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夫の浮気、両手に子供、背中に介護、明日への恐怖!30年の実録です。

私が経験した事は、自然災害や事故で命を落とされた方から比べれば、取るに足りない出来事です。

振り返って、やっと悟れるのですが、今を一生懸命生きていれば、まったく違う世界が待っています。


長い人生の中で、明日への不安に体の震えで目覚めたこともありました。


あなたが、今そんな状態ても、生きることを止めないでください。


結婚をしていない女性にも、男性にも、読んで頂きたいと思います。

そして、皆様の生活の中に少しでもお役立て頂ければ幸いです。



第一幕 プロローグ


*始まりはドラマのように

@青天の霹靂

トゥルルル トゥルル

良く晴れた日の午後、電話のベルが明るく家中に鳴り響いた。掃除の手を止め、(どうせセールスの電話ではないか)と思いつつ、重たい体を抱え電話に向かった。

「はい、大門です!」

受話器の相手に忙しさを漂わせながらそう答えると、相手の言葉を待った。

「あなたの旦那さん、浮気していますよ・・・」

唐突な言葉が、私の体に電撃のように飛び込んだ。若い女の声だ。

「あなた、どなたですか?」

女は名前を名乗らず話しを続けた。

「友達が悩んでいるので電話したんです!」

知り合いの顔がグルグルと頭の中を駆け巡ったが、思い当たる顔はなかった。

「会社の帰りにデートしたり、家まで来たりしていますよ。一緒になるって言っているそうです」

小さな声ながらも、気の強そうな口調だった。

(何をこの女は言っているのだ。さては、悪戯電話だな!)

「だれかと間違えているんじゃないですか? うちは大門ですよ!」

受話器から聞こえてくる文言とは正反対に、玄関越しに見えるアスファルトは、眩しいくらいに初夏の日差しをキラキラと輝かせていた。

「はい。御宅の旦那さんですよ!大門社長です」

(大門真一が!絶対にありえない!この電話の主の目的は何だろうか、嫌がらせか、それとも・・・)この時は一〇〇%疑う心など起きなかった。

頭の中は初めて遭遇する事態への対処に戸惑いながらも、今までの夫の生き様を思い出し、きっぱりと言い切れた。

「うちの主人はそんな事をしませんよ!あなた、どなたなの?もしかして、本人じゃないの!」

「・・・・・・・・・」無言が答えに思えた。妻の威厳を保ちながらも、事情聴衆のために、冷静に話を続けた。

「どうしてこんな電話かけてくるの!何か主人があなたに悪い事したのかしら?」

動揺しない私に腹を立てているかのように、いっそう強い口調で夫の浮気を主張した。

 女は、はっきりした声で、

「ご主人は『子供を産んでも良い』と言っています。『奥さんと別れて一緒に成る』とも言っているそうです!」

「・・・・・・・・・・」

(嘘だ!夫が浮気だなんて絶対にありえない。この女、頭でもおかしいのだろうか、それとも夫婦の仲を裂こうとする嫌がらせなのか・・・)

「そんなこと信じられないけど、あなた、誰なの?」

ガチャ プー プー プー 電話は切られた。 

人間は人の発した一言で、すべての考えを覆す時がある。

「社会に貢献したい!人々を助けたい!」等と口にするほどの夫が浮気をするなんて・・・。タバコも吸わず、お酒も飲まず、ギャンブルも大嫌いな夫に女の影などおよそミスマッチだ。しかし、受話器を置いてからも女の言った台詞が、何回も何回も繰り返し、お経のように頭の中を駆け巡った。

「あなたの旦那さん、浮気していますよ・・・」

「あなたの旦那さん、浮気していますよ・・・」

「あなたの旦那さん、浮気していますよ・・・」

暖かな日差しの中で、二人目の子供をお腹に抱え、新居の掃除していた穏やかな午後の出来事だった。

 まさに、晴天の霹靂とはこのことだ。


@シックスセンス

二才になる息子は、六時ごろに夕食を済ませて、早々と寝てしまっていた。

「ただいま!」いつも通りの、夫の帰宅だ。

「お帰りなさい!」

 ダイニングキッチンに入ってくる夫のカバンを甲斐甲斐しく受け取ると食事の仕度に戻った。

 「疲っかれたー!!」

 帰ってくると、よく開口一番に言う台詞だ。

「私だって子育てで疲れているのよ!3時間しか寝てないのよ!」

と、声を出して言いたかったが、不満を口にすることさえ私のプライドが許さなかった。

「お疲れ様!大変だったね」

と、何もなかったように食事の用意をしながら、私は心の中で、今日有った怪しげな電話の話をいつ切り出そうかとみそ汁の入った鍋をかき混ぜながら考えた。

ダイニングキッチンのテーブルの上に、夫が好物の大根おろし付きの焼き魚とキュウリのお漬物と味噌汁を並べ、夕食の支度を整えた。特に大根おろしは、ステーキより喜んでもらえる。簡単なメニューでありながら、結構大変なサイドメニューだ。

貧しい農家に生まれた夫からは、

「3品以上のおかずを出すな」と倹しい暮らしを旨とするよう指示されていた。

 夫は着替えを終えて食卓の席に付くと、いつものように、

「ご飯!」のコール。

 帝主関白な夫は、美辞麗句など男にとって愚の骨頂とでも言わんばかりに、単語を並べ、命令調にものを言うのであった。

会話をしながらの食事など稀な事で、大概は、新聞を広げるか、巨人戦に熱中してテレビに釘づけだった。私に猛アタックして結婚した癖に、今や恋人は「読売巨人」と化してしまった。野球のどこがあんなに男達を熱くするのか、少し男の純粋さを羨ましくも思った。テレビ観戦に夢中な夫の真正面に座り、それとなく昼間あった電話の話を切り出した。

「ねえ、今日変な電話があったのよ!驚いちゃった」

「何の・・・」まったく興味を示さない口ぶりで答えた。

「あなたが浮気をしてるなんて言ってきたの。若い女の人だったよ!」

 実際、この時までは、私を困らす為のいたずら電話だと思っていた。

「誰かのいたずらだろ!そんなの放とけ!」

 夫の声がいきなり大きくなった。何でこんな伝達事項をしただけで声を荒げるのだ。

(へん、変、何か変・・・・・)私の第六感が動いた。

(これは唯の嫌がらせではないかもしれない)と。

女は微かな変化にも反応する生き物らしい。子供を産み、命を繋ぐには、些細な変化にも敏感にキャッチできる能力を天は与えたのだ。子育ての経験から産まれた洞察力は、夫の変化にも鋭く反応するのであった。声の響き、匂いや動作、体温、色の変化等々、太古から培ったこの能力を男たちは見くびっている。

