【11】
ロマンがしばらく動かなかったのは、素直に驚いていたからだ。
小気味よい驚きである。
リオンの啖呵は立派なものだった。
声が時々うわずり、手足に震えが見られたとしても。それは大した恥ではない。ロマンは強者である。S級の冒険者であり、剣の勇者。そんな傑物を目の前にして、何の力も持たない少年が堂々と己の主張を押し通そうとした。なかなかできるものではない。
しかし、感心は一瞬で通り過ぎる。
ロマンは気を取り直す。
もしも、リオンが声を荒げた相手がロマンではない赤の他人――たとえば、卑劣な悪漢であったりしたら、心からの拍手でも送っていただろう。残念ながら、喧嘩を売られたのは自分である。笑っている場合ではない。ロマンにも意地がある。むしろ、意地の塊のような男なのだ。
「よし、わかった――と、云うと思ったか?」
気に食わないと云って、気に食わないと云い返された。
さらにもう一度云い返してやるのもアリかも知れないが、ロマンはそうしない。
彼も少し、頭が冷えていた。大人が子供を諭すように、ゆっくりと大きな声で語りかける。
「正義を掲げるには力が必要だ。言葉ですべてわかり合えるならば世界はいつも平和だろう。だが、現実はそうじゃない。主義主張が真っ向から対立するならば、最終的にモノを云うのはいつだって力だ」
ロマンは語りながら、闘技場の端まで歩いていく。
円形の武舞台にはいくつかの頑丈な柵が設けられており、その先は地下に続いている。
闘技場は歴史的な建造物である一方、現役の興行施設でもある。腕自慢の闘士が競い合う。時々は健全なスポーツの試合も行われている。しかし、一番人気があるのはモンスター同士を争わせるギャンブルだ。
闘技場の地下には多くのモンスターが飼育されている。
ロマンはいざという時のため、事前に準備していた。
いや、そもそも、ロマンは最初からこのようになる事を期待していたのかも知れない。少なくとも、ロマンはリオンと本気で一騎打ちをしようと思っていたわけではないのだ。剣を構えて見せたのは、リオンに覚悟を決めさせるためのポーズに過ぎなかった。あるいは、その時点で戦意喪失して逃げ出すならば、その程度の男に過ぎなかったかと、それで終わりにするつもりだった。
リオンが勇気を出して、剣を手に取ったならば――。
本当は、そこで大人の余裕を見せてやるつもりだった。
勝負であるからには、勝つための手段を選ぶべきではない。
非情ではなく、冒険者としての泥臭い経験からロマンはそれを学んできた。
だが、物事には限度がある。もしも、ロマンがリオンを自らの剣で迎え撃ったならば、その結果は考えるまでもない。相手に万一の勝機もないのでは、それは決闘ではなく、ただのなぶり殺しである。
ロマンはS級冒険者である。そして、剣の勇者である。未熟な少年を前にして、本来ならば模範になるべき存在だ。ロマンは己が正義の側に立つ人間であると信じていた。常に胸を張れるような自分である事が、ロマンの誇りでもある。
だから、リオンが剣を手に取った時は、それなりのシナリオを考えていたのだけど――。
残念ながら、リオンが予想以上の意地を見せたため、せっかくのシナリオから逸脱してしまった。
実の所、その点はかなり悔しいロマンである。一本取られたような気分だった。余裕たっぷりの表情の裏で、こっそりと歯ぎしりしている。
「君に諦める気がないのはわかった。だが、私も引き下がれない。アズクリッドを大事に思うのは、君だけではない。私は私なりに、あいつのことを心配している。少なくとも、君のような者にくれてやるわけにはいかない」
ロマンの素直な本心である。あんなに可愛がってきたのに、ヒモ野郎に渡してなるものか。
リオンが一歩も引かないように、ロマンにも決して譲れない一線はあるのだ。
「君は戦うことに意味がないと叫んだ。だが、この私に云わせれば、戦うことには常に意味がある。力は何よりも雄弁に物事を語るからだ。私を本当に云い負かしたいと思うならば、絶対に言葉では無理だぞ。リオン! 君も男ならば、自分の心は力で示して見せろ」
ロマンは鉄柵を開放する。
解き放たれたことに気づいたのか、それはすぐさま這い出して来た。
人間の三倍はありそうな巨体、びっしりと赤い鱗に覆われている。
地を這う四本足は太く、ギョロリとした目玉でリオンとロマンを交互に見やる。
「君はこいつと戦え。私と戦うよりはマシなはずだ」
モンスター【フレイムリザード】。
気性が荒いのか、それとも餌の時間と勘違いしたのか。
既に、臨戦態勢である。カチカチと打ち鳴らす口の隙間からは火花が散っていた。
フレイムリザードは火を吐くモンスターである。火山帯に生息しており、強さとしてはC級冒険者ならば問題なく倒せるレベル。一般人からすれば恐ろしいが、戦闘に慣れた者ならばそこまで苦になる相手ではない。
