広報官の仕事
エドワードが部屋を出た後、しばらくしてアンという名の侍女がやってきた。すでに夕食を食べるには遅い時間だったため、軽食を用意してくれ、私が食べている間にお風呂と寝間着の支度をしてくれた。
(広報官て、日本でいう官僚の一種みたいなものだよね……? こんな至れりつくせりなの?)
軽食を頂き、湯船に浸かると、少しだけ緊張が緩んだ。と同時に、母屋の前に残していったシンのことが心配になった。
(大丈夫かな……シン)
シンの顔が思い出されるとともに、夕方の海辺の温泉での出来事が思い起こされ、あのときの熱がぶり返された。
「うわわわ……!」
私の素っ頓狂な叫び声に、アンが焦って風呂場の前にやってきたようだ。
「大丈夫ですか?」
「あ……大丈夫です。ほんと、なんでもないです」
あのまま一夜を過ごしていたら、きっと……。そう考えると、残念なような、ホッとしたような、複雑な心境になった。
(また……会えるかなあ……あと三ヶ月か)
一生会えなくなるわけではない。とにかく今は、首を切られないよう頑張らなくては。
生き残るための道はそれ一つしかないことだけが、今わかっていることだ。へたに逃走すれば、この国でずっと逃げ回ることになるし、手を抜いてやれば命の保証がない。そう考えたら、だんだんと前向きな気持ちが戻ってきた。ここでクヨクヨしていても、何も事態は良くならない。
(とにかく、しっかり寝てよく食べて、仕事を頑張ろう。そうすれば、外に出られるんだから)
「おはようございます。ちえ様、お支度はお済みでしょうか」
「あ……はい! どうぞお入りください」
アンは丁寧にお辞儀をし、部屋に入ってきた。
「本日の予定をお伝えにまいりました。九時からエドワード様とのお打ち合わせ、昼食を挟んで午後一時に、皇帝陛下に拝謁をお願いいたします。拝謁時の正装については準備がございますので、十一時からの昼食が終わりましたら、そのままお部屋でお待ちください」
その予定を聞いて、ギョッとした。
「えっ、ちょっ、ちょっと待ってください。もう皇帝陛下に拝謁するんですか?」
アンはコクリとうなずいた。
「はい。ちえ様については皇帝陛下の勅命にて、ご到着の翌日に必ず皇帝陛下にご拝謁をいただくようにとのことです。一般の書記官であれば、年一回の任命式での拝謁となりますが、ちえ様は異世界転移者ということですので、例外対応です。どうぞよろしくお願いします。なお、エドワード様がお迎えにいらっしゃるそうなので、お部屋でこのままお待ち下さい」
できるだけ先延ばしにしたい、という願いは早くも打ち砕かれた。勅命なら仕方がない。というか断ることがまず不可能だ。だが日本の一般庶民の振る舞いが、相手にしたら失礼に当たるかもしれない。その辺りはエドワードに聞いておこう。昨日思い切り殴ってしまった手前、聞きづらいけれど。
アンが部屋を出て行ったあと、ドレッサーに支度された化粧品を使って身支度を整えた。デパートの化粧品カウンターの如く並べられたたくさんの種類の化粧品は、全てが新品だった。
「まさか……私のために新しく揃えたんじゃ……」
強引に連れてきた故の高待遇なのかもしれないが、これでうまくいかなかったことを考えると恐ろしい。ほとんどどうやって手を動かしたかも記憶にないが、なんとか身支度を終えてしばらくすると、エドワードがやってきた。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか。打ち合わせには会議室を取ってあります。ご案内しますね」
昨日の一撃など記憶にないかのように、淡々と説明をするエドワードに、少し気が抜けた。
「あの……昨日は殴ってすみませんでした。あなたのやり方はやっぱり酷いと思うけど。でも、暴力は良くなかったと思っています」
これからしばらく同僚として働くと思うと、やっぱり殴ったことは謝っておきたいと思った。軽く頭を下げてから視線を上げると、完璧に整ったエドワードの表情がかすかに崩れている。
「……ほんとに……あなたって人は。むしろ俺は、一発で済んでよかったと思っているくらいです。勝手に身辺調査をした上に、あなたの気持ちなど無視して、ここまで連れてきてしまったわけですから」
眉毛をハの字に曲げて、申し訳なさそうに微笑むエドワードは、城下で見た、いつもの彼の様子に見える。私に見せた全ての表情が嘘ではなかったことに、どこか安堵している自分がいた。
打ち合わせ場所であるという会議室は、私の部屋がある棟の二階にあった。私たちが今いるところは巨大な王城の西棟に位置し、一階が王城に務める職員の住居、二階部分が執務スペースや会議室になっているらしい。
