四十八話
「おまたせ、春野菜の入った特製リゾット作ってきたよ」
沈んだ空気を振り払う様にして明るい声のヴィートが入ってくる。どん底まで落ち込んでいたリーゼロッテは無理やり笑顔を作ってヴィートに向けた。
「いいにおい。美味しそうですね」
「……もしかして兄貴たちに苛められた?」
「決定事項を報告しただけだ」
「いい加減なこと言うとリーゼロッテにある事ない事吹き込んじゃうよ?」
ベッドから降りずとも食べられるように器によそりながら、リーゼロッテの様子を窺うヴィート。むっとした顔で答えるグエン。茶化すスピタク。知らされずにリック達と顔を合わせるよりはよほどいいと、リーゼロッテは気持ちを切り替える。
「自分の情けなさに少し落ち込んだだけです。もっと大人にならないと」
そう言ってリーゼロッテはゆっくりと冷ましながら食べ始めた。柔らかくなるまで煮込まれた野菜と米に薄い味付けが丁度良い加減でつけてある。喉を通る久々の食事に、胃が反応して動いているのが分かった。一口ずつ間を置いて食べなければ腹痛を起こしそうだ。
匙を口元に持っていく時にうっかり視線を上げたところ、部屋の中の男性陣が自分を注視しているのが視界に入ってしまった。急に恥ずかしくなって慌ててその一口を飲み込んでしまう。まだ熱いリゾットが食道を落ちていき、目の端に涙が滲む。恨めしそうな顔をして再度リーゼロッテが顔を上げると、三人は一斉に目を反らした。コホンとわざとらしい咳をしてグエンが話を始める。
「様子を見ながらヴィートとフォレスタへ戻ると良い。仲間がいなくとも無理のないような依頼を出すから今後も受ける様に。もしも必要ならば護衛もつけるつもりだ。それから……」
「ちょっと待った。曲を弾いて小さくなるところを見ておきたいんだけど」
「あ、はい。食べ終わったら弾きますね」
スピタクがグエンの言葉を遮って、延々と連なる注意事項が止まる。リーゼロッテが食事を続ける中、三人のおしゃべりが始まった。
「うまく使えれば諜報活動に仕えるかなぁ」
「十年若返るのか……」
「姉上たちが喜びそうだな。ただでさえ若く見えるのに」
「ドレスも年齢的に抑えた色合いを選ばざるを得ないからな。好みはもっと明るい色だっただろう」
リーゼロッテは「子供になる」という感覚なのだが、グエンたちにとっては「若返る」らしい。意味は同じでもとらえ方が少し違う。その感覚は大人になると言うよりは老いるという事かなと、かなり失礼な事を考えながらリーゼロッテは料理を平らげていく。
「他の人が聞いていても私しか子供にならないので、応用が出来るかどうかは分かりませんよ」
「作ったのは君だろう?」
「ええ、十四歳の時に小人が出てくる童話をイメージして作った曲です。作った当初はそんな効果が出るとは思いませんでした」
久しぶりなので自分の耳を頼りに調弦をした後、いつものように曲を弾き始める。お座りしているヴァナルが耳を動かして聞く態勢に入っていたが、すぐに怪訝そうな顔をしてリーゼロッテを見た。リーゼロッテもすぐに違和感に気付く。縮んでいく時の体が軽くなっていく感覚、少しだけ骨が軋む感覚が全く感じられないのだ。
指板の上で弦を抑える間隔も段々とずれていくはずなのに、弾き終わってもバイオリンを持つ手は大人のものだった。
「あ…れ…、おかしいな」
もう一度バイオリンを弾く。今度はもう少し丁寧に心がけるが、結果は変わらなかった。弓を持つ手がかすかに震えるのをぎゅっと握り直してもう一度弾いた。
今までできていた事が出来なくなる恐怖。毎日弾いていた曲だけにその衝撃は大きい。
―――私がバイオリンを弾く意味が消えてしまう。冒険者になった意味が、母様とのつながりが無くなってしまう。
ただバイオリンを弾くだけなら、指や腕が無くならない限り出来るだろう。特別だったものが普通に戻るだけだ。けれどリーゼロッテにとってバイオリンの効果は身を隠すための手段であり、原点であり、歌を拒絶するための選択肢であった。
