第50話 エピローグ
あれから、色々な事があった。
まず、目を覚ました私は、改めてシャルルたちの一件の顛末をリゼットから聞かされた。
「殿下たちは現在、精神的な傷が深く、学園を一旦離れて王宮で療養することになったわ」
「休学ですか」
「ええ。まあ、無理もないわね……」
リゼットの視線が宙を彷徨い、唇が小刻みに震える。
彼女の手が、無意識に自分の喉元を押さえた。
彼らを助け出した時の惨状が、彼女の脳裏に蘇っているのだろう。
特にアルフレッドに関しては、精神が酷く摩耗されていたから、復帰にどれだけ時間を要するかわかったものではないだろう。
「立ち直れると良いですね……」
「彼らには立場があるもの。本人の意識に関係なく、否応なく、それほど時間を置かずに学園へ戻されるでしょうね」
「お貴族様の柵ですか」
「そういうことよ」
リゼットの声が、そこで途切れた。
私の胸に、シャルルたちへの同情が湧き上がる。
けれど、リゼットの瞳に映る冷たい光が、それ以上の言葉を私の喉に押し留めた。
クロードが遺した傷痕は、あまりにも大きなものだった。
「ところで……平民。わたくしたちは、約束をしていたわね?」
リゼットの視線が、私の目を捉えて離さない。
その黄金の瞳は、一切の言い逃れを拒絶していた。
胸の奥で、何かが重く沈む。
忘れていたわけではない。
ただ、少しだけ、先延ばしにしていたかった。
「はい。……覚えています」
あの、二十五層で交わした、約束。
私が、何者なのか。
その真実を、彼女に話すと。
この数日間、シャルルたちの処遇や、学園への報告などで、慌ただしい日々が続いていた。
けれど、もう逃げることはできない。
「わたくしの部屋へ、来なさい。誰にも邪魔されない場所で、ゆっくりと聞かせてもらうわ」
私の喉が、ごくりと鳴った。
「……承知、いたしました」
◇
豪奢な装飾が施された調度品が並ぶ部屋。
けれど、私物はほとんど見当たらない。
ベルナール公爵家の令嬢の私室としては、意外なほどに、物が少ない。
「それで? どこから、話してくれるのかしら」
ソファに深く腰掛け、足を組むリゼット。
その視線の鋭さは、まるで罪人を尋問する裁判官のようだ。
私は、その正面に座り、手の中のカップが小刻みに震える。
紅茶の表面に、細かな波紋が広がった。
口を開こうとするたび、言葉が喉の奥で固まる。
この世界が、本当は私の知るゲームに酷似していること?
クロードと同じ、転生者であること?
どこから話しても、彼女を混乱させるだけだろう。
何よりも、信じてもらえるという確信が、ない。
時計の秒針が、やけに大きな音を立てている。
沈黙が、部屋を満たしていく。
その沈黙を破ったのは、意外にもリゼットの方だった。
「……あなたが、言いにくいのであれば、無理強いはしないわ」
リゼットの声から、いつもの棘が消えていた。
代わりに、わずかに掠れた響きが混じる。
「ただ、わたくしは、知りたかっただけよ。わたくしの背中を預ける人間が、いったい何者なのか」
その言葉に、私の胸の中で何かが弾けた。
「……ご主人様」
私はカップをテーブルに置き、リゼットを見据えた。
「もし私が、この世界の人間ではない、と言ったら。……信じますか?」
リゼットの睫毛が、一瞬、大きく揺れた。
そして、私は話せる限りのことをリゼットに伝えた。
あまりにも荒唐無稽な私の話を、彼女がどう受け止めるか。
拒絶されるか、頭がおかしいと罵倒されるか。
あるいは――。
私が日高一二三として生きた人生について語り終えても、リゼットは何も言わなかった。
彼女はただ、窓の外を見つめている。
暫くの沈黙の後、彼女の唇がゆっくりと動いた。
「わたくしには、かつて世話になっていたメイドがいたわ。エマという、年配の女性でね。今は……どこで何をしているのかも知らないけれど」
