第23話 最後にもう一度だけ 後編
ぼくとせいか、ひかり、そしてモカは、キャンプ地を出てモカの家へ向かっていた。
モカはぼくたちより少し後ろを歩いている。
ずっと下を向いたままだ。
「モカ、大丈夫?」
ぼくが振り返って声をかける。
「……大丈夫です」
返事はあった。
でも、その声にはまったく元気がなかった。
誰が見ても、大丈夫なんかじゃない。
「もしかして……怒ってる?」
今度はせいかが優しく聞いた。
「少しだけ……」
モカが小さく答える。
「やっと忘れようとしてたのに……」
一度言葉を切る。
「なのに……また家に行けって……少しひどいです……」
「そうだよね……ごめんね」
せいかが申し訳なさそうに謝る。
ぼくは何も言えなかった。
しばらく歩くと、壊れた家が見えてきた。
その瞬間だった。
モカが何も言わずにくるりと振り返る。
そして、キャンプ地の方へ歩き始めた。
顔は真っ青だった。
「待って!」
ひかりが慌てて呼び止める。
モカは足を止め、ゆっくり振り返った。
「ごめんなさい……やっぱり無理です」
震える声だった。
せいかは何も言わず、そっとモカの手を握る。
「モカ」
ぼくは静かに口を開いた。
「ぼくたちが連れてきたかった場所は、ここじゃないんだ」
「え……?」
モカが不思議そうにぼくを見る。
「私たちが付いてるから大丈夫」
せいかが優しく囁く。
モカは不安そうな顔のまま、小さく頷いた。
「……はい」
四人で家の中へ入る。
「ひどい……」
モカが思わず呟く。
猿たちに荒らされた家は、前よりもさらに痛々しく見えた。
せいかは握っているモカの手に、少しだけ力を込める。
ぼくたちは、そのままシトロンさんの書斎へ向かった。
部屋に入ると、モカはずっと下を向いたまま、小さな声で言った。
「お願い……もう私、帰りたい……」
胸が苦しくなる。
「この部屋なら何回も来たことがあります」
「ここには何もありません」
「もう帰らせてください」
その言葉を聞いて、ぼくは迷った。
ここで引き返すべきなのか。
これ以上モカを苦しめたら、一生消えない傷を残してしまうかもしれない。
でも――。
ここで帰ったら、モカはもう二度とここへ来られない。
ぼくは覚悟を決めた。
(シトロンさん……あなたを信じます)
そう心の中で呟くと、ぼくは床へ歩み寄り、静かに隠し通路の入り口を開いた。
「ガコッ」
ぼくが隠し通路の入り口を開くと、モカが目を丸くした。
「え……?」
床の下から現れた梯子を見つめたまま動かない。
「なにこれ……?」
信じられないという顔で呟く。
「私……こんなの知らない……」
その声には驚きがにじんでいた。
「私たちが案内したかったのは、この先です」
ひかりが優しく微笑む。
「さあ、進みましょう」
モカは小さく頷くと、ぼくたちと一緒に梯子を下り始めた。
青白く光る石が照らす洞窟をゆっくり進む。
モカは辺りを何度も見回している。
驚いているというより、頭の中が整理できないような顔だった。
せいかにそっと手を引かれながら、一歩ずつ進んでいく。
(やっぱり……)
ぼくは確信した。
モカは、この場所のことを何も知らない。
やがて洞窟の先が明るくなった。
まぶしい光に包まれ、一歩外へ出る。
「え……?」
後ろから小さな声が聞こえた。
振り返ると、モカがその場にぺたんと座り込んでいた。
「陽だまりの木……?」
「お父さんとお母さんの木……?」
「こんなにいっぱい……?」
「なんで……? だって、あの木は折られて……」
「ここ……どこ……?」
混乱したように何度も呟いている。
「大丈夫」
せいかがしゃがみ込み、優しく微笑んだ。
「ゆっくり歩いてみよう」
モカは静かに立ち上がると、今度は自分から歩き始めた。
