35."普通"との違い
美術室に残した道具の回収を終え、弁当を片手に屋上へと向かう。
道具を仕舞いに一度教室まで戻ろうかとも考えたが、階段を往復するのは疲れるのでこのまま弁当と共に屋上まで持って行く事にした。
この古い校舎にはエレベーターなどは当然無く、どの階へ行くにしても階段での移動が強いられている。我々のように一階から出発して屋上を目的階としている場合でも階段を使う他に移動手段は無いのだ。
そんな冗談のように厳しい道のりを越えた後でもトレニアは疲れていないように見える。むしろ最後まで楽しそうに階段を登っていた。
「トレニアちゃん、疲れてない?」
美鈴がドアに手を掛けながら尋ねると、
「うん、大丈夫……!」
控えめながらも元気そうな返事が帰って来た。息切れすらしていない。
上る前は「場合によってはおぶってあげよう」なんて事を考えていたが杞憂だったようだ。この世の人間よりも身体が強いのかもしれない。
「お、来た来た。こっち!」
ドアを開けると出入り口から少し離れた場所に菜月とシトラスの姿があった。
美鈴が付き添い、菜月がシトラスとの合流・場所取りという風に分かれて行動していたのだ。
といっても今日は屋上に出ている生徒がそこまで多くはない。この程度の人数ならば場所取りをしていなくても座る場所には困らなかっただろう。
「すみません、お待たせしました」
「大丈夫よ。急いで登ったりしたら疲れるでしょ。逆にゆっくり来てもらった方がこちらとしては安心だから」
シトラスがトレニアに微笑む。
クオリアの力への順化反応の事を心配していたようだ。
「そういえば、シトラスさんは変身解かないんですか?」
「うん。生徒たちからは見えてない方が都合が良いの。今の私って、いわゆる"学校に侵入してる不審者"でしょう?」
「ああ……」
確かにそうだ。本来であればグラウンドに入った段階で警察を呼ばれてもおかしくはない。
"普通の人には認識できない"という魔法少女の特性のおかげで今ここに居られるのだ。
周りからは見えていないと言っても、長居させるのはあまり良くないだろう。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
呼吸が整ったのを見計らってシトラスが腰を上げた。
「よろしくお願いします」
「お、お願いしますっ!」
「ふふ、畏まる程の事じゃないわよ」
緊張した様子のトレニアを見て笑顔を漏らす。
「覚える事は一つだけ。召喚の際には魔法少女からクオリアへのアプローチが必要なのだけど、帰る際には逆にクオリアから魔法少女へと働きかける必要があるの」
シトラスが身を屈めてトレニアと目線を合わせ、言葉を続ける。
「トレニアちゃん、召喚された時に司ちゃんから魔力を受け取ったでしょう?」
「うん。まだ結構残ってるよ」
「まあ、節約ができるなんてお利口さんね!」
シトラスが頭を撫でるとトレニアは照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「その余った分を全部返してあげて。そして司ちゃんはそれを受け取ってあげて。そうすればクオリアは元の場所、つまりあの白い空間に帰れるの。はい、じゃあ手を繋いで!」
「手を? 分かりました」
言われた通りトレニアの手を取るとエゼルステギアの紋章が光り始めた。
「魔力を渡す…… いくよ、司さん」
「うん」
繋がった手を通って体内へと魔力が流れ込む。元は自分の魔力だった筈だが何か別の力を感じる。一時的にトレニアへと受け渡していた影響だろう。
「トレニア、何度も言うけど今日はありがとう。また今度!」
「うん! またね!」
全ての魔力を受け取るとトレニアの姿が光に包まれ、紋章に吸い込まれて消えて行った。
そして光が収まった頃には紋章も消えて無くなっていた。
「おお…… こんな風になるんだ」
手の甲の紋章があった場所を撫でる。皮膚の下の骨の感触以外には何も感じない。普通の人体の感触だ。
「魔法少女の変身みたいに、クオリアの召喚や帰り方にもそれぞれ個性があるの。ティナの場合は『召喚の時も帰る時も花びらが舞ってる』とか。見てると結構面白いのよ」
「へえ……」
