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14:凶行(1)

この作品には、一部暴力的な描写が含まれています

免疫のある方のみ、お進みください▼▼▼







⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

 怒るという行為には、エネルギーをかなり必要とする。

 元来怒ることに慣れていなかった私は、馬車から外の景色を眺めている間に、膨れ上がっていた感情が急速に窄まっていくのを感じた。


 心の奥底で、いろいろな思考がざわめき、不安を煽る。


(これから街へ行って、食事して、宿を取らなくてはならないのに)

 気持ちを切り替えて、前向きに計画を立てようとするが、どうにも落ち着かない。


 ふいに、呪詛のような歌声だと言って笑った眼鏡男の顔が思い浮かぶ。

 初めて会った時の、辺境伯としての冷酷な横顔とは別人のような……。


『僕は君に会って、変わった』

 恋愛小説にありがちな台詞を聞いた気がするわ、と思い出し、私は苦笑いを浮かべた。


 私は呼吸を整える。

 諦めて、さっきからずっとアラームのように鳴り響いている思考を拾い上げた。


 何かを見落としている……。

 さっきクラリスとすれ違った時に違和感があった。

 その時とっさに、妙だと思ったのに、じっくりと考える暇がなかった。


 ゼイン辺境伯とクラリスとのやりとりを思い出す。

 その様子は、とても仲が良いとは思えなかった。

 クラリスが言った『仲が良いあのお方』とは、ゼイン辺境伯では有り得ない。


 別館は、前領主が庶子とその子どものために建てたのだと聞いた。

 その庶子は眼鏡男ではない。

 では、別館に住んでいるあのお方とは誰の事だろう?


『あのお方を知らないの? お子様の事があるから、みな口には出さないようにしているものね』

 クラリスの言葉から推察できるのは、事情があって公に語られることのない誰かが、別館に住んでいるのだという事。

 現ゼイン辺境伯の、母親の違う兄弟に違いない。

 そしてみなが口に出さない事情とは、その人物の子どもに関係しているようだ。


 この考えが正しいのなら、三件の殺人についての動機も、大きく違ってくるのではないだろうか?


 庶子である弟、それが眼鏡男だと思い込んでいたから、私は『相続争い』を動機から除外していた。でも全く別の人物が庶子で、別館に住んでいるのなら、『相続争い』も動機として浮上する。


 その人物にとっては、辺境伯に跡継ぎが生まれると困るので、婚約者達を『呪い』に見せかけて殺した、あるいは殺すよう誰かに依頼した。

 その誰かが、ブルネットの女だ。

 その後辺境伯本人も『呪われた』風を装って殺せば、その人物が辺境伯の爵位と財産を継げる。


 前世でも、そんな風に家族間での財産争いが繰り広げられていた。


(考え過ぎよ)

 私は自分に言い聞かせる。

(もうやめよう……私には関係ないことだし)


 けれど一度思いついてしまうと、不安は大きくなるばかりだ。

(クラリスとすれ違ったのは、執務室からそれほど離れていない廊下だった)

 よく思い出してみると、三階は上級使用人の管轄だから、彼女がいるのはおかしい。

 それに、彼女の陰に隠れるように、もう一人いた。

 顔は見えなかったけれど、濃い髪色で、その手に持っていたものにも、一瞬気を取られた……。


(そうよ。思い出した。あれは、もしかしたら……)

 立ち止まって、ここで何をしているのかと話しかければ良かった。

 でもあの時は頭にきていて、それどころじゃなかった。


『私、別館のあのお方とは仲が良いの』

 その言葉通り、クラリスはたびたび別館に出入りしていたに違いない。


 侍女長はサボり癖にやたらと厳しかったが、あれは規律を正すというよりも、別館にサボりに行く使用人が出ないよう、警戒していたのではないだろうか。

 もしそうなら侍女長も、疑惑程度のものを抱いていた可能性はある。


(クラリスは、執務室に近いあの場所で何をしていたの?)

 辺境伯が私を連れていく様子を、クラリスは別館の『あのお方』に報せに行ったはずだ。

 三人の婚約者を殺し、あとは辺境伯を殺す計画を実行に移すだけだったのに、私という女が現れた。その人物は早急に手を打とうと実行犯を差し向けるが、間一髪で私は去った後だ。


 それなら辺境伯を狙うしかないと、その人物は、何らかの事情で今まで思いとどまっていた計画をついに実行する……。


 今後起こるかも知れない惨劇にまで考えが及んで、私は息をのんだ。


『相変わらず君の歌声は、僕の心をかき乱すね』

 そう言って笑う眼鏡男の、癖毛の黒髪で半ば隠れた顔が思い浮かんで、私を苦しめる。

『君が楽しそうに歌うところを見ていると、僕も楽しい』


 訴えかける声が、次第に大きくなる。

 何も聞くまいと、もどかしく耳を押さえたが、心の中の声まで塞ぐことはできない。

(これは私の失態だ。間違った動機を教えてしまった。嫉妬が動機だなんて。辺境伯は、近づく魔の手に警戒する暇さえなく、殺害されるだろう。結局私は知ったかぶりをしただけ。一時人の死を悲しむことはあっても、本気で悲劇を防ぐことはしない。責任を負うことなく逃げるの?)


