第5章 日本刀
「川崎さん。今日はもう相談室は閉めるよ。河辺さんの相手と話し合ったほうがいいので、探しに行きましょう」
恵美莉は学生相談室のドアに『受付終了』の札をかけて鍵をかけた。
みのりのスマホに表示された元カレの現在地は、大学のキャンパス内になっていた。その距離は徐々に近づいてきている。
「ああ、ダメだ。もうそこにいるぅ~」
「ああ、ホントですねぇ。どうしましょうか」
「恵美莉にスマホ預けて逃げたいですぅ」
「嫌よ、あたし」
「逃げても解決しませんよ」
「でも、返すお金ないし」
「折角、大学まで来てくれたんだから、それをちゃんと話しましょうよ」
桧垣は余裕の表情をしていた。
「先生がいるから大丈夫だって、イザとなったら、あたしもガツンと言ってやるから」
「でも、そんなんで言うこと聞く人じゃないからぁ」
廊下を恵美莉がみのりを先導して歩いている。その後ろには桧垣助教授もついてきていた。
「二人だけになったら、向こうの思うツボだから、ここだったら周囲の目もあるし、冷静に話ができるんじゃない? それに先生もいてくれる時のほうが、絶対にいいって」
今にも取り乱しそうなみのりに、言い聞かせるように恵美莉は話した。
春樹が正門の見えるロビーのベンチに一人で座っている。佐々木とみのりが一緒にやってこないか探っていたのだ。スマホに目を落としながら時々、外を確認していた。しかし、もう4時限目が始まって1時間ほど経つが、二人は現れなかった。
(ふう。勘が外れたか。佐々木にLINEしてみようかな?・・・いや、用もないのに変だな)
春樹は4時限目の講義をサボっていた。今更、講堂に行くのも気が引けて、自分の不毛な行いを後悔していろところだった。するとそこへ、
「菅生、何してんだ?」
声をかけたのは小峠だった。彼は竹刀を担いでいる。これらか剣道部の道場へ行く途中なのだろう。
「あ、別に、ちょっと講義に遅刻したから、サボってただけだ」
「恵美ちゃんは?」
「今、バイト」
「終わるの待ってるのか?」
「いや、そうじゃない。ここにいたら、佐々木が来るかなって思ってたんだけど」
「あいつ今日は午後休むって、言ってたぞ」
「そうだったのか。でも学校休んで何してんだろ?」
「さあ、新しい彼女できたんじゃないかな」
「みのりちゃんとか?」
「・・・え? 河辺?」
「うん。彼女も新しい彼氏できたって言ってるそうだよ」
「そ、そうか、知らなかった」
小峠は意外そうに笑った。その後、特に話すこともなかったので、道場に向かおうとすると、
「タノモー!」
と、声をかける者がいた。ポーリーである。
「エミリーノ、ボーイフレンドト、剣道ノ達人ハ、友達デスカ?」
「ああ、ポーリーさん。こんにちは」
小峠が挨拶をした。
「ええ、俺ら知り合いです」
春樹もニッコリ笑って言った。
「達人ハ、日本刀持ッテマスカ?」
「いいえ、本物は持ってませんけど、実家の床の間に模造刀なら」
「モゾート?」
「イミテーションです」
「偽物デスカ。本物デ戦ワナイ?」
「ないない! 本物を持ち出したらみんな逃げますよ」
「ソウカ。ヤッパリ日本刀ハ、スバラシイ」
そうした会話の最中、小峠はある人物が気になった。小峠は直感的に部外者だと思った。一面ガラス張りの窓から中庭が見えるのだが、その中に大学生とは思えない、工事用のニッカポッカ姿の男がうろちょろしていた。その男がロビーに入ってきたのだった。そして、周囲をキョロキョロ不審な動きをしている。
「菅生。あの男、ちょっと怪しくないか?」
小峠は春樹に目配せして言った。この時ちょうど、ポーリーがベンチに座ってきて、一方的にしゃべりだしていた。春樹は少し困惑したタイミングだったので、その男に気づいていなかった。
「私ハ、サムライヲ尊敬シテイマス。日本人ノココロハ・・・」
「え? どうした? 小峠」
春樹は小峠の鋭い視線の先を見た。するとその男と目が合った。
「あ、あいつ・・・たしか」
「知ってるのか?」
「みのりちゃんの元カレだよ。ガタイがいいから判りやすい」
「え? あれが河辺の?」
「ああ。恵美莉に写真見せてもらったことある。恵美莉の元カレもノッポだったから、一緒に遊んだことあるって」
その元カレは目が合った瞬間、咄嗟に視線を逸らし、スマホをいじりだした。これは誰もが取りがちな誤魔化しの行動パターン。その行動自体が怪しいのだが、何食わぬ表情を装い、時折無音でひとり言を言うようなしぐさを見せながら、徐々にロビーの奥に歩を進めていく。
「何しに来たんだ?」
「借金の取り立てだ」
それを聞いて、小峠は振り返った。
「借金!?」
「いや、正確には返す謂れのない金だそうだ」
小峠はまたその男を目で追いながら、
「謂れのない借金ってなんだよ」
「とにかく金を払わないと、別れてくれないそうだよ」
小峠がゆっくりと後をついて歩きだした。ポーリーはベンチに座った状態で、春樹と小峠を交互に見た。春樹も無言で立ち上がって、小峠の後をついていった。
