花が芽吹く
「あ。おはようでありんす。まだ起き上がらんでよろし。辛いでありんしょ?」
鬼灯の目が覚めると見慣れたようで見慣れていない天井が目に入った。
城に似ているが少し違う。
億劫な首を回すと薄紫色の髪をした、真っ白の薔薇の花がらの着物を身に纏い、真っ白なベールを被った女が上品に正座していた。
鬼灯が起きたのを確認すると立ち上がって一度部屋を出てすぐに水桶を持って戻ってくる。
湯のみに水を掬い、鬼灯に差し出す。
「……ここは、どこですか。」
「まぁ、一先ず水を飲むといいでありんす。話はそれから。」
「先に、答えてください。私は、どうなったんですか?」
女は受け取って貰えなかった湯呑みを下げ、一息ついた。
「ここは、約束の魔女様のお国でありんす。わっちは蒼水。このお国の一角を治める帝人君子の一人でありんす。お前さんのことはよう聞いとりんす。大変でありんしたね。」
形のいい眉を潜めて心から可哀想だと思っているのだとわかる顔をするのがベール越しでもわかった。
「当面はお前さんの世話を頼まれているでありんすから、何かあれば何なりと言ってくださんせ。詳しいことはわっちも知らないでありんすから、あまね様に直接お話をしていただきんしょ。」
水を鬼灯のそばに寄せて、蒼水は立ち上がり部屋を出ていった。
何とか身体を起こし、嫌でも変化を理解する。
体が軽かった。
腹部に今まであった重みがそっくり無くなっていた。
腹を撫でてもそこに出っ張りはなかった。
鬼灯は、なぜかも分からず唇を噛み締めた。
「やぁ。おはよう。そろそろかな?と思って早めにこっちに向かっててよかったよ。ナイスタイミング。」
妙に空気が読めていないような雰囲気であまねが顔を出した。
その手には六花を抱えている。
さっきまで蒼水が座っていた場所に腰を下ろし、胡座を書いてそこ中に六花を座らせる。
頭を撫でて顔も撫でてやると眠いのかぐずりそうだった六花はうっとりと目を閉じた。
「体は大丈夫?なんともない?彼岸ったら、随分無茶をしたのよ。あなたの中にいる天狐の胎児の一体に自身の意識を送り込み、他の胎児を噛み殺して自分の手足を噛みちぎって出血死だなんて。思いついてもやらないわよ。」
「約束が違います。私以外に危害を加えないはずではないのですか。」
「私が約束を破ることはない。それは生物が死ぬという定義のように、私に組み込まれたシステムなんだ。私は月の華花魁を引っ張り出して、天狐を無力化するって話だったんだけど、それじゃあ鬼灯が納得しないことを分かってたんだよね。安心して?村の人たちは皆うちの国で引き取った。あぁ、お礼は蒼水に言ってね?全員彼女の区域に受け入れてもらったから。」
「なぜ、止めなかったのですか。あなたなら、あなたなら彼岸がやろうとしていることを理解できたはずです。なぜ、彼岸を死なせたのですか。」
「止める必要はある?私と君の約束は君以外に危害を加えない、だ。君に危害を加えれば村の人たちを囲うあの空間も無事では済まなかった。全く、苦労したよ。地下に囲われた村の人たちを連れ出すのは。」
わざとらしく肩をすくめるあまね。
彼岸は自分の意思で死んだ。だから自分に責任はない。
理屈は理解できるがどうしても鬼灯は納得が出来なかった。
「納得できないとしても、実際起こっている以上、約束に抵触していないということだ。理解できないかもしれないが私は約束を破ることが出来ない。破るという選択肢がない。破ろうと、反故にしようとすら考えることはない。そういうシステムになっているんだよ。さっきも言ったよね。」
居心地が悪かったのかあまねの膝の中でモゾモゾと動き出した六花を窘めながらあまねは続ける。
「当面はここで世話になるといい。私に用があれば蒼水に言うといい。もしくはその辺の警備に声をかけてもいいよ。まぁ、うん、気が向いたら赴くとしよう。食事は運ばせるし、不必要に近づかないように言っておく。あと何か必要なことは?」
「……彼岸は、彼岸はやはり、死んだんですね。」
「うん。」
一言だけ。
その一言が鬼灯の心を酷く抉った。
皆を守り続け、その末にかけがえのない片割れを失った。
その事実を鬼灯は受け入れられない。
「私は、泣くこともできないのですね。」
涙ひとつ出ない己の薄情さにまた絶望した。
ただ一つ、たった一つの支えだった彼岸。
「?それは彼岸と関係がないよ。流石に兄弟が死んだら泣く、ってことくらいは分かるけど。君は泣いていいんじゃない?君にはその権利がある。今は泣けなくても、いつか受け入れられたら自分の為に死んだ彼岸を思って嬉し泣きしたらどう?」
六花を抱え直して部屋を出ていく。
少し的外れな話に呆然とした。
鬼灯は開けられたままの扉を見つめたが部屋から出ることはせず布団に座ったまま、目を瞑って自分のために死んだ彼岸に思いを馳せた。
タンタンタンと階段を上がる音がする。
鬼灯の部屋に人が来ることはなく、あまねの言葉が真実であったことを確認をした。
来客はなく、いつの間にか部屋の前に置かれている食事を無視する1週間だった。
それが今段々と近づいてくる足音はピタリと鬼灯の部屋の前で止まった。
足をする音がするので部屋の前をウロウロとしているのだろう。
かちゃかちゃと音がしてあぁ、食事を置きに来たのだと悟る。
手をつけるつもりもないのでまた布団に座ったまま目を閉じた。
1週間、ずっとこうしている。
ずっと彼岸を思い出し続けている。
いい加減女々しいだろうか。
スー
スー?