夫は憮然とした顔で、

「そんなの誰かのいたずらに決まってるじゃないか!」と数分後にまた言った。

なんだか私のことを怒っているようだ。

「他愛もない悪戯を取り上げて人の顔色など見るな!」とでも言いたげだ。

 プライドの高い男ほど自分の弱点をつかれると怒る。いわゆる逆切れというやつだ。

「別に悪戯だとは思うけど、誰が掛けてきたのかしら?」

誰が掛けてきたのか、夫に話せばその糸口が見つかるのではと思っただけのに、再び意外な言葉が返って来た。

「お前の友達じゃないか!」

なんと、恰も私の中にトラブルがあるとでも言いたげだ。

矛先の転換にしては屁宅な返答だった。この目の前の夫が浮気をしている確証はないが、(秘密を持って私と生活をしていることは確かだ)との思いが、初めてこの時私の心に宿った。

こんな衝撃的な出来事も目殴るしい生活に押し流され、いつしか私の中で影の存在となって逝った。


@昭和の陰り

そもそもこの男と出会ったのは、

昭和五十年。三億円強奪事件の時効が十二月十日に迫っているとのニュースが流れていた初夏、友人に誘われフォークソングのサークル集会に湾岸沖の公民館に向かった時だった。そこには三十人ほどの男女がギターをつま弾きながら、輪をつくり思い思いに歌っていた。

そして、友人に、このサークルの中心者、大門真一を紹介された。黒い革ジャンに丸坊主。おまけに前歯が1本抜けていた。

(私の大嫌いなタイプだ)

「僕たちのようなクズでも、みんなで力を合わせれば社会の役に立つんです」

と、学生運動家のようなコメントには驚いたが、私もこのクズの一員となり音楽活動を始めたのだった。

フォーク全盛の風の中、ラッパズボンにチューリップハットを被り、井上陽水や吉田拓郎の歌を口ずさみながら、ヒッピーの真似をして青春を謳歌していた。

たまに足を踏み入れる喫茶店には、インベーダーゲームがテーブル変りにドカンとスペースを取り、席に着くなりガラス板越しのカラフルなインベーダーの動きに釘付けとなっていた。

まだ世間には貧しさの空気が漂い、よれよれのTシャツを着ていようと其れは其れなりの文化となっていた。

そして貧乏を自慢すれば、この中にいる若者たちは群を抜いていた。

 経済面だけではなく、平仮名を書く練習をしている十八歳の文盲の青年や、引き篭もりになった盲目の青年、それに造船会社が倒産し無職になってしまった男等、サクセスストーリーからはほど遠い若者たちの集まりだった。

その中心に居たのが、前歯の一本抜けたこの男「大門真一」だった。

職業は屋台を引くラーメン屋。自宅のアパートにはラーメンのタレを入れた大きな瓶が置いてあり、異臭を放っていた。ここが時々フォーク仲間の集合先となったのだが、六畳一間の畳の部屋に、ラーメンのタレが入った大きな瓶と、沢山の本と、ピアノが置いてあるような、摩訶不思議な部屋だった。

まさか、この部屋の住人と結婚する事になるとはこの時、夢にも思わなかった。

この家の柱にぶら下がっていた状差し中に(大門真一様)と書いたハガキが目に留まった。

(大門めぐみ。いい名前だ)などと自分でも信じがたい連想をしていた。


@プロポーズは突然に

 ある日、フォーク仲間の澄子と私は、真一から近くの喫茶店に呼び出された。坂の途中にある古びたウエスタン調の店だった。

 私は、約束の時間にその喫茶店に行くと、彼女と大門真一の他にもう一人、バンドのメンバーが座っていた。この青年は、誰からも好かれる好青年だった。いつもは快活な彼も、私と顔を合わせるでもなく黙って下を向いたまま真一の隣に座っていた。何の話があるのか全く想像もつかず、3人の中に加わった。真一は、自分の将来の構想などを吶々と語り始めた。

 そして、私達ふたりに、まじめに且つ慎重にこう話した。

「二人のうちの、どちらかと結婚したいと思っている」と。

心の中で(なんで二人の中・・・)と呟いた。

世の中に、こんな身勝手なプロポーズを受ける女性がいるのだろうか?

「ふざけないで!女を何だと思っているのよ!」と普通の女性なら怒るところだ。

ましてや、職業が屋台のラーメン屋ともなれば大概の女性はこの申し出を辞退するはず。しかし、私たちはこの奇妙なプロポーズを受け止めた。

その深層は、真剣に生きたいとの思いからであろうことを私達二人は理解していた。

そして、少なからず二人の中にあった真一に対する尊敬の念とでも云うべきものが、この奇妙なプロポーズを納得させたのだ。

私はこの無礼なプロポーズを心の中で受け止めていた。

自宅へ帰った夜、そんな事など知る由もない母から、

「真一さんとの結婚は賛成もしないし、反対もしないよ!」

と、突然に言われたのだ。恐るべき母親の直感・・・。まるで予言者のように。

アイロンをかけながら唐突に切り出した言葉に、母の長い間の思索を感じた。

 私には、その時の母の言葉は「反対」と聞えた。

〈聡明で優しく、正義感とユーモアのある人〉これが私の理想のタイプの男性だった。

なのに、嫌いなタイプを凝縮したような、粗雑で無神経で、自尊心が強く自画自賛をし、おまけに背は低く、田舎訛りで、いつもセンスの悪い服を着ている、そんな真一に、私は少なからず興味を持っていた。この男の何が私を引き付けたのだろうか。

決して私はブスとまではいかないと思うが、恋愛からはかなり遠い位置に立っていたからかもしれない。

真一は、人々にどうしてここまで優しくできるのかと思う程、ヒューマニストでもあり、真実だと思った事に一歩も妥協をしない正義感をも持ち合わせていた。        

世界的な民族紛争、核問題、環境破壊。どれをとっても私達の小さな存在から手の届かない問題であったが、真一は自分の事として真剣に捉えようともしていた。

始めは、(この男のやっている事は、パフォーマンスではなかろうか?)と疑った。

しかし、接して行く内に、心底から人を放って置けない性格であることを徐々に理解し、この純粋な気持ちに、第七感ともいうべきものが共鳴したのかもしれない。

(嫌い)と思える要素は数多く有ったが、(好き)と思える要素は少なくとも、その比重は大きかった。自身では、コントロールしにくい深層の自身がこの男を選んだのかもしれない。


あの日以来、「結婚しよう」とも「愛してる」とも、一度も言われたことなどなかったが、日に日に、母一人、子一人で住む我が家に荷物を持ち込まれ、まるで押しかけ亭主のように我が家に棲みついた。何故こんなことが許されたのかというと、母は無類の麻雀好きで、メンツが一人足りないのをいつも真一で埋めていた。それ故に、いとも簡単に朝まで居座ることができたのだ。

白いブリーフやシャツの洗濯まで図々しく洗濯機の上に置いていき、我が家から出勤していった。(この男と結婚したら、ジェットコースターのような人生になるだろうな!)と直感しながら、だんだんと真一の荷物は増えていった。


@神田川

私にも大門真一の他に好きな人がいた。

 まだ私が学生の頃、近所の友人宅で、その人を初めて見た時、(この人は、私と結婚する人かもしれない!運命の人かも)と、妄想させてくれるほど優しさが顔に溢れている男性だった。一級建築士でありながらひょうきんで、さわやかで、「知る者は言わず」。まさに知性をひけらかさない理想の人だった。何処かで会ったような気がするくらい懐かしい人でもあった。

ある日、新宿でばったりと会い、目の前の喫茶店に入り、私はジンジャエールを、その人はコーヒーを注文した。千載一遇のチャンスだと言うのに、これと言って何も話す事ができなかった。

「好きです!」とも、「私のことをどう思っていますか?」などとも聞けず、私は殆ど黙って座っていた。おしゃべりな私をそうさせたのは、この時すでに、大門真一との結納を一か月後に控えていたからだ。

時、既に遅し! 

