21 GM(ゲームマスター)
「へ――」
世界が静止した。
風で転がっていた筈の草の塊は、投げ出された場所に浮かんでおり、〈ベヒモス〉の体から流れていた演出上の血液は、その水滴を落ちる半ばで止められている。
世界全体が色を失った途端、時間すらもその動きを止めてしまったかのように。
この世界で動いているのは、今のところ《嘲笑う鬼火》のメンバーのみだった。
「こ、これはいったい、」
「――GM権限で、このインスタンスフィールドが規制されているんだよ」
ブロッサムの動揺とは反対に、コウの言葉は極めて冷静だった。
彼だけではない。他のメンバーも、全員がさも「ああまたか」と言わんばかりにどうでも良さそうだ。
「彼らはこの世界では万能だからね。ゲーム内の時間を一時的に停止させるくらいは、訳ないさ。
まぁ、よっぽどの事がないかぎり、流石にプレイヤーを止める事は出来ないけどね」
「GM、ですか」
GM。ゲームマスターの略称。
簡単に言ってしまえば、運営側の人間であり、このゲーム世界の管理者である。
ゲームそのものに不具合が出れば調整し、違反者がいれば特定、アカウントを停止したり消去したりするのが、彼らの主な仕事内容だ、と言っても良いだろう。
もっとも、この【ファンタジア・ゲート】はPKすら許容し、殆どの治安維持をプレイヤーの手に委ねているので、彼らが出張ってくる事は滅多な事ではない。
――つまり、自分達は今“滅多な”事態に巻き込まれたのだ。
「ど、どどどどうすれば、私悪い事何もしてません! フリーズって言われたらすぐに手を上げて投降します!」
「いや、ここ外国じゃねぇし、そこまでの事にはならねぇよ」
隣に立っていたトーマが、慌てて両手を上げるブロッサムを宥める。
「で、でももしかしたらアカウント停止に、」
「ならねぇよ……俺達案件なら、アイツが来る筈だし」
「アイツって、」
誰ですか。
そうブロッサムの言葉が続く前に、彼女達の目の前で光が物質化し、収束する。
ログイン時に誰もが発生させるエフェクト。それを伴って現れたのは、1人の少女だった。
男性の紳士服を、ビクトリア朝のドレスに仕立てたような服装だ。ネクタイを締めているものの、女性らしさを見失わない、可愛らしいドレスだ。
下手をすればブロッサムと同年代か、あるいは少し上なのではないかと思える年齢の少女の頭の上には、少し不釣り合いに感じるほど大きなシルクハットが乗っかっている。
普段であれば、眼鏡の似合う美人だろうに、今そのレンズの奥の瞳は、不機嫌の色に染まっていた。
憎しみにも似た怒りと、面倒臭そうな感情、あとは少々の眠気の混合、のようにも見える。
ただブロッサムには、取り敢えず怒っている、という認識にしかならなかった。
「――え〜っと」
どこから取り出したのか、羊皮紙のような古めかしい紙を取り出し、その表面を視線が撫ぜる。
「『平素は【ファンタジア・ゲート】をプレイしていただき誠にありがとうございます。今回唐突な強制停止を謝らせていただきます。
こちら【ファンタジア・ゲート】運営、株式会社【ワンダーランド】です。』」
あからさまに億劫そうな棒読みだが、流石にここでツッコミを入れるような無粋な人間は、この場にはいなかった。
そのまま、彼女は言葉を続ける。
「え〜『今回は、『〈ベヒモス〉の猛進』イベントにご参加いただき、誠にありがとうございました。
ハァ、『ですが、現時点でのゲームシステム上の不備、またはプレイヤー様が不正行為を行った可能性がございます。よって、今回調査に、どうかご協力願いますように、伏してお願い申し上げます』」
「なっ――」
不正の可能性。
つまり彼女が言っている(正しくは“読んでいる”)事を要約すれば、『今回の〈ベヒモス〉討伐でズルをしただろう』という事だ。
ここまで必死に戦い、初めてゲーム世界で“死ぬ”経験までして得た勝利が、不正に行われたと疑われているのだ。
流石のブロッサムも、憤慨しない筈はない。
