3.精霊石
初めて魔力の結晶を作ったのは、まだ帝の娘として後宮に暮らしていた頃。三つか四つの頃で、ほぼ後宮の記憶はない。帝の娘とはいえ、その頃には後を継ぐのは年上の従兄に決まっており、かしずく者も少なかった。細々と日々を過ごすのに、暇に飽かせて魔力を練って遊んでいた。当時の沙羅には難しいことだったが、色とりどりに出来上がる結晶は綺麗で、いくら時間がかかろうとそれにばかり熱中していた。
正直、微々たる魔力が込められた結晶がいくらあっても、魔石一個の価値もない。けれど当時の沙羅を気にするような大人は誰もおらず、放任された自由さで、効率のよい作り方を探したり、弾いて遊んだり、水に沈めて眺めたりと存分に楽しんでいた。
転機となったのは、袴着(七五三)の儀で皇統縁の神殿に参拝した折りのこと。
周りの大人の無関心さに、幼子なりに辟易していたのだと思う。少なくともちょっとした悪戯のつもりだったはずだ。見つからないように綺麗にできた結晶を奉納品に紛れ込ませた。大人に見つかれば取り上げられて叱られる。それだけのはずだったのだが、どうしてか見つかることなくそのまま奉納され、神が降臨した。誰よりも何よりも沙羅が驚いたと思う。
神が好む。それだけで、沙羅の作った結晶は国宝級の価値がついた。
普段作る結晶はそのままでは神への供物とはならず、最初に捧げられたもの以外は毎回託宣が下り、細かく指定された条件のもと作る。禊だったり、色だったり、魔力の込め方だったり、指定されたとおりに丁寧に作った結晶を供物とし、旱魃やら大水について、神からはわかりにくい預言が下る。年に一度の祭祀にそのやり取りが迅速に組込まれた。
後に、手遊みに作る結晶も精霊が好むことがわかり、さらに価値を上げた。年に一度、天災級の預言を与えるだけの神とは違い、精霊は対価として結晶を渡す限り人間側のお願いを聞いてくれた。大水からの復旧で土砂の除去を行ったり、旱魃の際に雨を降らせたりと、魔導士を派遣して行うよりも負担が低く迅速で、その存在が知られるにつれ『精霊石』と言われるようになった。
けれど残念なことに、父帝が沙羅の齢が十を数える頃に亡くなると精霊石目当てで誘拐事件が起こり、その日以来沙羅は山奥にある宮に封じられ、退屈している。