私は迷いながらも、着実に真一との結婚に向けて背中を押されながら前に進んでいた。それでも、この目の前の人が諦めきれず、もしかしたら

「めぐみちゃんのことが好きだよ。一緒になろうよ」こんな言葉を聞けるのではと、一抹の期待をしたが、

「めぐみちゃんのお婿さんは、僕が探してあげるよ!」と、

初めてのデートで悲劇的な言葉を投げつけたのだ。

なんて優しく、なんて悲しい言葉なんだ!私は、咄嗟に

「この世で二番目に好きな人と結婚します!」そう言って席を立った。

私はこの時、出会うべきして出会った人との糸を無理やり切った気がした。


夏のある日、我が家で結納が執り行われた。仲人は取引先の社長に頼み、主人側からは両親が高齢の為、長男の兄が、こちら側からは父が他界している為、母が出席し質素ながらも厳粛に結納が行なわれた。この席で、義兄は詩吟を披露してくれた。

そして珍しいことだと思うが、「私にも歌を」と義兄から要望され、促がされるままに「喜びの歌」を立って独唱した。

「晴れたる青空漂う雲よ 小鳥は歌えり 林に森に 心は朗らか喜び満ちて・・・」

(この結婚を幸せに満ちたものにしよう!)との、私の決意でもあった。


「あなたはもう忘れたかしら、赤い手ぬぐいマフラーにして・・・・・・」

 この「神田川」の歌が流行る頃、私達は結婚をした。

新居はお風呂も水洗トイレもベランダもない、古いアパートだったが満足していた。家賃も三万五千円。どこの新婚家庭の家賃より安かったと思う。

お膳もママゴトで使うような折りたたみの小さなテーブルであったが、新婚当時の私たちにとっては、何も気にならなかった。

結婚後も夫が共同経営をする紳士服店に共働きをし、帰宅すると九時近くになっていた。それから、夕飯の支度をし、お膳を整えた。

「おかずは三品以上出すな」と主人の忠告通り、お魚と煮物とお漬物という、質素な献立も心掛けていた。

夜には、二人で石鹸と風呂桶を持って近くの銭湯へ行った。昔ながらの番台のある銭湯だ。お風呂から上がる時には、夫が男風呂から唄う合図の歌を待った。

演歌を歌っているのだろうが、大きな声でまるで軍歌を唄っているように聞こえたが、それを聞くと私もお風呂から上がる用意をしたのだ。照れ臭かったが、大勢の中で二人だけの秘密を楽しんだ。

 お風呂のない古いアパートであろうと、「神田川」の歌にある新婚生活そのものだった。寝る時はシングル布団を一枚だけ引き、お互いに窮屈だとも思わず、毎日一緒に寝ていた。

 


(いく)()

@寧々様

大門真一と結婚して二年の歳月が流れた。

「赤ちゃんはまだなの?」と、隣に住んでいる人の良さそうな婦人から声をかけられたが、新妻にとって、何気なく発せられるこの言葉ほど、重く圧し掛かる言葉はない。

「ええ、未だできないんです。なかなかできなくて・・・・」

と笑って答えるしかなかった。

「大丈夫よ、あまり悩まないことよ」

と言っては貰っても、新婚から二年も経つと些か悩まない訳にはいかなかった。

今度こそ赤ちゃんができたのではないかと、急いで産婦人科に行くと、

「お目出たではありませんよ!」と、

悲しく恥ずかしい宣告を何回となく受けた。挙げ句の果てに、同僚の男達からは、

「作り方知らないんじゃないの!教えてあげようか!」などと、からかわれるのだった。一緒に経理を担当していた老齢の経理部長からも、なかなか子供ができない私に、留めの一言、

「まるで、ねね様みたいだね」と。

子供のできなかった豊臣秀吉の正室、寧々様のようだというのだ。

まったく、無神経な男どもである。男は女である事の辛さを理解しようとした事があるのだろうか。子供の頃から、大変な思いをして生理日を迎えては乗り越えなければならない。腹痛、腰痛はもちろん、貧血や頭痛、発熱、あらゆる痛みに耐え、歩行すらできなくなる事もあるのだ。

その度に会社を休む訳にもいかず、立ち仕事だろうが、社員旅行だろうが、付き合わなければならないのだ。ざっと計算しても五〇〇回以上繰り返すのだから、強くもなるし、我儘にもなる。こんな女の険しい道のりを男は理解しようともしない。

(もう私には子供はできないかもしれない)

そんな思いが増幅してくると、何気ない冗談や一言が致命傷になる。

一般的には、女性の排卵は二十八日に一回やってくるのだが、私は九十日に一回という妊娠の確率の低い体であった。だからこそ尚更、(子供は一生できないかもしれない)と思っていた。

毎月毎月やってくる生理に、期待を打ち砕かれつつ、妊娠しやすい体操を教わったり、逆立ちをしたり、骨盤のゆがみ矯正の整体に通ったり、あらゆる努力をした。

この頃、すれ違うお腹の大きな女性が次々と私の目に飛び込んでくるようになった。

今まで気にも留めていなかった子連れや妊婦なのに、私の頭の中の最優先項目として、その映像を真っ先にキャッチした。

私には、今、「妊娠」という事実が最も欲しかった。


ある真夏の午後、近所の主婦が私を見つけると、声を掛けてきた。

「ねえ大門さん、ずいぶん感じが違うけど、赤ちゃんができたんじゃないの?」と。

 子供を産んだ女性の目は凄いもので、本人も知らない妊娠を言い当てたのだった。

(もしかしたら、今度こそ出来ているかもしれない)微かな期待を胸に、産婦人科を訪ねると確かに医師から、

「大門さん、おめでたですよ!」と、初めての診断を得た。

(やった!やったー! ねね様もご懐妊。これで皆、喜んでくれるぞ!)

