第48話 固い絆
眩い朝日が窓から差していた。小鳥たちがリズムを奏でていて。
鼻奥まで届く酒臭さに咳き込みながら、視界は白い埃が舞っている。
僕は掛けられていた毛布をどかして立ち上がる。
お酒は飲んでいないけど、話疲れて眠っていたらしい。
周囲はとんでもなく、それはもうごちゃごちゃしている。
一晩中飲んで食って騒いだ冒険者たちが通りにまで転がっていた。
「お目覚めか。昨晩は随分とヘラのやつに絡まれていたな。エルフは長命であるから独占欲が強く執念深い。気を付けた方がいいぞ。私としてはあまりお勧めはしない。怒らせると呪われるしな」
ケルファさんが椅子に座り、パイプを吸いながら窓越しに魔塔を眺めていた。
眠っている人たちを起こさないよう慎重に移動して、隣の席に座らせてもらう。
「おはようございます。あまり記憶にないのですか。店内が惨状なのはわかります」
「ああ、少年は気にしないでいい。タダで騒いでいた連中をきっちり働かせてやるつもりだ」
それは怖いつけ払いだなぁと他人事のように思いつつ。
それにしてもケルファさんは、一体いつから起きていたんだろう。
「ふむ、年寄りは朝が早いとでも思ったか?」
うっ、ちょっと図星だったり。
「えっと、子供の僕とおあいこですね!」
上手く誤魔化したなと、苦笑される。
至極和やかな空気だった。今なら聞き辛い話もできそうで。
僕は、思い切って昨夜トッポさんとククリさんから聞いた話を持ち出す。
僕にはどうしても信じられなかったから。
目の前の優しいお爺さんが、誰かに恐れられるような人だとは。
「――そうか、あの馬鹿者たちはわざわざそんなお節介を……私に失望したか?」
「いいえ、なんだか僕の知るケルファさんとは別人のようで……」
「冒険者の性だよ。若かりし頃は自分に限界はないと本気で思っていた。事実それなりの実力はあって、それなりの実績も得ている。周囲からは天才だと持て囃された。それが――良くなかったんだろうな」
ケルファさんは水を一気に呷り、苦い思い出話を語る。
「私は酷く小心者だったのだよ。人は絶好の時こそ、それを失う未来を恐れる。誰かの期待を裏切る事を恐れ、私は常に苛立っていた。いつの日か衰える自分を認められずにいた」
「天才の苦悩というものですか?」
「そんな大それたものでもない。ちょっと他人より優れた凡人だよ。もちろん親しい者たちは愚かな私に心を砕いてくれたが。だが、私はそれを受け入れられなかった。悩みに悩んだ挙句、自ら孤独の道を選んでしまったのだ」
自分の弱さを僕のような若輩者に晒して、ケルファさんの腕が震えている。
「最後まで残ってくれた愛する妻も、私に付き合わせて孤独の内に死なせてしまった。君に託した【黒炎龍の短剣】は彼女の形見だった。すべては私の自惚れが招いた必然だ」
「それほど大切なものを……僕に」
愛する人の形見を譲るだなんて、長い年月をかけて気持ちに整理が付いたのかもしれない。
「少年は私のようになるな――と偉そうに忠告するまでもないな。君は出会った頃から自然体で、我欲とは無縁の子だった」
「僕は経験が浅いから。自覚がないだけだと思います。みなさんから祝ってもらえるのは嬉しいのですが……まだどこかで、他人事のように思えるといいますか」
「ふっ、それでいいのだよ。名声というものは結果についてくるもの。なにかを切り捨ててまで必死に得ようとするものじゃない。君の才能は、この街一つで収まり切れるものではないのだろう。自ずと自分にあった立ち位置を見つけられる筈だ。私は君なら偉大な七賢人に匹敵するほどの英雄になれると――――」
そこまで答えて、ケルファさんは僕に頭を下げる。
「すまない。愚かな老人の戯言だ。今でも若者に自分の願望を押し付けようとしてしまう」
僕は気にしていないです。と伝える。
以前までは冒険者なんてみんな自由で華々しいイメージがあった。
だけど、誰しも成功する訳じゃないし。辛い現実がある事も知っている。
決して、ケルファさんを愚かだとは思わない。
人の生き様を否定できるほど、僕も立派な人物ではないし。
なにより、今でも後悔を胸に抱いているのは。真剣に生きてきた証だと思うから。
「――ところでお主は、いつまで隠れているのかね」
「……ッ」
お店の入り口付近で何者かの影が動く。黒髪とフードが隠し切れていない。
「まったく。小心者のところまで私の若かりし頃に似せなくてもよかろうに」
「ケルファさんはコクエンがわかるんですか?」
「当然だ。姿形が変わろうとも、妻と私で愛用していた子を見間違う訳がない。言っておくが、あの子との付き合いは私の方が長いのだぞ?」
「それもそうですね」
僕も最初にエルの姿を見た時、焦りはしたけどすぐ相棒なのだとわかった。
それがどんな形であれ、過ごしてきた時間や注いだ愛情は決して嘘をつかない。
「あ、あの……」
「なんだ、いちいち遠慮する間柄でもないだろう。入って来なさい」
ゆっくりと、コクエンは時間を掛けて僕たちの傍にやってくる。
「よく顔を見せてくれないか? 老いぼれの目にはフードが邪魔で素顔が見えん」
「は、はい」
