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3.街での暮らし


 皿を洗っている。


 ひたすら洗っている。

 洗っても洗っても、次から次へと皿が運ばれてくる。


「おーい、レオン! こっちも頼むぞ!」


「はいっ!」


 返事をした直後、目の前に木皿の山が追加された。


 ……いや、多すぎない?


 ここはリーヴェルの街にある酒場。

 昨日、俺はこの店の主人であるオルバンさんに拾われ、皿洗いの仕事をもらった。

 それはいい。

 仕事が見つかったのは、本当にありがたい。

 ただ。


「おい、レオン! 手が止まってるぞ!」


「す、すみません!」


 ……想像していたより、ずっと忙しかった。

 厨房の向こうでは、オルバンさんが巨大な鍋を軽々と持ち上げている。


 丸太のような腕。

 でっぷりとした腹。


 額には汗を浮かべているが、その動きに無駄はない。


「おら、次の注文だ! 肉焼き三つ!」


「はいよ!」


 店員らしい女性が威勢よく返事をする。

 客席からは笑い声。

 食器のぶつかる音。

 酒を追加する声。

 そのすべてが、厨房の熱気と混ざり合っていた。

 

……すごいな。

 昨日まで草原で途方に暮れていたとは思えない。

 俺はもう、この街で働いている。

 まあ、皿洗いだけど。


「レオン! そいつが終わったら鍋も頼む!」


「……はいっ!」


 感慨に浸る暇もないらしい。

 俺は袖をまくり直した。



     ◇


「……お、終わった……」


 最後の皿を棚に戻したときには、もう深夜になっていた。

 腰が痛い。

 腕も痛い。

 何より、足が棒のようだ。

 俺は厨房の隅にある椅子に腰を下ろした。


「おう、ご苦労だったな!」


 オルバンさんが笑いながら近づいてくる。


「初日にしちゃ、よく働いたじゃねえか!」


「……ありがとうございます」


「飯は食ったか?」


「いえ、まだです」


「そうか。ちょっと待ってろ」


 そう言って、オルバンさんは厨房の奥へ消えた。

 しばらくすると、大きな木皿を持って戻ってきた。


「ほら、食え!」


「……えっ?」


 皿には、厚切りの肉と煮込んだ野菜。

 それに、大きなパンが二つ。


「余りもんだが、味は保証するぞ!」


「……いいんですか?」


「腹減ってんだろ?」


「……はい」


「だったら食え! 遠慮するな!」


 その言葉を聞いた途端、腹が鳴った。

 ぐううう。


「がっはっは! 正直な腹だな!」


「……すみません」


 俺は頭を下げ、フォークを手に取った。

 一口食べる。


「……うまっ」


 思わず声が出た。

 肉は少し硬い。

 味付けも決して繊細ではない。

 でも、温かかった。


 たっぷり働いたあとに食べる料理が、こんなにうまいなんて。

 夢中で食べていると、オルバンさんが向かいに座った。


「ところでお前、寝床はあるのか?」


「……いえ」


「だろうな」


 オルバンさんは顎をさすった。


「二階に物置部屋が一つある。今はほとんど使ってねえ」


「……はい?」


「一週間、そこを使っていいぞ」


「……えっ!?」


「ただし、毎晩ちゃんと働けよ? 宿代の代わりだ」


「い、いいんですか!?」


「いつまでも置いとくわけじゃねえぞ。仕事が続きそうなら、その先はまた考える」


「もちろんです! ありがとうございます!」


 思わず立ち上がって頭を下げた。


「おう。それと、これが今日の分だ」


 卓上に銀色の硬貨がニ枚置かれた。


「……銀貨?」


「何だ、金も知らねえのか?」


「……その、田舎から来たばかりで」


「そうか。まあ、覚えとけ」


 オルバンさんは銅色の硬貨を取り出した。


「銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚だ。日々の買い物は銅貨と銀貨が中心だな」


「なるほど……」


 銅貨十枚で銀貨一枚。

 銀貨十枚で金貨一枚。

 覚えやすい。


 オルバンの説明から、前世の感覚で言えば銅貨が100円で銀貨が1000円以上。

 金貨は1万以上の価値だろうとあたりを付けた。

 白金貨というのもあり、そちらは恐らく10万以上はくだらないだろうそうだ。

 大体の計算ではあるが。

 


