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霧の街:1

 早朝の東京には薄い霧がかかっていた。その霧は、まだ寝ている人間たちから世界を切り離そうとするかのように立ち込めている。

 人間の営みが消えた東京はひどく冷めついていて、人間という生物そのものが地球上から消え去ってしまったかのような錯覚を覚える。

 時折、霧を切り裂きながら走る学生の足音がして、この街が現実の、実体ある実像であることを思い出させる。

 冬の早朝の、凍てつく空気が頬を切り裂いていく。竜骨が川面を掻き分けて発する無神経な音と、短く周期的なエンジンの回転音だけが辺りに響く。

 ふと頭上に、大きな影が圧し掛かってきた。東京という虚像の心臓を支える首都高速という血管が上を絡まった毛細血管のように被さっている。

 これは実像と言えど、虚像によって成り立っている奇妙な物体である。だから、その虚像が狂っただけで実像は崩壊してしまう。

 東京とは、日本という虚像の象徴である。この街の実像は、この霧の街の方である。

 霧は、この街の実像を隠し、外の人間には幻影(ファントム)を見せているように思えた。


 × × ×


「MFV監視システムのサーバーが爆破されただと!?」


 緊急事態発生の報を受けた日本国第101代総理大臣峰山修身が、語尾を荒らげて、スーツのしわを伸ばしながら官邸の床を踏み鳴らす。


「なぜそんなことが起きた!警備に自衛隊の機甲大隊が付いていたはずだろう!?」

「当該時刻以前の監視カメラの録画映像に不審な人物や車両は写っていませんでした。恐らく、監視カメラの視覚外、地下の下水道から侵入したものかと」


 小脇から現れた秘書が、峰山に耳打ちする。


「そんなことはどうでもいい!警備体制の問題もあるが、これで全国のMFVは野放しだ!これでは上海事変後の中国と変わらないではないか!」


 日本にMFV(Multipul Foot Vehicle‐多脚車両)が導入される際、加速していたゲリラ的テロリズムに悪用されることを予想した日本政府は、国家公安委員会主導の下、日本全国のMFVの監視をするためにGPSの装着を義務付け、警察庁特殊犯罪課による中央指揮の下、国土交通省自動車局に登録されたMFVのGPS情報を基にして警視庁警備部特殊車両犯罪課が管理するサーバーによって全国の警察組織の特殊車両課によってその地域のMFVを監視、管理することで犯罪を未然に防止するNSVMS(National Special Vehicle Monitoring System‐全国特殊車両監視システム)を開発していた。


 上海事変が発生する前、中華人民共和国は日本のシステムを輸入し、自国のMFV犯罪防止のシステムの大本にしていた。

 しかし、上海事変によって上海が復興不可能なほどに壊滅的な被害を受け、その後の動乱によってそのシステムがダウンしてしまった。それにより、全国のMFVの所在が不明になり、MFVを用いた犯罪が増え、その後の中華人民共和国崩壊に繋がった。

 それを受けて、直後にシステムの強化、関係組織の統合、指揮系統の明確化、警備体制に自衛隊を投入するなどの改変が行われた。

 その直後のこのサーバー爆破である。


「これではマスコミと野党をつけあがらせるだけだぞ」


 × × ×


「今回の爆破事件ですが、死者は無し、負傷者が軽傷4人のみの被害です」


 急きょ招集された、国家安全保障会議の公安委員会委員長の大湊峯一おおみなとみねいちが、手にしたメモに何度か目を向けながら言った。


「問題は人的被害では無いだろう」

「ええ、MFVの動向が掴めるまで全国の交通網は封鎖せねばなりません。そうした場合、被る経済的損失はかなりのものになるかと思われます」


 それに即座に反応する形で、国土交通大臣の筑波尚真つくばなおみと経済産業大臣の鹿島純義かしますみよしが言う。


「いえ、今一番重要視されるべき問題はそこではありません」


 そこに、防衛大臣の館山美恵子たてやまみえこが割って入る。部屋中の男たちの視線が彼女に向けられる。


「現在、国内のMFV全機の所在が不明な状態になっています。このままでは、MFVが監視下を逃れたまま、いつ何時どのような行動を取ろうとも、警察や自衛隊は早急たる行動を起こすことが難しくなってしまいます」

「しかし、国内の産業に於いてはMFVに依存しているものが現状多数あり、今回の事件で対応を誤れば、国内産業の経済的損失はかなりのものになります」


 鹿島純義が、念を押す。


「しかし、今回の状況は、上海事変によって交通監視システムや警察のシステムを破壊された中国と酷似するものであります。現在、我が国はいつ、テロが勃発してもおかしくない状況であると思われます」

「しかし、国内の全MFVの稼働を禁止させれば、それに依存している産業が被る損害は計り知れません。また、これを報道したとなれば、国民が感じる動揺はかなりのものでしょう。ここは、報道規制を敷いて、警察機関による交通警備の強化とサーバーのバックアップからの早期復旧が妥当かと思われます」


 大湊峯一が言う。


「ですが、事態は既に起こっています。サーバーの破壊活動が行われたということは、MFVを用いた犯罪行為を目論む人物、組織が国内にまだいるという事です。対策は全国のMFVの使用禁止、緊急の所在確認と照合、一部交通規制と警備強化、即応自衛官の招集しかありません」