天にも昇る気持ちとはこのことだ。病院からの帰り道、自分へのご褒美にケーキを買って帰った。私のお腹の中に人間がいる。この神秘を噛みしめながら、生まれてくる子供を想像した。女の子だろうか、男の子だろうか?やっとできた感謝の気持ちで小躍りをしながら夫の帰宅を待った。


帰宅したら直ぐに飛びつくように報告をするものだと思っていたが、自分でも驚くぐらい勿体を付けた。

「ねえ、今日病院に行ったら赤ちゃんが出来ているって言われたの」

「へー、ほんと」

意外な冷静さは期待外れだったが、だんだん実感が湧いてきたのか、彼の顔はほころび、喜びを噛み締めていった。


私達夫婦にも待望の子供ができたのだ。



@離乳作戦

七か月後。初産は散々なものだった。予定日の二週間を過ぎても陣痛が来ない。強制的に産ませる手段を医師は敢行した。陣痛促進剤というものを点滴して産ませるのだが、これが苦しい。約二十九時間、嫌というほど陣痛を味わって、やっと翌日の陽の沈むころ、第一子が産まれた。 

〈一姫二太郎〉とは良く言ったもので、〈初めにおとなしい女の子が生まれれば、子育てが楽だ〉という古き格言だが、我が家は、〈一太郎〉だった。

母乳で育てるのが一番だと信じていた私は、なかなか出ないおっぱいを一生懸命に吸わせた。息子はお乳の出が悪くても必死で吸い続け、とうとう私の乳首には血豆まで出来てしまった。息子の努力の甲斐もあり、お乳は溢れるほど出るようになり、お風呂に入ると、ミルク風呂になってしまうのではないかと思うほど、豊満なおっぱいからお乳が浴槽にピューと放射するのだった。

しかし、母乳はお腹持ちが悪いらしく、毎晩、空腹に夜泣きを繰り返された。一時間おきに起こされる夜もあった。粉ミルクだとお腹持ちが良いので朝まで寝てくれるのだが、息子は、絶対にミルクを口にしなかった。哺乳瓶のゴムの感触が嫌らしく舌で押し出し最後まで抵抗した。この授乳戦では私の方が根負けをする事となった。

泣き止まない時は、保健所のマニュアル通り、(オムツは塗れてないか)(お腹が空いてないか)(熱はないか)(何処か痛い所はないか)等と、調べては見るが一行に泣き止まず、息子をおぶって夜道を散歩することもあった。

初めての子育てをする中で、どんなにマニュアルを頭に入れて対処しても、自分自身が泣きたくなるほど困惑する場面に何度も遭遇した。

「何で泣いてるの? 何で泣き止まないのよ!」

こんな毎日を何とか乗り越えてこられたのは、夫ではなく近所に居た実母のお蔭だった。この真夜中の攻防戦は約一年間続いたのだ。

 

毎日の子育てに疲れきり、(嗚呼!今日一日がやっと終わった!)と叫びたくなるほど、肉体的にも精神的にも限界だった。睡眠不足と疲れから、(本当に私に育てられるのだろうか)との重圧感に覆われノイローゼ寸前の毎日でもあった。

(喫茶店でゆっくりとコーヒーが飲みたい!)このささやかな願いを叶える事もこの時はできなかった。


親を育て、母性を育て、共に人間形成の長い階段を上ってゆくのが育児ならぬ育自なのだと感じた。



*陰徳あれば陽報あり

@決断

夫は、結婚当初より給料の封を切らずに持ってきてくれた。そんなまじめな働きぶりが功を奏してか、若くして四DKの我が家を手にする事ができた。実家から徒歩五分、新婚時代を過ごしたアパートからも五分ぐらいの所に新居を構えた。

新築の家と小さな子供のいる家庭、幸せを絵に書いたような人生だったが、お気楽な生活はそうは続かなかった。


ある日、群馬に住んでいる義妹から、何か重大な要件と察知できるような荒げた声で電話が入った。

「あんちゃん所で、父ちゃんと母ちゃんの面倒見て欲しいんだけど!母ちゃんは寝たきりだし、父ちゃんも母ちゃんの看病で寝込んでしまってるんよ」と、

子育て真っ最中の我が家へ、義母と義父の介護のオファーがかかった。


義母と義父は、農作業をして生計を立てていたが、周りに店などない山奥で、食事も自給自足の野菜のみを食べ、栄養も行き届かない状態になってしまったのだと思う。

 夫は、末っ子なので社会通念からすれば、両親の面倒を見なくても良いのかもしれないが、何処の兄弟も色々な事情をかかえ、私達のところに御鉢が廻ってきたのだ。

 末の妹も義母と義父の面倒を見ていた為、両親を引き取る事など到底無理だった。何よりも義母が、

「真一のところへ行きたい」と夫を指名した事が一番の決め手となった。

この言葉は私に摂っても嬉しかった。

この頃の私は、自我自讃ではあるがとっても良い妻だったと思う。夫も周りの人に、私のことを臆目もなくべた誉めをしていた。

同居に関しても、私に何の相談もなく決めていたが、きっと相談されても決して断りはしなかった。こんな大事なことでさえ(妻は自分の跡について来るのがあたり前)との傲慢さで押し切った。結果は同じでも過程が大切なのに、そんな事は夫の頭にはなかった。

 

義父は東京に来る事をとても嫌がっていた。

「この土地を離れることなど、絶対にできん!」と、頑として東京行きを拒んだ。

「母ちゃんに良い病院があるから検査の為に東京へ行こうよ」と偽り、頑固な義父と寝たきりの義母を何とか我が家に連れて来た。

都会とはいえ駅までは徒歩十五分。どこへ出るにも坂を上がらなければならない辺鄙な場所が意外と気に入ったらしく、義父は東京への移住を受け入れていった。住めば都というが、一ヶ月のお試し移住にすっかり慣れ、東京を住居とすることとなった。

 そして、我が家に、七〇才の義母と七十五才の義父を迎え、真一と私と息子の五人暮らしの生活が始まった。まだ手の係る息子や、これら産まれる子供の事を考えると不安ではあったが、精一杯良い嫁を務めようと意を固めた。

〈陰徳あれば陽報あり〉という格言を私は信じていた。

 そして、もしもこの両親を連れてこなければ、私の人生の中に汚点を残す大変なことが待っていた。

 

お試し移住から一か月後、思いもよらないニュースが、群馬から飛び込んできた。

「今、大門さん家が燃えてるんよ!」

「何よ!家んちが燃えとんの?」

受話器を取る義母は仰天しながらも、さすが六人の子供を育てた女性だと思うほど、電話の向こうからの声に冷静に応答した。

「何で燃えてるのよ?じいちゃんも私も東京に来てて、誰も住んでおらんのよ。付け火なの?」

近所の人からの連絡だった。私は、慌てて夫に電話をしてこの一大事を伝えた。

「田舎の家が火事になってるそうよ。今、隣町の銀ちゃんから連絡が入ったの」

「群馬の家が燃えてるの? 分かったすぐ帰るから。じいちゃんに田舎へ行く支度するように言っといて」

夫もさすがにこの報を聞いて慌てていた。

その日のうちに群馬へ向かってもらった。実家に到着した時には、もう全焼して焼け落ちた家の残骸しかなかったと言う。家財道具はもちろんの事、思い出の品まで全部焼けてしまった。近所の人や親戚が家財道具を持ち出そうとしたが、パニック状態となり、炊飯器や、どうでもいい餅つき機を運び出したそうだ。

