オジサン、迷子になる ⑥
「ソレ」は、角が生えた黒ワニのような、軽自動車ほども有るクッソデケエ顔だ。
ショッキングピンクの光が映り込んだ金色の眼が、状況を確認するように忙しなく動く。
金色の瞳が、目の前でへたり込んでいる小さな子供の―――、ヒナの姿を捉えた。
作り物には見えない凶悪な顎が、グワッっと縦に開く。
ヒナに覆い被さろうとする顎に、一瞬で俺の頭に血が上る。
久しく感じたことのない、全身が沸騰するような、慣れた感覚。
激しく焦っているはずなのに、心の芯は急激に冷めていくような、ブチギレ。
何か―――、!! 何か無いのか!?
無心で振る指先に、触れた何か。
全力で掴んだ何かを、力一杯、投げつける。
バチッ!! っと、俺の背後で電気ショートしたような光が弾けたような気がするが、構っている余裕なんて、微塵も無い。
金色の“的”に向かって、一直線に飛んだショッキングピンクが、へしゃげて、爆散したように砕け散る。
痛みを感じたのか瞼が閉じて、同時に“穴”が、ブルッと、ブレたようにも見えたが―――
「ギャオオオオオオオ!!」
両耳の耳元で、目一杯、シンバルを打ち付け合ったような絶叫に、脳が揺さぶられる。
物理的に頭を殴りつけられるような、金属的な大音響を残して、巨大なワニ顔が“穴”の中へと引っ込んだ。
間に・・・合ったか―――、?
そんなことを、考えてしまったことが不運を呼び寄せたのかもしれない。
掴み取ろうと伸ばした手が、掴む前に―――
「―――あっ・・・」
呆けたような呟きと共に、ぐらり―――、と、ヒナの小さな体が、後ろへ傾く。
真っ黒い、大きな“穴”に向かって。
6メートル以上、離れていた俺でも、馬鹿デカい音量に意識を持って行かれそうになったぐらいだ。
手が届くような目の前で、あれだけの大音量を浴びせ掛けられれば、平衡感覚を維持できなくて当然だ。
鼓膜が破れていなければラッキー、と言ったところだ。
「間ァに合えええええ――――――――ッ!!」
落ちる―――、と感じた俺は、駆ける勢いそのままに、頭からダイブした。
かわいい顔に恐怖を貼り付け、俺へと手を差し伸べるヒナの体は、すでに、背中から“穴”の内側へと踊り出している。
永遠にも感じる、一瞬。
全身全霊を賭けて伸ばし返した指先が、掴んだ、と感じる同時に、体の位置を入れ替えるように、俺はヒナの体を放り投げた。
円形に切り取られつつ有る“穴”の外へと向けて。
「―――社長に・・・!!」
ヒュッと股間が冷えるような浮遊感に抗いながら、全力で叫ぶ。
ヒナを放り投げた反動で、俺の落下速度が加速する。
「社長ンとこへ行けええええええ――――――ッ!!」
距離感も分からない真っ暗な遙か頭上に、ぽっかりと丸く切り取られた夜空が見える。
姿は見えないが、ヒナだけは“穴”の外側へと戻せたはずだ。
脱力するような安堵感と、浸食するように湧き出してくる不安感。
ヒナは無事か!?
恐ろしいほどの速度で、遠ざかっていく、丸い星空。
ノーヘルのバイクなんかで、時速200kmほどもアクセルを絞れば、正面の1点しか見えず、壁のように分厚く叩きつける風と一緒に、周囲の景色が後ろへと、すっ飛んでいく。
あの、視野が狭くなる感じを、逆再生の動画で見せられているようだ。
落下感と速度感はあるのに、無風だからか現実感が無くて、動画のように感じるのかも。
こりゃあ、死んだかなぁ、と、暢気に苦笑すると同時に、新鮮だな、なんて、頭の隅で冷静に考えている自分がいる。
しかしコレ、頭っから真っ逆さまに“落ちてる”はずなんだよな?
移動している感覚は有るのに、落下している感覚では無いと感じている。
この違和感は、いつの間にか吹き付けてくる風が止んでいるせいか?
方向感覚だけじゃねえな。
時間の感覚もおかしくなってる?
”穴”へと飛び込んだのが数秒前のことなのか、数分前のことなのか、あやふやで確信が持てない。
“下”と思われる方向を見上げると、“下”にある”頭上”に、小さな白い光が見えた。
一瞬、「月か?」と思ったが、どうやら違うようだ。
遠ざかって見失った足下の夜空とは逆に、とんでもない勢いで丸い光が近付いてくる。
そうそう、こんな感じだよ。
深夜、超絶スピード違反でブッ飛んでる時に、照明に明るく照らされたトンネルへ突っ込むときの視界に似ている。
「―――んん?」
ずいぶんと、先。
俺が“落ちて”行く前方に、丸く切り取られた白い光の中に、何かのシルエットが動いている。
藻掻くように蠢く「ソレ」の姿を認めて、俺の頭に、再び血が上りはじめた。
オジサン迷子になる⑥です。
ターゲット、ロックオン!
次回、空中戦!?