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勇者を辞めるには金貨百枚

 金貨百枚。


 神崎さんは契約書の一文を三回読んだ。


「無理ですね」


「何がです?」


「辞めるの」


「なんで?」


「百枚ですよ」


「百枚ですね」


「俺、貯金十二枚しかないです」


「じゃあ八十八枚足りませんね」


「そういう話じゃなくて」


 神崎さんが頭を抱えた。勇者の月給は金貨三枚。衣食住は王城持ちだが、足りない八十八枚を自力で貯めるには二年以上かかる。契約期間は五年か、魔王討伐まで。


 本人都合で解除できる条項はある。だが、百枚では実際にはそう簡単に辞められない。俺の《契約保証》でどうにかできる話でもない。


 俺は解除条項の前後をもう一度読み直した。


「装備の返却もありますね。王国貸与の鎧と馬は返還」


「それは分かります」


「聖剣は……貸与品一覧に入ってない」


「え?」


 神崎さんが身を乗り出した。


 別紙をめくる。《聖剣適合》が発現した時点で、聖剣アルディオンの管理権は適合者へ移る。死亡、または適合喪失時に王城へ返納。


「王城の宝物庫にあったんですよね」


「はい」


「王城は保管してただけみたいです。退職しても返還対象じゃない」


「そんなこと書いてあったんですね」


「三十二ページありますからね」


 他の解除条件も確認する。


 魔王を討伐した場合。


 重大な疾病などで戦闘継続が不可能になった場合。


 王国側が契約解除を申し出た場合。


 そして、本人都合で中途解除する場合は金貨百枚。


「本人都合で辞める場合、必要なのは百枚だけですね」


「じゃあ、本当に百枚だけ?」


「百枚払えば、契約上は辞められます」


「だから百枚ないですって」


「神崎さんが払う必要あります?」


 神崎さんが顔を上げた。


「え?」


「転職先に出してもらえばいいでしょう」


「え、そんな会社あるんですか?」


「探します」


「いや、百枚ですよ?」


「百枚出してでも神崎さんを雇いたい会社を探します」


 俺は別の紙を出した。


「そのために、今まで何をやったか教えてください」


 話を聞くと、実績が次々出てきた。オーガ十二体を一人で討伐。ワイバーン三体を撃墜。東部街道を塞いだアーマーベアを単独討伐。


 魔王軍の斥候隊二十七人を撃退。王女護衛中、襲撃者十五人を死者なしで制圧。


「最後のやつ、死者なし?」


「人間だったので。殺す必要なかったですし」


「十分です」


 この世界にも護衛業はある。大商会は隊商一つ動かすのに、十人から二十人の護衛を雇う。危険地域ならさらに増える。一回の遠征で金貨十枚、二十枚は珍しくない。


 襲われて荷物を失えば百枚どころでは済まない。


「百枚って、神崎さんにとっては大金ですけど」


「はい」


「神崎さんを雇う側からすると、そうでもないかもしれません」


「……そんなもんですか」


「そんなもんか確認してきます」



 その日の午後。俺は王都最大のアーデル商会へ行った。これまでに料理人二人と帳簿係一人を紹介したことがある。その時から窓口になっている人事部長のグスタフは、俺が勇者の話を始めると露骨に眉をひそめた。


「勇者殿を、うちへ?」


「はい」


「冗談なら忙しいので帰ってくれ」


「月十二日勤務でどうです?」


「……何?」


「職種は高危険度護衛。主に高額な荷を運ぶ隊商の護衛です。遠征は月二回まで。通常勤務は一日八時間程度。魔王軍との戦争には参加しない。休日の呼び出しなし」


「待て待て」


 グスタフが手を上げた。


「雇えるのか?」


「条件が合えば」


「王国の勇者だぞ」


「契約解除条項があります」


「……いくらだ」


「金貨百枚」


 グスタフが背もたれへ戻った。


「高い」


「去年、南街道で荷を奪われた損失はいくらでした?」


 グスタフが眉を上げた。


「どこで聞いた」


「公開されてる商会の報告書です。金貨二百八十枚相当」


「積荷だけならな」


「護衛が七人亡くなった」


「……そうだ」


「今年、同じ街道を何往復します?」


「十二」


「大型魔獣が出た時は?」


「護衛隊を増やす」


「神崎さん、先月あの街道のアーマーベアを一人で倒してます」


 俺は実績一覧を机へ置いた。


「違約金百枚。月給二十枚。月十二日勤務。危険任務には別途手当」


「王城では月三枚だろう」


「だから辞めたいんです」


 グスタフが笑った。


「随分吹っ掛けるな」


「月二十枚で、騎士団一個小隊より強い護衛が来ます」


「常時ではない」


「十二日です。それ以外の隊商は今まで通りでいい」


「その二本の隊商、今は護衛に月いくら使ってます?」


「平均で四十枚前後だ」


「神崎さんは月二十。二本とも危険任務なら手当を入れて二十四枚。差額十六枚なら、採用費百枚は半年ちょっとで回収できます」


「事故がなければな」


「去年は一回で二百八十枚失ってます」


「途中で死なれたら?」


「危険任務には手当を付けて、月何回までかも決めます。今みたいに何でも神崎さんへ回す契約にはしません」


「言うなあ」


「転職屋なので」


 グスタフはしばらく実績一覧を眺めた。そして、机の端にある呼び鈴を鳴らした。


「金庫番を呼べ」


「契約します?」


「条件をもう少し詰める。そこまでできたら、商会長に決裁を回す」


「もちろん」


「一つ聞く」


「はい」


「勇者殿本人は、本当にうちで働くと言っているのか?」


「まだです」


「は?」


「俺が勝手に転職先を探してる段階なので」


 グスタフが額を押さえた。


「お前、よくそれで百枚の話を持ってきたな」


「条件悪かったら神崎さんに見せる意味ないので」


「……気に入った」


 それから一時間、勤務日数、宿泊、遠征回数、装備修繕費、危険手当、契約解除の条件まで詰めた。俺は合意した内容を一枚にまとめる。


 職種は高危険度護衛。月給金貨二十枚。月十二日勤務。連続二日の休日を月四回確保。危険任務は一回につき追加で金貨二枚。本人が希望しない対人戦争には参加しない。


 神崎さんがこの条件を受けるなら、最後に《契約保証》を掛ける。後からどちらか一方だけが条件を書き換えることはできない。


 その日の夕方、商会長の承認が下りた。


「王国への違約金百枚は、採用費としてうちが負担する」


 グスタフが金貨百枚分の商会証書を机に置いた。


「神崎に返済させる形にはしませんよ」


「当然だ。百枚の借金を背負わせて連れてきたら、王国とやっていることが変わらん」


「そこまで契約書に入れます」


「本当に勇者をうちで雇えるなら、安い買い物だ」



 翌朝。


 条件表の一行目を見たまま、神崎さんは五分くらい動かなかった。


「え、月二十枚……?」


「危険手当は別です」


「休み、月八日あるんですか?」


「最低で八日です」


「じゃあ釣り行けるじゃないですか」


「休日なので」


 月給が六倍以上になった時より、明らかに反応が大きかった。


「俺、これ受けたいです。めちゃくちゃ受けたいです」


「じゃあ次です」


「次?」


 俺は金貨百枚分の証書と、《勇者雇用契約書》を重ねた。


「退職手続きです」

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