我が家の近所で火事があった時も、住人が慌てて持ち出したのは枕と布団だったという。もっと大切な物が有ったのだろうが、突発的な異変に思考回路は混乱をきたし思いもよらない行動を取ってしまうようだ。その反対に、「火事場のバカ力」というように潜在能力を引き出す場合もあるのに、今回の火事では前者だったようだ。

 

後日、警察の調べで、火災原因は農納屋に置いてあった石灰窒素よる自然発火である事が判った。

 私がもし二人の受け入れを拒んでいたら、二人とも寝たまま焼け死んでいたのは確実だったと思う。その焼け跡から、イタチの死骸が二匹見つかったという信じられない報告も受けた。(本来動物は火に敏感なはずなのに・・・)

自然物が身代わりなるという話を聞いたことがあるが、この事実は私へのメッセージに受け取れた。そして、夫と自分自身の決断に感謝をした。

そうでなければ、二人を見殺しにしたという後悔の念が、きっと一生付き纏ったに違いない。


@アル中と介護

 それからというもの、義母と義父は、我が家を終の棲家とすることを余儀なく受けいれなければならなかった。そして、私には毎日の家事に二人の世話が加わった。

 義母の薬を貰うこともニ週に一度の家事となり、義母を連れて病院に行かなければ薬は貰えない為、息子を着替えさせ、タクシーを呼び病院へと向かった。買い物や食事の支度、洗濯とやる事は山の様にあった。

中でも一番大変なのは、義母は身障者二級の認定を受けているほどの難聴で、体も長い間の農作業で九十度に折れ曲がっていた。

「おばあちゃん、なんだか今日はとっても暑いね!」

との何気ない問いかけにも、

「ええ、何よ?」

「おばあちゃん、今日は暑いね!」

「はあ、何だって!」

「あ・つ・い・ね!」

同じ部屋の中に居て、気軽な天気の挨拶も儘ならなかった。実母より優しいと思える義母であったが、毎日、朝から晩までの会話に魂が吸い取られるような疲労感があった。リュウマチでもあった為、体の節々の痛みも時折訴えた。

体を動かすのもままならず、小柄だったが、私より重く感じるほど骨格がしっかりしていた。毎日、何回ものトイレへの移動は、我が身の腰をかばいながら、

「うんとこしょ!どっこいしょ!」「うんとこしょ!どっこいしょ!」」

と心の中で、唄いながら義母を抱えた。

「お母さん、悪いね」

義母は私のことをお母さんと呼んでいたが、なんだか可愛かった。

 

食事の支度も五人分となり、献立にも苦労をしなければならなかった。義父は、カップラーメンやスパゲティ、パンなどの洋食が大嫌いで、目の前に置いても手付かずにするほどだった。

(この頑固者!)と思いつつ、嫁として朝、昼、晩、時には和と洋の二種類の献立を頑張って作った。その点、女は脳みそが柔らかいと云うか、義母は何にでも挑戦して食べてくれた。ピザとかグラタンなども大好物となった。

特に、ベーカーリーで買ってくる菓子パンが大好きだ。障害者年金から私にお金を渡しては、このパンの購入を依頼してきた。山奥にいたら食べられないパンが、この町ではいとも簡単に手に入る。生活していくには、どんな食が手に入れられるか。これが幸福感の大きなウエイトを占めるようだ。


そして、この食に全く興味のない、お酒が大好きな義父が私たちを悩ませた。

義父は、夫が学生のころからお酒を飲むようになり、近所でも有名な酔っぱらいだったらしい。時には、バットを振り回し、山まで追いかけてきたという。

東京に余儀無く引っ越しをしてきた義父は、食の豊富さが功を奏してか、元気になって来たのだが、酒好きが頭を持ち上げてきた。庭の片隅に菜園を作り、ナスとキュウリとトマトを育て余暇を楽しんでいたが、それだけでは余りある時間に、ついついお酒に気持ちが向いてしまい、何もしない時間は全て焼酎のグラスを手にしていた。

朝から四十度の焼酎をストレートで飲んでしまうほどのお酒好きであった。もはや、(アルコール中毒)だった。義母と私で、あまりの飲みっぷりに、

「じいちゃん、体に毒だからやめなよ!」

と忠告しようものなら、尚更、煽るように焼酎を飲んだ。酔った時のご乱交は尚も許しがたかった。トイレの後、廊下に「ぽっとん」と汚物の落し物をしたり、時には近所の酒屋さんから、

「おじいちゃんが道端で寝ていたよ」との報告を受け、

「すいません、どこですか?迎えに行ってきます」

と、救助にも行った。どんどんと酒が義父を変貌させていった。

ある日、私は義父の酒乱に堪り兼ね、焼酎の入った一升ビンを手に取り、義父の前で泣き叫びながらキッチンの流しにぶちまけた。

「何でお酒ばっかり飲むのよ!」私の凶変ぶりに義父は驚いたようだが、

「いいよ、又買って来るから」

とぼそぼそと言いながら外へと出ていった。帰宅時にはなんと二本の焼酎の一升瓶を手にしているという偏屈ぶりだ。

「何でじいちゃんはそうなの、真一にお世話になっているのに、少し考えな!」

と義母も声を荒げた。

酔っていないと優しく思いやりのある人なのだが、酔うと別人になった。あまりの素行に腹が立ち、(よし!この姿を見せてビックリさせてやるぞ!)と、酔っぱらいの義父を被写体にビデオを廻した。翌朝、義父をビデオの前に呼んで、昨日の姿を、テレビ画面を通し上映をしたところ、

「ありゃまあ!これ俺かい?ぶったまげたな!」

と、自分の姿に驚き、まったく悪気なく頭を抱えたのだった。その落ち込んだ反省の姿を見て、なんだかあまりの素直さに拍子抜けがした。これを記念に、飲酒に関する川柳の公募に応募したら、この詩が入選し本に載ってしまった。

「ベロンベロ ビデオにおさめ 朝を待つ」

本当に、酔っぱらっている人間は変わるものだと思うが、心の底に眠っていた思いが濁流のように流れ出てくるのかもしれない。 


私の実父もアル中であった。酔っ払いの怒鳴る声が夜道の遠くから聞こえたかと思うと、その声は我が家に入ってきた。耳を塞ぎながら布団を被るのが癖となるほど、毎日、毎日、父の酒乱に怯えていた。包丁を持って、母と私の前に立たれたこともあった。この子供時代の記憶が、(ぜったい酒飲みとは結婚しない!)との強い決意を生み、お酒もタバコも吸わない夫を選んだ筈なのに、やはり酒飲みと関わる運命となったのだ。

毎日七人の子供の食い扶持を得るため、雨の日も風の日も畑作業に生を出し、病気や怪我さえも押し退けて働くほど武骨な義父であったのに、自身の役割が無くなった時、酒に寂しさを溶かしていたのかもしれない。