「お前の今日の働きなら銀貨ニ枚だ。飯は賄いで出してやる」


「……こんなにもらっていいんですか?」


「安く使われたいのか?」


「い、いえ!」


「だったら受け取っとけ!」


 俺は銀貨を手に取った。

 小さな硬貨が、掌の中で鈍く光っている。

 ……銀貨ニ枚。

 昨日、冒険者登録に必要だと言われた金額を満たしている。

 これで。

 ようやく、冒険者になれる。



     ◇


 翌朝。

 俺は冒険者ギルドの前に立っていた。


「……よし」


 昨日と同じ建物だ。

 大きな扉。

 出入りする武装した冒険者たち。

 腰に剣を差した男。

 大きな盾を背負った女。

 杖を持った老人までいる。


 ……改めて見ると、すごいな。

 いかにもファンタジーの世界って感じだ。

 俺は一度深呼吸して、扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 受付には、昨日と同じ女性がいた。


「あの、冒険者登録をお願いします!」


「はい。登録料は銀貨一枚になります」


「これで!」


 俺は銀貨を差し出した。

 女性はそれを受け取ると、書類を一枚取り出した。


「お名前をお願いします」


「レオンハルトです」


「年齢は?」


 鏡で確認した限り、今の俺は十代半ばぐらいだった。

 十五か十六、十七ぐらいかもしれない。

 間をとって十六にしようと決めていた。


「十六歳です」


「では成人はされていますね」


 この世界では十五歳で成人のようだ。

 なんだかちょっと違和感だな。


「得意な武器はありますか?」


「……剣、です」


「剣ですね。現在、武器はお持ちですか?」


「……ありません」


 受付嬢の手が止まった。


「……ありませんか」


「……はい」


 少しだけ気まずい沈黙。


「では、まずは装備を整えることをおすすめします」


「……そうですよね」


「ですが、武器の必要ない依頼もありますよ」


 そう言って、受付嬢は壁際の掲示板を指した。


「荷物運び、清掃、採集補助などですね。街の中でできるものもあります」


「おお……!」


「登録したばかりの方は、まずEランクからの開始になります。実績を積むことで昇格できますので、頑張ってくださいね」


「はい!」


 手続きを終えると、小さな登録証が渡された。

 鉄で出来たそれには名前とランクが記されている。


 レオンハルト。

 Eランク。


「……おお」


 つい、眺めてしまった。

 俺は今、冒険者になった。

 武器もない。

 金もない。

 実績もない。

 でも。

 ちゃんと、自分の名前がそこにある。


「……よし!」


 俺は登録証を握りしめた。



     ◇


 それからの一週間は、驚くほど忙しかった。

 朝は早起きしてギルドへ向かう。

 昼間は日雇いの依頼。

 夜はオルバンさんの酒場で皿洗い。

 最初の日は、倉庫の荷物運びだった。


「おい、そっちの木箱を運んでくれ!」


「は、はい!」


 次の日は、ギルドの裏庭の清掃。

 その次は、街の商店への配達。

 市場の荷下ろしを手伝った日もあった。


 ……冒険者って、何だっけ?

