第5話 ライブラ様
早朝を知らせる小鳥の音色が異世界の森を響いている。
崖の空洞から外の安全を確認しつつ、僕は大きく伸びをした。
短いけど三時間ほど仮眠を取れた。ポケットから【情報板】を取り出す。
「えっと、今日の二十五階の天気は……ずっと晴れだ。うん、移動には問題なさそう」
板に浮かぶ黒い文字列が、今日の天気から生息する魔物の種類、分布図。
お宝情報にフロアボス詳細などなど。様々なデータを知らせては消えていく。
一つ一つ精査していくと日が暮れるので、必要な文章だけ読み取っていく。
うわっ、近くにフロアボスの反応がある。このままだと遭遇してしまうかも。
「あるじさま、その板は何ですか?」
ふと気が付くと、毛布に身を包んだエルが僕を見上げていた。
「これはね【情報板】といって、魔塔内部でのみ使える便利アイテムだよ。冒険者はみんな持っていて、異世界の魔物情報や、お宝情報といった階層データが自動で最新のものに更新される優れものなんだ。あとは自分の所有スキルを鑑定するのに使ったりするね」
魔塔を創り上げた偉大な七賢人の一人。万物を見通す力を持つとされた、賢者ライブラが残した遺物だ。
冒険者に配られている【情報板】はあくまで複製品。☆は1しか付いていない。
原版は地上世界の一番大きな国に厳重封印されていて、もちろん神話級の価値がある。
誰かの集めたデータが原板を経由し、そこから全員の【情報板】に上書きされる。
だから冒険者が通りやすい経路の情報はより精確だし、逆に未踏の地だと皆無になる。
ひとりはみんなのため。みんなはひとりのため。
魔塔を探索する僕たちは個ではなく、実は協力し合っている。
二十五階は中堅パーティなら乗り越えられる階層なので、信頼できる情報だ。
「なるほど。らいぶらぼーどさんはエルの次に長い付き合いなんですね!」
と、ここまで説明して。エルの興味は【情報板】そのものではなく。
僕との付き合いの長さ、アイテムとしてどれだけ愛着があるかに注目していた。
「複製品だとしても探索に必須で大事な物だし、そういう事になるのかな? でも【擬人化】が発動するほど愛着があるかと問われるとね」
エルほど大切にしているアイテムはないよ、と答えようとしたところで――
「熱っ」
――【情報板】が突然眩く輝き出し。白いシルエットに変貌した。
「ふぁあ……おはようございます。みなさんのアイドルにして、可愛くて可憐なライブラ様の登場ですよ~! みなさまどうか拍手で私様をお迎えください!」
手のひらサイズの桃色髪の女の子が、欠伸を隠しながら挨拶してくれる。
幻の存在である妖精――フェアリーだ。【擬人化】は人族固定じゃないんだ。
「わあぁ、ついにらいぶらぼーどさんも器が得られたんですね!」
「私様としては、ようやくといったところでしょうか。順番的にエルエルよりあとなのは納得ですが。想定より数ヶ月遅れでした、もう身体が鈍ってしまいそうで……まぁ鈍る身体は今手に入ったのですが」
「えるえる……?」
「親愛の気持ちをそこに込めました。新参者は、先達には媚びへつらうものですので」
背中の羽を小刻みに動かしながら、ライブラさんが僕の周囲を飛び回る。
かなり癖のある子だ。エルの肩にちょこんと座ると、自分の身体を確かめている。
「愛着……あったんだ」
「失礼な! 私様という大変便利で誰からも愛されている存在に、愛着を持たない冒険者なんていませんよ! ロロアさんだって、いつも肌身離さず持ち運んでいたじゃありませんか、ふふん♪」
ライブラさんは得意げになって腕を組んでいた。すごい自画自賛。
【情報板】は冒険者普及率100%だし、まさに正しい認識だろうけど。
「どうして今になって、【擬人化】が発動するようになったんだろうね?」
今まで何度試してみても、一度も自由に使えなかったユニークスキル。
所有スキルは持ち主にしか見えないから、僕はずっと嘘つき呼ばわりされてきた。
「ふむ、これはあくまで推測ですが。ロロアさんが心の奥底では【擬人化】を望んでいなかったのではないでしょうか。当たり前ですが、スキルは所有者の意志で発動させるものです。この場合、私様たちの望みは関係ありません。器が欲しいと願っても、ロロアさんの方で押し返されていたのです」
「僕が、エルやライブラさんを拒んでいた……?」
「ええ、ロロアさんはいかにも――人畜無害、お人好しそうな面構えでいらっしゃいます。こういう方は得てして自分に妙な制約を掛けているものです。力を行使する事に、潜在的な恐怖をお持ちなんですよ」
「何だか、小馬鹿にされているような?」
「きっとあるじさまを褒めてくれているんです!」
「いいえ、両方です。ですが、気持ちはしっかり伝わっていましたよ。私様たちを毎晩磨いてくださっていたのも知っています。私様もエルエルも、お優しい主に巡り合えて幸運だったと思っていますから」
ライブラさんに指摘されて、僕はハッとなった。
人の姿を得られて、メリットはあるだろうけど、当然デメリットだって存在する。
特に僕の場合は、ユニークスキル持ちというだけで、周囲から目の敵にされていたんだ。
そんな僕が【擬人化】の子たちを連れて歩いていたら、どんな酷い目に遭うか。
大切だからこそ、他人に汚されたくないという想いが【擬人化】を押し留めていたんだ。
「あれ? つまり急に発動するようになったのは……」
「生命の危機にもう四の五の言ってられなくなったから、でしょうね」
「うっ……そう聞くとちょっと情けないかも」
あの一人の夜、誰かの温もりを求めた時にタガが外れてしまったんだ。
自分で【擬人化】を拒絶しておきながら、都合が悪くなったら求めるなんて。
「いえいえ、生命の危機に瀕しているのに、力を行使しない方が愚かですよ? それに【擬人化】は双方の同意が必要なんです。つまり、私様は自分の意志で受け入れました。ロロアさんが悔やむ理由はありません。寧ろ、今まで拒絶されてちょっと悲しかったです」
ライブラさんに鼻をつんつんと突かれる。くすぐったい。
「そうです! あるじさまを失えば、エルは悲しいです。もっと頼ってください!」
「誰かに助けを求めるのは恥ずべき事ではありません。ロロアさんはこれまで一人で頑張っていらしたようですが、これからはこの私様がサポートしましょう。この先も仲間が増えていく事でしょうから、今から古参として威張り散らかす訓練をしておきます。ふふん♪」
「ありがとう、ライブラさん。これからも頼りにさせてもらうね」
「エルとも仲良くしてください!」
癖は強いけど、僕の事を大切に考えてくれているのはわかる。
昨日よりも更に賑やかとなった朝。僕はエルと一緒に彼女を歓迎した。
「エルエルの次に偉い、可愛くて頼りになるライブラ様を、今後ともよろしくお願いします」
こうして僕たちの元に、新たな仲間が加わったのだ。