目を開いて見ると襖が開いている。
え、開けるの。
しかし誰もいない。
きっかり10秒誰もいない廊下と対面したのち、ひょっこりと黒い髪に白い毛先の少し癖のある頭が顔を出した。
見られていると思っていなかったのか目が会った瞬間にどちらもビクリと肩が跳ねる。
目を逸らすのはバチが悪いと思ったのだろう、じっとこちらを見つめ恐る恐る首から下も覗かせた。
真っ黒な着物に灰色の帯を締めた小柄な少年だった。
きちんと正座をして鬼灯と向き合う。
小さな口が開いた。
「………………………………」
しかし音はつむがれるそとはなく再び閉じられる。
と思えばまた開かれた。
「…………あの」
まさか話しかけられるとも思っておらず驚いたが顔に出すとまた引っ込んでしまう気がしたので何とか耐え、首を傾げてみせた。
少年もとい龍はキョロキョロとしながらたどたどしく話かけた。
「あ、あの……ご、はん、食べません、か。」
それから黙ってしまったので鬼灯の返事を待っているのだと気づくのに時間がかかった。
気まずいのか、無言を肯定と受け取ったのか龍はいそいそと食事の乗ったお盆を持って部屋に入る。
土鍋とコップが一つ。
コップの中には黄色い液体がチャプチャプと揺れている。
「あ、いや、私は…」
「あ……う…今日、の、は、僕が、作り、まし、た。」
消え入りそうな声で俯きがちに言う。
そっと布団の隣にお盆を添え、土鍋の蓋を取る。
水気の多い卵がゆから湯気が昇る。
すんと鼻を鳴らせば仄かに卵のいい香りがした。
「これ、父様、が、教えて、くれまし、た。」
少し照れくさそうに龍は木製のスプーンでお粥を掬う。
ふーふーと何度か息をふきかけて冷ました後、恐る恐る鬼灯に差し出した。
断ろうと思ったがあまりに健気に匙を向けるものだから断れなかった。
「じゃあ、一口だけ。」
暖かい粥を食むと久しぶりの食事に飲み込むのに手こずるが、少し塩味の強い味はしっかりと伝わった。
「ん、美味しいよ。」
わかりやすく顔が輝くのを見てもう要らないとは到底言えなかった。
次は龍はそっとコップを差し出してくる。
この、黄色い液体はなんだ?
恐る恐る受け取り、匂いを嗅ぐ。
仄かに林檎の香りがした。
粥で温まった口に冷えた林檎ジュースが心地よく、一気に飲み干した。
また龍の顔が分かりやすく輝く。
では次と粥をまた冷ます。
スパンと景気のいい音を立てて真っ白な着物を着た少年、真人が現れた。
「やっぱりここにいた!!おい!龍!勝手に抜け出して!シオン様から聞いてすっとんできたんだぞ!あまね様のお付きとしての自覚をだなぁ!」
ずんずん進んできては首根っこを掴む。
「あう。」
「ほら、あまね様がどっか行っちまう前に戻るぞ!」
「あ、あ、あ、鬼灯様!また、きても、いいですか!」
手足をばたつかせながら引きづられる龍。
あわあわと悲鳴をあげるように鬼灯に問いかけた。
「あ、うん!」
思わずよしと返事をしてしまった。
パッと顔を輝かせ、はにかみながら真人に引きづられ、襖の向こうに消えていった。
「……嵐が去ったようだ。」
嵐の前の静けさというが、嵐が去った後の方が静かなものだと鬼灯は考えながらほとんど残された粥を見る。
龍が食べると喜ぶのなら、また来てくれるのならと少しでも栄養をつけておくべきなのかもしれないと鬼灯はスプーンに手を伸ばした。




