ」
フィルは少し笑った。ガロとは違う、細い笑い方だった。
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「あなたが次に行く場所に——何があると思いますか」と蓮は言った。
「記録があれば、もう一か所の封じを戻せるかもしれない。ただ——」
フィルは一呼吸置いた。
「三か所では足りない可能性がある。もっと多くの場所で、同じことが起きているとしたら。一か所ずつ戻して回るだけでは追いつかないかもしれない」
「根本が、どこかにある」
「そうだ。なぜ記憶が集まるのか。なぜ地下水脈でつながるのか。その根っこが、どこかにあるとしたら——それを探す方が、早いかもしれない」
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蓮は手帳を開いた。
「フィル、記録に出てきた三か所を、もう一度教えてもらえますか。場所の名前と、大まかな方向を」
フィルは答えた。蓮は書いた。
山岳地帯の集落名。海沿いの港町の名前。この沼のある、カルオの地名。
それを並べて見た。
「地下水脈でつながっているとしたら——水の流れの上流側に、何かある可能性がありますか」
フィルは少し目を細めた。
「お前、それを一人で考えたのか」
「今、考えました」
「——賢いな」
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フィルが帰った。
ノエルが蓮の隣に来た。
「次、どこに行くの」
「まだ決めていない。でも——上流側に、何かがあるとしたら」
「行くの?」
「行けるかどうか分からない。でも、探す価値はある」
ノエルは少し間を置いた。
「あたし、行く」と言った。
「一緒にか」
「当たり前でしょ。今さら何を言ってるの」
蓮は何も言わなかった。
スミが、北の方を見ていた。
「北に、何かがあるとしたら」と蓮は言った。
地声を傾けた。
町の先、森の先、遠い山の向こう——地の下を流れる水が、遠く遠くまで続いている。
その流れの、上流の方に。
「行ってみよう」
(第五十三話 完)
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