木々の間を通り、水路をのぞき込み、小さな苗木の前で立ち止まる。
苗木を支える添え木をじっと見つめ、その結び目に指を添えた。
「この結び方って……」
懐かしそうに呟く。
そして、ぼくを振り返った。
「この場所……おじさんが?」
「うん」
ぼくは頷く。
「たぶんね。この場所は崖に囲まれていて、出入り口はシトロンさんの部屋につながるあの通路だけ。だから、ここへ来ていたのはシトロンさんだと思う」
モカは真剣な顔で話を聞いていた。
さっきまでの暗い表情とはまるで違う。
「おじさんが……ここに来てたんだ……」
そう呟いてから、もう一度ぼくを見る。
「でも……なんで?」
「その答えを見つけるために」
ひかりが小屋を指さした。
「あそこへ行ってみませんか?」
「どうする?」
せいかも優しく尋ねる。
「行く!」
モカは迷わず答えた。
「おじさんが、なんでこんなことをしてたのか知りたい!」
その目には、久しぶりに強い光が戻っていた。
ぼくは少しだけ安心する。
あの頃の、好奇心いっぱいのモカが戻ってきた気がした。
ぼくが鍵を開けると、モカは真っ先に小屋へ入っていった。
「うわぁ……汚い」
部屋中に散らばる資料を見て苦笑いする。
「おじさんって片付けるの下手なんだよね……。いっつも私が片付けてたんだ」
そう言いながら、慣れた手つきで紙を拾い集め始める。
ふと、机の上の一本のペンに目を止めた。
そっと手に取り、大事そうに握る。
「このペン……」
モカがぼくを見る。
「おじさんが、いつも使ってたものです」
その一言で、この場所が確かにシトロンの居場所だったことが、モカの中でも確かなものになっていった。
モカは、さっき拾った資料を大事そうに手に取った。
表紙には、
「陽だまりの木の成長記録」
と書かれている。
パラパラとページをめくるモカ。
でも、すぐに困ったように首をかしげた。
「難しくて……よく分からないです」
すると、ひかりがそっと横へ来る。
「見せてもらえますか?」
資料を受け取ると、優しくページを開いた。
「これは、陽だまりの木の成長を記録したものですね」
ひかりは外の森を指さす。
「ここを見てください」
「外には、大きな木も小さな木もたくさんありましたよね?」
モカが頷く。
「多分、何年も前から一本一本の成長を記録しながら、お世話を続けていたんだと思います」
「何年も……」
モカが資料と外の森を交互に見つめる。
「あのおじさんが、ずっとやってたなんて……」
驚いたように呟いた。
その時だった。
「あっ、ひかりさん!」
モカが別の資料を持ってくる。
「これも教えてください!」
表紙には、
「陽だまりの木の加工方法について」
と書かれていた。
ひかりは資料を開き、ゆっくり読み始める。
「これはですね」
「陽だまりの木を使った加工方法について研究した資料です」
「加工?」
「はい。実や葉っぱ、種などを利用して、何か商品を作れないか考えていたみたいですね」
「商品……」
モカは食い入るように資料を見つめる。
「ここ……何回も書き直した跡があります……」
紙には消したあとや書き足した文字が何度も残っていた。
「何回も失敗しながら、それでも考え続けていたんですね」
ひかりが静かに言う。
「おじさん……」
モカが小さく呟く。
「なんでこんなこと、やってたんだろう……」
その言葉に、せいかがそっとぼくを見る。
「こうちゃん……」
「うん……」
ぼくは小さく頷いた。
今しかない。
前に見つけた、あのお菓子の缶。
あの中に入っていた三枚の紙。
シトロンさんが陽だまりの木を育て続けた理由も。
商品にしようと何度も挑戦した理由も。
そして、モカに一番伝えたかった思いも。
全部、あの中に詰まっている。
だけど――。
