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三十八話


 朝食を終えてリーゼロッテは宿舎に急いで戻った。いつもの曲をいつもと同じように弾くこの日課は、徐々に自分の精神を安定させる習慣ともなりつつある。準備をして訓練場に向かえば再びアルフレッドとリックに合流できた。


「冒険するときの装備で来るんだったよね」

「ああ、多分初っ端が一番きっついぞー」

「リックは軽装だからいいじゃないか。戦士系は……なぁ」


 二人は経験済みでこれから何が始まるか分かっていたが、リーゼロッテはさっぱりわからない。不安な顔をして見上げれば二人は顔を見合わせて苦笑する。


「砦の外壁の内側を走るんだ。装備のまま」


 リーゼロッテは貴族だ。父親が伯爵だったので伯爵令嬢という事になる。宮廷音楽家だった母親を見初めた父が結婚相手に選んだのだが、母親自身も貴族の出だ。女性ながらに宮廷音楽家でやって行けるほどの教育は、どれだけ才能が有ろうとも平民で受けることは流石にできない。


 リーゼロッテ自身も幼いころから貴族としての教育を受けている。男児であれば剣術や乗馬など体力を作ることも有ったのだろうが、女児が教育をうける場は専ら室内だ。作法や勉学の他には音楽一辺倒だったので走り込みなど当然ながらした事が無い。


 屋敷の中で歩くことはしていたが、外へ出る時は馬車で移動するのが普通だ。

 冒険者になってから森を歩くことが多く、徐々に体力が付くようになってきたが同世代の平民に比べればまだまだ劣る。


 走った経験がほとんど無く自分がどの位の速度でどれだけ走ることが出来るのか、リーゼロッテは分からない。リックとアルフレッドの経験談を聞いても見当違いな心配をする。


「って事は私はバイオリンを背負ったままって事?」


 楽器を弾いたまま避けることはした事があるけれどもケースに入れたまま走ることは今までした覚えがない。長めの曲であれば一曲弾いている間にも弦の音がずれて行ってしまう物なのに、長時間振動を与えたままで本体がどうにかなってしまわないだろうか。


「バイオリン、大丈夫かなぁ」

「え、そっちの心配?自分が走れるかどうかじゃなくて」

「指導者が来るはずだから聞けばいいよ、ああ、ほら」


 すでに集まっていた冒険者たちへ兵士や部隊長が説明をしていく。飽く迄基礎体力の向上なので魔法や道具の使用は禁じる。五周走り終わった者から昼休憩に入って良い。午後からは各職業別の訓練に入る事、等々。


「当然の事ながら見張りが立っているので、建物の陰に隠れて距離を誤魔化したりはしないように」


 リーゼロッテが兵士にバイオリンの事を尋ねると、楽器を預け代わりの重りを背負って走ることになった。調節がされているが、明らかにバイオリンよりも重い。力自慢の戦士の中には装備意外に自ら重りをつけて走るものもいた。


「まさか、それをつけて走るつもりなのか」


 貴族の少年が面食らったような顔をしてリーゼロッテに聞いた。説明を受けてここに立っているという事は一応参加する心算らしい。


「訓練ですから当然ですよ」

「走ることに自信があるのか?」

「今までほとんど走ったことなどございません」

「どうしてそこまで……」


 お互い、名乗りもしてないのにどうしてこの人はこんなに絡んでくるのだろうとリーゼロッテは不思議に思った。自分の状況を深いところまで話すのも嫌なので当たり障りのない事を言っておく。


「仲間の足を引っ張るのが嫌なんです。劣っているのは仕方のない事なんですが、それを理由にして努力を怠ることをしたくありません」


 言いながら、リーゼロッテは今までバイオリンを弾くことや生活費を稼ぐことに躍起になっていた自分を恥じる。これからは少しずつ体力をつける様にもしないと、二人に置いて行かれてしまうかもしれない。


「身分が下の者が上の者を守るのは当然ではないのか」


 リックもアルフレッドも、その他大勢も傍に居ると言うのに平然と言ってくる。一冒険者として扱う様に守備隊長には言ったが、この坊ちゃまには伝わっていないのだろう。


「何のことを言っているのかさっぱりわかりませんが、努力も何もしない身分を振りかざしているだけの者に心の底からついて行きたいと思う者など居りませんよ」


 半ばやけになってリーゼロッテが言えば、思い当たる節が有ったのか坊ちゃまは息を飲んだ。



 最初は一つのまとまりで走っていたものが徐々に徐々に崩れていく。仲間同士で来た者たちも「置いてくぞ」「先に行って」と声を掛け合って離れ離れになっていく。そうなるとほとんど職業ごとの集団に自然とまとまっていった。

