新年の宴
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年の終わりが近付くにつれて、城の中は新年の準備で慌ただしくなった。
そんな雰囲気の中、いずみだけは普段と変わらない生活を送っていた。
あまりに多忙な水月を手伝いたかったが、ジェラルドの治療に関すること以外は何もするなとキリルから言われてしまい、激務に追われる水月を見守ることしかできなかった。
一区切りつくのは、新年の宴が終わった後。
早くその日が来て欲しいと願ったせいか、急流のごとく時が過ぎていった。
新年の宴は、日が沈みかけた頃から始まった。
大広間の中央では楽士が奏でる音に合わせて踊り子たちが舞っている。それを取り囲むように王侯貴族たちは酒を嗜み、談笑を楽しみながら運ばれてくる料理を堪能していた。
いずみとトトは、ジェラルドから少し離れた後方に控えていた。
ジェラルドが言っていた通り、より美しく見える位置から舞いを見ることができる。立ったままの見学で足は強張り始めていたが、そんなことを忘れさせてくれるほど素晴らしい眺めだった。
(すごい……あんなに大勢で踊っているのに、まったく動きが乱れないなんて)
着飾った踊り子たちが軽やかに足で律動を刻み、肩から指先までを艶かしく滑らかに動かしていく。その度に腕に柔らかく巻かれた薄布がひらめき、虚空を泳いだ。
次第にゆったりと奏でられていた音が走り出し、太鼓の音が際立ち始める。それに合わせて、踊り子たちの動きが激しくなっていく。見ているこちらも、伝わってくる律動に鼓動が煽られる。
――ダンッ! と太鼓の力強い一打とともに、旋律は消え、踊り子たちは動きを止める。
少し間を置き、一人の踊り子以外はその場へ跪き、楽士たちも大半が頭を下げる。
そして残った数人の楽士たちが、どこか哀愁漂う静かな曲を新たに奏で、中央で踊り子が天に祈りを捧げるような踊りを始めた。
場の流れが変わり、いずみは我に返る。
ずっと踊り子たちを映していた視界がフッと広がり、宴を楽しむ人々の動きに目が向いた。
自分から少し離れて右の前方にジェラルドがいる。相変わらず気だるそうに椅子へ座り、肘掛けへもたれかかっている。
そんな王を挟んで左側には宰相ペルトーシャが、右側にはイヴァンが座っていた。
杯を片手に隣にいる若い女性と上機嫌に話をするペルトーシャとは対照的に、イヴァンは腕を組み、気難しそうな顔をしながら踊りを眺めていた。
(イヴァン様、どうされたのかしら? あまり楽しんでいらっしゃらないような気が……)
いつも温室で会っている時と比べて、どこか窮屈そうな、怒っているような気配が漂っている。華やかな宴の中で、イヴァンの存在は妙に浮いていた。
いずみが視界の脇に踊りを映しながらイヴァンを見つめていると、ペルトーシャの隣の女性が立ち上がり、大きく迂回しながらイヴァンへ近づいていく。
彼女に気づいたイヴァンは、ハッとした表情を見せた後に口元を綻ばせて談笑を始めた。
どくん、と鼓動が大きく弾けた。
(すごくきれいなドレスを着ていらっしゃるし、宰相様とも親しく話していたから、きっと高貴な身分の人……もしかして、イヴァン様の婚約者なのかも……)
段々と恋人同士に見えてしまい、心の中にスウッと冷たいものが差し込んでくる。
頭では、そんな素敵な人が居て良かったと祝福しているのに、鼓動に合わせて胸の奥に痛みが走った。
ジッと見ていては失礼だと思い、いずみが視線を外そうとすると――。
「あの方はペルトーシャ様のご息女のアイーダ様ですよ」
突然真横から声がして、いずみは慌てて振り向く。
いつの間にか臙脂の軍服を着た青年――グインが隣に立ち、薄笑いを浮かべながらいずみを見下ろしていた。
アレは真っ当な人間じゃない、と水月から何度も聞かされている相手。
初めて見た時にも感じた得体の知れない不気味さと怖さに、体が強張り、言葉が出てこない。
いずみの異変に気づいたトトが、咄嗟に手を引き、グインから離してくれた。
「……グイン殿、私たちに何かご用でも?」
小さいながら鋭く硬いトトの声。
目を細めてトトを一瞥した後、グインは軽く吹き出した。
「そんな怖い顔をしないで下さいよ。ただ、彼女がアイーダ様のことを知りたそうに見ていたから、教えてあげようと思いましてね。それに――」
グインはいずみに視線を戻し、にこやかな顔を見せた。
「――ちょっとした秘密を教えたくなったもので」
どうして今この時に、そんなことを言い出すのだろう?