――のだが、糾弾の声を上げようとしたブロッサムの肩に、トーマの手が乗る。
言葉は一つも発していないのに、大丈夫だ、心配するな、そう言われているように優しい手に、思わずブロッサムは何も言えなくなった。
そこまで言い切ると、もう紙の上には何も書かれていないのか、それを空間で消失させると、シルクハットの少女は丁度目の前に立っているマミを注視する。
「『承諾なさいますか?』」
どこか事務的な言葉に、
「うん、『承諾する』」
マミは堂々と言葉を返す。
それを聞いて、まずはひと段落したと言うように少女は大きく溜息を吐き、――キッと目尻をさらに釣り上げる。
「――で? 何やらかしたのアンタら」
先程までの、無礼ではあっても同時に慇懃であった言葉は消え失せ、まるで生徒を怒る教師のような口調になった。
そんな彼女の豹変に、誰も気にする事はない。その中の1人であるマミは、いつも通り力が抜けた笑みを浮かべた。
「ちょっとレイナちゃ〜ん、開口一番それぇ? 久しぶりに会ったんだし、もっと旧交を温めようよ〜」
「私は二度と会いたくなかったし、私達に温め合う旧交なんかないわよ」
「もうっ、冷たいんだからぁ、可愛い顔が台無しだよぉ?」
「台無しにしてんのは、会社と貴方達よ。
人が折角気持ちよく仮眠取ってるってのに、叩き起こされてあんたら関連の事案が発生したとか言い出すから、眠い目擦って出張ってきてんのよ」
「……うわぁ、もしかして、ワンダーランドってブラック?」
「ブラックにしてんのは、あんたらみたいなアホなのよ! 今日はちょっとたまたまだけどね!」
場の空気は一触即発……なのだが、そこに緊張感というものは1つもない。クラスの喧嘩を遠目から眺めるような、どこかほのぼのとした空気が、その場には流れている。
差し詰め『噛み付く生真面目委員長』と『テキトーな不良』だろう。
もっと警察の捜査のような、高圧的で気不味い空気が流れると思っていたブロッサムは、ぽかんと口を開けて驚いている。
「……えっと、なんですか、これ。もしかしてGMって、私が考えていたのと違いますか?」
「どういうGMを想像していたのか知らないが、アレは特殊例だ」
トーマに聞いてみると、トーマは何て事ないように答える。
「聞いた事ないか? 『《嘲笑う鬼火》案件専門のGMがいる』って」
それは、ブロッサムが《嘲笑う鬼火》に入って以降、外の【ファンタジア・ゲート】の噂が中心に語られている、専用のネット掲示板にも載っていた話だった。
《嘲笑う鬼火》には様々な伝説がある。その中には、運営側が対処しなければ説明が付かないような話も存在する。しかもいくつもだ。
だとすれば、当然GMとの縁は、仮に作りたくなくたって出来てしまうのが普通だろう、という推測の元成り立った噂だ。
勿論、かなり眉唾物だ。
いくら名物ギルドだったとしても、運営がたった1つのギルドに注視し、人材を割り振っているなんて、あり得ない。
……あり得ないのだが、
「……え、つまりなんですか、あの噂本当だったって事ですか!?」
絶叫にも近い声をブロッサムが上げると、
「――ええそうね残念な事にね!!」
それに答えたのは話していたトーマではなく、GMを名乗った少女、レイナだった。
それだけを吐き捨てると、彼女はスカートを掴み、グッと顔を俯かせた。
「……1年。まる1年よ。
あんたらが騒動を起こさないお陰で、職場は天国そのものだったのよ。
一々同僚から『あいつらの面白い話ない?』とか興味津々に訊かれる事も無かったし、
あんたらの暴挙の所為で調子に乗って新しいシステムやらアイテム考案して仕事増やすバカも減ったし、
嬉々としてバグ掘り返す奴がいなかったから、全体の仕事量も減った。
やっとあんたらの担当から外されたと思ったし、復活したって聞いても問題は起こさなかったから『ああ、流石にあいつらも丸くなったんだぁ』って思ってましたよ。
……そう思っていた1週間前の自分をぶん殴りたいけどね!!」
ビシッ!