(もし、モカに伝わらなかったら……)
胸が強く高鳴る。
ぼくは無意識に、お菓子の缶を握る手に力を込めた。
「モカ……実はこれを見てほしかったんだ……」
少し緊張しながら差し出す。
「これ……何ですか?」
モカは不思議そうな顔で缶を受け取った。
「シトロンさんの部屋の本棚の一番上に置いてあったんだ。」
せいかが静かに言う。
「ほこりも全然かぶってなくて、すごく大事にしまってあるみたいだった。」
ひかりも真剣な表情で続ける。
「私たちは一度中を見てしまいました。でも……これはモカさんが見るべきものだと思います。」
「私が……?」
モカはぼくを見る。
「僕たちはこれを見て、シトロンさんが何を考えていたのか少しだけ分かった気がする。」
ぼくはゆっくり頷いた。
「だからモカにも確かめてほしい。」
モカは何も言わず、小さく息を吸った。
そして、ゆっくり缶のふたを開ける。
「え……?」
一枚目を取り出した瞬間、手が止まった。
幼い子猫。
無表情で前を向く、小さな女の子。
「……私?」
絵を顔に近づける。
少し離す。
また近づける。
「これ……私、だよね……?」
誰に聞くでもなく呟く。
「こんなの……見たことない……」
首をかしげる。
「なんで……?」
モカは困ったような顔のまま、二枚目を取り出した。
「あ……」
その瞬間だった。
時間が止まったように動かなくなる。
目だけが大きく開いていく。
「お父さん……」
小さく呟く。
「お母さん……」
震える手で絵を持ち上げる。
二人とも笑っていた。
優しく。
あたたかく。
小さなモカを見つめる時と同じ笑顔で。
「……ひさしぶり。」
かすれた声だった。
モカはそっと絵を胸に抱き寄せる。
「お父さん……」
「お母さん……」
まるで、本当に会えたみたいに何度も名前を呼ぶ。
「また……顔が見れた……」
ぽたり。
一粒の涙が絵に落ちる。
その一粒をきっかけに、次々と涙があふれ始めた。
「会いたかった……」
絵を抱きしめたまま、小さく震える。
しばらく誰も声をかけなかった。
ようやくモカは涙をぬぐう。
そして、不思議そうに首をかしげた。
「……どうして?」
今度は涙とは違う戸惑いだった。
「なんで、おじさんがこの絵を持ってるの……?」
「これ……家にも無かったのに……。」
混乱したまま、三枚目を手に取る。
「えっ……」
今度は驚きで息が止まった。
「これ……」
そこには子どもの描いた下手な猫の絵。
でも、その特徴はすぐ分かった。
「これ……私が描いた、おじさんです……。」
指先でそっとなぞる。
昔の記憶が一気によみがえる。
「覚えてる……」
「小さいころ、一生懸命描いて……。」
「ほめてもらいたくて、おじさんに見せたんです。」
少し笑う。
でも、その笑顔はすぐ消えた。
「でも……。」
「おじさん、一回見ただけで何も言わなくて……。」
「そのままどこかへ行っちゃって……。」
モカの目からまた涙があふれる。
「私……。」
「下手だったから捨てられたんだって……。」
「ずっとそう思ってた……。」
震える指で絵を握る。
「どうして……。」
「取っておいてくれたんだ……。」
その時だった。
絵の下から、小さく折りたたまれた紙が、はらりと落ちた。
モカは息を止める。
震える手で拾い上げる。
ゆっくり開いた。
『俺は、あいつの親にはなれない。』
『でも、あいつの未来は考えてやりたい。』
「……え?」
モカの動きが止まる。
何度も読む。
もう一度読む。
また読む。
「……うそ。」
首を横に振る。
「そんな……。」
「だって、おじさん……。」
「私のこと……。」
涙で字がにじむ。
服の袖で目をこすり、もう一度読む。
また読む。
もう一度。
その時だった。
モカはゆっくり顔を上げた。