意図も分からなければ、どんな秘密なのか予想もつかない。思わずいずみはトトと顔を見合わせ、互いに困惑の表情を浮かべる。
「あの……秘密って何でしょうか?」
おずおずといずみが尋ねると、グインは辺りを見渡し、何かを確認してから囁いた。
「君のお兄さんのことですよ。今どこに居るか分かりますか?」
水月が今、変装してこの広間のどこかにいるのは知っている。
しかし、どんな変装をしているのか、ということは聞いていない。と言うより、尋ねても「見られたくねぇから」と、頑なに教えてくれなかった。
いずみはキョロキョロと広場を見渡して、水月の姿を探す。
だが、どこを見てもそれらしい人物は見つからず、首を横に振った。
それを見てグインは満足気に微笑むと、おもむろに顎でイヴァンたちのほうを指した。
「手がかりはイヴァン様の近く……一人一人顔を見ていけば気づくと思いますよ」
言われた通りの場所を、いずみは目を見開いて凝視する。
イヴァンの近くにいるのは、アイーダと年齢層の高い来賓が数人と、酒を注ぐ給仕の女たちと、背後に控える中年の兵士ぐらいだ。水月の姿はどこにも――。
「……あっ」
危うく大声が出そうになり、いずみは手で口を覆う。
言われるまで気付かなかったが、給仕の女性たちの中に、比較的あっさりした顔立ちの女性がいる。
長く目で追っていると、化粧で美しく整えられている彼女の顔に水月の面影が重なっていく。
優美に微笑みながら、洗練された動きで酒を注いでいく。
本当の女性よりも女性らしい姿に目を奪われていると、ふと水月が顔を上げた瞬間に視線が合う。
刹那、彼の目が気まずそうに横へ逸れる。
しかし、即座に剥がれかけた仮面を付け直し、何事もなかったように給仕を続けた。
隣りを見ると、トトも気づいたらしく、驚きで口が開きっぱなしになっている。
言葉を失うことしかできない二人を、グインが声を殺して笑った。
「キリル様が手取り足取り教えたみたいだから、それなりの変装になるとは思っていましたが……まさかあそこまで化けるとは思いませんでしたよ。本当は口止めされていましたが、この驚きを誰かと共有したくて、つい……」
付きっきりでキリルが水月に変装術を教えていたのは知っていた。
ただ、あのキリルが女性の動作一つ一つを丹念に教えたということは、本人もできて当然ということ――状況が分かっても、まったく想像がつかなかった。
確かにこれは言いたくなるかも……。
水月に悪いと思いつつ、いずみが今の話に共感していると、グインは真っ直ぐにこちらを見据えてきた。
「君のお兄さんは、まだまだ秘密を隠し持っていますよ。恐らく、この広間にいる誰よりも一番多く……知りたくないですか?」
口調は変わっていないが、さっきよりも視線が鋭くなっている。
ぶるり、といずみの肩が震える。
怖い。でも何か言わなければ、余計に怖い思いをさせられそうな気がする。
どうして急にそんなことを言い出したのか、グインの真意は分からない。
それなら素直に思ったことを伝えようと、いずみは口を開いた。
「知られたくないことを無理に暴きたいとは思いません……それに、私は兄を信じていますから」
いつも飄々とした笑顔の裏に、秘密が隠れていることは薄々気づいていた。
