第22話 停滞感
あの日、私は、めでたくバルタザール教官に弟子入りを認められた。
そして、かれこれ一週間ほど、私は彼の下で指導を受けている。
地獄のような指導を――。
「さっさと起き上がらんか!」
ボールのように転がされた私の鼻先で土煙が舞う。目に砂が入り、涙でぼやけた視界の先で、地に転がる私の脇腹を狙う教官の足が見えた。
あんな蹴りをまともに受けてしまえば胃の中の物を全て吐き出すことになるのが目に見えている。私は全力で盾を構えて胴体を守った。
しかし、受けきることができず、私の身体は再び数メートルほど勢いよくゴロゴロと転がされた。
「どうした小娘! まだ昼にもなっとらんぞ! 昼寝には早すぎやしないか⁉」
「……は、ぃ」
「返事はデッカイ声でせんかい! 羽虫か貴様は!」
バルタザール教官が私に与えた新たな課題は、彼の攻撃を倒れることなく十回連続で受けきること。
それだけの単純なことが、一週間続けても全くできていない。
できる気配もない。
「敵は正面から馬鹿正直に襲ってくるばかりじゃないぞ! 先を読め!」
(先を読むって言ったって――速すぎて、思考が追いつかない!)
私の装備は訓練用の武骨な鉄の盾が一枚。
対する教官の装備は、ラウンドシールドと刃を潰した鉄の剣。
当たり前だが、刃が潰れていようが鉄製の武器であることに変わりはない。まともに当てられては、骨が砕ける。
その上、教官は巧みな体術でラウンドシールドによる突進や蹴り技を織り交ぜて私を翻弄した。
「ぐぁっ⁉」
身体がバランスを失ったところで、教官の強烈な剣が盾ごと私を吹き飛ばした。
その瞬間、サーペントフォックスに投げ飛ばされた嫌な感覚がフラッシュバックする。
(全然、成長してない……!)
だが、打ちのめされた私を、教官が優しく慰めることなどない。
「立て。お前が崩れればモンスターはお前の仲間を襲う。貴様のせいで、仲間が死ぬぞ」
「ッ……は、はい!」
何度でも、私は転がされては立ち上がる。
「小娘、次は、骨を砕きに行く」
冷徹な教官の声が、私の精神を極限の状態へ導く。
――結局、その日も私は課題をクリアできなかった。
訓練の中で、新たな盾スキルを習得するようなこともない。
まだ訓練が始まって一週間。そう簡単に成果を期待するものではない。
わかっているが、私は、内心で焦りを感じていた。
(ゲームでは、どれだけレベルを上げようと、主人公が支援魔法以外の技を習得することはなかった。努力しても、私に盾のスキルが発現することはないのかもしれない……)
ヒールで傷を治すことはできるが、削られたメンタルまでは戻らない。
疑念が私に迷いを与えていた。
(リゼット、私は、どうしたら君に追いつける……)
「平民……何をぼーっとしているのかしら?」
不意に投げかけられた声に、私はハッと我に返った。
訓練で汚れた服のまま、寮へ戻る道すがらのベンチに腰掛けていたらしい。空は星々と三日月に照らされていた。
この世界には、まだ街頭という物が出回るほど科学は発展していないが、その分、道沿いに植えられた魔草――名前の通り、魔力を持った植物で、常に青白く発光している――がボンヤリと周囲を照らしている。
照らし出されたリゼットは、真紅の髪と青い光のコントラストで一つの芸術品のように美しく見えた。
「ご主人様……こんな時間に何をしているんですか?」
思わずそんな声をかけてしまった私を、リゼットは仕方なさそうに見た。
それから、いつものツンケンした声を掛けられるのかと思いきや、彼女は思いのほか穏やかな声で言う。
「お前の悪い癖ね。先に質問したのはわたくしよ」
「ああ、そうでした……。そうですね、私は……ちょっと、自分の進歩の無さに打ちひしがれていたというか…………」
虚をつかれた私は、誤魔化すことも出来ず情けない本心を漏らす。
彼女はそれを聞いた途端に口をへの字に曲げた。
「バルタザール教官との訓練のことかしら?」
「知ってたんですか?」
「貴方、噂になっているわよ。おかしな下級生が、三年生の訓練に混ざっているとね」
言われて私は妙に納得した。
(やけに訓練を周りの学生から見られていると思ったけど、なるほど、私が下級生だったから悪目立ちしていたのか……バルタザール教官が上級生の担当だなんて、ゲームでは聞いてないけどな。いや、私がシナリオを覚えていないだけかな)
「知りませんでした。教官は、私を快く受け入れてくださっていたので」
「貴方があんまり必死な顔をしてるから、その気にさせたんでしょう」
「気持ばっかりで、今のところ成長がないですけどね……教官に呆れられそうで怖いですよ。ははは……」
自嘲気味にそんなことを言うと、そんな私へリゼットは微笑んだ。
その笑みを見て、私の背筋にぞくりとする冷たさが奔る。
リゼットは、落ち込む私へ向けて――強烈な毒を吐いた。
「……見損なったわ、愚民」
それは、心の底からの侮蔑に満ちた、冷たい声だった。
「たかが一週間、成果が出ないくらいで、腑抜けた顔をして。お前は、その程度の覚悟でわたくしの隣に立つと、そう言ったのかしら?」
はるか高みから、足元でうごめく取るに足らない虫けらを見下ろす、絶対的な強者の目だ。
その恐ろしい目が――私の胸を再び高鳴らせた。
「平民、そういえば、あの日の仕置きがまだだったわね」
彼女は私を甘やかさない。