そう聞くとミストとマデューのクオリアに対する興味がより一層強くなる。残りの二人のクオリアも派手に登場するのだろうか。
「さて、これで一先ず私の役目は終わりね。皆、お疲れ様。ありがとうね!」
シトラスが全員に声をかけ、柵の上に立った。
「そうだ、晃ちゃんに何か伝言があれば伝えておくけど。何かある?」
不安定な足場でこちらに振り返る。シトラスも飛行の魔法を使えるのだろうが、こんな危ない光景を見ていると心臓が騒いでしまう。
「特にありません」
「そっか、じゃあもう行くわね。お勉強頑張ってね!」
小さな雲の浮かぶ夏空にシトラスが飛び立つ。
結構な速さで動く影が地上に落ち、人々の頭を撫でるようにアスファルトを泳いでゆく。
やはり上空を飛翔する人間に気付く者は居ない。それどころか影すらも見えていないようだ。
「お! あの子見えてるっぽいぞ」
菜月が指差す先には小学校高学年と思われる少女が居た。今日は午前授業だったのだろうか。
目元を手で覆いながら、尚も眩しそうに上空を眺めている。
「鳶を見てるだけじゃない?」
少女の視線の先には翼を大きく広げて滑空する鳥が居た。
シトラスを見ている様にも見えたが、すぐに興味を失った様子からして鳥を見ていただけだろう。
「んー…… ほっかぁ」
「そんな残念そうな顔する事じゃないでしょ」
プチトマトを頬張った菜月を呆れた目で見つめる美鈴。数分前まで怪人と戦っていたのに、もういつも通りの光景が戻ってきている。
日常と非日常を混合していては精神が持たないが、だからといって上手く切り替える方法を自分は知らない。
とりあえず今はこの弁当を食べて気持ちを落ち着かせる他に無いが、それより先にどうしても質問したい事があった。
「あの、私が怪人や魔法少女の姿を認識できていた理由ってなんなんですか?」
話によれば"普通の人"にはこの二つの存在は認識できないはずだ。だが自分は魔法少女になる前から認識できていた。
「そういえば説明する約束だったな。ごめんごめん」
食べるのに夢中になりかけていた菜月が口の中の物を飲み込んだ。
「簡単に言うと司が自分の"素質"に気付いていたから怪人が見えたって感じだな」
「素質…… もしかして時間が止まっても私だけ動けていたっていうアレですか?」
「うん、まさにそれが素質だね。どういう理由かは知らないけど、稀にそういう特異体質を持つ人が居るの」
美鈴が割り込み、解説を続ける。
「じゃあ『素質に気付いていたから見えた』っていうのは、私がその体質を自覚したから……?」
「そう。司ちゃんの場合は時止めの怪人の能力によってその体質を自覚できたって訳」
いつの間にか説明役が美鈴に移っている。その隣でつまらなさそうな表情の菜月が白米を頬張った。
「なるほど……? お二人も体質を自覚して見えるようになったんですか?」
「菜月がどうかは曖昧だけど、少なくとも私はそう。自分が"変"だって事に気が付いて、そして急に怪人が見えるようになったの。あの時は怖かったなあ」
つまるところ認識の可否は、"素質"とそれを自覚しているかどうかに左右されるという事だ。
時止めの怪人の襲撃があったあの時、教室には素質を持っている者が自分以外に居なかったか、あるいは素質を持つ者が居たとしても、自覚している者が居なかったという事になる。
「……やっぱり素質が無いと魔法少女にはなれないんですか?」
「いや、どうやら魔法少女になれるかどうかは素質の有無によって決まる訳ではないらしいの。実際に千尋ちゃんは素質を持たないまま魔法少女になってたし」
「千尋が? 素質を持たないままって…… 一体どういう経緯で?」
「有沙が魔法少女の事を話して、それを信じた千尋ちゃんが志願しに喫茶店まで来たって感じだったよ」
「ええ……」
前から薄々思っていたが、千尋は随分と思い切った行動を取る人のようだ。怪人が見えていても半信半疑のまま一度目の勧誘を断った自分とは正反対だ。
「当時はいわゆる一般人だったんですよね? 普通に受け入れてもらえたんですか?」
「流石に最初は断られてたぞ。『なれるかどうか分からない』『見えないならそのままの方が良い』って。でも最後は鬼気迫る表情に負けて了承したんだよな。アタシ達も見てたけどヤバかったなあ、アレは」
