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   音だけの惨劇

 

 

 

 

 大広間から遠ざかるにつれ、宴の賑わいが消えていく。

 冷えた空気と静寂に満ちた廊下に、硬い足音だけが響いていた。

 

 ジェラルドの前を、数人の兵士が足並みを揃えて規則正しく歩いていく。

 ふといずみが振り返ると、いつの間にか後ろにも二人の兵士が続いており、守りを固めていた。


 兜で顔は分からなかったが、二人の内、一人は水月と同じ背丈と肉付きをしていた。


(もしかして、この短い時間でまた変装したの?)


 気になってしまい、いずみはチラチラと横目で件の兵士を見やる。

 と、彼はこちらの視線に気づき、親指を立てて肯定してくれた。


 近くにいると分かっただけで、心細さが半減する。思わずいずみは口元を綻ばせて水月に微笑むと、前をしっかり見て歩みを進めていった。


 最前線の兵士が、長く真っ直ぐな廊下を渡り終えて角を曲がろうとした時――。


 ――ギィンッ、と金属同士が派手にぶつかり合う音。

 刹那、前方の兵士たちが各々に剣を抜き、駈け出していく。


(えっ……いったい何が起きているの?)


 いずみが事態が飲み込めずにその場へ立ち尽くしていると、キリルがジェラルドの前へ出た。


「陛下の御身は必ずお守り致します。ご安心下さい」


 腰の剣を取り出して身構えるキリルへ、ジェラルドが小さく頷く。


「今日は血を見たいとは思っておらぬ。早々に終わらせろ」


 気だるげなジェラルドの声に、キリルが「はっ」と短く答えた。


 角の向こうが騒がしくなり始め、いずみの鼓動が早くなる。

 金属がぶつかり合う音は激しさを増し、ドサッと何かが倒れる音や、低い声の悲鳴も聞こえてくる。


 この空気、この感じ……。

 隠れ里を襲われたあの時と、同じ――。


 何者かに襲撃されているのだと理解した瞬間、いずみの全身から血の気が引いた。


「…………っ」


 声にならない悲鳴が口から飛び出し、勝手に体が震えてしまう。

 あっさりと命が散ったあの光景を、また見るなんて……。


 ……嫌。あんな光景、もう見たくない!

 そう思っているのに全身が強張ってしまい、自分の意思で動くことができない。

 瞼を閉じることも、手で視界を覆うこともできず、ただ目を見開いて、近づいてくる戦闘の気配を待つことしかできなかった。

 

 不意にジェラルドがこちらを見やり、視線がぶつかり合う。

 すると、キリルに何かを耳打ちした後、踵を返していずみの元へ近づく。


 そして無言で腕をグッと掴むと、強引に引き寄せ、いずみの眼の上に大きな手を被せてきた。


 真っ黒になった視界とは裏腹に、いずみの頭の中は一気に白くなる。


(……陛、下? 一体どうして……)


 激しく困惑するいずみの耳に、ぽつりとジェラルドの呟きが聞こえてきた。


「お前の心が壊れてしまえば、余の望みは叶わなくなる。良いか、絶対にこの場から離れるまで目を開けるでないぞ」


 不老不死を叶えるためだとしても、緊迫した状況でも相手を気遣える心を持っている。

 この事実に気づいた瞬間、いずみに意識が戻ってきた。


 コクリと頷き、一呼吸してから瞼を閉じる。

 完全な暗闇の中、さっきよりも大きくなった争いの音が耳の中を揺らしてくる。


 兵士と襲撃者たちの荒々しい息遣いと剣が交わる音が絶え間なく続き、時折、体を壁や床に打ち付ける音が混じる。

 ただ、最初よりも悲鳴は聞こえなくなり、代わりにヒュッと息を引く音や咳き込む音が耳へ入ってきた。


 音とともに薄っすらと流れてくる血の臭いが、今どんな凄惨な状態なのかを物語ってくる。

 思わず脳裏に浮かんだ光景に吐き気が込み上げ、気が遠くなりそうなほどに胸が締め付けられた。


 何重にも重なっていた音が、次第に薄くなっていく。

 そして……ドサッと、何か――おそらく人が倒れる音がしたと同時に、喧騒はピタリと止んだ。


「ご安心下さい、陛下。もう敵はいなくなりました」


 普段通りに淡々としたキリルの声に、ジェラルドが「うむ」と短く答える。

 ようやく終わったのだと分かった途端に、いずみの膝から力が抜けて崩れ落ちそうになり、足がよろめく。


 それを当然のように支えてくれたのはジェラルドだった。


「大丈夫か、エレーナ? もう今日は余の体を診なくとも良い。部屋に戻って休め」


 返事をしようといずみは喉を動かそうとしたが、声は出ず、唇をかすかに動かすことしかできなかった。


 そうこうしている内に「もう大丈夫だよ、エレーナ」というトトの声が聞こえ、手を繋いできた。


 華奢で皺だらけの手から伝わる温もりに安堵していると、いずみの眼から重みが消えた。


「お前たちはもう下がって良いぞ。そこの者、二人を部屋まで送り届けろ」


 ジェラルドの命を受けて、コツ、と誰かが隣に並び、「かしこまりました」と答える。

 その声は、いつも聴き馴染んだ水月の声だった。


 無事で良かったと抱きつきたい衝動を抑えていると、トトに「行こうか」と促された。


「私が良いと言うまで目を閉じているんだよ。陛下のご好意を無駄にしてはいけない」


 トトに念を押されて、いずみは小刻みに頷く。


 誰が命を落としてしまったのかは分からない。

 自分の知っている者たちが無事だと分かって、心から良かったと思う。でも……。


 手を引かれて歩き出した瞬間、涙が一筋溢れる。


 ここは人の命が簡単に消えてしまう場所。

 人の命を助ける立場なのに、助けることもできず、真実を見ることもできない自分がやるせなかった。


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