恵美莉たち3人は階段から、広いロビーのフロアに下りてきた。みのりは頭を抱えながら足元を見ながら歩いていたので気づかなかったが、彼女らの10メートル先で、元カレがこちらに気づいて立ち止まった。桧垣はみのりや恵美莉より先にその彼に気づき、
(あれが元カレだな。これは厄介そうだ)と思った。
「みのりぃ!」
元カレが大声で呼んだ。みのりがその声に、敏感に、いや過剰に反応して、階段を踏み外した。
「でえーーーー!」
最後の5段は尻餅をついて、転げるように落ちてしまったが、恵美莉は5段目に立ち止まり、ジッと睨むようにその男に対峙した。
「ああ、河辺さん、大丈夫ですか?」
桧垣が駆け下りて、みのりを起こそうとした。恵美莉は元カレの背後に立つ二人にも気づいた。
(春樹君・・・小峠先輩も。このいいタイミング、心強いわ)
そして、ベンチに座るポーリーにも気づいて、
(あいつは役に立たたん)
恵美莉もみのりの傍に駆け寄った。
「おい、探したぞ。なんでLINEに返事しねぇんだ!?」
みのりは地面に横たわりながら、桧垣に抱えられ顔を上げた。そして声を押し殺しながら、
「ここまで来ないでよ!」
「お前が金返さねえからだろ! 今週分どうなってんだよ!」
「ちょっと待ってよ、今手持ちがないの!」
「それでもちゃんと謝りに来る約束じゃねえか!」
「あんたとは別れたの! もう部屋に行くわけな・・・」
みのりは言葉を止めた。元カレの背後に棒立ちの二人にようやく気づいたからだ。
「まあ、君、よさないか。こんな場所で大声を出すのは立派な大人のすることじゃない」
「あ? 何ですかあなたは? 俺は元々声が大きいものでね」
「それでも、お金の話は公衆の面前でするものじゃないですよ」
「そうだぜ! お前、何様のつもりで、こんなとこ入ってきてんだ!?」
そう叫んだのは小峠だった。それを聞いて、周囲は静かになった。これには恵美理も驚いた。(小峠先輩? 普段は寡黙で冷静な人なのに)
「なんだとぉ!?」
元カレは目を見開いて振り返った。声を上げた小峠を確認すると、首をやや右に傾けて、ガニ股で3~4歩近づいた。
元カレと小峠の距離は2メートル。5秒間の沈黙の睨みあい。元カレは小峠の体格を確認したのだろう。剣道部主将である小峠は、178センチの身長の割に、背筋をすっと伸ばし大きく見える。そして左手で腰辺りに竹刀を携えており、威風堂々としていた。対する元カレは、183センチの大柄な体格で体重も90キロはあるだろう。
「俺は女に会いに来ただけだ」
「女だと? お前は捨てられた未練で追っかけてきたんだろうが」
小峠はいつもとは違う、低いどすの利いた声で言い放った。
「俺とやろうってのか! この野郎!!」
更にどすを利かせて言い返す。
「お前なんか竹刀があれば、河辺でも倒せそうだなぁ!」
全く引かない小峠。そして竹刀を覆う竹刀袋の紐をほどいた。
(ちょっと、予想と違う展開だけど。どうしよう? 止めたほうがいいんじゃないかしら?)
恵美莉が戸惑って春樹を見ると、彼は顔面硬直中だった。
(そうね。春樹君には無理)
桧垣が恵美莉を見て頷いた。そして、
「ちょっと、君たち! こんなところでケンカはよしなさい!」
「うるっせえ!!」
元カレが振り返って、桧垣に怒鳴った。そして再び小峠を睨んだ。
小峠は相手の目を睨んだままで、静かに竹刀を抜いた。そしてそれを振り上げ、剣術の一挙動で瞬時に間合いを詰め、剣先をピタリと相手の喉元に向けた。
これでは元カレは動けない。わずか50センチ先にある竹刀に、完全に行動の自由を奪われてしまったのだ。
「もう帰ってちょうだい!」
みのりが叫んだ。
「勝手なこと言ってんな!」
「あなたとはもう、縁を切ったの!」
「よくもそんなこと言いやがるな!」
そのやり取りの中、もう一人動いた者がいた。ピンクのTシャツにリュックをお腹にかけたポーリーである。
小峠の背後から、ポーリーがゆっくりと前へ出た。小峠と並び、まっすぐに元カレを睨みつける表情は、いつもの眉を寄せた顔だが、どこか周囲に異様な迫力を感じさせる。そして、ポーリーはお腹にかけていたリュックのファスナーを開けた。そしてそこから取り出したものは、なんと、立派な鞘に納まった一本の脇差(日本刀)だった。
(ポーリー。どこでそんなの手に入れたの?)恵美莉は驚いた。
そしてリュックを肩から降ろすと、左側に投げ捨て、刀の柄を両手で縦に握り、両肘をイカらせ、それを顔の前に構えた。まるで中世ヨーロッパの騎士のように。
「なんだそれ? そんなオモチャで、ビビるとでも思ってんのか!」
しかし、周囲は混乱した。この日本刀が真剣でない保証などない。なぜならポーリーだから。奇行だらけの外人だから。
恵美莉を筆頭に、みのり、春樹、そして桧垣助教授も少しずつ後退りした。その異様な空気に、元カレの表情から、やや迫力が抜けた。
微動だにしない小峠。そしてポーリー。
「なんだよ。こいつら。暴行しようってのか!?」
それでも誰も何も言わない、少しでも動くと、小峠の竹刀は元カレの喉を突き、ポーリーの刀は鞘から抜かれるだろう。