その時、義父の心の寂しさを理解してあげる余裕など私には無かった。 


この「毎日」は同じ繰り返しの中にも、ふとイレギュラーな出来事が出現して来るのだったが、お昼ご飯に、いなり寿司を食べている時の事だった。

義母は器官が狭くなっている為か、よく食べ物を喉に詰まらす事があった。

「クックッ!カァカァー」という声に振り向くと、義母が苦しそうに顔を歪めていた。

私は慌てて背中を叩いた。顔がだんだん青くなっていき、一向に治まらず(このままでは死んでしまう!)と思い、慌てて救急車を呼んだ。

日頃、良い嫁を務めようと思っていても、喧嘩をすると義母は、

「あたしゃ、どうせもうすぐ死ぬんだからさぁ」、

「ああ!早くあの世へ行きたいよ」などと、悪態を付くことがあった。

それでいながらしっかりと欠かさず薬を飲む義母を見て、(早く死んじゃえばいいのに!)と思う時もあったのだ。誰にでも訪れる老いなのに、邪魔者のように毛嫌いをしてしまった。なのに、いざ死にそうな義母を前にして、必死で助けようとしている自分がまだいてくれたことに、自分でも嬉しく思った。119に電話をし(早く、早く助けて!)祈りながら救急車の到着を待った。息子を実母に預けると、長く待った救急車に乗り込み、酸素マスクと応急処置を受けながら、やっと病院へ到着。

診察が終わると、中年の担当医が開口一番、気だるそうな声で、

「おばあちゃん!物はゆっくり噛んで飲まないと!」と、

(困ったお婆さんだなあー)と言わんばかりに諭した。

義母は素直に小さな声で

「はい」と答えた。

私には決して、医師として思いやりを持っての言葉には聞こえなかった。


救急車に付き添いで乗ったのはこれで三回目だが、初めて乗った時は、実家にたまたま行った時、トイレで母が苦しみ真っ青な顔をして便器の上で呻いていた。

私は死んでしまうかもと思い、戸惑いながらも思い切って救急車を呼んだ。

診察の結果は驚いたことに便秘が原因だった。


この後も義母は、何回となく衰弱で入退院を繰り返したが、はっきりした病名を持たないと、入院もさせてくれず、たとえベットの空きを待って入院できたとしても期間付きで出されてしまうのだ。

この病弱な義母や、アル中の義父、息子の面倒、これから生まれるお腹の子。

これが私の肩に圧し掛かかった。

それでも、ノー天気が功を相し不幸せなどと、一度も思った事が無かった。 

後ろには、私を愛してくれているであろう夫と、可愛い子供、そして多くの友人がいるのだから・・・。



第二幕 サイレント

*メッセージ

@イヤリング

 大門真一は、たばこも吸わず、酒も飲まず、バクチもしない典型的な真面目人間で、自分で納得のいかない事は相手が誰でも戦うような男で、家族思いで、働き者で、大志を持っていて・・・こんな風に分析していた。

(そんな人が浮気をするなんてありえない!)

と思いつつも、あの日の電話から一つ一つの出来事が疑いへと駆り立てた。


夫は〈忙しい〉を口実に、家にいないのは勿論のこと、私によく車の掃除を頼んだ。

車ぐらい普通の男なら自分で掃除をすると思うのだが、片付け、掃除が大嫌いだった夫は今日も私に頼んできた。

「車の中汚れてきちゃったから掃除してくれる」

私も、それが当然のように引き受けた。

暖かなこの日、子供がお昼寝したころを見極め、車の掃除にかかった。大門真一は何やら机に向かって仕事をしていた。

気持ちのいい天気に乗って鼻歌を唄いながら車の中の掃除を始めた。私も掃除は好きではなかったから、いつもゴミの回収やこぼしたであろうジュースの後を拭く程度だったのだが、車の中で身をよじって掃除をしていると、私の手が止まった。

ダッシュボードの上に見なれない物が置いてあった。手で摘んでみると小さなイヤリングだった。グリーン色の四角い七宝焼きが付いていて、おもちゃの様にも見えた。

指先でぷらぷらと揺れるイヤリングを見ながら考えた。

(気を許さない限り、女性は人前でイヤリングを外したりしない。ましてやダッシュボードの上に置いたりなどしないはずだ・・・・・・)

私は、もう何年もイヤリングなどしていない。ブレスレットもネックレスも、つけていれば子供にとって危険だし必要はなかった。

掃除を終えるとそのイヤリングをダッシュボードの上に戻し、夫の元へ行った。

「ねえ、イヤリングが車の中にあったわよ。誰のなの?」

「知らないよ・・・・・」

 と、余裕な顔で答えた。

「知らないって、置き忘れたんだから返してあげなくちゃ、会社の人かな?」

「いいよ、放っておけよ」

 この時私は、(自分の車に置いてあるものが、誰の物なのか分からないなんて、そんな事あるのかしら!)と、腹立たしく思ったが、夫を責めたり、抗議をするということが何故かできず、返答を受け流した。何処かで良き妻を演じようと努力していたのかもしれない。本当は、

「何言ってんのよ! 女を乗せて遊びに行ってたんじゃないの!」と言いたかった。

(やっぱり、いつかの電話の主は実在する)と、心の中で呟いた。

 そして、このラビングメッセージは、送信回数を増やしてきた。


@助手席

ある日曜日の夕方、夫に近くのスーパーへ車を出してもらうよう頼んだ。

「気を付けて乗って」夫は優しく声をかけてくれた。

この時、私のお腹には第二子がいたが、お腹は、日に日にどんどん膨らみ、張ち切れんばかりと成っていった。

「大門さん、もしかして双子?」

などと声をかけられるほどの立派なお腹をしていた。買い物に行くのも、荷物を持つのもしんどかった。家の周りは坂ばかりで何処へ買い物に行くにも坂の上り下りが必要だった。大きなお腹をそっくりかえりながら車に乗り込むと、助手席の座り心地が違っていた。

(シートの角度が、昨日と違う?夜中に近所の実家に行ったばかり、いくらなんでも、こんなに倒していなかった、昼間に誰かを乗せたのかしら?)

そう思いながらも、車は発車した。


夫は町中を走っていく車の中から、私の存在を忘れているかのように、長い髪の女性を無邪気に目で追った。横断歩道を渡りきるまで、ジーと眺めていた。

何故、こんなにも素直に、好みの女性を目で追うことができるのだろう。視界から、すべてを取り去りその女性だけを見つめる。まるで、子供が珍しいおもちゃでも見つけたように。もしかしたら、誰かと似ていて確認のために目で追っていたのかもしれない。

 この助手席の不具合さを直しながら、さりげなく聞いてみた。

「今日、誰かと出かけたの・・・?」

 問い掛けながら、運転している夫の顔を見ると、

「いや、パチンコに行っただけだよ・・・」と。

夫の目はキョロキョロと踊っていた。

 

その後、車の中は〈お互いの無声の言葉〉が漂った。

(でも、絶対誰かがここに座ったはずよ!)

(こいつは何を言おうとしているんだ・・・・・・)

(変じゃない!こんなに倒してあって!)

