8【紙鉄砲】
今日から、俺ははすみちゃんの護衛という、願ってもない最高の大役を任されることになった。
荒草組の前線として使い捨てられる運命から脱出し、可愛いはすみちゃんの側にいられる。これ以上の生存戦略はない。
だが、初日から雲行きが怪しい。俺たちは今、閑静な住宅街を歩いているのだが、先を行く彼女の目的地がさっぱり見えてこないのだ。
「……はすみちゃん。一体どこに向かってるの?」
背後から尋ねると、彼女は前方を見据えたまま、事も無げに答えた。
「..秋山組」
「……え!?!?!?」
耳を疑った。心臓が跳ね上がり、思わず足が止まる。
「ダメでしょ!秋山組とは抗争中だし! 絶対攫われるって!」
必死に引き止めようとする俺を、彼女はどこ吹く風といった様子で言葉を返す。
「そのために..河合が..いる...」
「それはそうだけど……! ていうか、そのデカい新聞紙は何?」
「それは..ついてからの..お楽しみ..」
はすみちゃんが、不敵な、あるいは悪戯っぽい微笑をわずかに零す。
そうして辿り着いたのは、威容を誇る秋山組の屋敷だった。
「うーわ……」
見上げるような門構えに、延々と続く重厚な塀。
目の当たりにしたその規模は凄まじく、荒瀧組の事務所が四つは飲み込まれそうな広さだ。
さすがは巨大組織にして、メインヒロイン・秋山恵を擁する家系。
殺伐とした抗争の気配が漂う大邸宅を前に、俺の手のひらは冷や汗で濡れていた。
だが、おかしい。
これほどの屋敷で、しかも抗争中だというのに、門の周辺に見張り一人立っていないのだ。不気味なほどの静寂が、住宅街の中にぽっかりと穴を開けたように広がっている。
すると、はすみは抱えていた新聞紙を無造作に構えたかと思うと、それを天高くへと掲げた。
そして、まるで居合の達人が一刀を振り下ろすかのような、目にも留まらぬ速度で腕を叩きつける。
パァァァァァァァァン!!!!
鼓膜を突き破らんばかりの、馬鹿げたほどに巨大な爆音が住宅街の静寂を粉砕した。
大砲でもぶっ放したのかと錯覚するほどの衝撃波が、俺の全身を揺さぶる。
「うげっ!?」
あまりの音のデカさに、俺は情けない声を上げてその場に飛び上がった。
仕掛けは単純だ。新聞紙を上手く折り畳んで作った「紙鉄砲」。
だが、彼女が放ったそれは、大きさも相まってもはや玩具の域を完全に逸脱した「兵器」に近い代物だ。
静まり返っていた秋山組の屋敷が、その一撃を合図に一気に沸き立つ。
「なんだ今の音は!?」
「敵襲か!? 門へ急げ!」
奥から聞こえる怒号と、石畳を叩く無数の足音。
不気味な静寂は消え失せ、殺気立った男たちが怒涛の勢いで門へと押し寄せてくる。
戦場から離れたつもりが、俺は今、お嬢が自ら引き起こした「宣戦布告」の最前線に放り出されていた。
「は、はすみちゃん! 逃げないと……!」
俺は本来彼女がいたはずの場所へと視線を飛ばす。
しかし、そこに彼女の姿はなく、ただ静まり返った空気だけが取り残されていた。
「や、やっべぇ!!」
心臓の鼓動が耳元でうるさく跳ねる。午前十時。白日の下、逃げ場のない路上で護衛対象を見失った事実に、背中を冷たい汗が伝った。
その刹那、重厚な門が勢いよく開き、俺の姿が白日の下に晒される。
「いたぞ! こいつだ!!」
怒号が午前中の穏やかな街並みを切り裂いた。門の向こうから飛び出してきたのは、殺気を剥き出しにした秋山組の面々だ。
「絶対に逃がすな!!!」
男たちの鋭い眼光が一斉に俺を射抜く。
はすみはどこへ消えたのか。最悪のタイミングで孤立した俺を、秋山組の包囲網が無慈悲に狭めていった。




