12、ヒーローイエローは、心配してない
朝のホームルーム中に黒森先輩から画像が送られてきた。
頬を真っ赤に腫らしたお兄ちゃんの横顔。カメラ目線ではないし画質が悪いので多分隠し撮り。
今朝、私も黒森先輩も緑沢先輩に怖くて訊けなかった。何かあったの? なんて。それは緑沢先輩のあの顔を見た人皆そうだったことだろう。真っ赤な頬をした生真面目そうなメガネくんを見て誰もがギョッとし、誰もがすっと目を逸らす。
私も黒森先輩もすっと俯いて挨拶の後すぐさまその場を離れた。
本人は何事もないようにきょとんとしていたけどこちらは気まずすぎる。
しかし兄よ、あんたもということは何か関連性があるのだろう。
今日の朝呼び出されて早く出ていったのはそういうことか? ヒーロー対ヒーロー、いや男同士の戦いに出かけていったのか? ついにピンクちゃんの本命を決めようというのか。いやそりゃ、そのうち決着つけろよとは思っていたが。おっさんになるまで女の子に幻想抱いて弄ばれ続けるなよ、おっさんになっても二股掛けられた状態のままではいれないだろとは思っていたが。
何故にこのタイミング?
私の恋愛問題も解決してないっちゃあしていないが黒森先輩と苦しみを分かち合い、私だけがしんどいという地獄から脱したというタイミングで。わずかに私が面白がっているタイミングで。日頃の鬱憤を理不尽に先輩にぶつけようというタイミングで今お兄ちゃんまで一歩踏み出さんでも。別に足並みそろえなくていいよ。
それとも黒森先輩は神様に守られてる? 私が黒森先輩をいじめようといたから神様が妨害したのか? それとも逆に私が神様に嫌われてるのか? 何だかヒーローを始めてから心労が絶えないし。悪を守って正義のヒーローを嫌うなんてどんな神だ。
『何があったか訊きました?』
先生の目を盗んでメッセージを送る。
『とても訊けません』
秒で返ってきた。
ですよね。
廊下側の席に座るピンクこと桃子ちゃんの顔を盗み見ると、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。珍しい。いつも朗らかでにこにこしているような子なのに、あんなに露骨に態度に出すなんて。
こりゃあ予想通り、あなたも関係してるんでしょうね。
『多分痴情のもつれです』
『なんて声をかけたらいいのかな』
『関わらないのが正解です』
『けどもしふられたなら慰めた方がいいよね』
『いいえ、関わらないのが正解です』
優しけりゃいいってもんじゃない。誰しもそっとしてほしい時はあるんだから。恋愛で他人に口出しされるのだって、励まされて嬉しい人もいればほっとけって人もいるんだから。お兄ちゃんは完全に後者だ。
ていうかあんたも知ってるでしょうに。小学校中学校と、ふられたお兄ちゃんを慰めたらめちゃくちゃ八つ当たりされてへこんだことをもう忘れてるの? どうせ一週間くらいでもとに戻るんだからほっとけばいいのよ。惚れっぽいせいですぐ別の恋愛に夢中になるんだから。
『ふられたと決まったわけじゃないですし』
『でも浮気相手は朱里の方だったんだろう?』
そうだけども。まあ本人たちに確認したわけじゃないけど。桃子ちゃんは明らかに緑沢先輩贔屓、何か起きれば基本的に緑沢先輩を頼るし、男同士の喧嘩などに遭遇したら大抵緑沢先輩の味方だ。お兄ちゃん対緑沢先輩でもお兄ちゃんに味方した姿は一度も見たことがない。
『巻き込まれますよ』
『友達を放っておけないよ』
思春期の女子か。ほっといてほしい奴はほっといてやれ。わかってるよ優しいのは。でもそうじゃないってことに気づきなさい。長所であり短所だぞ。
だいたいあんたは今他にもっと悩むべきことがあるだろ。受験とか、私のこととかさあ。他人の修羅場に首をつっこむ暇があるなら私のことを考えんかい。
『私から訊いてみるので先輩はあまり近づかないでください』
『キエちゃんに負担をかけるくらいなら俺が訊くよ』
いいんだよ、だから。察してよ。首つっこむなっつってんの。今そういう優しさはいらないの。
『身内じゃないとできない話もありますから』
『そうかな』
そうだよ。だから早いとこ引いてくれ。
「あー、あー、あー……、あのね、桃子ちゃん」
とはいえお兄ちゃんに訊きに行く勇気はあまりない。失恋を励まされて黒森先輩に八つ当たりしまくっていた兄を知っているから、今言っても私のハートが傷を負うだけ。
同じ気まずいなら接触しても傷を負うとは限らない桃子ちゃんに行く方がマシ。
「希依ちゃん! どうしたの?」
さっきまでのしかめっ面が嘘だったかのようにニコニコになった桃子ちゃんは可愛らしく首をこてんとかしげている。
桃子ちゃんは人の悪口は言わないし、愚痴も滅多にはかないし、人の好きなものを否定したりもしない。基本は良い子だ。可愛いし。
ただ時々ぶっとんだ発想を披露してくる。