「こいつを倒せたならば、まあ、少しぐらいは認めてやらなくもない」
ロマンは余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
そして、試すような視線をリオンに向けるが――。
「嫌です!」
リオンは揺るぎない。
反対に、階段を踏み外したように揺らぐロマン。
「何だと……?」
「だから、そんなの嫌です!」
新たに譲歩された条件を提示されても、リオンは足元の剣に目もくれない。
先程と変わらず、ロマンをにらみ付けている。
「……見た目に似合わず、君は頑固だな」
ロマンは思わず、まずい物でも喰ったような顔になってしまう。頭の中に思い描いていた、ヒーローたる自分が恰好よく振る舞うシナリオがどんどん崩れていく。どうしてこんなに上手く行かないのか。普段はもっとスムーズに物事が進むのだけど――。
たぶん、リオンが悪いのだ。
S級冒険者で、剣の勇者たるロマン。世界最高のヒーローたるロマン。ロマンが自分らしく振る舞うだけで、いつでも大衆は拍手喝采、悪者は顔面蒼白で震えあがる。誰も彼も、ロマンの望んだ反応を返してくれる。
しかし、リオンはそうではない。
見た目こそ可憐な少女のようであるけれど、なかなかどうして、男としての芯がある。
正直に云えば――。
まあ、嫌いではない。
しかし、今はそれが困る。
「ボクがこいつを倒すなんて……」
フレイムリザードを見上げて、リオンは大きく手を広げていた。
「無理です。絶対に、無理!」
「なにを堂々と、情けないことを……」
「だから、ボクはそれぐらい弱いんですって!」
リオンはやはり譲らない。
「ボクは、あなたの云う通りにはならない」
ロマンは力ある者として、戦うことの意義を説いてみせた。
リオンはそれに対し、これまで黙って聞くだけで一切の反論をしなかった。
云い返さなかったのは、相手の言い分を受け入れたからではない。むしろ、逆である。
「ボクは弱い。でも、それでも――」
リオンはひとつ理解した。
それは、リオンとロマンが決定的に違っているという悲しい事実だ。彼は強者であり、己は弱者である。そのために物事の捉え方がまるで違っているのだ。力があるから、力を信じるのだろうか。それとも、力を信じたから、強者として上り詰めるだけの力を得たのだろうか。
リオンだって、強くなりたいと思った事はある。
力があれば、人生はまた違ったものになったはずだ。
リオンは弱者である。世界最弱の無能者である。
相手が誰であろうと競い合えば100パーセント負ける。だから、争いたくない。弱者ゆえの平和主義。それを簡単に云い換えると、臆病で情けない奴となるのかも知れない。
もしも、リオンがロマンのようにすばらしい力を持っていたら――。
力を肯定するのだろうか。勝者になれるならば、争いも受け入れるのだろうか――。
「勝負は受けます」
リオンはようやく、足元の剣を引き抜いた。
「でも、あなたの条件は飲みません。これからフレイムリザードと戦ってみます。でも、やっつけようなんて思わない。そんなのは無理だ。ボクにできるのは……たぶん、一撃を当てることぐらい――」
リオンは話しながら、必死に考えていた。
鉄の剣の予想以上の重さに驚きながら、それでも言葉を続ける。
「そうです、一撃。それぐらいがちょうど良い。フェア、という点でちょうど良い。ボクとあなたの勝負の条件はそれです。ボクが一撃でも当てることができたら、もう二度とアズクリッドに手は出さないでください」
勝負の条件、落とし所としてはこんなものだろう。
リオンは満足し、さっさと背中を向ける。
ロマンの返事は待たなかった。
ここまで全て、相手のやりたいようにやらせてきた。ロマンからの一方的なメッセージを受け取ってから、リオンは何もかも大人しく従って来たようなものだ。だから、最後だけ好きにする。ひとつぐらい主張する権利があっても良いはずだ。
ぎこちなく、剣を構えた。
武器を装備しても、強くなったという実感は得られない。
元より、リーチが伸びるという程度の期待しかなかった。素手よりはマシだろう、それぐらいの考えで剣を構えている。リオン自身、己の装備適正のひどさはちゃんと理解していた。ステータスの数ある項目の内でも、マイナスの装備適正は何よりも残酷な仕打ちである。
「別に、いいさ。関係ない」
どうせ、攻撃力は最初から『1』である。
マイナスの装備適正でも、これ以上は下がりようがない。
ダメージは期待していない。とにかく一撃を当てることに集中する。
「いくぞ」
注意するは、火。
