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一般的に言われる「ご都合主義」の「ご都合」とは「作者の怠惰」である

前回までの話で、すべての作品が「ご都合」によって作られていることはわかったと思う。


しかし「なろう」等で言われている「ご都合主義」と先ほどまでの「ご都合主義」がズレていることは言うまでもないことだと思う。


では、一体何が違うのか。


一般的に言われている「ご都合主義」の「ご都合」とは、主人公がどこかのキャラに「会うこと」ではなく、最初の例である「強い能力を持つこと」である。


……う~む。しかし、だ。


この「強い能力を持つこと」を「ご都合」と言って排除してしまっては、ファンタジー作品を作る者とすればかなり苦しいものがある。


話の書き始めがなくなってしまえば、当然ながら物語は書けないわけで。


だからこれを「ご都合」と言ってしまうのは、私としては異を唱えざるを得ない。


私の考えでは、これを「ご都合」とは思わない。


私が思う「ご都合」とは「作者の怠惰」である。


後ほど具体例を用いて「作者の怠惰」について説明するので、今は少し我慢して読んでいただきたい。


ほとんどの創作者というものは「始め(スタート)」と「終わり(ゴール)」を想像して書いていると私は思っている。


・こういうシーンを入れたい。

・こういう終わり方をしたい。

・こんなことを主人公に言わせたい。

・これを敵に言わせたい。

などなど……。


物語を作る以上、必ず自分が伝えたいシーンがある。


しかし、物語というのは連続である。いきなり脈略もなく違うシーンに飛ぶわけがない。


純粋に敵と戦っている最中に主人公が突然「お前のことが好きだ!」と告白するわけがない。


女の子に告白するところで「俺はもう二度と負けねぇから! 文句あっか、海賊王!」とは叫ばない。


始め(スタート)」と「終わり(ゴール)」を作るのはもちろん大事なことで、それがなければなにも始まらない。


だから物語を創作するうえで、これを意識して作ることは決して間違いではない。


問題は、その「始め(スタート)」と「終わり(ゴール)」をいかに、違和感なく繋げられるか、なのではないだろうか。


ここが創作するうえで最も難しいところなのである。


自分が伝えたいことまで繋げるためのシーンを作ることは、創作者としてはとても面倒くさいと思うし、そのシーンは作者にとっては「挟まれたどうでいいシーン」なのだ。


だから、ここを円滑に進めるのは大変難しく、時間もかなり要してしまう。


例)

始め(スタート):強い敵が現れる。

終わり(ゴール):強い敵を剣・魔法で倒す。


おそらく頭の中では作者はここまではイメージができている。


しかし、この間を埋めるとなると作者は「どうしようか?」と悩み始める。


そこで行われるのが「作者の怠惰」なのである。


この中間を全部なくして、このまま書くという方法の他に。


例)

始め(スタート):強い敵が現れる。

中間:この剣・魔法・技は防御不可避である。

終わり(ゴール):強い敵を剣・魔法で倒す。


連続に物語を進められないから、このように断続的に、急でとってつけたような「情報」を持ち込む。


情報さえあれば、描写はなくても展開がなんとなく読者に伝わって(そういうものだと思わせて)物語は進む。


展開が読者に伝わる。


一見聞こえはいいが、言ってしまえば「読者が勝手に描写を補完しろ」となってしまっていないだろうか。


読者が描写を補完するのはそこまで珍しいことでも、悪いことではないのだが、あまりにも押しつけすぎではないだろうか。


特に、重要なシーンほど「そういうものだ」と決めつけられて進められてしまっては余計に「ご都合」感が増しているように見えてしまう。


やはりそれが作者の「お粗末さ」であり、「ご都合」なのである。


『具体的には書かないけど、自分と同じ想像を読者もしておけ』

『奇跡ではないけど奇跡であること理解しろ。その逆も然り』


無理な話である。


こういった描写のない描写による違和感や、強引な展開が「ご都合」になってしまうのである。


私が思うに。


展開というのは写真。アニメでいうところの静止画である。


時間の飛んだ写真をいくつか順番に貼れば、なんとなくどういった流れになっているのかはわかる。


しかし、それじゃどうやったの?


と聞かれれば、皆「ん?」としか答えれなくなる。


運動会の徒競走を例にしよう。


スタートする直前の写真とゴールした写真、そして順位さえわかっていれば流れはなんとなくは掴める。


しかし、考えてみると「何位になってゴールしたんだな」ということしかわからない。


「それじゃ、途中に写真を挟めばいい」と思うかもしれない。


だが、それでもダメだ。


誰かを抜いている写真を入れたところで、抜いたことはわかったが、どう抜いたのかはわからない。


急加速したのか、相手が減速したのかもしれない。


他にも、相手とかなりの接戦があったのかもしれない。


どれだけ写真を貼ったところで、それは結局「情報」だけであり「動き」はない。


それをそのままにして「彼は皆を抜く力があったんだ」とあとから付け加えると「ご都合」になってしまう。


その結果「では、なんで最初から一気に皆を抜かなかったの?」と疑問に思われてしまう。


と、ここまで言ってみたが「結局どういうことなの?」と思う人がいるので、ここから実際に「なろう」をイメージした具体例に入っていきたいと思う。


ということで。


私自身言葉だけではうまく説明できないし、自分自身で書いたことを理解もできないので一緒に整理しましょう。

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