捜査
「入間さん、お疲れ様です」
テープで仕切られた現場に入った瞬間、目の前に立っていた20代前半の巡査部長に声をかけられた。それに気づいて彼に向かって軽く頭を下げる。
「よお、新田原。調子はどうだ」
「入間さん、おかしいですよ、この事件」
「やっぱりな……」
彼の困り顔を尻目に、顎に手をやる。
「通報は誘拐発生、犯人は中年の男」
「でも、アレがホシには思えません」
「いくらなんでも、臆病すぎるよな……」
昨夜1月17日21時24分。通報を受け、近くの警察署から巡査2名が急行するも、現場には小便を垂らして気絶した中年の男以外の何者もいなかった。
その男も、取り調べをしたらただの小心者のサラリーマンであることが分かった。
「まさか、ホシがあんな男が趣味なわけでも無いだろうしなぁ……」
「ここの入り口に残されたハイエースから、金色の毛髪が見つかっています」
新田原の言葉に気になるものがあって、質問を返す。
「場所は?」
「後部座席です」
「そうか……」
後部座席から毛髪が見つかるということは、誘拐された者のものである可能性が高い。
「今、科警研に回して照合を待っています」
「それまでは、打つ手なしって訳か……うおっと!?」
「入間さん!?」
現場の廃工場の中を歩き回っていると、突然何かに足をすくわれてたたらを踏んでしまう。
「これは……?」
足元を覗き込んで見ると、天井の採光窓から入る陽光を受けて、煌めく黄土色の金属筒がからからと転がっている。それを掴んで持ち上げると、横から新田原が顔をのぞかせてきた。
「なんでしょうか、コレ」
その一言に、軽くため息をついてから、上体を起こしてその金属筒を指で回して観察しながら言う。
「馬鹿、お前も見たことあるだろ。薬莢だよ薬莢。お前も腰にチャカ収めてるだろ」
「まさか……!」
ここまで言って、ようやく新田原がこの金属筒の意味することを理解したのか、新田原が目を見開く。
「まあ、この事件、一筋縄じゃいかねえだろうな」
「あ、自分もいいですか?」
煙草を取り出して火を点けると、新田原が胸ポケットから煙草を取り出して差し出してくる。それに火をつけてやって、一服した。
× × ×
「百里さん、いる?」
1月20日、千葉県柏市にある科学警察研究所の法科学第一部生物第一研究室から連絡を受けて、捜査用のセダンを借り受けて同室に飛んできた。
「あら入間さん、随分と早い到着ですね。ちゃんと法定速度は守りました?」
同室の研究者である百里ナオコが、白衣を着たまま奥から出てくる。
「ひっどいなあ。僕だって警察官の端くれなんだよ?ランプだして高速の優先道と通行量の少ない裏道を選べば案外ショートカット出来るもんなんだよ?」
「そう?でも事案でもないのにランプを出していたなんて、頂けないわね」
そう答えつつ、彼女は休憩室のコーヒーメーカーでインスタントコーヒーを入れ始める。
「勘弁してくださいよ」
彼女がコーヒーを入れている間に、コートを脱いで軽くたたんで同室の休憩室のソファに置く。コーヒーを入れ終えた彼女は、二つのカップを手にして対面のソファに座る。
「警察学校のころから、君は本当に変わらないわね。夜な夜な後輩を連れて寮を抜け出していたの、知らないとでも思ってた?」
「まさか」
そう答えて、肩をすくめる。彼女はコーヒーカップを置いて両手をそっと重ねて俯き、回想にふける。
「知ってたよ、寮母のあなたがわざと見過ごしていたことも」
「いいえ、見逃すはずないでしょ。何度かあった、規則改定。あれ、私が報告したせいよ。……それで、鑑定結果ね?」
彼女は少し目を閉じると、いきなり背を伸ばしてやや事務的な声色で言う。
「何か、分かりました?」
ようやく本題に入れて、少しほっとしつつも、恩師との昔話が中断してしまったことに切なさを覚える。
「毛髪の遺伝子から分かったのは……」
彼女が机脇のカバンからクリアファイルを取り出して、その中身を机の上に並べていく。その資料を手に取って目を通すと、それは見慣れた形の報告書であった。
「遺伝子的にイギリス人と考えられる?」
細かい数値や文章を飛ばして、最後の結論の部分の一節に目を留める。
「それも極めて純粋な。被害者の家系図に、他の国の人間はまったく見られないはずよ」
「純血派……なのかな?」
「さあ。そこまでは分からないわね。イギリス人に混血が多いというわけでも無いから」
「そうですね……」
そう呟いて、ため息をついて唸る。イギリス人ということで絞り込みはできたが、この日本の中にイギリス人が何人いるか分かったものではない。それに、薬莢の事もある。探すべきは金髪のイギリス人だけではない。
砂漠から大量の砂を取り除いたとしても、それだけで砂漠が消えるということは無い。その中から一粒の砂を探そうとしても、大変なことは変わりがない。
徒労に終わった。
「そうそう、二部の機械研究室の小松さんがここにあなたが来たらラボに来るように、って言っていたわよ」
「お、そっちの鑑定結果も出たかな」
それを聞いて、立ち上がっていそいそとコートを羽織る。現金なもので、有益な情報だと判断するとそっちに流れてしまう。それを見た彼女は、不満そうにため息をついた。
「本当、あなたはそういう時だけ事務的なのよね」
「ごめんなさいね、百里さん。俺、警察官だからさ」
そう言い残して、その部屋を後にした。
× × ×
「え……と、小松さん、いるかな?」
「小松警部補は現在、薬莢内の残留火薬の成分調査をしております」
