13:暴露(2)
私は、彼の顔をまじまじと見た。
癖の強い黒髪に半ば覆われて、半ば見えているのは、形の良い額と男らしい眉。
こちらを見る目はくっきりと大きい。眼鏡の向こうにあるのは、北国には比較的多いと言われる、緑の瞳。すっきりと通った鼻筋に意志の強そうな口元……。
兄弟だから、似ているのかと思った。
(腹違いの、弟ではない?)
呪われた辺境伯を自称し、私を『エマ・トーエル』と呼んだ男、その人が眼鏡男だというの……?
『私にとってこの結婚は、本当に呪いなどというものがあるのかどうか、確かめるための手段に過ぎない』
冷たい口調で告げられた言葉を、私は明確に覚えている。
『この結婚は私にとって、婚約者だけが死ぬのか、それとも結婚した後でも死ぬ可能性はあるのか、試すためのものだ。君が悪女で良かったよ。呪いが本物で、君が死んだとしても、気が咎めなくて済む』
あの時私は、なんて失礼な人なのかしら、と怒りに震えた。
『君は男好きなようだが、初夜は遠慮させてもらう。病気を感染されかねないという事もだが、一度でも抱いたら、君が呪いで死んでしまった時、さすがに心が痛むだろうからね。是非とも生き延びて、私の呪いの噂を消し去ってくれ。できるものならな?』
私を従姉妹のエマだと思い込んでいたとしても、あの言葉は、目の前に立つ私自身に投げ付けられた。
目の前に立つ私が死のうとどうしようと、気など咎めないと辺境伯は言い放ったのだ。
辺境伯が私を悪女だと罵ったあの時、髪を上げて整えられていたせいか、より厳格で大人びて見えた。
髪型だけでこうも見かけの年が変わるなんて。
それに、眼鏡はかけていなかった。
(もしかしたらあの時、睨んでいるように見えたのは、眼鏡がなくて、私の顔がよく見えていなかったのかもしれない)
衝撃のあまり固まっている私に、男は微笑みかける。
もの凄い嫌悪感が私の中に突き上げた事に、彼は気づかない。
震える声で私は言った。
「それは、大変失礼をいたしました。一度しか辺境伯様のお顔を拝見したことがなかったもので」
様々な感情が押し寄せて、私は自分を落ち着かせるのに必死だった。
今一番に考えなくてはならないのは、自分の身の安全だ。
連続殺人犯が使用人に紛れ込んで、辺境伯の周囲にいるとしたら。
私は、忙しく頭を働かせた。
当然その使用人は、私をこの執務室まで連れて来た眼鏡男が辺境伯本人であることは知っているはずだ。
辺境伯のその行動を、犯人はどう捉えるだろうか?
扉の外からこの会話を、今この瞬間、盗み聞いている可能性だってある。
思ったよりも、時間は残されていないのかもしれない。
私の胸の奥から、冷たい恐怖が広がる。
眼鏡男……辺境伯は、そんな私の恐怖には全く気づいていない。
「君と出会う前の僕は、本気で呪いを信じていて、実験的に結婚をしたんだ。といっても書類上のもので、白い結婚だからすぐに撤回できる。エマ・トーエルとは一度しか顔を合わせていない」
彼は、自分が身分を明かしたから私が動揺しているのだと思っているようだった。
「……僕は、母親を殺しながら生まれ、呪われた子だと父に言われて育ってきた。孤独で、冷たい人間で、三人の婚約者が死んだ時も、父が死んだ時も、涙なんて出なかった。心が麻痺していたんだ」
必死に弁解する辺境伯が、何を伝えようとしているのか、その時の私には理解ができなかった。
「一年と少し前に結婚した時も、エマが『呪い』で死のうがどうでも良いと思っていた。でも僕は君に会って、変わった。君は僕の『呪い』を解いてくれたと同時に、心に居座っていた氷も解かしてくれたんだ。僕も、君のような優しい人間になりたい。僕はエマと離婚し、……そして君に……」
人の気も知らずに興奮して捲し立てる男に、私は呆れた。
「その……エマというのは」
私です、と私が打ち明ける前に辺境伯は、焦った様子で被せるように言った。