 正直、そう思わないでもない。

 剣を振るうどころか、毎日荷物を運んでいる。

 でも、仕事を終えると報酬がもらえた。

 銅貨が数枚の日もあれば、銀貨を一枚以上もらえる日もある。

 昼の依頼で稼ぎ、夜の酒場でも稼ぐ。

 食事と寝床は、オルバンさんのおかげで何とかなっている。

 だから少しずつ、金が貯まっていった。


 そして何より。

 若い身体は良く動いた。

 毎日、驚くほどよく眠れた。


 物置部屋には、小さな窓と古い寝台が一つ。

 壁には使われなくなった木箱が積まれている。

 決して快適な部屋じゃない。

 それでも、夜になると泥のように眠った。


 ……不思議だ。

 前の世界でも、仕事はしていた。

 朝起きて、会社へ行って。

 帰ってきて、飯を食って。

 翌日もまた会社へ行く。


 疲れていた。

 いつも疲れていた。

 なのに、夜になっても眠れないことがあった。

 明日も仕事か。

 また同じ一日か。

 そんなことばかり考えていた。

 でも、今は。


「……明日は何の依頼があるかな」


 寝台に横になりながら、そんなことを考えている。

 身体は前よりずっと疲れているはずなのに。

 明日が、少し楽しみだった。


 ……なんだろうな。

 まだ何も成し遂げていない。

 たいした仕事もしていない。

 それでも。

 ちゃんと生きている気がした。



     ◇


 一週間が経った。

 俺は街の武器屋に来ていた。


「……うわぁ」


 店内には、さまざまな武器が並んでいた。

 長剣。

 短剣。

 槍。

 斧。


 壁には大きな両手剣まで掛けられている。

 ……格好いい。


 いや、本当に格好いい。

 ついに来たぞ、武器屋!