「では、ちえ、そちらにお掛けください。あなたにこれからしていただきたいことを、説明いたします」
部屋に備え付けられた、シックな赤い皮のソファに腰掛ける。エドワードは向かいのソファに腰掛け、ひざの上に両手を組んで、話す体勢を作った。
「まず、ちえは現在の皇帝陛下のことをどの程度ご存知ですか」
「まったく存じ上げません……。普段関わることもありませんし。公共放送? みたいなもので皇帝関連のニュースをやっているのを、アルフレドさんが毎日チェックしてましたが、私は中身を記憶するほどちゃんと見ていませんでしたし……」
「なるほど。でははじめから説明しましょう。私達が仕える皇帝陛下――ディライス・エスメルダ・ネトピリカ陛下は、まだ即位して間もない若い方です。年はそうですね……ちえより少し上くらいでしょうか」
皇帝陛下、と聞いて、てっきり四十代とか五十代だと思い込んでいたので、三十路前後の若い方であるということに、少々驚いた。
「来月、民衆に対するお披露目機会として、公共放送での演説を控えています。さらにそのタイミングで、国内で最も発行部数の多い新聞社との取材も予定されているのですが……ただ……ここだけの話…ディライス陛下は……かなりの話下手なのです」
皇帝陛下=演説が上手い人、という勝手なイメージがあったのだが。どうやらそうでもないらしい。
確かに広報の仕事をしていても、ひたすら間髪なく話し続ける社長とか、話にまとまりがなくて何が言いたいのかわからない社長とか、とんでもないスポークスパーソンに出会うことは多々あった。しかもそういう人物に限って、プライドが高く、メディアトレーニングで指導すると、逆ギレするパターンが多いのだ。
(それは……厄介だなぁ。皇帝にへたにアドバイスして、地雷踏んだら命の危険が……)
「ちえには、皇帝陛下の初演説および取材応対について、指南役としての役目をお願いしたいと思っています」
(やっぱそれが依頼内容かー! 確かに、内部の人間なら、誰もやりたがらない仕事だろうなぁ。みんな自分の命は大事だろうし……)
私は思わずうなだれた。最悪のブラック案件だ。日本の広報代理店時代も、担当につけられた人間がバッタバッタと倒れていく死亡案件があったが、これはその比ではない。たとえなんかじゃなく、リアルにデッド・オア・アライブだ。
「うまくいった暁には、最高の栄誉をお約束しますよ。一緒に頑張りましょう」
「で、私が成功すると、エドワードさんはどういうメリットを享受されるんですか?」
思わず皮肉が出た。でも、こちらは命をかけて不本意な仕事をさせられているのだから、これくらいは言わせてほしい。エドワードはニヤッと笑い、あごに手を当てながら答えた。
「そうですねえ。書記官長――行政部門のトップの座は堅いでしょうね。あとは、報奨もたんまりいただけると思います。ですから、頑張ってくださいね」
ここまで開けっ広げに本音を語られると、もはや何も言えない。いっそ清々しいくらいだ。
「ほんっとうに性格悪いですね、エドワードさん」
「ようやく気づかれましたか。良い人のフリをするのも、そろそろ疲れてきていたのでありがたいです」
そう応戦するエドワードは、今までのような完璧な笑顔ではなく、少しくだけた、いたずらそうな笑みを見せた。腹だたしさは感じつつも、これまでは目にすることのなかった素顔の彼が見え隠れすることに、心のどこかで嬉しさを感じている自分もいた。
皇帝陛下に謁見する際の注意事項諸々のレクチャーを受けたあと、私はようやく解放された。
自室に戻り、教えられた内容を反芻し、ひと言も逃さないように記憶する。正直プレッシャーに押しつぶされそうだ。だが、無事に帰してもらうためにはやるしかない。落ちこぼれだった自分がここまでこられたのだ。ポジティブに考えるならば、この仕事ができたらもう、あとはもうなんでもできる気がする。
この世界にとどまるにしろ――自分の世界で再挑戦するにしろ――。
そう考えたところで、ハッとした。自分の世界で再挑戦、という思考が出てきたことに、自分自身が驚いたのだ。
(元の世界か……今までこの先どうしていくか、考えてなかったものね)
テルメトスでの仕事は楽しいし、こんな自分を好きだといってくれた恋人もいる。この仕事を見事やり遂げたあとは、のびのびと自分らしくいられるあの場所へ戻りたい。だけど、本当にそれでいいのだろうか。
(……今は、先のことを考えている場合じゃないか。とにかく、なんとかうまく乗り切れるように、ベストを尽くさなきゃ)
(ついに、来てしまったー!)