「彼女とは何もなかったんだ。執事の話では、とても元気に過ごしているそうだ。誰かが僕と結婚したくて恋敵を排除しているというのなら、この結婚で諦めたという事ではないだろうか」
彼には、私の話を聞く気配は全く無さそうだ。
「僕は春になったら王都に行き、離婚を申し立てる。エマ・トーエルとは白い結婚で、彼女は妻としての役目を一度も果たさなかったと明言しよう。彼女との結婚を無かったことにした後で僕は、独身に戻り、新しい妻を迎えようと思う。両親もいないし、誰も僕に反対できる者はいない。つまり、その……僕は、君の事が」
彼の言葉を聞きながら、私の怒りは増していく。
「わかりました」
私は立ち上がった。
辺境伯は戸惑った顔で、私を見上げる。
「わかった、というのは」
私は怒りを押し殺し、声を抑えて言った。
「辺境伯様のおっしゃる通りに、させていただきます」
私は、丁寧に頭を下げた。
貴族としての振る舞いなどよく知らないが、なんとなくそうした。
「それは、……僕と結婚してくれるという……?」
辺境伯は、よくわからない事を言い始めた。
冷たい怒りが、私を突き動かす。説明などしてやるものか、という意地のようなものが生まれていた。
「いえ」
頭を上げると、私は言った。
「結婚した覚えがないというのは、初めてお会いした時に申し上げた通りです。エマ・トーエルというのは、私の従姉妹の名前なのです。が、この際それはいいです。もうどうでもいいです。私たち、仰るとおり離婚いたしましょう」
その言葉で彼は、私があの時の女であると理解できただろうか?
できていなさそうだ。
「離婚……? 結婚じゃなくて、離婚……?」
目を見開き、必死で理解しようと、そう繰り返している。
「エマ……?」
その馬鹿っぽい表情に、蔑んだ笑みを見せるつもりでいた。
でも、私にはできなかった。
なぜだろう。
悲しい笑みしか浮かんでこない。
辺境伯が理解できないでいるうちに、さっさと部屋を出た私は、元来た道を辿るようにして、勢い良く階段を下る。
途中、何人かの使用人とすれ違った。
その中にクラリスもいたような気がする。
一瞬抱いた違和感に、気を払う余裕など私にはなかった。誰とも言葉を交わさず一気に一階まで降り、表玄関へ向かう。
私の後から、執事が追いかけてきていた。
きっと、執務室のそばで話を聞きながら待機していたのだろう。
「馬車をお出しします」
と、彼は言った。
「いいえ、要りません」
そう断り、正面玄関の扉を開けると、外は土砂降りだった。
街まで歩くつもりだったのだが、そう言えば今日は雨だから窓拭きをしたのだ。今さら引き返す気にはなれなくて、雨の中へ歩き出そうとすると、執事に止められた。
執事は私を玄関ポーチで待機させ、素早く馬車を手配した。
「これまでの粗雑な扱い、大変申し訳ありませんでした。いずれご実家に帰られると思い、静観しておりました」
執事は謝罪したが、私は言葉を返さなかった。私に実家なんて無い事を、ここで彼に説明しても仕方がない。
「お気を付けて」
そう言って送り出してくれた彼は、どこまで状況を把握しているのだろうか。
少なくとも、私があの日『エマ・トーエル』として送りつけられてきた結婚相手であり、それ以来使用人のふりをして棲み着いていた事はわかっているはずだ。
あの鈍そうな人にもわかるように、後でゆっくりと説明してほしい。
本当に、馬鹿な人。
『是非とも生き延びて、私の呪いの噂を消し去ってくれ。できるものならな?』
そう言った彼は、私が『呪い』で死ぬかどうか、虫でも観察するように、じっと待っていたのだろう。
『君の歌声を久しぶりに聴けて、僕は幸せだ』
あの言葉を、同じ男が言ったなんて。
怒りと嫌悪感と、少しの悲しみで混乱しながら、私はしばらくの間、雨の降る情景を馬車の窓から眺めていた。
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