(なんで、分かるんだ・・・・・・・)

(きっと朝から出かけて行ったのは、彼女とドライブでもしていたに違いないわ)

 私の声にならない言葉を、夫は感じていたはずだ。


この車の助手席は、私が座る物ではなかったのか!

夫は一筋に私を愛してくれていると思っていたが、その確信はどんどんと崩れて行った。


@残像

翌週久しぶりに外出をすることになり、車のキーを預かり手荷物を車へと運んだ時

キッラッと光るものがフロントガラスを通して目に入った。目を凝らし車内を覗き込むと、ダッシュボードの上に置いてある、キラキラとしたヘヤピンだ。手に取ると、子供のものではない。老人のものでもない。若い女のものだ。薄いピンクのラメが付いた、細いヘアピン1本が、私の心を掻き毟った。

ピンクのヘヤピンを目にした瞬間、心臓が「ドキッ」と鳴ったような気がした。ドクドクと心臓を通り過ぎてゆく血液が体中を駆け巡った。長い髪を止めたであろうそのピンが、

「奥さん、私、ご主人と仲良くこうして、いつも一緒にいるんですよ。」

そう語りかけているように思えた。

二人目の出産を控えていた私は、髪をバッサリ短く切って、女としてより母としての責任を果たすその時に備えていた。なのに、このヘヤピンには、女の色香が漂い、母となる私への侮辱とも感じる色気があった。先日のイヤリングよりも、もっと女を感じたのだった。

「これ、誰のヘアピンかしら?」と、優しく聞いてみた。

「会社の女の子のだろ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「時々、仕事で乗せる事もあるから」

と、夫は顔色も変えず答えた。

(そうかもしれない!でも違うかも?)

「そんなはずないでしょ! 女と一緒だったんでしょ!」と言いたかったが、争うことが凄く恐く、それ以上はただ何も言えず黙っていた。


そして次の送信は、初夏の車中にあった。それは、今まで以上のインパクトを持って私に伝えてきた。助手席の足元に、花柄のビーチサンダルが乱れて脱ぎ捨ててあったのだ。もちろん私の物ではない。

ピンクの鼻緒と、黄色の大きな花柄が、待ちきれない夏を謳歌しているように眩しく輝いて助手席の下から顔を出していた。サンダルを手に取ると、砂が少し着いていた。

サラサラと落ちる砂は、儚げでありながら主張をしていた。砂の付いたビーチサンダルから、海辺での楽しい一時が連想された。

(夫はこの花柄のサンダルを履いた女と何処かの海でも行ったのだろうか?三浦海岸だろうか、それとも、もっと遠距離の海へ出かけて行ったのだろうか?笑いながら、絡みながら、砂浜を歩いたのだろうか?)

 女はこのビーチサンダルを忘れたのではない。二人の関係を私に見せびらかしたかったのだ。一足のサンダルは、多くの感情を憑依させそこにあった。

(妻は、子供の世話と、親の面倒と、二子を抱えたお腹を支えながら家事に追われているのに、何て男なの!最低!死ね!)いくら暴言を並べても、この口惜しさは晴れるものではなかった。体の芯から出てくる女の執着が、愛しているでもない夫に浮気をされて初めて溢れだした。


@ルージュの伝言

 だんだんとエスカレートするメッセージに、困惑しつつも、まだ妻の優位性を味わってもいた。

(私は妻。子供もいる。妊娠時の浮気など良くある話だ!)と落ち着いてもいられた。

これは主婦の悟りとでもいうべきものなのだろうか?今の現状を保守するために、生活を守るために、そしてこれから生まれてくる子供を守るために、感情を封印していたのかもしれない。でも、正直に言えば、お腹の命に優しい思いをかけてあげられる余裕は全くなかった。ただ栄養を採らなくてはと、そのことだけは必死で、ビタミンを採るため、ほうれん草やブロッコリー、小松菜、牛レバーを食べ、カルシウムを採るため人一倍牛乳を飲み、体重はみるみるうちに十キロを超えた。夫は、妻が妊娠中には家族というより同居人の態を深く感じさせた。


TVドラマのワンシーンに〈ワイシャツに付いた口紅を奥さんが発見し、それを夫に問い詰める〉そんなシーンがよくあるが、私にもそんなベタな出来事が訪れた。

 脱ぎ捨てたワイシャツを苦しいお腹で拾い上げると、真っ白なワイシャツに、ある訳もない紅いリップの跡が鮮明に浮かび上り、図々しく私の目に飛び込んできた。

体中を一気に血が駆け廻り、熱くなり、怒りと憎しみが込み上げてきた。

「ねえ、ワイシャツに口紅がついているわよ!!」

もう浮気は、私の中で確証に変化していたので、皮肉たっぷりに言ってみた。

それでも、夫は、

「そうか? きっとクラブの女の子に付られたんだな!」

 と、平然と鼻の下を長くして返答した。

(バカ言てんじゃないわ! しらばっくれるんじゃないわよ!)

「こんな所に付く訳ないじゃない!」と、自分でも驚く位の大きな声で怒鳴った。

「わざとホステスがやったんだよ!」

と、あくまでも白を切った。


(ワイシャツに口紅が付くことぐらい何なのだ。別にたいしたことではないじゃないか・・新築の家の中で子供を身ごもり、美味しいものを食べ、生活の心配をすることなく、縁側に座り暖かな日差しに照らされる。こんな幸せの形を手に入れられる女性はそう多くないはず・・・だけど、違う! 私は凄く孤独だ!寂しくて、悔しくて、切なくて・・・私はいったい何なの?)

