第一話「深層の孤独」
ダンジョンは、静かだった。
地上では、雨が降っているらしい。
入口付近の岩肌を伝って、水が落ちる音がしていた。
俺は階段を降りる。
一層。
二層。
三層。
下に行くほど、空気が軽くなる。
普通の冒険者なら逆だ。
濃い魔力に酔って、息が詰まる。
だが俺には、この深さの方が楽だった。
漏れた魔力を、ダンジョンが飲んでいく。
ようやく呼吸ができる。
十年間、そうやって生きてきた。
松明はいらない。
壁に染み込んだ俺の魔力が、青白く通路を照らしている。
最深部へ向かいながら、俺は追放の書類を思い出していた。
『戦力外』
エリスの字は綺麗だった。
あいつは昔から、字だけは妙に丁寧だった。
——少しくらいは、仲間だと思っていた。
思考を切る。
考えても意味はない。
俺はもう、戻れない。
戻る気もなかった。
七十二層に着いた頃だった。
違和感があった。
空気が乱れている。
魔力の流れが、不自然に震えていた。
魔物じゃない。
この揺れ方は——。
通路を曲がる。
崩れた石壁の奥、小さな空洞があった。
そこに、人がいた。
子どもだった。
年齢は十歳前後か。
灰色の髪がぼさぼさに乱れている。
痩せていて、膝を抱えていた。
俺に気づいた瞬間、びくりと肩を震わせる。
「来るな……!」
声と同時に、空気が弾けた。
魔力暴走。
周囲の岩壁に亀裂が走る。
足元の魔鉱石が砕け、青白い火花が散った。
だが、それだけだった。
俺は立ったまま、子どもを見る。
子どもの顔が凍った。
「……なんで」
壊れないんだ。
そう言いたいのは分かった。
近くにいるだけで魔道具が壊れる。
魔物が暴れる。
人が離れていく。
多分、そういう体質だ。
知っている。
俺も同じだった。
俺は空洞の入口に腰を下ろした。
子どもが怯えた目でこちらを見る。
「……寒いだろ」
返事はない。
「奥に来い。ここ、魔力が薄い」
「来るなって言ってるだろ……!」
震えた声だった。
怒鳴っているのに、泣きそうだった。
俺は少し黙る。
それから、壁に背を預けたまま言った。
「壊れないよ」
子どもが息を止める。
「お前の魔力じゃ、俺は壊れない」
沈黙。
ダンジョンの奥で、水滴の落ちる音がした。
子どもの周囲で荒れていた魔力が、少しずつ静かになっていく。
俺の漏れた魔力を、ダンジョンが飲み込んでいた。
しばらくして。
小さな声が落ちた。
「……ほんとに?」
「ああ」
「……気持ち悪く、ないのか」
その言葉だけで、だいたい分かった。
どこにいても、そう言われてきたんだろう。
俺は少し考えてから答える。
「別に」
子どもは、呆然と俺を見ていた。
まるで、意味の分からないものを見るみたいな顔だった。
俺は立ち上がる。
「来るなら来い」
「……どこに」
「俺の家」
そう言ってから、少しだけ止まった。
家。
口にしたことのない言葉だった。
でも、不思議と違和感はなかった。




