13 慣れない恐怖
(…怖い)
自然体で居る、と言う約束をした天乃だが、クラスに入った途端、自分を包み込む空気に萎縮してしまった。
女子と一緒に居るときとは、明らかに違う感覚。天乃が男子として生活するには、男子のことを知らなさ過ぎた。
男子と遊んだことなんてなかったし、この間男子に初めて告白されたばかり。
その告白は断ってしまったし、それ以外でも、男性経験など全くない。
「滝沢は勉強してんの?てか、勉強してんだろ!?」
「え…ぁ…」
(翔一君いつもなんて答えてるの…?私、何て言えばいいの…?)
「……」
そして黙り込んでしまう。
その場の空気が、また変わる。
『え…?滝沢のやつどうしたんだ?』
『元気ねぇな…あいつが元気なくす原因ってなんだ…』
『またフラれたな』
『恐怖のインテリ不良、滝沢様の不調、ってか?』
滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢。
周りの男子が、不審な翔一について考えている。
それが容赦なく天乃を襲うが、感情が昂り、周りの声から逃げられない天乃。能力が抑えられない。
みんなの気持ちが、すべて聞こえてくる。
滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢、滝沢。
「やぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
耐えられなくなった、天乃は遂に悲鳴を上げてしまった。
(街で居るときよりも怖い…もう無理!)
「お、オイ?大丈夫…か?」
隣に居た男子が、すかさず声を掛けてくれた。
きっと、本当に天乃のことが…翔一のことが心配なのだろう。
恐らく、翔一の周りに集まっていたほとんどの男子が、本心から翔一のことを心配している。
それはわかる。翔一の友達は、みんな優しい人たちばかりだ。
だが、それ以上に…
「ご、ごめん…っ!」
天乃は、この場の空気に耐えられなかった。
今すぐこの場から離れたい。
そして天乃は立ち上がる。そのまま、トイレに走る。間違っても女子便所に入らないよう、それだけは意識して…
「いてっ!」「っ!」
角を曲がったところで誰かにぶつかった。
さすが翔一の体と言ったところか、天乃はビクともしなかったが、相手の男子は、吹っ飛ばされてしまった。
「あ…」
(志藤君…!)
「げっ…滝沢」
男子の顔には、痛々しいガーゼが貼ってある。怪我でもしたのだろうか…
そして、その男子と天乃は顔見知りだが、今はそれどころではない。
逃げるようにして、天乃は男子便所に駆け込んだのだった。
「滝沢のやつ…どうしたんだ…?」
吹っ飛ばされた男子の呟きを聞くことなく…
天乃の父親は、先生方に挨拶をした後、会社に行った。
職員室から解放された翔一は、クラスに行って天乃の友達女子と一緒に談話をしていた。
(…って、上手くやれてれば問題ないんだけどな…)
実際のところは、顔を引きつらせた、微妙な笑顔で相槌を打っているだけだ。
「んで~、昨日カラオケでさ~…」
テスト前なのにカラオケに行く友達を持つなんて、秀才の天乃らしくないと思いつつ…
(ん?)
何となく、クラスの入り口を見てみると、顔に痛々しいガーゼを貼った男子が入ってきた。
その男子、翔一には見覚えがある。
(集団リンチしてたやつらのリーダーじゃん。天乃と同じクラスだったんだ…)
友達女子との相槌も適当に打ちつつ、ボーっとその男子を見ていると、気になる会話が聞こえてきた。
「俺さ、トイレ前で滝沢とぶつかったんだけどよ…様子が変なんだよな」
(トイレ前…?今時間ならクラスのやつと喋ってる時間だぞ…?)
気になった翔一は、そのまま聞き耳を立てることにした。
「あいつ、オドオドしてるっていうか…なんていうか、弱々しいんだよなぁ…」
「この間の借りを返してやったらどうだよ。まぁ、志藤じゃ滝沢には敵わねぇだろうけどな~」
「テメッ…痛いとこ突くなよ…これでも学年1位なんだぜ!」
「そりゃ頭だけだろ?ケンカの腕は学年最底辺、ってな!」
盛り上がる男子集団の中で、本当に痛いところを突かれたのだろう、翔一とのケンカに負けた、学年1位の志藤とか言うやつは、1人だけ俯いていた。
(ってか、天乃大丈夫か…?)