 先頭が盗賊や狩人、武闘家など比較的素早い集団。ほとんどが全速に近い状態で走っている。次は戦士など体力面で日頃から鍛えている職業の者たち。最後は魔法使い、僧侶や神官など知識を戦力とするものが多かった。勿論例外はそれぞれにいる。筋肉質な魔法使いやひ弱な戦士など、選択肢を間違えていないかと思われるような者たちも混じっている。


 リーゼロッテはその中でも最後の集団に居る。


「あら、おいて行かれたのね。可哀想~」


 ヴァナルと一緒に走っているとアニスが嫌味を言ってくる。周囲に仲間をはべらせながら。


 走りはじめは建物の見える角度が変わっていくのが楽しかった。速度を抑えて走ってくれるヴァナルを観察しながら走るのも面白かった。集団が分かれ始めた頃にリックとアルフレッドに先に行くように言って、リーゼロッテはペースを保ち続けた。


 二週目に差し掛かった頃―――


「ぜぇ、はぁ、なんで、私が、こんな事を、せねば、ならんのだ」

「足、太くなったら、っ、どうしよう」


 文句を言いながら走れるほどまだまだアニスと貴族は余裕がある。リーゼロッテは長い距離を走るのは初めてなので速度を抑えていたが、前を走る二人ほど息が切れていない。もしかしたら十一歳の体であると言う理由からかもしれないが、思ったよりもついて行けるようだ。

 二人を追い抜こうと速度を上げると、アニスがさっと足を出した。避けきれず、躓くリーゼロッテ。顔を地面に打ち付けそうになる直前にもふっとした感触がお腹の辺りに現れた。

 気付けば、ヴァナルの背にくの字に体を折り曲げて乗っている状態だった。転ぶのを防いでくれたのだが、リーゼロッテが降りる間もなくくるりと向きを変えヴァナルは元通りに走り始める。


「ヴァナル、やだ、怖いから止まって」

「ヴァナル、リーゼロッテ、ノセテ、ハシル、ハヤイ」

「これは訓練だから、私が走らないと意味が無いの。ずるをしたら怒られるよ」


 顔面が地面すれすれを通っていく恐怖に耐えかね、慌ててヴァナルの体を軽く叩いて止める。それほどの距離は走っていなかったので、戻って転びそうになった場所からまた走り始める。


 三周目、四周目ともなると後ろから追いついた先頭集団に抜かれていった。のどがカラカラで呼吸もしずらくなり時折咽こむ。


「リーゼロッテ、あまり無理すんなよ」

「棄権することも出来るからな」


 追いついたリックとアルフレッドに最早声を出して返事をすることもままならず、少し首を振って答えた。周回遅れが二人との体力の差。余裕が有りそうなところを見るともっと差はあるかもしれない。


 五周目。アニスと貴族は途中で棄権して座り込んでいるのが見えた。お仲間がいないところを見るとしっかり置いて行かれたらしい。

 ここで止めても吟遊詩人なんだから誰も文句は言わないわよと、自分の中から声が聞こえる。バイオリンを弾くとしても、将来屋敷に戻るとしてもこの走り込みが役に立つとは思えない。けれど―――


 隣を走るヴァナルをちらりと見る。おそらくゴール地点で待っていてくれるだろうリックとアルフレッドを思う。ただの訓練すらまともにこなせなければ、実戦でそれ以上の距離を走らなければならなくなった時に後悔することもあるかもしれない。もしそれで誰かが命を落とすようなことになったとしたら、そう思ったリーゼロッテは足を止めることなく動かし続ける。


 ゴール地点にはリックとアルフレッド、バイオリンを持った兵士たちが出迎えてくれた。自分で成し遂げたことが嬉しくてリーゼロッテは重りを外しながら二人に駆け寄る。気分が異常に高揚して二人に飛びつきたい気持ちを抑えながら、笑顔を向けた。


「おかえりー。よく頑張ったな」

「いきなり止まらずに、ゆっくり歩きながら呼吸を整えて」

「凄いですね、鍛えていない貴族の方で完走した方は初めてですよ」


 兵士の何気ない一言に、荒かった息がひゅっと止まった。完走を喜んでいたのが一瞬で重苦しい雰囲気に変わり、兵士が自分の失言に気付く。走ったせいと知られてしまった事、どちらの理由で動悸が激しいのか分からずに、リーゼロッテは胸のあたりを押さえながら泣きそうな顔を上げて二人を見た。


 リックとアルフレッドは、大して驚きはしなかった。それどころかどうやってリーゼロッテを宥めようかとこちらも困った顔をしている。


「あー、えーと、ちゃんと話す気になったらで良いからな」

「そうそう、リーゼロッテが只者ではないってのはうっすらわかっていたから大丈夫だ。今はしっかり休んで」

「それじゃ、ぼちぼち食堂行くとすっか」


 リックがバイオリンを受け取り、一行は食堂へと向かう。騙されたといきなり怒られることが無くてほっとしたリーゼロッテ。けれど二人に話す気には、まだ、なれなかった。

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