帰宅と出立
ラードリアからの手紙で、今日明日あたりにユーリが帰ってくることが判明した。明確な日付はわからないらしいが、この手紙が俺の手元に届いた数時間後から一日二日のうちとのことらしい。
「ねえ、テイン。空を飛んでるの、ユーリかしら?」
妻のリーシャンはずっとこんな調子である。この質問はすでに何回目だったか。
「どれどれ?見せてみろ。」
先程からずっと鳥や落ち葉にそんなことを言っている。その度に俺が確認するが、良い加減面倒になってきた。
今度もどうせ、鳥か何かだろう。楽しみなのはわかるが、気が急きすぎだろう。そんなにすぐユーリを見つけられるわけが……。
「……あれ、人間か?人型だぞ。けど羽が生えてる。」
「羽?なら精霊とかかしらね。ユーリじゃないなら良いわ。」
この妻は忘れているのか。俺たちは3年前のユーリしか知らない。三年も経てば顔つきも変わって当然だ。それなのに、遠目で見て違うと断言できるわけがない。全て近くで確認しなければならない。
「ねえあれ、こっち来るわよ。」
「そうかそうか、そんなに気になるならいっそ、外で待ってるか?」
ユーリじゃないとか言いつつも期待しているんだろう、慌てた様に足音を鳴らしながら外へ出て行った。この手紙が来たのは今朝だ。今は昼。ラードリアの手紙には「数時間後から一日二日」と書いてある。数時間後の方だったとして、そんなに早く来るか?
と、考えつつもユーリに早く帰ってきて欲しいのは俺も同じだ。その人影がこちらへ来るのであれば、例え羽が生えていたとしてもユーリかどうかを最後まで確認しよう。
師匠に渡された謎の魔術具によると、もう少しで我が家へ着くらしい。正直、自分の家の形や色、中身は全くと言って良い程覚えていない。父さんや母さんの顔も。記憶には、見聞きしたものよりも感情が残りやすいというが、いまの僕の状態がそれだ。慕わしい気持ちはあれど顔や声は思い出せない。この状態で父さんや母さんと会って、素直に僕は「ただいま」と喜べるのだろうか。
魔術具が終点を指したその家は、大きな庭と一家に最低限の畑、そして人を楽々通してしまいそうな弱い木の柵に囲まれていた。その庭には二人の人がいて、不審そうに、検める様にこちらを見ている。正確には、羽と僕を交互に見ている。
父さんと母さんだろうか。途中で男の人の方が何かに驚いた様に体を跳ね上がらせ、すぐに隣の女の人を揺さぶる。そして何かを大声で叫んでいる。その声は、辛うじてここまで聞こえてきた。
「リー……ン!…ーリ………って…た…だ!」
はっきりとはわからないが、こんなことだったと思う。
それを聞いた女性が目を見開いて、男の人と僕を交互に見ながら身振り手振りをつけて何かを説明する。それを聞いた男の人が、首を振ってこっちを向いた。その時にはかなり近づいていた僕だが、目算でも10ネータはある。普通の声または小声で話されては聞こえない。
すると、胸を反らせるようにして大きく息を吸ったあと、こっちをはっきり見て、僕に向かって発しているのだとすぐわかる声をあげた。
「ユゥゥーリィィー!!!」
一度指輪への魔力の供給が絶たれ、体制を崩すもすぐに直した。けど、僕の心には動揺が広がっている。
相手は僕を知っている。そして、とても親しそうな間柄。魔術具が指した目的地はここ。わざわざいうまでもない。こここそが、僕の生家なのだ。するとあれは………。
「……父さん!」
ハッとしたように一瞬固まった父さんは、口元を押さえながら手を振る。どうやら間違いではなかったらしい。然しどうやら母さんはまだ困惑してる様だ。僕と父さんを交互に見て、一つ頷いてから羽を見る。そこで首を傾げる。この羽が理解不能の原因らしい。仕方ないから飛行魔法に切り替えよう。やっぱり面倒だからやめておこう。
「母さんですかあ?」
あれ、失言?変なこと言っちゃったかな。母さん固まっちゃった。
10ネータを飛び終わった僕は起立姿勢に戻しながら地面を数歩歩いて降りる。勢いを殺すのにこうした方が足への負担が少ないのだとか。よくわからないけれど。そういうところは習っていない。
「ユーリ、ずいぶん大きくなったんじゃないか?前はこのくらいだっただろ?」
1,9ネータ以上はある父さんが膝のあたりで手をトントンとする。しかし、それでもせいぜい50ヌート程じゃないだろうか。そんなに小さかった覚えはない。
「もう少し大きかったですよ、このくらいなはずです。」