「あれあれぇ~?天乃ってば、志藤君の方ばっかり見て?」
「え…?あ、アハハ~…」
と、曖昧な苦笑いをしてしまったため、余計に友達女子がからかってきた。
「志藤君、天乃に気があるみたいなんだけどなぁ~…」
「そうそう、秀才コンビってことで。結構上手く行くような気がするけど」
自分の体じゃないし、そもそも、ケンカした男と付き合うなんて、絶対に無理だ。
そう思っていると、志藤のほうから視線を感じた。見れば、翔一のことを見つめている。
(うげ…ホント、私に気があるのかよ…)
翔一はとりあえず目を逸らして、友達女子のほうを向く。
「…ま、冗談だけどさ。本当に天乃に気があるなら声を掛けてみればいいよ」
「…頑張れるだけ頑張ってみるよ」
女子なんてこんなものなのだろうか。ともかく、志藤のほうはあまり見ないように意識することにしようと思った翔一だった。
そして授業中。
先ほどの志藤の話がどうしても気になった。
(あの時間にトイレ前に行ったってことは…)
普通のトイレに行った訳ではないのだろう。
(周りの声も聞こえるんだっけ…?そんなに苦しいのか…?)
こんなことを天乃に聞いたら、確実に郁美から殴られるだろうが…
声から逃げるために大人しくしていたのだろうから、急な環境の変化は、天乃にとっては地獄なのかもしれない。
そこまで考えると、天乃のことが心配になってきた。
(万が一にでもまだトイレに居たらなぁ…)
さすがに、周りから不審に思われるだろう。
「先生!」
そう思ったら、黙ってなど居られない。
「ん?どうした、川辺?」
「ちょっとトイレに行ってきてもいいでしょうか?」
「わかった。入室許可書、忘れるなよ?」
「わかりました」
入室許可書が面倒だが、それでも天乃の様子が気になる。
そのままトイレへ。
周りに誰も居ないことを確認して、男子便所へと飛び込む。
幸い、便所の中には誰も居ない。
そして、トイレには1つだけ鍵がかかった個室があった。
(さて、どうやって中を確かめる…?)
女子の声で、『滝沢』とか『翔一君』とか呼んで、中に居たのが天乃じゃなかったとしたら…逢引と勘違いされることは間違いない。
だからって便所を叩いても、声を上げて返事はしないだろう。
壁によじ登って確認する方法もあるが、運動も出来ないこの体で、そこまで無茶は出来ない。
そこまで考えて気がついた。
「天乃、居るか?」
この声で逢引と勘違いされず、壁をよじ登る必要が無くて、天乃が反応を返しそうな方法。
それが、天乃の名前を呼ぶことだった。
「……翔一君…?」
2人の体が入れ替わっていることを知っていて、この学校に居るのは、翔一と天乃だけ。
だから、天乃の声で天乃を呼ぶのは、翔一しかいない。
逆に、翔一の声で翔一を呼ぶのは、天乃しかいない。
最初に出会ったときに天乃が使った、2人だけが知る秘密を利用した作戦だったが…
呼びかけに反応した天乃が、トイレのドアを開けた。
そこから顔を出したのは、翔一の顔をした天乃だった。
「…苦しいよ…助けてよ…」
そう言って、翔一の体に飛び込んでくる天乃。
自然と、天乃の体を受け止めた翔一。
「大丈夫だ、俺が来たから安心しろ」
「…うん」
と、そこで翔一は気がつく。
(あれ、俺って今、男声じゃなかったか…?)
天乃を抱きしめる腕を見ても、そして胸に居る天乃を見ても…
(体が…元に戻ってる…?)
天乃の背中を撫でる翔一の手は、紛れもなく男子である自分の手だし、翔一に抱きつく天乃の腕は、間違いなく女子の手だ。
「オイ、俺達…」
と、奇跡を確認しようとしたその時。
「あ~!滝沢、お前やっぱり童貞捨ててたな!?」
「「はぁ!?」」
と、素っ頓狂な声を上げた2人の体は…
(あれ、やっぱり俺って女の体…?)
元通り、体が入れ替わった状態に戻っていた。
慌てて体を離す翔一と天乃。
人に見られてしまった以上、このまま男子便所に居るわけにも行かない。
飛び込んできた、翔一のクラスメイトを睨みつけながら、
「後は何とかしろよ?」
と言い残して、翔一はクラスに戻ったのだった。