「えっと、なんの話です?」
「わたくしの話よ。あなたにだけ秘密を打ち明けさせるのは、フェアじゃないでしょう」
私の目が、思わず見開かれた。
私の前世を知って、何を言われるのかと思ってみれば……。
「はっはっは!」
笑いが、喉の奥から込み上げてくる。
それは、久しく忘れていた、心の底からの笑いだった。
リゼットの眉間に、深い皺が刻まれる。
「どうして笑うのかしら?」
「いいえ。バカにしたわけじゃないですよ。ただ、ご主人様があんまり予想外のことをするから。はぁ……参りましたよ、本当に」
「人の話は黙って聞きなさい、平民」
リゼットの頬が、ほんのりと赤く染まっている。
そして、彼女はわざとらしい咳ばらいをして、語り始めた。
制御できなかったイグニスによってもたらされた悲劇を。
傷つけてしまった、一人の使用人の話を――。
私は、ただ、黙って聞いていた。
相槌も、何もなく、ただ静かに彼女の話を受け止める。
そして、いつしか長い、長い告白が終わった。
リゼットの視線が、冷めきった紅茶のカップに落ちる。
彼女の唇が、震えながら、言葉を紡いだ。
「……これで、わかったでしょう? わたくしが、自分の力に怯え続ける、愚かで弱い人間だってことが」
私は、静かに首を横に振った。
「違いますよ」
リゼットの瞳が、大きく見開かれる。
「本当に弱い人間は、自分の弱さを、他人に語ることすらできない。ましてや、あなたみたいにそれを背負って、それでも気高くあろうなんて絶対に思えない」
私の脳裏に、前世の記憶が蘇る。
自分の弱さを認めず、それを他人のせいにして、理不尽を押し付けるだけの卑怯な人間たち。
私の上司のような、裸の王様たちを。
「あなたは、私が知る弱い人間とは違う。自分の弱さも、過去の罪も、全部背負って。その上で、強くあろうとしている。そんな強い人間を、私は、他に知りません」
私はそこで言葉を切った。
そして、今、心の底から伝えたいと願う、ただ一つの想いを彼女に告げた。
「でも――もう、一人で背負うのは、おしまいです」
「……え?」
「私も、一緒に背負いますよ。その重たい過去も、呪いも、全部。あなたが私の秘密を、笑わずに聞いてくれたみたいに」
私は、すっと右手の小指を、彼女に差し出した。
あの日、彼女が、私に教えた、貴族の誓い。
「私は、あなたの盾だ。……そうでしょう?」
「……ええ」
リゼットの唇が、柔らかく弧を描いた。
頬が緩み、瞳に温かな光が宿る、心からの笑顔だった。
彼女は、私の小指に自らの人差し指を、そっと絡めた。
「そうだったわね。平民」
その言葉を聞いて、私の胸に、ある記憶が浮かび上がった。
「ところでご主人様?」
「なにかしら?」
「まだ、もう一つの約束を、果たしていただいておりません」
リゼットの首が、小さく傾く。
「十五層を無事に出たら、私にご褒美をいただけるはずでしたよね?」
「なっ……今なの?」
「ええ。今だからこそですよ。ご主人様」
「はぁ……まったく、お前には情緒というものがないわね。……それで、何が望みかしら?」
溜息をつくリゼットの肩が、小さく上下する。
その顔には、呆れと諦めが入り混じっていた。
私は、静かに願いを伝える。
「あなたを名前で呼ぶことを、許してくれませんか?」
リゼットの瞳が、見開かれた。
次第に、その黄金の瞳に、透明な雫が溜まっていく。
それからゆっくりと頷いて、震える唇で言葉を紡ぐ。
「ええ。いいわよ、リーナ」
その声が、胸の奥深くまで染み渡っていく。
絡めた指先から伝わってくる、彼女の温もり。
窓の外では、夕陽が静かに沈み始めている。
部屋を満たす茜色の光の中で、私たちは、ただ静かに微笑み合った――。
第一部、これにて完!
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