けれど、自分のことを全力で守ろうとしてくれることも、生死を共にしてくれる覚悟も伝わってきている。そんな相手を疑いたくはなかった。
目を逸らさず、互いに無言で視線をぶつけ続ける。
と、グインが肩をすくめてゆっくりと踵を返す。
「見た目によらず強いですねぇ、君は。私には絶対にできませんよ、そんな自分の命を無防備に預けるなんて真似は……」
そう言い残し、グインは静かにこの場を離れていく。
あまりに静かで、姿が見えなくなってもグインが去ったことが信じられない。
しばらく固まったまま、いずみは呼吸を忘れる。
ポンポン、とトトに腕を叩かれて、ようやく我に返ることができた。
「もうあの男はいなくなったよ。大丈夫かね、エレーナ?」
トトの声を聞いて、いずみの胸に安堵が広がる。思わず大きく息をついてしまった。
「ありがとう、トトおじいちゃん。もう平気だから心配しないで」
どうにかぎこちなく微笑むと、いずみは目の前の宴に目を戻す。
しかし、グインとの短いやり取りで一気に疲れてしまい、せっかくの踊りを楽しんで見ることはできなかった。
ビィンッ、と低く重みのある弦楽器の音が大きく鳴り響く。この音を合図に静かな調べは終わり、踊り子たちが入れ替わる。
その間隙を見て、トトはいずみに目配せした。
「陛下のご様子を見に行くよ。ついて来なさい」
いずみは短く頷いてみせると、足元に置いてあった薬箱を手にし、トトと共にジェラルドの元へ向かう。
近づく途中でジェラルドがこちらに気づき、鈍い動きで顔を向ける。
広場の熱気をすべて遮断しているかのような、血の気のない白い顔。
目も虚ろで、少しずつ戻り始めていた精気が抜け出てしまったように見えた。
様子がおかしいことに、トトもすぐさま気づいて顔色を変える。
歩みを速めてジェラルドの脇へ辿りつくと、トトが跪きながら小声で尋ねた。
「陛下、お体は大丈夫ですか?」
ジロリとトトを睨むように一瞥してから、ジェラルドは力なく首を横に振った。
「うむ……久しぶりに宴へ出席したが、やはり疲れるな」
わずかに苦笑を浮かべると、いずみへ視線を移す。
「……新年の舞いは、充分に堪能できたか?」
弱々しい中に滲む、優しい声。
思い上がりかもしれないが、自分に舞いを見せるために、無理をして宴の席に座っているような気がした。
いずみはトトの隣に並んで跪くと、 ジェラルドを恭しく見上げた。
「はい、もちろんです。こんな素晴らしい機会を頂けて、心から嬉しく思っています」
「そうか、それなら良かった。……もう余は疲れた、自室へ戻る。お前たちもついて来い、余の体を診てもらうぞ」
ジェラルドが手を叩くと、ペルトーシャがすぐに立ち上がり駆け寄ってきた。
「どうされましたか、陛下?」
「余はもう休ませてもらう。後のことはすべてお前に任せたぞ」
丸い瞳をきらりと光らせ、ペルトーシャは口端を大きく引き上げた。
「かしこまりました、後のことはこのペルトーシャにお任せ下され。どうかゆっくりお休み下さい」
深々と一礼するペルトーシャを見やってから、ジェラルドは緩慢な動きで立ち上がる。
それと同時に、どこからともなくキリルが現れ、席を離れたジェラルドの背後へ回った。
「二人とも、俺の後ろへついて来い」
わずかに振り返ったキリルへ頷くと、いずみはトトと並んで歩き始めた。