「凄かったよね……」
菜月の言葉に美鈴がしみじみと頷く。
普段は何処か儚い雰囲気が漂う千尋の鬼気迫る表情と言われても簡単には思い浮かばない。だが有沙が関わると晃でさえも怯ませるような表情をするという所は千尋らしいと言えなくもない。
「メルヤを守る為に魔法少女になった」と揺るぎない瞳で言い放つ彼女ならばそれくらいはするだろう。
「少し脱線しちゃったな。つまり纏めると、司は魔法少女になる前からちょっとした能力を持っていた。それを自覚しちゃったから怪人が見えたんだ。簡単な話だろ?」
「そうですね。思ったよりは単純な話でした。 ……ちなみにお二人の特異体質ってなんですか?」
「ん、アタシは怪人や魔法少女の他に幽霊が見えるぞ」
「私は…… 海水が目に沁みない。とか」
暫しの沈黙が流れる。自分から振った話題だが何と言うべきか分からない。
とりあえず卵焼きを頬張った所で菜月が言葉を続けた。
「こんな風に、日常生活では役に立たないような物ばかりなんだよ。微妙すぎて気付けなさそうな体質を持ってる人だって居るし」
「なるほど……」
確かに自分が持つ"時が止まっても動ける"という体質も生活の中では何の役にも立っていない。時止めの怪人が現れなければ気付くことは無かっただろう。
「さて、もうすぐで昼休み終わるぞ。早いとこ食べちゃいな」
あまり減っていない弁当を指差す。対する菜月はもう平らげて弁当箱を仕舞っていた。
「なんだかんだで私ばっかり喋っちゃってたね」
「そうだよお前、せっかくアタシでも分かる話題だったのに」
「まあいいじゃん。私が戦闘に関する事を教える機会ってあんまり無いからさ、こういう所で先輩っぽい事しておかないとね」
美鈴が楽しそうな顔でサンドイッチを齧った。
残りの時間はあと十七分程度。何とか間に合わせるように自分もブロッコリーを口に入れた。
――――――――――
青空から降り注ぐ日差しの中、不自然に生まれた影から一人の女性が姿を現す。
先程まで戦闘が行われていた芝生の上をフラフラと探し物をするかのように歩き回り、そしてある地点で立ち止まった。
「よいしょっと、ジェイルくん。生きてる?」
足元の宝石に語り掛ける。
最低限の弱い能力のみを宿していたコアは見るも無残な形に砕かれていた。
「……」
命を終えた者が言葉を発する訳も無く、風に揺られて擦れる草の音のみが鼓膜へと届いた。
「……ごめんね、頑張ったね。おやすみ」
彼女にとってこのコアの持ち主は"お気に入り"であった。
「クオリア、やっぱり強いなあ。 ……いやジェイルくんが弱かったのか」
今回ジェイルに任されていた偵察は作戦に無い独断専行だ。故に多くの人員は使えず一人で行かせるしか無かった。
能力こそ弱いものの、彼女はジェイルに信頼を置いていた。『素早い彼ならばきっと帰ってこられるだろう』と。
だがそんな望みは"クオリアの目覚め"によって打ち砕かれた。
ティエル・ネア・ラディエ、ユリウス、コルネティカ、そしてトレニア。脅威はみるみるうちに増えてゆく。
それでも彼女は無謀な戦いだとは思っていなかった。
「……おーい、もういいよ、帰ろう! ドルテさん!」
「えっと…… もう済んだんですか……?」
足元の影が言葉を発する。
「うん、思ったより見つけやすい所に居たよ。いやあ付き合わせて申し訳ない! 何かお礼しなきゃね!」
「結構です…… 仕事でやってるだけなので……」
足の先から影が這い、徐々に体が呑み込まれてゆく。
その最中、校舎の窓からこちらを見ている者の存在に気が付いた。
「……気付いてますね、あの女の子」
「ふふ、あの子もリジェクターになったりして」
「勘弁願いたいですね、敵が増えるのは。グレゴくんが過労死しちゃう……」
「ははははっ!! そうならないように私達が頑張らないとね!!」
「貴女が勝手な行動を起こしている事も悩みの種の一つになっているんですよ……? 今後は控えて下さい」
冷ややかな声に咎められながら女性は姿を消した。
"影に呑まれた人間"の存在を証明する物は何も残らず、風を受けて揺れる芝のみが広がっていた。
そんなグラウンドを眺める少女の瞳は輝いていた。