「あー……あのー、うちのお兄ちゃんと何かあったり、した?」
「そうなの!!」
椅子を倒す勢いで立ち上がった桃子ちゃんに一瞬クラス中の視線が向くけれどすぐに散る。皆関わったら面倒に巻き込まれそうだと察知したに違いない。何せ桃子ちゃん、ちょっとしたトラブルメーカーなのだ。
主に男の子とのトラブル。
小柄で華奢で、ふわっとした長い髪。この小動物系女子に何人の男が骨抜きにされたことか。そして何人の男が緑沢先輩に蹴散らされたことか。
緑沢先輩は入学当初から桃子ちゃんにぞっこんで、誰も緑沢先輩以上に桃子ちゃんに近づくことはできなかった。がしかし、我が兄は自称桃子ちゃんの彼氏になり、桃子ちゃんに訊いてもお兄ちゃんは彼氏だという。明らかに緑沢先輩の方が桃子ちゃんに信用されているし優先されてるけど。
「朝薫くんが話があるって言うから早く来たら朱里くんもいてね、どっちが大事なのか選べなんて言うんだよ! しかも朱里くんまで薫くんと同じこと言いだしたの! 私はね、皆で仲良くしたいのに、朱里くんも薫くんもわかってくれないんだよ! デートだって三人の方が楽しいし、いつも皆で一緒がいいのに。人に順位をつけるなんて最低なことだよね」
「お……おん……」
やばい。まだ導入部分なのにすでについて行く自信がなくなってきた。
「私は、朱里くんも薫くんも隼人くんも希依ちゃんも大好きなのに、誰か一人選ばなきゃいけないなんておかしいよね?」
「そうだね? そうかな?」
いやよくわからん。
「あのでも、お兄ちゃんと付き合ってるんだよね? やっぱデートは二人でしたくない?」
「大勢の方が絶対楽しいよ」
「大勢だとそれはデートじゃなくて普通に皆で遊びに行くだけじゃ……」
「違うよお」
違うのお?
やばいやばいどうしよう。話が堂々巡りだ。
「えーっと、お兄ちゃんとは付き合ってるんだよね? 緑沢先輩とは」
「仲良しのお友達だよ。大親友!」
向こうは多分そう思ってないぞ? 傍から見ても好意バレバレの彼氏面だぞ? 桃子ちゃんも当然のようにハグしたり、手をつないだり、膝に乗ったりしていたはず。
「皆で仲良しが一番でしょ? 将来私と朱里くんが結婚したら、薫くんも希依ちゃんも一緒に住んだらいいと思う!」
「それはどうかな……」
ちょっと、いやかなり、嫌かなそれは……。
***
「なんか、すげーなー……って。もう何にも言えませんでした」
「そこまで自由だと生きるのも楽だろうね……」
調査結果報告のため黒森先輩と下校しながら簡単な説明をした。
つまりこれまで尽くしてきたのに親友認定。他の男に彼氏の座を持っていかれた緑沢先輩がついに不満を爆発させ桃子ちゃんに想いを叫びお兄ちゃんに挑戦。お兄ちゃんはお兄ちゃんで緑沢先輩が優先される現状の不満をうったえた。
が、桃子ちゃん的には皆好きなのに順位をつけないといけないなんておかしい! 二人とも目を覚まして! とそれぞれにビンタをかましたと。
そして信じがたいことに男二人は桃子ちゃんを怒らせてしまった! こりゃいかん! と大慌てで仲直りしたそうな。
概ね予想通りだったけど、結末がなんとも……その場にいたら、いや仲直りするんかーいとつっこんでいただろう。
感情移入できる登場人物が一人もいない。
「桃子ちゃんみたいになりたいなってちょっと思いました」
「俺もその木梨さん? て子ちょっと羨ましいな……」
あそこまで我を通せたら爽快だろうなあ。好きなもんは好き! だからしょうがないでしょ、好きなんだから! 他のことは置いといてとにかく好きだから一緒にいる! って、そんなこと言えたらどんなに気分がいいだろう。
私も先輩もあれくらい主張できればよかった。
「でも朱里が浮気相手じゃなかったのは良いニュースだね」
「そうですかね。好きな子と付き合えるようになったのに別の異性を自分より傍に置かれるって、結構しんどくないですか」
「それは……確かに」
想像したのか見たことがない表情をしてる。それどういう顔ですか? 嬉しいのか悲しいのか悔しのかわからない難しい顔だ。
なのにふと私の顔を見て堪えきれないというように噴き出した。
「キエちゃん、何だかんだ言って朱里が心配なんだね」
「はいぃ? なんでそうなるんですが」
どこをどう見て?
まったく微塵もそんな素振り見してないでしょうが。助ける気も欠片もないし、奴がフラれてもざまあみやがれとしか思わないし。
「今朝からずっと顔に出てるよ。お兄ちゃんが心配だって。今も」
「そんなわけないでしょう。ひとっつもやつの心配なんてしてないんだから」
「優しいね」
優しかない。本当の本当の本当に心配なんてしてない。
何も言い返せなくなったのは、談じて図星をつかれたからではなく、先輩の笑顔が可愛くて思わずひたったからだ。談じてあんなバカの心配なんてしてない。