法科学研究部第二部機械研究室に踏み入れると、小柄で短い髪を七三分けに刈り分けた眼鏡を掛けた男がこちらを睨みあげながら言った。
「あのー……今、入れない感じ?」
「入れない感じです」
彼はそれだけ言って微動だにしない。研究室の敷居を挟んで彼と対峙するが、彼はまったく動かず、どうしても通すつもりはないらしい。
「うーん、困ったなぁ……その小松さんに呼ばれていたんだけど」
「小松警部補が鑑定を終えるまでお待ちください」
「参ったなぁ……」
がしがしと頭を掻いていると、部屋の奥の扉が開いて、一人の男が出てきた。
「あれ、三沢君。その人は?」
「刑事部の入間です」
「ああ、あなたがね……どうぞ、入ってきてください」
その男は、俺を同室の応接室に招き入れると、ティーポットを取り出して湯を沸かす準備を始める。
「ああ、お構いなく」
「そうですか、では……三沢君、君は紅茶要る?」
「……戴きます。小松警部補」
ソファに腰掛けつつ、まだコーヒーの苦みの残る口内を舐めて丁寧に断る。小松は、三沢に紅茶を持っていくと、すぐに戻ってきた。
「警視庁刑事部捜査一課第一特殊捜査第一係の入間さんですね」
「ええ、百里さんから鑑定結果が出たとか」
「ああ、そうでしたね……」
そう言って小松は、机の上に百里ナオコが手渡したものと同じ紙の冊子を取り出す。それのページをめくると、とある表を指さした。
「薬莢内に僅かに残留していたものに、ニトロセルロースと、ニトログリセリンを主に、まあ、簡単に言ってしまうと火薬です」
小松は、淡々と説明を続ける。
「薬莢の径からして軍用の9㎜パラベラム弾でしょう。よくある拳銃弾ですよ」
そう言ってから、小松はまたページをめくって、小さな半球に近い金属片の写真を指差す。
「現場で見つかった弾頭です。ここ、分かりますか。弾頭に刻まれたこの線」
「いわゆる、線状痕っていう奴ですね」
「そうです。これを照合に出したところ……」
言いながら、小松が一枚ページをめくる。そこには一丁の拳銃の画像が印刷されていた。
「G18C。これがヒットしました」
「なんか、拳銃にしちゃ変な形をしていますね」
「ハンマーがスライドの内部に隠されていますからね。ダブルアクションオンリーのフルオート射撃が可能なモデルです」
「ほーん、結構高精度なもんですね」
線状痕からの銃器特定の技術の最先端を垣間見て、感嘆していると、小松が目を細めて小ばかにしてくるような視線を送ってきた。
「あなた、銃に関しては疎いんですね。特殊事件捜査係なのに……」
「どういうことです?」
小松は一つため息をついて、ソファの背もたれにどっかりと背中を預ける。
「グロック社製のG17にフルオート機能を持たせたG18のカスタムタイプで、外見上はG17に近いものになり、反動も抑えられている上に集団率も高くなっています」
「高性能な銃なんですね、コイツは」
「その高性能さから、犯罪利用をさせないために一般への販売が禁止され、軍や警察のみに納入されています」
「は……?」
「この事件、犯人は他国の軍か公安か、自衛隊の特殊部隊か。はたまた暴力団が強奪でもしたのか……」
それを聞けば十分であった。そそくさとコートを羽織り、帰る準備を始める。
「ありがとうございました。この資料、持ち帰りますね」
小松は、部屋から出る所まで見送ると、さっさと研究室に戻っていってしまった。
× × ×
「係長」
「ん?入間君か」
前を歩いていた、警視庁刑事部捜査一課第一特殊犯捜査一係長千歳康弘警部の背中に声をかけると、目の前の初老の男性が振り返る。
「科警研の報告書です」
「ん、ご苦労様」
千歳康弘は、報告書を手に取ると、ぱらぱらとページをめくって目を通す。
「それと、使用された銃器はG18Cと判明しました」
「それが?」
「G18シリーズは一般向けには販売されていないモデルになります」
「なるほど……」
千歳康弘はすぐに犯人像を理解して、二つの冊子を小脇に抱える。
「これは俺から伝えとくわ」
「お願いします」
軽く頷いてから、立ち去ろうとすると、係長が呼び止めてきた。
「あ、そうそう。30分後に捜査会議あるから、よろしく言っといて」
「了解です」
× × ×
「はいこれより、本件の捜査会議を始めます」
係長の千歳康弘が間の抜けたような声で開会を宣言する。それに合わせてその場の全員が立ち上がり、礼をして座った。
「そんで、まず最初っちゅうか、まあ最後なんだけどね。お知らせがあります」
なんだか曖昧な態度を取る係長を目を細めて睨む。
「この捜査は中止、捜査本部も解散らしいです。はいおつかれ、そういうことだから。捜査会議終わり」
そのまま一方的に、捜査会議は終わってしまった。
× × ×
「係長!」
「ああ、入間君。どうしたの。やっぱアレ?」
最期の声は秘密めかすような声色だった。
「なんで、捜査が中止に⁉」
「それが不思議なもんでね。さっき上に科警研の報告書を上げたら、すぐに捜査一課長をすっ飛ばして刑事部長から捜査中止の命が飛んできてさ」
「刑事部長から?」
「そこが妙なんだよ。理由も、高度に政治的な問題に発展したためってしか言われなかったし、それだったら中止しなくてもいいのにね」
千歳康弘は、その表情を厳しいものにしていく。
「入間君、なーんかこの事件。きな臭いよね」
「どうしますか?」
「どうしようもないでしょ。まあ、なるようになるって」
「そんなものでいいのでしょうか?」
「まあ、上が隠したいって言っているんだ。上がどうするかは、知ったこっっちゃないよ」