陽だまりの木。
何百本も植えられた森。
毎日手入れされた水路。
使い込まれたスコップ。
積み重なった研究資料。
何度も書き直された商品化の記録。
大切にしまわれた三枚の絵。
全部が。
本当に全部が。
一つにつながった。
「この森って……。」
震える声が漏れる。
「陽だまりの木を育てて……。」
「研究して……。」
「商品にしようとして……。」
「全部……。」
モカの瞳から、大粒の涙があふれ続ける。
「全部……私が、一人でも生きていけるように……?」
「全部……私の未来のため……だったの……?」
モカは、三枚の絵を胸に抱え、僕に確認するように尋ねてきた。
ぼくは静かに頷いた。
「うん。」
一歩だけモカに近づく。
「シトロンさんは、ずっとモカの未来のことを考えてたんだと思う。」
その言葉を聞いた瞬間だった。
モカの体から力が抜けた。
「……あっ。」
ぺたん、とその場に座り込む。
三枚の絵を胸に抱えたまま、うつむいて動かない。
「どうして……」
小さな声が聞こえた。
「どうして……何も教えてくれなかったの……」
返事をする者はいない。
「教えてくれたら……」
モカの肩が震え始める。
「教えてくれたら、私だって手伝えたのに……」
涙が次々と地面へ落ちていく。
「陽だまりの木だって……研究だって……」
「一緒にお世話したかった……」
声が震える。
「私だって……」
「私だって、おじさんの力になりたかったよ……」
胸に抱えた絵をぎゅっと抱きしめる。
今まで必死に押さえ込んできた気持ちが、一気にあふれ出していた。
「おじさん……」
ゆっくり顔を上げる。
青い空が広がっている。
風が陽だまりの木を揺らし、葉っぱがさらさらと音を立てた。
「あいたいよ……」
ぽつりと呟く。
「あいたいよ……」
もう一度。
その声は今にも消えてしまいそうなほど弱かった。
だけど次の瞬間。
「おじさーーーーん!!」
森中に響くほど大きな声だった。
「会いたいよーーーー!!」
モカは空へ向かって叫ぶ。
大粒の涙が止まらない。
「ありがとうって言いたいよ!!」
「ちゃんと伝えたいよ!!」
「なのに、もういないなんてやだよぉ!!」
「おじさーーーーん!!」
「ワァァァァーーーン!!」
その場にうずくまり、子どものように声を上げて泣き崩れた。
今までずっと我慢していた涙だった。
家を失った時も。
陽だまりの木を折られた時も。
シトロンさんが崖へ飛び込んだ時も。
みんなに心配をかけないように、必死に飲み込んできた涙。
その全部が、一気にあふれ出していた。
ふと横を見る。
せいかは涙を流しながら、口元を押さえていた。
ひかりは目を閉じ、静かに涙をぬぐっている。
ぼくは何も言えなかった。
「大丈夫」なんて言葉は違う。
「元気を出して」なんてもっと違う。
今のモカに必要なのは、泣き止ませることじゃない。
心の奥に閉じ込めていた悲しみを、全部吐き出すことなんだ。
だからぼくたちは、誰も声をかけなかった。
ただ静かに、モカのそばに立っていた。
シトロンさんは、本当の親ではなかったのかもしれない。
でも。
命をかけて未来を守ろうとした。
何年も一人で陽だまりの木を育て続けた。
その姿は、誰が何と言おうと家族だった。
ぼくは陽だまりの木を見上げながら、心の中で静かにそう思った。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!
毎週土曜日に更新しています。もしよろしければ、ブックマーク登録よろしく願いします!
noteでも活動してます。よかったら「どら猫商店」で検索してみてください!
色々な「どら猫」たちのイラストも掲載してます。
ぜひ、遊びに来てください!