 責め続ける自分自身の声に、ついに私は根負けした。


「部屋に荷物を全部置いてきちゃった」

 馬車の前方に開いている小窓から、御者に告げた。

「本当に申し訳ないんだけれど、引き返してくれる?」


 御者は、返事をしなかった。ジロッと不機嫌な目で私を睨んだ後、馬車を方向転換させて、邸に戻り始める。

 雨は小降りになっていた。






 前方に再び見えてきた領主館を見ながら、私は気後れし始める。

 あんなに勢いづいて、怒りに燃えながら出てきたのに、早々に引き返してくるなんて格好が悪いと思った。


(格好が悪いけれど、仕方がない。このままだと私が落ち着かないもの。間違いは訂正しなくては。それに、直接顔を合わせるのではなくて、執事に伝言するだけ。真犯人は財産と爵位を狙う、兄弟だとは考えられない? 警戒した方がいいわよ、と。その一言で済むわ)


 さっき開けてもらったばかりの門の前に到着すると、詰め所から門番が二人出てきた。

 辺境伯私兵騎士団に所属する騎士達は、チェーンメイルを着込んでいて、眼光が鋭い。

 私は馬車の横側にある扉を開けて、飛び降りた。門の周辺は石畳で、水たまりはない。

 雨が止んで、空が少し明るくなってきていた。


「どうした」

 門番の一人が尋ねる。

「忘れ物だとよ」

 御者が不機嫌に言う。


「雨が止んだから、もう馬車はいいわ。街へは歩いていくから」

 そう私が言ったので、御者はあからさまにほっとした顔をした。

 門番達が門を開けると、彼は再び御者台に乗って裏手の馬車置き場に向かう。


「出る時はもう一度、声をかけろ」

 門番は無愛想にそう言って鉄の門を閉める。

 門から小道を通って、私は領主館の玄関ポーチへと歩いて向かった。


 小道を一、二分も辿れば、玄関ポーチに着く距離で、門との距離はそう離れてはいない。

 冬は雪で埋まるため、離れていたら雪かきの労力がとんでもない事になる。


 石造りの領主館に付属したルーフ付きの玄関ポーチには、短い階段がついていた。

 遠目にも、何かが変だと私は気づく。

 ポーチに、誰かが倒れていた。


 駆け寄りかけて、私は振り返る。

「門番さん!」

 二、三度大声で呼ぶと、門番の一人が怪訝そうな顔をして出てきた。

「人が! 倒れている!」

 私はポーチを指さして叫んだ。


 門番がしばらく玄関ポーチの方に目を凝らした後、もう一人の門番に何事か指示してから、走り出す。

 私もできるだけ玄関へ急いだ。

 私が想像した以上の、とんでもない事態が起こっている。そう確信したのは、倒れていたのが執事で、頭に赤いものが見えたからだ。


 私はワンピースの裾を持ち上げて、一気に駆け抜けたが、先に執事のところへ到着したのは門番だった。


 執事のグレーの髪が、血濡れていた。

 そこから血が滴って、ポーチには血だまりができ始めている。

「ドロワットさん!」

 門番が呼びかけると、執事はうっすらと目を開けた。

 彼の両手には、金色の棒がしっかりと握られていた。

 棒の先端近くには金のトカゲが装飾されていて、そこにも血が付いている。


(さっきクラリスと一緒にいた人が持っていたものは、これよね? 火掻き棒だわ……)

 直前に執務室で見かけた火掻き棒と似た装飾で、一瞬同じものかと思って目に留めたことを思い出す。


(装飾のある火掻き棒なんて使用人は使わないから、変に感じたんだわ)


 私を捉えた執事の目が、助けを請うような色をたたえた。

 何かを言いたげに、口を開くが、言葉が出ない。

 彼は弱々しく片腕を上げ、玄関の扉を指さす。

 その手が、赤く裂けていて痛々しい。

 襲撃者から火掻き棒を奪う時に、打たれたのだろう。


 門番が大声で応援を呼んでいる。

 私は玄関の扉を開けて、領主館の中に駆け込んだ。

(辺境伯様……!)

 私は、彼の名前をまだ知らない事に気づいた。

 家名しか知らない相手なのに、こんなに気掛かりなのが、自分でも腹立たしい。

(無事でいて……!)


  玄関ホールには、上階へと通じる階段がある。

 ワンピースの裾を再び持ち上げて、私は一気に駆け上がった。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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