「……どことなくアイツの面影がある。角こそは生えていなかったが。綺麗な黒髪が、瞳が……」
【擬人化】の容姿は本人の意思が含まれるのかもしれない。
コクエンを見つめるケルファさんの瞳が、とても愛おしさに溢れていて。
「……息災だったか。少年を困らせていないかね?」
「え、えっと……その、はい。多分……きっと」
「コクエンはいつも僕の為に尽くしてくれるんです。他の子たちと比べると、目立ちにくい損な役回りが多いですけど。大切な、傍に居てくれるだけで安心できる、そんな自慢の懐刀です」
自信がない彼女の代わりに僕がフォローする。この言葉に嘘はない。
「あ、ああ、ご主人様……私めのことをそのように……」
コクエンが感涙して鼻をつまんでいる。
僕の答えにケルファさんは満足そうに頷いてくれた。
「そうか。お前もよき主人に恵まれたな」
「……はい。うん」
長い間、大切に扱ってくれた人を。
コクエンは年老いた背中を見つめていた。
「……ケルファ、ありがとう。ずっと、あの人の代わりに大切にしてくれて。今さらこうして顔を合わせるのは、ちょっと怖かったですけど。嫌な思いをさせるかもって。だけど、これだけは伝えたかった」
「こんな哀れな男に、その姿で感謝を告げるのか。……私の方こそ恨まれても仕方がないと思っていた」
「ううん、全部知っているから。貴方の人生を、苦悩を、ずっと近くで見ていたから。私もこの肉体を得て、わかったんだ。完璧な人なんてどこにもいないよね。私も、恥ずかしい失敗ばかりするよ。でもね、それも含めて人間だよね。……あの人も、仕方のない人だってずっと最期まで笑っていました」
「そうか……そうだな。いつだってアイツはそういう奴だったよ。馬鹿な私に文句の一つも言わずついてくる物好きな女だった」
「実は聞こえないところではたくさん言ってましたけど、でも楽しそうでした」
「くくく、そうだったのか。例えばどんな悪口だった?」
コクエンの言葉は、僕がエルから受け取ったのに近いものから始まり。
彼女の一生懸命な想いが込められていた。ケルファさんは目頭を押さえている。
苦い思い出話だったのが、いつしか懐かしい笑い話に変わっていた。
「しばらく見ない間に顔、もっと怖くなってる。しわしわだよ」
「……ふん、悪かったな。年老いた偏屈爺さんは感情がすぐ顔に出るんだ。そういうお前さんもフードで誤魔化しおって。いつかの私のような本心を曝け出せないみっともない大人になるぞ」
「だ、だって恥ずかしいんだもん。ご主人様を想うと、鼻血もすぐ出るし」
「まだまだ半人前の癖に見栄ばかり気にして。顔を隠す前にその弱々しい性格を直したらどうだ。少年の自慢の懐刀なのだろう。王国中に名を知らしめる未来の英雄に恥をかかせぬ振る舞いをせんか」
「うぐ、相変わらず厳しいね……善処します」
「それでいい。私も、小さな子に怖がられないよう表情筋から鍛えるとしよう」
「……怖い顔、気にしていたんだ」
出会って早々に軽口で言い争う二人。
気まずさとは無縁の、心地の良い空気が流れる。
だってそうだ。本来道具は言葉を話す事はできない。
意思疎通の手段もなく。互いに一方通行の愛情を注ぎ続けるだけ。
自分の気持ちを伝えるのもどこか独り善がり。でもそこには確かな絆がある。
「ちょっとだけ、妬いちゃうかな」
まだ若い僕には、二人のような積み重ねたものはないから。
僕もエルたちと今以上にもっと仲良くなって、時には喧嘩したりして。
いつかああして思い出を語り合うことができたら。素敵だなと心から思う。
「――あら、なによお爺さん。可愛い子を侍らしちゃって。もしかして本当のお孫さん?」
「おいおい、いつの間に逃げられた嫁さんと復縁してたんだ。そんな大事な話前以って教えてくれよ」
「ふえっ!?」
目を覚ましたトッポさんとククリさんが、コクエンを遠慮なく挟み込む。
「ふん、お主たちに教える義理はなかろう。……顔の怖い私の代わりにコイツを可愛がってやってくれ。どうも酷い人見知りのようでな」
「ケルファ、な、ななななにを言って!?」
「偏屈お爺さんの許可も得られたし、お姉さんがたっぷり可愛がってあげる」
「まだ酒も料理も残っているようだ。よーし今日も仕事サボって豪勢に朝酒といこうぜ」
コクエンは冒険者たちに捕まって、昨晩の僕みたいな弄られ役に。
「もう……みんな朝から元気ねぇ……私はお昼からギルドで仕事なんだけど。うーん、給仕は貴女に代わってもらおうかしら。ケルファさん、お孫さんに指導してもいい? 可愛い服とか着せちゃったり」
「うむ、好きに使って構わない。これもいい経験だ」
「あひっ、ひゃいいいいいいいいい」
ヘラさんと一緒に給仕役までさせられていた。
朝からお酒って大人の世界はすごいなぁ。
コクエンも酔っているかのように顔が真っ赤だ。
フードを脱がされて、ひらひらの服を着せられて。
なんだかんだコクエンも周りから教わりながら仕事をこなし。
それを見つめるケルファさんは、とても柔らかい表情を浮かべていて。
「私に似て面倒な性格の子だが、大切な可愛い孫娘だ。これからもあの子をよろしく頼む」
「はい、もちろんです」