田舎の村はずれに引きこもって暮らして来たリオンには、モンスターとの戦闘経験なんてほとんどない。フレイムリザードは見るのも初めてだ。知識は書物から得たものに限られる。フレイムリザードは口から火の息を吐き出すらしい。獲物を狩る時はもちろん、冒険者を返り討ちするにも便利な必殺技である。リオンが喰らえば、それで終わりだ。どうにか火の息を避けて、懐に潜り込まなければいけない。
重たい剣を引きずるようにしながら、徐々に近づく。
フレイムリザードの口元をひたすら注意する。
いつ、攻撃が来るか。
避けてやる、絶対に――。
リオンは意識を研ぎ澄まし、抜群の集中力を見せていた。
「……あれ?」
しかし、火の息は来ない。
代わりに、視界の隅から飛び込んで来たのは――。
――尻尾。
横薙ぎの一撃。
リオンはガードする暇もなく、直撃を受けて吹き飛んだ。
「ぐふっ!」
闘技場の壁際まで転がり、パタリと倒れた。
まあ、当然ながら――。
ライフは尽きた。
「これはひどい」
ロマンの感想が聞こえるが、反応している余裕はない。
フレイムリザードがとどめを差そうと近づいて来るからだ。
「ま、待って……」
リオンは盛大に混乱していた。
人生で初めてだろう、心の底からの云い争いというものを経験した。それも、自分とは比較にもならない強者のロマンに対してだ。高揚していたのは否めない。やってやるという、自分らしくもない決意に満ちていた。本気になれば、やってやれないことはないだろうと――。
人生、甘くない。
実力の差は感情では埋められない。
「ひ、ひどい……」
それもまた、リオンの素直な気持ちである。
生まれた時に与えられたステータスで、その後の何もかも決定される。どれだけの決意を抱こうと、この一瞬をひっくり返すことも許されない。自分自身では何も変えられない、何も決められない、何もできない――それならば、最低のステータスを与えられた人生に何の意味があるのか。
リオンは子供の頃からのんびりと生きてきた。
楽天的でいられたのは何も望んで来なかったからだ。
初めて、望んだ。
初めて、欲望を持った。
初めて、誰かのことを想った。
リオンは今さら、当たり前のことに気づかされる。十七歳という年頃ならば、普通はおそらく、大人になるための通過儀礼として経験しているはずのもの。すなわち、挫折はこんなにも苦しい。フレイムリザードの尻尾で受けたダメージよりも、己の弱さを泣きたいぐらい痛感していた。
叫び声をあげたい。
だが、そんな余裕もなかった。
すぐ目の前に迫ったフレイムリザードが大口を開ける。
ゆっくりと息が吸われ、今度こそ、必殺の火の息が繰り出され――。
「ア、アズ――」
リオンは反射的に、その名を口にしようとしていた。
本当に、死ぬ。
本当に、何もできない。
後悔と絶望と――何よりも、激しい怒り。凪いだ海のような暮らしをしていた頃には、決して抱くことのなかった感情のうねり。世界最悪のステータス。システムが支えるこの世界で、普通に生きることを妨げられた。この世界に呪われている。リオンはそれでも、何も望まず、誰とも争わず、笑いながら生きようと思ってきた。
今、初めて、リオンの方から呪う。
この世界の仕組みを――。
こんな世界にした、神様を――。
――火の息。
目の前が、真っ赤に染まるが――。
「呼んだ?」
リオンは目を丸くする。
死が訪れると思い、硬直していた全身。すぐには動いてくれない。錆びた機械のように、ギクシャクとしていた。何が起こったのか、すぐには理解できないけれど、ぎりぎりの所で助けられたということはわかった。
フレイムリザードの吐き出した火は、リオンの身体に届いていない。火の息から守るように展開されたその魔法。リオンの目の前で盾のように火の息を防いだのは、いきなり出現した氷の壁である。
「アズクリッド!」
ロマンの怒声が響き渡った。
「ああ、ロマン。おひさしぶり。それで、あなた何をやっているのかしら――リオンくんに、なにを? あなたはいつも、本当に私を怒らせてばかり。本当に、もう……あなた、本気でね、もうね、死んで」
彼女は闘技場の観客席から舞い降りて来る。
言葉も、態度も、冷ややか。
魔法もまた、同じだ。
虚空に浮かぶは、無数の氷柱。ロマンに照準を合わせたまま、待機状態。
月光を浴びて、氷は冷たく輝いていた。夜空の満月と、アズクリッドの肩に担いだ錫杖が重なっている。普段着でもなく、ギルド受付嬢の制服でもなく、神官のような白一色のローブを身に着けていた。銀冠、小手、肩に乗った得体の知れないぬいぐるみ。それらはおそらく、戦うための装備一式である。
すなわち、冒険者そのものの恰好である。
「元S級、最高時は第十九階位。【氷雪姫】――改め、【氷雪女王】参ります」
アズクリッドは宣言し、ロマンに攻撃魔法を撃ち込んだ。




