プロローグ
部屋の中の静寂は重く、お互いの鼓動の音が響き渡りそうなほどだった。
彼女はベッドの上に横たわり、黒髪を白い枕の上に散らしていた。制服のシャツの胸元は少しはだけ、華奢な首元と肩が露わになっている。
僕は彼女を覆いかぶさるように覆い、その頭の両脇に手をついていた。あまりの近さに、僕自身の髪の影が彼女の顔の半分をほぼ完全に覆い隠している。
小さく乱れた彼女の息の温もりが、まっすぐに僕の唇へと吹きかかってくるのを感じた。
カーテンの隙間から差し込む僅かな光に濡れた彼女の暗い瞳は、どこか切羽詰まったような眼差しで僕を見つめていた。
(どうして……どうしてこんな状況になっちまったんだ?)
喉の奥が苦痛でキュッと締まるのを感じながら、僕は思った。
(ただ、こうなるのを取り返したかっただけなのに。ただ、普通の一日を過ごしたかっただけなのに……)
肋骨を叩く自分の心臓の音がうるさくて、耳が聞こえなくなりそうだった。
近すぎる距離、彼女の肌から漂う石鹸の香り、僕のシャツを探る震える指先の感触……周囲の空気が持つあらゆる重みが、僕たちを「引き返せない場所」へと押し込んでいく。
彼女が唇をかすかに開いた。
次にどんな言葉が紡がれるのか、僕には痛いほど分かっていた。
前にも聞いた言葉だ。
一度や二度じゃない。十回、百回と。
「す……好きです」 彼女が囁いた。
その瞬間、世界中の空気があっけなく凍りついた。
周囲の景色から一瞬で色が失われ、深くて冷たい群青色に染まっていく。
耳の奥で高い金属音がキーンと鳴り響き、足元から重力が完全に消え去った。まるで、立っていた床が千々に砕け散ったかのように。
部屋の光がノイズのようにブレ、暗がりの中に消えていく彼女の顔が、僕の視界に映った最後の光景だった。
カチッ。
――パチリと、目を生み直した。
頭のすぐ脇で、スマホのアラームが耳障りな音を立てて響いていた。
僕はキッチンに立っていた。手に半分の coffeeが入ったマグカップを持ち、朝の強い光が窓から容赦なく差し込んでいる。
自分の手を見つめる。乾いていて、冷たくて、あの震えの痕跡などどこにもない。視線を隣の部屋とを隔てる壁へと向けた。
また、やり直しか。