 それに対抗するように、館山美恵子が断言する。


「総理、国民の危機感を煽り立てるのは得策ではありません。落ち着いて対処する必要があります」

「総理!状況は既に進行しています。即急な対応が求められているのです。事件があってからでは遅すぎます!」


 大湊と館山が、峰山に畳みかける。峰山は、眉を寄せてしばし黙った後、口を開いた。


「各地の警察署に連絡。担当区域のMFVに即時停止命令を発令、バックアップから全車両の所在を確認し、所在不明の車両のリストアップと捜索。また、高速道路などの主要交通網の警備を強化し、MFVはその場で止めてくれ。あと、全国の陸上自衛隊基地に準待機命令を出すんだ」

「了解です、総理」

「それと緊急記者会見の準備だ。国民に事態を説明する必要がある」

「お待ちください、総理!それは国民の危機感を煽り立てるだけではないでしょうか⁉」

「大湊君、政府に求められるのは誠実さだ。ここで説明を怠れば、後の惨状を見た歴史から愚断と誹られることになる。国民の信頼あっての政府だであり、我々は国民を安心させる存在でなければならない。私は先々代の愚行を繰り返すつもりはない」


 それだけ言うと、峰山は会議室を後にする。開きっぱなしになった会議室の扉から、峰山が官邸職員に指示する声が聞こえた。


「……各種報道機関に連絡をしろ、会見は2時間後だ。ホワイトハウスに連絡しろ、ホットラインを繋ぐんだ!」


 × × ×


 画面の中で、レポーター歴3年のベテラン女アナウンサー川岸愛美が、フラッシュの中カメラに向かって必死に記者会見の様子を伝えている。


『先ほど、発表がありました通り、今日午前5時25分。警視庁警備部特殊車両犯罪課のNSVMS、全国特殊車両監視システムのサーバーが何者かにより爆破され、警察機関のMFVの監視システムがダウンした状態になっています。そして先ほど、緊急会見で峰山総理大臣は、全国のMFVは直ちに機能を停止させ、所在を近隣の警察署の特殊車両課に届け出るよう要請しました。また、これを受けて警察は交通警備の強化を行っており、全国でMFVの交通規制を行っているとのことです』


 緊急記者会見で、見ていたドッキリ番組が切り替わった時は文句を垂れていた、東京湾のとある埋め立て地にある警視庁警備部特殊車両課実働隊の整備班の連中も、今はすっかり静かになり、目を見開いたまま呆けたように口をあけっぱなしにしている。


「班長、これって……」


 副班長の多田イワオおおたいわおが、音がしそうなほどにゆっくりと整備班長鮫島シゲヲさめじましげをの方を振り向く。鮫島は白髪交じりの眉をひそめて険しい顔をしながら、テレビを見つめている。


「多田」

「はい、班長」


 多田が居立ち住まいを正して鮫島の話に耳を傾ける。


「整備連中を集めて24式いつでも出せるようにしろ。じきに待機命令が出るぞ、急げ!」

「「「ぅおっす!」」」


 整備班の男たちが飯の茶碗と箸を手放して一斉にバンカーの方へと駆け出していく。


「班長ぉーう!右マニピュレータの腕部装甲、こないだの出動でひしゃげちゃってるんですけど、どうします?」

「時間に余裕がねえ、そのままにしておけ!」

「37ミリ装填急げよ!」

留萌るもいさん、A21番のケーブルは23番に繋げばいいですか?」

「26番だ馬鹿野郎!テミスぶっ飛ばす気かこの野郎!」


 警視庁警備部特殊車両課は、首都圏のMFV犯罪やその抑制、車検などを一手に請け負う課であるが、デスクワークをする部署、彼らの言うところの霞が関組と人型の24式警察用MFVテミスを管理運用する実働隊とが分かれている。霞が関組は警視庁との連絡を円滑に行うために本庁に設置されているが、実働隊は東京湾の埋め立て19号地にバンカーと宿舎が設置されている。創設の22年からその体制が問題視されていたが、今に至るまで是正されていない。


「鮫島さん、やってるねえ」

「あらゆる状況に備えるのが、俺たちの仕事だ」


 バンカー内の手作りの足場から指揮を飛ばしている鮫島の後ろから、神尾ミツオミ特殊車両課実働隊長が顔を出す。


「神尾さん、出動命令はまだ出ていないんだよな?」

「まだ、ですけどね」

「そうか……多田!作業急がせろ!」

「ぉおっす!手前ェらァー!さっさと手を動かせェー!」

「鮫島さん、これから誤報も実働も増えると思いますから」

「分かってる」


 鮫島がそう呟き、整備連中に向かって怒声を上げた瞬間、けたたましいサイレンが鳴り響く。


『本庁より出動命令!目黒区青葉台でMFVが暴走!繰り返す、本庁より出動命令!目黒区青葉台でMFVが暴走!』

「出動だ、お前ェ達早く終わらせろ!」

「「「ぅおっす!!」」」


 鮫島の一喝で、整備連中がさらに忙しなく動き出す。この前時代的な仕事に対する実直な誠実さが、警視庁警備部特殊車両課実働隊整備班の売りであった。

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