という効果音が付いているのかと錯覚するほど力強く、マミを指差す。
いや、この場合《嘲笑う鬼火》全員を指差しているのだろう。
「どうよ、この通りよ、たった12人で参加人数100人推奨の〈ベヒモス〉倒すとか、運営の事も考えなさいよ!
おかげで難易度設定から見直ししなきゃいけないかもしれないのよ!? また徹夜かもしれないのよ!?
さぁ、笑いたければ笑いなさいよ!!」
「いや、流石に笑えないわ、ごめん」
「謝るくらいなら面倒事起こすなバカ!!」
もはや厳しく、威厳あるはずのGMの姿はどこにもない。
会社に振り回され、顧客に振り回される、可哀想な社会人女性にしか見えない。
「それからそこの新人! ピンク髪の戦鎚使い!」
「は、はい!?」
いきなり矛先が向けられて、ブロッサムの姿勢が慌てて整えられる。
レイナとブロッサムは、当然ながら初対面だ。
それなのにどうしていきなり、と困惑している彼女に指先を逸らさず、その容姿からは想像出来ないほど低く、憎悪に染まった声を上げる。
「〈ベヒモス・ハンマー〉がダサいとか言うな! 〈ベヒモス〉のイメージを崩さず武器作るの、結構大変なんだから! 運営には優しくしなさいよ!」
――作ったの、お前かい。
その場にいるレイナ以外が全員そう思ったが、それを口の端に上げるような人間はいなかった。
いくらお騒がせギルドとはいえ、空気くらいは読めるのだ。
しばらく声を荒げ続けたからだろう。肩で息をしながら暫く沈黙したレイナは、呼吸が整ったのを見計らってようやく口を開いた。
「……まぁ、冗談はさておき。今回は、他の事件よりマシね。
ログは来る前に確認したけど、不正そのものは見受けられなかったわ。まぁこれまでの事を考えれば、あんたらがそういう事をしていないってのも、分かってるつもりだしね。
今回はこっちが想定していた以上の戦果だったから出張ってきただけ」
そう言いながら、今度はシステムウィンドウを開く。
こちらから画面の内容を伺い知る事は出来ないが、彼女の立場を考えれば、きっと自分達のシステムウィンドウとは大きく異なるのだろう。
そこの視線を向けながら、もう一度口を開く。
「強いて言えば、コウの使ったバフ技の応用ね。別にバグって訳じゃないけど、推奨される使い方じゃなかったから、注意してね。
それと、ラストアタックに使った、高度補正利用した攻撃。あれも裏技扱いだから、二度と無茶しないで。ログの数値だけ見ると、他の連中がチート認定する場合もある。
っていうか、普通に危ないから」
「ああ、分かったよ、流石に僕も二度も三度もやろうとは思わない。そもそもマミが難易度設定で無茶をしなきゃ、ああはならなかったしね」
レイナの言葉に、コウは困ったような笑みを浮かべる。
そもそもあれは、今回の〈ベヒモス〉の難易度設定を、マミが故意に変更したからだ。そうならなければ、安全な高度からの攻撃で終わったはずだったのだから。
コウの言葉に、レイナはもう一度、肺の空気を全て排出する勢いの深い溜息を吐き、マミを睨みつける。
「そう、こいつ。こいつが全ての元凶。今までの厄介事だって、大体がこいつの所為なんだから。ギルマスの手綱くらいしっかり握っておきなさいよ」
レイナの言葉に、コウは小さく肩を竦める。
「手綱が付いていればね。鞍すら着いているのか怪しいものだ」
「着けなさいよ、いいえ、GM権限を持って命令します、着けろ」
「ちょっと、私は馬か何か!?」
「「語尾に〝鹿〟が付く方のな」」
「ちょっと2人とも酷い!」
既に尋問という雰囲気ではない。
そんな拍子抜けな状況に思わず安堵の息を漏らすと、またもレイナの視線はブロッサムに向いた。先程の剣幕を思い出して、思わずビクリと体を震わせてしまう。