「おう、兄ちゃん。何を探してる?」


 奥から、髭を生やした店主が出てきた。


「あの、剣を見せてもらいたくて」


「剣か。予算は?」


「……銀貨十二枚くらいです」


「十二枚かぁ……」


 店主は少し考えると、店の奥を指した。


「そっちの中古品なら、いくつかあるぞ」


「中古品……」


「新品が欲しけりゃ、もうちょっと貯めてから来な」


「……ですよね」


 俺は奥の棚へ向かった。

 そこには、使い込まれた剣が何本も並んでいた。

 刃こぼれしたもの。

 柄が擦り切れたもの。

 錆の浮いたものまである。


「……うーん」


 一本ずつ手に取ってみる。

 重い。

 軽い。

 長い。

 短い。


 不思議なことに、どれも違って感じた。

 剣なんて、今までまともに握ったこともないはずなのに。


 ……いや。

 この身体には、何かがある。

 草原で目覚めたときに見た、あの【剣術:SS】という文字。

 あれが何を意味しているのか、まだわからない。


 でも。

 剣を握ると、妙に落ち着く。

 俺は一本の長剣を手に取った。

 刃には古い傷がいくつもある。

 柄の革も少し擦り切れていた。

 だが、握り心地は悪くない。

 何より、構えたときに重さが自然と手になじんだ。


「……これ、いくらですか?」


「ん? ああ、それか」


 店主が近づいてくる。


「銀貨十一枚だな」


「……十一枚」


「傷はあるが、まだ使える。前の持ち主が手放したやつだ」


「……なるほど」


 俺はもう一度、剣を見た。

 決して立派な剣じゃない。

 傷だらけだ。

 新品と比べれば、見劣りするだろう。

 それでも。


「……これにします」


「おっ、決まりか?」


「はい」


 店主が頷いた。


「じゃあ銀貨十一枚だ。鞘も付けといてやる」


「ありがとうございます!」


 硬貨を数えて渡す。

 一週間、毎日働いて貯めた金。

 そのほとんどが、一瞬でなくなった。


 ……少し寂しい。

 でも。

 腰に剣を差した瞬間、そんな気持ちは吹き飛んだ。


「…………」


 俺はそっと柄に手を置いた。

 重みが、腰に伝わってくる。


 ……剣だ。

 本物の剣だ。

 自分の金で買った、自分の剣。

 鏡なんてないけれど。

 今の俺は、少しくらい冒険者らしく見えるんじゃないだろうか。


「……ふふ」


 思わず笑みがこぼれた。


「兄ちゃん」


「はい?」


「一つ忠告しとくぞ」


 店主が、少しだけ真面目な顔をした。


「中古の剣だからな。無茶な使い方はするなよ」


「……はい」


「特に、硬いもんを力任せに叩くな。折れちまうぞ」


「わかりました!」


 俺は元気よく返事をした。

 ……まあ、大丈夫だろう。

 剣術SSなんだし。

 たぶん。



     ◇


 その足で、俺は冒険者ギルドへ向かった。

 腰の剣が歩くたびに揺れる。

 何だか、落ち着かない。

 でも、悪い気分じゃなかった。


 ギルドに入ると、いつもの掲示板へ向かう。

 これまで何度も見てきた依頼書。

 荷物運び。

 清掃。

 配達。

 採集。


 だけど、今日は違う。

 俺には剣がある。

 そろそろ、冒険者らしい依頼を受けてもいいはずだ。


「……ええと」


 討伐依頼の並ぶ一角に目を向けた。

 すると、一枚の依頼書が目に留まった。


 【灰狼の討伐】


 街の北にある森で、灰狼の目撃が増えているらしい。

 近くの街道にも現れ、旅人が襲われたという。

 報酬は、討伐した数に応じて支払われる。


「……狼か」


 狼。

 犬より大きくて、牙が鋭くて。

 群れで行動することもある。


 ……うん。

 普通に怖いな。

 でも、この世界で冒険者をやるなら、いつまでも荷物運びだけというわけにはいかない。


 それに、俺には剣術SSがある。

 どこまで通用するのか、そろそろ確かめたい。

 俺は依頼書を剥がし、受付へ持っていった。


「あの、これを受けたいんですけど」


「はい。灰狼の討伐ですね」


 受付嬢が依頼書を確認する。


「……レオンハルトさん」


「はい」


「今回が初めての討伐依頼ですよね?」


「……そうです」


「灰狼は一頭でも危険ですが、群れで行動することがあります。単独での討伐はおすすめできませんよ」


「……そうなんですか」


「はい。可能なら複数人で受けていただきたい依頼です」


 俺は依頼書を見下ろした。

 ……群れか。

 確かに、何頭も来られたら大変そうだ。

 でも。

 剣術SS。

 あの文字を、もう一度思い出す。

 剣を扱う能力が、普通ではない。

 少なくとも、そういう意味のはずだ。

 なら、いつかは試さなきゃいけない。


「……一頭ずつ相手にすれば、大丈夫じゃないでしょうか」


 受付嬢が少し困った顔をした。


「……そう簡単に一頭ずつ出てきてくれるとは限りませんよ?」


「……あ」


 ……確かに。

 言われてみれば、その通りだ。

 でも、ここで引き返すのもなぁ。


「……危なそうだったら、すぐ逃げます」


「……本当ですか?」


「はい!」


 受付嬢はしばらく俺を見つめていた。

 そして、小さくため息をついた。


「……わかりました。ただし、絶対に無理はしないでくださいね」


「ありがとうございます!」


 依頼書に受付印が押される。


「灰狼の討伐証明は、耳になります。討伐後に持ち帰ってください」


「……右耳」


「はい。ほかにも注意事項がありますので、出発前に必ず確認してください」


 俺は説明を聞き、依頼書を受け取った。

 灰狼の討伐。

 初めての、魔物との戦い。


 ……いよいよだ。

 胸が高鳴っていた。

 怖くないと言えば嘘になる。

 でも、それ以上に。

 自分がどこまでやれるのか、知りたかった。


 俺は腰の剣に手を置いた。

 傷だらけの、中古の長剣。

 一週間働いて、ようやく手に入れた一本。


「……よし」


 今度こそ。

 冒険者らしい仕事をしてみよう。

 俺は依頼書を握りしめ、ギルドの出口へ向かった。


 ――このときの俺は、まだ知らなかった。

 剣が使えることと、戦えることは、まったく違うのだと。


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