第2話 エリクシルの空瓶
「――遭難してから三日が経ったけど、一つも捜索痕がない……非情すぎる」
僕はあれから丘を中心に異世界の隅々を調べ歩いていた。
魔物避けのお香を焚きながら、何度もパーティの行方を捜す。
転移罠はあくまでその階層内が有効範囲。別階に飛ばされる事はない。
【星渡りの塔】が異世界とはいっても、一つの階層は端から端まで数日で到達できる広さ。
今も捜索されているとしたら、目印の魔力痕が見つかってもおかしくない。
人一人を探す余裕は十分あるだろうし。せめて探す素振りくらいはして欲しい。
クルトンさんたちは――最高で四十三階まで到達した経験があるベテランだ。
アサシンゴブリンに囲まれたとしても、彼らも最悪転移罠を踏んで助かったはず。
「見捨てられちゃった。底辺には人権もないのか……世知辛いなぁ」
何となく察していた状況を口に出して、僕は孤独に落ち込む。
あの日、あの時、冒険者を志した日から。そういう覚悟はしていた。
今さらみっともなく泣き喚くつもりはない。
だけど、振り返ると、良いとこなしの人生だった。
「ううん。最期まで諦めず頑張ろう……! 運が良ければ生き残れるかもだし」
【星渡りの塔】は、十階ごとにギルドが管理する一方通行の帰還ゲートがある。
つまりここから上か下かに五階層移動すれば僕の勝ち。
数字で見ると何だか楽そうに思える。気持ちの問題だけど。
パーティの物資を一部管理していたので手元に今も残っている。
魔物避けのお香に加えて、携帯食料も一人で使う分には余裕があり。
二十五階には水源があると調べてあるので、飲み水の心配もしないで済む。
水辺には強大な魔物が住み着いている可能性が高いけど。
僕の実力では何と遭遇しても命取りになるのであまり関係ない。
水、食料は平気。ただお香がこのままだと二日で切れてしまう。
本来、要所で焚くものであって一晩中使い続けるようにできていない。
でも、お香を焚いていなければ身体を休めることすらできない。
既に片足が地獄に踏み込んでいる。二日では一階を移動するので精一杯。
微かな希望があるとすれば――僕の中で眠り続ける可能性だろうか。
「僕の可能性は、こんな時でも眠っているだけなんだよね」
異世界の神から与えられた、人間だけに備わった可能性――スキル。
僕は木製の【情報板】を取り出し、そこに刻まれた馴染みの文字を流し見る。
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ユニークスキル【擬人化】
アイテムに人の器を与え、潜在能力を引き出す。
発動条件:レアリティ☆5以上のアイテム。
もしくは、☆付きの心を通わせた愛用品に限る。
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レアリティはアイテムの価値を表した数値。スキル同様、異界の神が定めている。
レアリティ☆5は国宝級とされ、最大の☆6に至っては神話級。
庶民の僕では噂で聞くくらいで、触れるどころか見たことすらない。
もう一つの条件、愛用品も基準が曖昧。今のところ発動した試しがない。
――数百万人に一人の割合でしか所有者が現れないユニークスキル。
【擬人化】を手に入れたのは今から四年前、僕が八歳の時だった。
発動条件が厳しく使えない力と巡り会った日から、僕の転落人生が始まった。
普通の人はスキルを大抵五~七つほど習得できるとされている。
近年の魔法技術の進歩で専用道具があれば、付け外しも可能になっていた。
不要であれば他人へ譲り、欲しいスキルを市場で購入、自由な売り買いが為されている。
状況に応じて装備を変えるように。気楽に、安価に。
才能も好きに組み合わせられる。まさにスキルとは可能性。
とはいえ人の器には限界があり、手当たり次第に習得できる訳じゃない。
そして残念ながら、ユニークスキルはそれ単体で所有者の器を埋めてしまう。
それだけの価値が備わっているらしいけど。今のところ実感はない。
汎用スキルのように、専用道具を使って取り外す事もできないようで。
所有者が希少で特色が違いすぎて、未だ研究が追い付いていないみたいだ。
使えないユニークスキル持ちとして、僕はスタート地点から限界が見えてしまっていた。
なのに、僕自身は大した実力がなくとも、ただ貴重というだけで名前は知れ渡っている。
僕が知らなくても、相手がこちらを知っていて、要らぬ嫉妬を受ける事だって珍しくない。
実際に関わりを持つと今度は失望されるんだ。お前はその程度なのかと。
――嘘吐きロロア。
これは僕についた蔑称だ。
ユニークスキル持ちを騙る詐欺師だと。
リスクを承知で荷物持ちになったのも、
荷物持ちしか選択肢がなかったのだと言える。
「ふぅ……今日はここで休もう」
岩陰の涼しげな場所に座り、鞄から水の入った瓶を丁重に取り出す。
星々の光を浴びた美しい透明瓶は、ただの水ですら特別感を与えてくれる。
「僕の味方は、ずっと君だけだよ」
まだ僕が冒険者を志す前、尊敬していた人物から別れ際に貰った記念品だ。
元はエリクシルといって万物の病を払い、死者の魂すら呼び戻す神話級の一品。
発見された時点で中身は空っぽだったらしい。
流石に瓶だけの状態では、市場価値はかなり落ちる。
【情報板】の鑑定では☆2.4と【擬人化】の範囲からも外れている。
とはいえ、神話級の中身を守り続けていた器だ。空っぽだとしても普通の瓶とは一線を画す。
今日まで長い間手元に置いてきたけど、透き通るガラス面に傷一つ付くことはなかった。
☆2.4も全体を通して、決して低い数値じゃない。
世の中、☆すら付かないアイテムの方が大多数なのだから。
それでは☆が高ければ便利なのかと問われると、それもまた別問題だったり。
あくまでレアリティを決めるのは異界の神。人にとっての使用感とは別物なんだ。
水筒代わりに使うなら、もっと別の軽い材質の革袋の方が良い。
だけど人生の殆どを共に過ごしてきた瓶だ。愛着だけなら誰よりも持っている。
「お香は……まだ、大丈夫………おやすみ」
硬く冷たく、けれど不思議と触れているだけで心地良さに包まれ、僕は眠気に誘われた。
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薄暗闇の中で何かが動いている。もちもちだ。もちもち。
それは熱を帯びていて、僕の胸にちょうどいい重みを加えている。
「……ん?」
片目を開ける――――裸の少女が僕の上に乗っていた。
「……は……えっ、どちら様……?」
つい先程まで、この辺りには生物の気配すらなかったはず。
慌ててお香を確認する。まだ切れていない。魔物は近寄って来れない。
「むにゃむにゃ、あるじさまぁ」
寝起きのうすぼけた頭が、目の前の状況を受け止め切れず混乱している。
ここは【星渡りの塔】二十五階。迷子の少女と遭遇するなんてありえない。
僕自身が迷子なんだ。しかもどう見ても彼女は裸。とりあえず毛布で隠そう。
それから冷静さを取り戻そうと、相棒のエリクシルの瓶を探す。
「あれ……ない、どこにいった!? 昨日確かに抱いて眠っていたはずなのに!」
僕は人生で一番焦った、発狂しそうになる。すると【情報板】に熱が生じる。
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エリクシルの空瓶☆2.4【擬人化】
・不死身の器
・液体蓄積
・???
・???
・???
・???
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