「え、えっと、なんでしょう」
「……あんたは?」
「は、はい?」
「だから、あんたは大丈夫なの?」
ブロッサムの困惑をよそに、レイナは素早くウィンドウを閉じ、こちらに近づいて、ペタペタを体に触れてくる。
これだけ言うとセクハラのように感じるかもしれないが、その触れる手付きは、どちらかと言えば医者の行う触診だ。体の異常を確認するように、どこか優しく触れてくる。
「いくらVRとはいえ、あんな高高度から落ちる事を、こっちは想定していないから。精神面は? 大丈夫なの?」
「え、ええ、まぁ、」
「そう、なら良かった。でもそういう恐怖って、後からやってくるものだから、気をつけてよ。自分が気付かない不調があるかもしれないし」
「え、あ、ありがとうございます」
「気にしないで。こっちはそれが仕事なんだから」
業務連絡を思わせる堅い言い回しではあるものの、その表情は険があるようには見えない。見せていた苛烈さの方より、どうやらこちらが彼女の〝素〟らしい。
しばらくそうしていると、彼女は触れるのをやめ、マミの服を掴んで歩き始める。
「じゃあ、マミとちょっとお説教ね、あとは待機で」
「え、ちょっ、さっきので終わったんじゃ、」
「説教じゃなくて状況確認だから、説教まだだから」
あまりにも理不尽な言い回しだが、他のメンバーは自分達が説教を受けないで済むと安堵しているのか、それを止める人間はいない。
どんどん離れていく2人の背中を見守るばかりだ。
……そんな中、ブロッサムはレイナに触れられた部分を触る。
このゲームをプレイしてきて、優しくされた事は何度もある。心配された事も、触れられた事も。
その彼女の触れ方は、どこかそれらとは違うような気がして、どこか心の中に残った。痼りのような嫌なものではなく、心の中にお湯を注がれたような暖かい何かとして。
「……あの人、優しい人なんですね」
ブロッサムがそう言うと、トーマは苦笑を浮かべる。
ほんの少しだけ、悲しい色を混ぜながら。
「――まぁ、あいつも仲間みたいなもんだしな」
◇
「――で? 説教なんて口実でしょ? 気になるのは、我が《嘲笑う鬼火》の新メンバーだ」
「……まぁね。あんたらはいつも通りそうで安心したけど、あっちとは初対面だったから」
「良い子だったでしょ?」
「あんたらの仲間とは思えないほどね」
「なにそれ酷い……」
「当然でしょ、あんたらは色々厄介なんだから。
……でも、そっか。良かった。あんたらは、|立ち直れた(﹅﹅﹅﹅﹅)のね。本当に、良かった」
彼女の口から生み出される声は、本物の安堵に彩られている。
――GMの仕事とはなんだろう。
ゲーム世界の管理、新たなモノを製作する為のアイデア探し、市場調査。
そんなものは、おまけでしかない。
『ゲームを“楽しく”する事』。それが全てなはずだ。
《嘲笑う鬼火》では、楽しく出来ない理由が生まれてしまった。だから、正直心配していたのだ。
たかがGMがなにを言っているんだと笑われるだろう。
それでも、《嘲笑う鬼火》が崩壊していくのを見て、何も出来なかった第三者(自分)にとってして見れば、今の状況は嬉しい。
また、彼らが、彼女達がこの世界で楽しく遊んでくれる。
それを思うだけで、彼女は仕事のやり甲斐を得るのだ。
「うふふ、レイナちゃんは、本当に真面目で、優しいなぁ」
「……冗談言わないでよ。私は仕事をしているだけ。
あんたらの〝楽しい〟を守る事が、私の仕事なんだから」
用事がありますので、次回の投稿は11月26日の夜に行います。非常に曖昧になりますが、どうが御容赦願えますように。
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