飴が降る
時ははるか前に遡る。高層ビルの並ぶ集合住宅に相田小見郎は住んでいた。都市化が進み人口過剰となったために、国民は政府の建てた国民集合住宅とやらに住まざるを得なかったのだ。マイホームを破壊する時、彼は彼の妻と大喧嘩をした。想い出の家を壊すなんて、と妻は泣きながら怒鳴ったが、土地を確保するための政府の命令なのだから、と彼は結局家を壊してしまった。それ以来妻との間に亀裂が生じ、妻は子供を連れて別居してしまった。
国民集合住宅の生活は決して楽しくなく、スケジュールが完全に管理されていた。いつ起きていつまで食事していつから出発していつからいつまで仕事していつ帰宅していつ寝るのか、全て予め決められていた。娯楽もテレビなどあるにはあったが、情報統制が強いがために何の面白い番組もない。インターネットも電話もメールも全て検閲されていた。
そんな生活の鬱屈を晴らせるの夜しかなかった。相田は毎晩、ベッドから夜空を眺めていた。それが唯一できる憂さ晴らしだ。室内には監視カメラがあったため、寝たフリでできる事しかなかったのだ。
いつも深夜になると、地響きが聞こえる。同時にブオオオンと言う金属的なサイレンが鳴り響く。それを聞くと相田はいつものあれが来たなと思い、目を閉じた。それは、人間の目の光すら見分けるからだ。やがてそれはゆっくりと夜空を覆ったため、相田はまぶたの向こうで月明かりが無くなるのを感じた。地響きとサイレンは音量を増し、暗黒は続いた。やがてゆっくりと月が表し、まぶたの裏が明るく感じ、地鳴りは引いた。相田はほっとして目を開け、星一つない月明かりの空を眺めた。あれはない。
あれとは政府の監視船である。政府は何よりも夜を警戒していた。夜間に目覚めているものを監視し、いかがわしい者をビーム放射で殺していた。その様、その音は雷に似ていたため、“雷神船”との仇名もあった。
その晩も、夜空を眺めていると相田はどこかで光が点滅するのを感じた。誰か犠牲になったのだな、と彼はしばし溜め息をついた。
夜空を見ているうちにやがてうとうとし、相田はそのまま夢の世界へと誘われた。奇妙な事に同じ夢ばかり見る。彼は長大な無限に続くガラスの階段を登っていく。周りに無数の様々な球体状の「世界」が浮かんでいて、自分はあの中のどこかにに住んでいるのだ、と彼は思う。ふと、自分がある世界から監視されていると気づく。それも一つではなく沢山の。それどころかその中の一つの、ある世界が自分や自分の世界を操っている。その事に気づいた時、恐怖で彼は目覚める。いったいあの夢はなんだったのだろうと彼は考えるが、結局結論は得られない。
朝6時に起きて出社の準備をし、7時にマンション内のバス停に来た。やがて、彼の勤めているサムラ電機会社行きのバスが到着した。彼が乗ると、バスはバス停から飛び降り緩やかに街中を飛んだ。窓からビルに挟まれている朝陽が見えるが、それは空気の濁りもあってオレンジに見える。
サムラ電機会社前に着いた相田は今日も仕事かと軽く溜め息をつきながら都会を歩く。会社は目の前だ。定められた当たり前の日々。都会はまるで四角と灰色に満ちていて窮屈だ。相田は再び溜め息をついた。
だがふと頭にこつんと何か当たった。それは地面に落ちる。何だろうと相田は地面を見つめそれを拾った。それは飴だ。どこから落ちたのかと空を見つめたが、ただの青空だ。次の瞬間飴玉が大量に空から降り、乾いた地面や建物にぶつかってかかかかかかと音を立てた。あまりの異様な光景に皆悲鳴を上げた。だが相田は突如崩壊した日常性にある種の解放感を抱き、空を見上げて微笑し、それに酔いしれていた。もう、何もしなくていいと錯覚するようになった。だって飴が降るようになったのだから。
しばらくして飴が止んでしまったことに、喪失感を覚えた。あの非日常性が、また、欲しい。
その後、遅刻した事を上司に散々責められた。業績ポイントは明らかに下がったであろう。相田は頭の固い上司の小言を聞いたが心の中はあの飴玉で一杯であった。
「…いや、あのね。飴が降ったからって時間を破っていいルールなんかないんだよ。分かってるの?君の身の回りが何が起きようと私らにとっちゃ何の意味もない。綺麗な花が咲いてようが、困っている人がいようと、事故が起きようと、そんなのは何の言い訳にならない。ここの社員である以上はここの会社で電機製品を開発するだけでいいのだ。余計な事は必要ない。なのに君は…」