ビロードの、深い藍色重厚なカーテンの裏に、今私は控えている。
広報官という新たな役職も、扱いとしては一書記官だ。そのため通常時は、エドワードと同じ緑色の制服を着るのだが、皇帝陛下に拝謁するということで、今は催事用の白地に金色の刺繍の入った正装を着ている。
(許されるまで顔はあげない、喋らない、聞かれたことだけに答える――よし)
「日本国からの異世界転移者 および 新たに設置された広報官 黒瀬ちえ 前へ!」
カーテンが左右に開け、視界の先に緑色の――王座に続く絨毯が見えた。まるでそれは、死刑台に向かう砂利道のように、残酷な花道に思える。ゆっくりと前に進み、教えられた定位置で止まり、跪き、頭を垂れた。
「黒瀬……ちえと言ったな。よい、面をあげよ」
息を呑み、ゆっくりと頭を上げる。そこには、絹のように美しい滑らかな銀髪を胸まで垂らし、褐色の肌、アメジストのような紫の瞳をした――私の運命を握る、男が座っていた。
「異世界の、日本という国から来たと言ったな。その『広報』というのは、どういった概念なのだ?」
聞かれるであろう質問については、事前の打ち合わせでエドワードと詰めてある。簡潔に、わかりやすくが鉄則だ。
「広報とは、組織が社会や人との関係性を良くするために、さまざまな情報を広く報じることを指しています。そしてそれを行う、専門的なスキルを持った人間のことを『広報担当者』と、私の国では呼んでいます」
皇帝陛下は、興味をひかれたように、じっと私の顔を見た。国を治める男のまっすぐな力強いまなざしに、つい目をそらしてしまいそうになる。でも、頑張れ自分、と必死に言い聞かせ、なんとか前を向き続けた。
「面白い。その『広報のプロ』であるそなたが、余に指導をしてくださる、ということらしいな」
「滅相もございません。皇帝陛下におかれましては、素晴らしい実行力と民衆を魅了するお力をお持ちでいらっしゃると、市中におりました頃から聞き及んでおりました。私は友人である、エドワード・ウォルター・ノートンより陛下の御即位記念の式典の成功に貢献せんがため、光栄にも今回の役割を拝受した次第でございます」
ここまでは予定通りにすすんでいる。正直トンデモなく棒読みであったが、とりあえず台本通りは答えられている……はず。だが、ここで皇帝陛下が、とんでもないひと言を言ってのけたのだ。
「そんなにかしこまらんでも良い。ちょうどいい〜時期にちょうどい〜い技能を持って現れたが故に、『皇帝は話下手だから、お前の技能を持ってなんとかせよ、俺たちはどうにもできんから』とでも言われたのであろう。災難だったなあ、そなたも。余としては大変ありがたいと思っている。自分の話の下手さなぞ、とっくに自分でも気づいておる。まあ、気張らず励め」
あっけに取られ、お礼をいうのを忘れて退出しようとしてしまい、エドワードの咳払いで我に返った。
「あ、ありがたいお言葉、大変光栄にございます。一日も早く陛下のお役に立てるよう、尽力して参ります」
「エドワード」
「ハッ」
脇に控えていたエドワードがその場に跪き、私と同じように頭を垂れた。
「まずはこの時期に適切な専門家を招致した褒美をとらせよう。今後の実績次第で追加の褒美は考える。ちえ、必要なものがある場合は侍女に頼むが良い。すべて用意させよう――」