魔法を使えない筈のリーゼロッテがバイオリンによってさまざまな効果を生み出せるのは、母の形見であるこのバイオリンと自分の血筋によるものだと考えている。それが原点。そしていずれアデライードのように表舞台に立った時、否、たとえ立たなかったとしても、歌を捨てバイオリンを取ったことを人々に納得させるものでなければならない。誰かの役に立つようなバイオリンでなければ歌を捨てた意味が無くなってしまう。
継母に正当性を与える様なものだ。歌の才能を見出して育てたのは私だと、無価値なバイオリン弾きなど辞めるべきだと勝ち誇るに違いない。
リーゼロッテは傍にヴィート達がいるのも忘れ、何度も何度も狂ったように弾き始めた。まるで呼吸が出来ないような苦しそうな顔をして。小さくなる曲だけでは無く子守唄も弾いて周囲の様子を見るが皆が眠る気配もない。
演奏は段々と乱暴になっていき、弾けるように切れた弦が頬を掠めて一筋の傷を作った。それでも弾き続けようとするリーゼロッテを何度皆が呼んでも、聞こえていないのか止まらなかった。ヴィートが肩を叩いてようやく演奏を止める。はっとしたリーゼロッテは泣きたいのを堪え、奥歯をかみしめてバイオリンを静かに下ろした。
ヴィートやヴァナルでさえも声を掛けるにかけられず、重い沈黙を破ったのはスピタクだった。
「けがの場所をもう一度見せてもらえるかな」
着ている服の襟ぐりを後ろに下げて脱がずとも肩が見えるようにすると、スピタクがため息交じりに呻いた。傷自体は綺麗に消えていたが黒く小さい魔法陣のような紋様が、リーゼロッテの肌に浮かび上がっている。
「やられた。呪詛が残ってる。解呪が完璧じゃなかったんだ」
「それほど強いものだったのか」
「リーゼロッテの演奏が魔力を介する物だったら解呪も同じもので良かったんだろうけれど、相手の方が一枚上手だったんだね」
隠密のような諜報活動も行うスピタクにとって、知るという事は息をするのと同じことだ。状態を見る為の鑑定などの魔法も持ち合わせているが、それでも専門分野でなければ遅行性の呪詛などは見抜くことは出来ない。ましてやそれがリーゼロッテの特異性に合わせたものであるならなおさらだ。
「アニスはそこまで詳しくなさそうでしたけど……」
「隠していたんだろうね。呪詛が扱える魔女だから人を謀るのは得意だろう」
ちょっと……いや、かなり性格の変わった子だとは思っていた。でもそれもリーゼロッテは自分が世間知らずなだけなのかもしれないと許容してしまえる範囲だ。異性にちやほやされたくて、他に仲のいい女の子がいれば嫉妬して意地悪をする。
ああ、でもそれで自分は命を落としていたのかもしれないと、大事な能力を失ってしまったのだと気づくと途端に寒気がしてきた。アニスの顔を思い出せばそら恐ろしいものに思えてしまう。
「君は、自分のバイオリンによる効果がどのような原理で発現するか理解しているかい?」
「ええ、何となくは」
「血筋によるものだよ。父親か母親、そのどちらもって事も有り得るかもしれないけれど、ただの魔術とは違う」
先ほどもスピタクは言っていた。だから解呪が完璧ではなかったと。バイオリンを弾き終わってどん底にあった気分が、話すことで原因を突き止められ少しだけ浮上した。リーゼロッテは恐る恐るスピタクに聞く。
「あの……元通りになりますか?」
スピタクは黙り込んでしまった。途端にまたどん底に落とされるリーゼロッテ。見る見るうちに暗くなっていく表情にヴィートが焦り始めた。
「大丈夫だ、何とかなるって。そうだ、神殿なら何か見つかるんじゃないか」
「解呪ならラヴァン兄上の専門分野になるな。ついでに音楽も学んでいくと良い。神殿で奏でられる曲の中には効果付のものもあると聞くからな」
グエンの言葉にスピタクがポンッと手を打った。
「そっか、魔術の解呪ではないから神殿でも無理かと思っていたけれど、音楽なら可能性はあるかもしれない。うん、行ってみる価値はあると思うよ」
不定期ですが、かなりのんびりなら更新できそうです。頑張ります。