と言って、今度は父さんの腰あたりをトントンとする。よく覚えてはいないが。今が脇腹のあたり、つまり、良い肘掛けにされてしまうくらいの身長なので20ヌート程伸びただろうか。
「そんなに大きかったか。けど、今はもっとでかいな。」
「へへへ、元気だったってことですよ!」
今まで一緒に過ごしていた師匠やミリシアとは僕に対する距離感が少し遠い。かえって僕もどう話せば良いのかわからなくてぎこちない気がする。
それに、僕はこの家での出来事を、本当に衝撃があったりしたこと以外覚えてないから。
「……ユーリ…なの………よね…。」
「母さん。はい、そうですよ。」
どうしたんだろう。母さんも最初の僕みたいになってしまって。
「えっと……その…………。」
「そうだユーリ。さっき羽が生えてなかったか?」
聖霊の羽のことだったか。母さんがすごく頷いている。羽が生えていたら人間なのかどうかも疑うだろう、何ら不思議じゃない反応だったわけだ。だって、母さんが僕を産んだんだから、羽が生えているわけがないから。
「あれは借り物ですよ。僕の羽ではありますけど僕一人の羽じゃありません。」
父さんと母さんの顔に含まれる感情がかなり違って面白い。父さんは諦め。母さんは困惑。きっと父さんは思考放棄したんだ。いかにも体を動かすのが好きそうな体をしている。母さんは真面目な人なんだろう。きちんと知った上で正しく理解したいという気持ちがよくわかる。
「聖霊と契約したんです。さっきのは精霊魔法ですよ。」
納得するかと思いきや、二人でも目を剥いて身振りでもわかるくらいに驚く。父さんに至っては近付き難いものみたいに、一歩下がってしまった。
どうしてそんな反応をされないといけないのか。そこは褒めるところだろう。よく頑張ったね、大変だったね、おかえり、帰ってきてくれてありがとう。そういう言葉をかけてもらう場面ではないのか。
僕だって契約したくてミリシアと契約したわけじゃないし、起こしたくてミリシアを起こしたわけじゃない。そんな反応をされる筋合いはないのに。
「聖霊と、契約。だから、羽が生えてた……のね。」
そうですそうです、そうなんですよ。そうなのはわかったはずなのに何故まだ僕を疑わしそうな目で見るんですか。まだ何かを隠しているんじゃないか?そういうことか?隠していることなんかない。何度も魔力切れを起こしたのも、巨岩から落ちかけたことも、そもそも巨岩の上に住んでたことも、聞かれてないから教えていないだけだ。巨岩に住んでたことは後で話すんだけど。
「まあ、何かすごいものを持って帰ってきたユーリだけど、顔には面影があるし、俺たちの大事な息子に変わりはない。おかえり、ユーリ。」
理解を諦めた感じも含む笑みで父さんが僕に言う。母さんも切り替えたみたいだ。一人、少し離れたところにいたが父さんの隣に並んだ。
「そうね、子供がすごいことをやってのけたのなら、祝ってあげるべきだもの。今日はユーリが帰ってきた日だし、ご馳走にしようか。お昼は食べた?」
家の中に向かい始める後ろで、僕は少し立ち尽くした。「おかえり」を欲しがっても、僕が、僕自身が戸惑いを感じている証拠だ。受け入れようとしているのに、受け入れようとしていない。我が家に帰りたいのに、家は巨岩だと思ってしまう。
「ユーリ?」
声をかけたいのに、中途半端に開いた口からは乾いた風しか通らない。目を見たいのに、どこか別のものを見ている感じだ。隣を歩くべきなのに、まるで絵画を見ているように近くに行けない。
僕は本当にここの家の子供なのだろうか。そうだっただろうか。誰か、僕の子供の頃を思い出させて欲しい。そうしたら、僕は普通に家に入れるかもしれない。
「久しぶりの我が家だもんな。まずは荷物を置いて来よう。」
父さんが背中を押してくれてやっと足が動く。鈍い動きのまま父さんに連れられて来たのは、【ゆーりのおへや】と書かれたプレートが下がる部屋だった。すぐにそれが自室だとわかる。そのことが今の状況に現実味を与えて、僕の記憶を刺激する。
大丈夫だ。ここは、僕の家。この部屋は、僕の部屋。少し高いところにあったドアノブ。今は前より近くなった。そう言うことが感覚でわかるなら、この家は確かに僕の家だ。
部屋を開けたら、そこには埃のない綺麗な部屋があった。母さんが掃除をしていてくれたのだろう。綺麗に畳まれた布団。しわなくかけられている服。間違いなく、僕の部屋だ。
