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勇者、転職する

「認められません」


 王城の契約管理室で、担当官は開口一番そう言った。予想通りだった。


「どの条文を根拠に?」


「条文?」


「契約解除を認められない根拠です」


「勇者が辞めるなど前例がない」


「前例じゃなくて契約の話をしています」


 俺は机の上に《勇者雇用契約書》を置いた。三十二ページ。赤い栞まで挟んである。


「契約期間中、勇者本人の都合により本雇用契約を中途解除する場合、違約金として金貨百枚を王国へ納付する。ここですね」


「それは……」


「金貨百枚、持ってきました」


 アーデル商会の証書を横に置く。担当官の動きが止まった。


「本物です。必要なら商会へ照会してください」


「そういう問題ではない!」


「どういう問題です?」


「レン殿は勇者だぞ!」


「知っています」


「王国が召喚し、育成し、装備を与え、魔王軍に対抗するために――」


「契約した」


 俺が途中で言うと、担当官が睨んできた。


「だから契約通り解除します」


「……貴様は何者だ」


「転職屋です」


「そんなことは聞いていない!」


 後ろで神崎さんが吹き出した。担当官に睨まれて、慌てて口元を押さえる。担当官はしばらく俺を睨んでいたが、やがて神崎さんへ向き直った。


「レン殿。本当に辞めるおつもりですか」


「はい」


「王国はあなたを必要としている」


「分かっています」


「東部では今も魔物被害が続いている。北では魔王軍の活動も活発化している。あなたが抜ければ、誰かが代わりに戦わなければならない」


「はい」


 神崎さんの「はい」が、少しずつ小さくなっていく。


「王国の民を見捨てるのですか」


 神崎さんが黙った。俺は口を挟まなかった。辞めろと説得するのは俺の仕事ではない。しばらくして、神崎さんが俺を見た。


「佐伯さん」


「はい」


「俺、残った方がいいですかね」


「俺に聞かないでください」


「え」


「残りたいなら残ればいいです」


 担当官の口元が少し緩んだ。


 俺は続けた。


「ただ、残るなら条件は変えましょう。週休二日。休日の呼び出しは原則なし。給与は少なくともアーデル商会と同水準。対人戦争への参加は本人が同意した場合だけ。この条件で王国と再契約するなら、俺は止めません」


 担当官の眉が跳ねた。


「月金貨二十枚だと?」


「民間の提示額です」


「勇者は金のために戦うものではない!」


「じゃあ、休みだけでも出せます?」


「魔王軍の状況次第だ」


「具体的には?」


「それは軍務局が判断する」


「休める日は約束できないってことですね」


「週に二日、休めますか」


「毎週確約はできない」


「一日なら?」


「戦況による」


「月に四日は?」


「だから戦況次第だ」


「分かりました」


 神崎さんは俺の方を見た。


「辞めます」


「はい」


 担当官が立ち上がった。


「レン殿!」


「俺、魔王軍と戦うのは嫌じゃないんです」


 さっきまで小さくなっていた神崎さんの声は、今度は揺れなかった。


「人を助けるのも嫌いじゃない。多分、また必要なら戦います。でも、一度辞めます」


「そんな勝手が――」


「契約に書いてあるので」


 俺は口を挟まなかった。そこは本人が言う方がいい。


 担当官が黙ると、ようやく手続きが始まった。契約神殿から神官が呼ばれる。高額契約の原本を預かる公証機関だ。


 神官が原本と写しを照合し、アーデル商会の証書を確認する。金貨百枚が納付され、契約解除の手続きが進んだ。一時間ほどして、神崎さんの左手首にあった赤い契約紋が消えた。


「これで、王国との勇者雇用契約は終了しました」


 神官が淡々と告げる。


「再契約がない限り、王国がレン殿に勤務を命じる権利はありません」


 続けて、王国支給の鎧と馬の返却書類、それに宿舎の退去書類へ署名する。聖剣は、昨日確認した通り返却対象ではない。


 担当官は最後まで眉間の皺を解かなかった。王城を出たあと、そのままアーデル商会へ寄った。神崎さんとグスタフ人事部長が、俺の作った雇用契約書を一条ずつ確認する。


 職種は高危険度護衛。月十二日勤務。連続二日の休日を月四回。危険任務には追加報酬。本人が希望しない対人戦争には参加しない。


「勇者じゃないんですね」


「辞めたので」


「そっか。そうですよね」


 神崎さんは、なぜかそこで少し嬉しそうだった。


 契約を解除できる条件も、双方について同じページにまとめた。


「全部、読めました?」


「はい」


「気になるところは?」


「ない」


 二人が署名する。俺が最後に指を置くと、《契約保証》が発動した。文字の縁を淡い青い光が一度だけ走り、すぐ消える。俺の加護が初めて、勇者の役に立った。


 商会を出ると、神崎さんは自分の左手首を何度も見た。


「終わった……本当に?」


「終わりました」


「明日からアーデル商会?」


「明日は休みです」


「え、明日休みなんですか?」


「契約開始は明後日です」


「じゃあ明日、何するんですか」


「知りませんよ。休日なんだから」


 神崎さんが立ち止まった。数秒してから、ものすごい勢いで俺の肩を掴んだ。


「マジで釣り行っていいんですか?」


「行けばいいでしょう」


「朝から?」


「好きな時間に」


「夜まで?」


「休日の意味分かってます?」


「分かってるつもりだったんですけど、ちょっと自信なくなってきました」



 翌日。


 神崎さんは本当に朝から釣りへ行った。夕方、俺の店へ魚を三匹持ってきた。


「一匹どうぞ」


「ありがとうございます」


「めちゃくちゃ楽しかったです」


「それは良かった」


「来週も行けるんですよね? 毎週?」


「勤務表どおりなら」


「すげえ……」


 週休二日で感動する王国最強勇者。この世界の人材市場、かなりおかしいかもしれない。俺の方にも報酬はあった。アーデル商会から受け取った紹介手数料は、金貨二十四枚。


 この職業紹介所を始めてから半年弱。これまで稼いだ利益を、一日で超えた。


「勇者って儲かるな……」


「言い方最低ですよ」


「市場価値の話です」


 俺は店の外へ出た。看板には、これまでこう書いてあった。


 サエキ職業紹介所


 料理人。職人。商会事務。護衛。その他相談。


 俺はその一番下に、小さな板を一枚追加した。


 勇者・高位技能者、転職相談承ります。


「来ますかね」


「さあ」


「勇者なんて、そんなに辞めたがってるかな」


「神崎さんみたいなのが他にもいたら来るんじゃないですか」



 そんな話をした翌朝。開店前から、店の前に一人立っていた。


 白い法衣に金糸の刺繍。胸元には、この国最大の教会が聖女にだけ与える紋章がある。


 俺が鍵を開けると、女性は少し眠そうな顔で頭を下げた。


「あの」


「はい」


「勇者じゃなくて、聖女でもいいですか?」

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