どうやら僕は知らず知らずのうちに、携帯ハウスの部屋でも自分の部屋を再現していたらしい。部屋になら、親しみを持てる。きっとそれは、まだきちんと家の中を見てないせいだと思うけど。
「夕飯ができたら呼ぶわ。それまで部屋にいても良いし、庭に出ても良いし、好きなことをしていて。」
「じゃあ父さんと稽古をつけるか!」
これがいつもの家族風景。
「ユーリは魔術師でしょ!」
「はっはっはっはっは!そうだったな。」
この中に、僕もいたのか。
『稽古をつけるか!』
『えー!僕かあしゃんみたいになりたいよお!』
『ユーリは魔術師になるのよね。』
『まじゅちゅしってなーに?』
『魔法を使う人のことよ。私もそう。』
『かあしゃんまほーつかうの!?見せて!!』
『ォオイ俺の稽古は!?』
僕に、魔法という道を与えてくれた人。それが、母さん。
「…父さんと、稽古します。」
「お、そうか!」
「いいの、ユーリ?魔法は全く関係ないけど…。」
良いんだ。僕だって、魔法ばかりを使ってはいられない。芸は多い方が道は広がる。それに、師匠はとうとう最後まで攻撃手段を教えてくれなかった。反撃が必要になった時、守ってばかりじゃいけないから。
「格闘を教えてください。それか、短剣の扱いを。護身術です。」
「なるほど、ショートソードくらいならあるぞ、昔ユーリが使ってた。」
「それで良いです。」
学校に行くまでの少しの間だ。そのうちに、三年会えなかった家族と話しておこう。学校に行ったら、あまり帰ってはこられないはずだから。学校は、北部にある。その前に試験を受けないといけないとは言え、僕は受かるつもりだ。師匠のためにも。
「じゃあリーシャン、行ってくる。」
「ええ、いってらっしゃい。ユーリもね。」
「はい、行ってきます。」
その数日後、無事に試験を合格した僕は、特級魔法学校〈ファグルウェー〉に入学することになった。
三年ぶりに、私たちの息子と顔を合わせた。ユーリには羽が生えていたし、聖霊と契約したと言っていたし、色々と自分とは違う人間になっていたのが一目でわかった。
お互い、初めのうちは気まずかったけど、段々と会話の機会も増えて、ユーリが笑うことも増えた。小さい頃に親元を離れたから、距離を測りあぐねている感じはあるけれど、至って普通の家族になった。
帰ってきた一日目、私はご馳走を作った。ユーリが帰ってきた祝いだ。夕食の席で話は弾んだ。
ユーリがラードリアに無茶苦茶されたこと。住んでいたのは何と『刺天の巨岩』だったこと。結界魔法が使えること。その結果指輪がついていたこと。ここはどうしてそうなったのか、ユーリもわからないらしい。その指輪が実は聖霊王だったこと。聖霊王と契約したこと。精霊魔法が使えること。その他諸々。
実際に修業の話を聞いてみれば大変だったけど、ユーリの主観だからラードリアがどうとか言うところは実際にはわからない。例えば、「師匠が岩に結界を張れって言うから『刺天の巨岩』に張ったら怒られた。わけがわからない。理不尽だ。」と言うところは、『刺天の巨岩』じゃない岩を指してのことだったかもしれないし、張った結界を間違えていたとか、他の要因だってあるはずだ。そう言う話もしてやった。
その夜は、扉やカーテンを閉め切った結果、何故か布団の一部やお洋服が焦げていた。暗くて何も見えなかったから火球で照らしていたらしい。火球で燃やすと煙が出なくてよかった。
その後、試験の日になると、応募した家まで試験官が来てくれる。その試験官に出された課題をしっかりこなしたユーリは、無事合格だった。
その日の夕食は何を学んだかの話になった。ユーリは、「浮遊魔法と結界魔法を師匠に、精霊魔法をミリシアに教えてもらいました。」と言ったけれど、ミリシアって誰、と聞いたらまさか聖霊王だった。ユーリがつけた名前らしい。それが六歳の頃だったらしいから、一番充実していたのは六歳の年だったんじゃないだろうか。
そんなわずかな楽しい日々が終わり、今日はユーリが旅立つ日。またこれから何年もユーリは親元を離れてしまう。仕方のないことだけど、どうしても寂しいものは寂しい。
「それでは、父さん、母さん、行ってきます。」
敬語は結局、直らなかった。
「おう、行ってこい。無事に卒業して帰ってくるんだぞ。」
「もちろんです。母さん、父さんをお願いしますね。」
テインの何をお願いされたのか。
「ええ、もちろんよ。いってらっしゃい、ユーリ。」
「はい、行ってきます。」
そう言ったユーリの顔は、少し複雑そうで、どこかよそよそしさを感じた。