こんな孤独感の中でも、自身の置かれている立場や出来事を観察してみた。

自宅への電話、アクセサリーの忘れ物、口紅の跡、香水の香り、髪の毛。その女性が本当に大門真一を愛しているならば、こんな証拠は残さないはずだ。


これが始まった頃には、その女が夫大門真一を愛している事よりも、

「奥さんあなた以上に愛する存在がいるのよ!」と私にメッセージを送っているように思えた。

夫には「私を無視したら承知しないわよ!」との勧告をしているのかもしれない。


ダイイングメッセージならぬ、ラビングメッセージだ。

(こんな恋愛ごっこ、すぐに終わりが来るだろう)と思いながらも、一つ一つの出来事にアンテナを張り廻らした。



*オセロ

@我慢の限界

「ご主人が入院をしました」

突然の会社から自宅に連絡が入った。身重の妻ならうろたえ驚くのが普通なのに、

私はなんだか笑ってしまった。嬉しいと言っては語弊があるが、

(ほらみろ、悪い事していると、罰があたるんだから・・・)とほくそ笑んだ。

「接触事故を起こしまして、軽症ですが入院をしていただきました」

 バイクを乗っていた青年が左折をした時、夫の体に接触して横転。幸い、お互いに大した事はなく軽傷で済んだようだ。

 さっそく息子を義母に預け、洗面器やら着替えを持つと、タクシーで病院へと急いだ。

 人一倍大きなお腹を抱えながら、病院の階段をやっと上がり二階の大部屋に入ると、奥のベットに恥ずかしそうに目を合わせる夫がいた。

「おー!友達になった田中君」と、

いきなり隣りのベットに寝ている太めの男性を紹介された。

 照れなのは分かっていたが、もっと先に言う言葉があるはずだ。なんで普通に私とのコミュニケーションをとれないのだろうか。

「大丈夫なの? 具合どうなの?」と、

私は声を掛けた。

「たいしたことないよ!どうせだから、みんな検査してもらおうと思って!」と、

 いつもの強気な夫らしい言葉を発した。

「そうね、働き過ぎだから休養のつもりで入っていたらいいわ。疲れぎみだったもの」

 私は、内助の功を尽くす妻を心がけていた、と言うより正確に言えば演じていたのかもしれない。

実際、働き者の夫には、疲労が溜まっていた。

「じゃ、下まで送っていくよ」

と、今来たばかりの私を追い返すように、背中に手を廻し病室から誘いたてた。

「そんなにでっかいお腹してみっともないだろ!」と、

病院の階段を降りる途中でどうしても消化できない言葉を浴びせられた。

(ふざけるな!それがお見舞いに来た妊婦に言う言葉なの!)と、怒鳴りたかった。

「大変だったね。心配かけちゃってごめんね。忙しいのにわざわざありがとう」

こんな言葉が聞きたかった。私は、

「どうしてそんなこと言うのよ!」と、半泣きをして叫んだ。

「こんな体して来なくていいから!」と、急に優しい声に変わった。

 その時、寂しさと共に怒りが込み上げ、自分でも思いがけない言葉を発した。とうとうとう私の〈堪忍袋の尾〉は切れた。

「桂木さんがお見舞いに来るからでしょ! 私と会わせたくないから早く帰そうとしているんでしょ! 分かっているんだから!」と、大きな声で叫んだ。

「そんなことないよ、来るわけないだろ」

「じゃあ何で来たばかりなのにすぐ返そうとするのよ!可笑しいでしょ、桂木さんと付き合っていることは分かってるんだから、しらばっくれないでよ」

エーテルの臭いの中で、秘めていた疑惑のすべてを病院の玄関で撒き散らした。


(もしかしたら、あの人が浮気相手かもしれない)と、ずっと前から思っていた女性が「桂木恵子」だ。夫の会社で働いている従業員で、離婚して独り身であったが、小学生の女の子がひとりいた。

離婚の理由は解からないが、決して性格が悪そうには見えなかったし、寧ろ美人で多くの男性からもてるタイプだった。私は、この女性を以前から知っていた。

何故なら、母の親友の姪で、しかも母の紹介で夫の経営している紳士服の会社に入社したからだ。知っているとは云え、人からのまた聞きと、以前母の親友宅でドア越しから、ちらっと見た印象でしかなかった。

始めて彼女と顔を合わせ、言葉を交わしたのは、夫と一緒に買い物をした帰りに会社に立ち寄った時の事だった。

「お疲れ様です!主人がいつもお世話になっております」

と、妻としての挨拶をしながら、夫と一緒にお店に入った時、レジに立ち、長い髪をたらした彼女が、私と挨拶を交わした。彼女は私を見つけると、ハットした顔をした。

彼女の大きな瞳と、一生懸命に笑おうとしている顔が印象的で何かを感じた。時間にしたら、たった一、二秒ぐらいの瞬間に顔から、目から、動揺を感じた。

確かに、彼女は私を見て動揺をしていた。夫と私が一緒に入ってきた事への驚きなのか・・・?

妻である私が想像と違ったのか・・・?

それとも私のお腹が大きかった事への驚きなのか・・・?

その時、彼女の顔は(意外!)と言っているように見えた。


病院でこの「桂木恵子」という名前を、私の口から出されて夫もびっくりしたようだ。

「来る訳ないだろ」と、

ヒステリックになる私を宥めるように言ったが、図星だったことが顔に出ていた。

「いいから、家でゆっくりしてな。大事な体なんだから!」

(そんな猫なで声を出しても騙されないぞ!)

どんな優しい言葉も繕いも、怒りの楯は通そうとしなかった。

 この真相はわからないが、きっと彼女が見舞いに来る予定だったのだと思っている。あのうわずった声とあの焦り方は、あまりにも不自然だった。


@出産は女の権利?

 夫を病院へ見舞いに行った二日後。怒りの噴火とともに、陣痛が起きてしまった。

胎児も、このただならぬ事態を察し、一刻も早く世に出ることが得策と感じたのかもしれない。これから向かう産婦人科医院は、夫の入院している病院と車で五分位しか離れていなかった。幸い、近所に住んでいる母のお陰で、息子のことは心配しなくて済んだが、二回目とはいえ、お産に挑むのはとても不安だった。

 私が初めて長男を産んだ時のこと、分娩台の上で(この痛みを言葉で表現すると、どんな感じだろう)と考えた。余裕があった訳ではないが、この初めての出産を人に説明しなくてはと、真面目に考えていた。

(爪の間に、三〇秒ごとに針金を繰り返し入れられる、津波のように訪れる恐怖感と痛み。これが適切な表現かな!)などと、真面目ながら痛みをごまかす為にも馬鹿な妄想を続けた。

 高い分娩台の上に寝かされて、開口十センチになるまで力む事も許されず、痛みに耐えなければいけないのだ。やっと、産んで良い時期に入ると、ここでやっと医師の登場。

しかし、分娩室に入って来た医師は若いインターンのようで、オドオドしている心中が分娩台の上からでも読み取れた。

(こんな奴では頼りなくて産めない!)と、心の中で叫んだ。

横にいた婦長らしき女性も、見ていられないと思ったのか、医師を退き、分娩を引き受けてくれた。赤ん坊の頭を引っ張ると「オギャー」という産声をやっと聞くことができた。

 出産は午後四0時五十四分。ちょうどその時、屋外放送のスピーカーから、

「♪からすーなぜ鳴くのー からすは山にー 可愛いい七つの子があるからよー」という町内のメロディーが分娩室に流れ込んできた。

 やっと母親になった私への、お祝いのメッセージに聞こえた。二十八時間も掛かってやっと産まれた赤ん坊の事より、

(こんな苦しい思いをして、母は四人の子供を産み、女手ひとつで育ててくれたのか~)と、自分の母への感謝の思いが込み上げ、分娩台の上で涙が止めどなく流れた。


 赤ん坊をお腹からやっと搾り出しても、この後に第二の痛みが待っていた。麻酔無しの〈縫合〉である。自然分娩であっても、事前に聞かされることなく、自然に裂ける前に子宮口をハサミで「チョッキン」と切って開口してしまうのだ。

陣痛の痛みの方が勝っているので、切った時の痛みはさほどの事ではないが、その切開した切り口を直りが遅くなるという理由で、また麻酔もせずに縫い合わせるのだった。出産も終りとホッとしたところへの追撃である。

 

そして、第三の痛みは分娩後の子宮収縮だった。

 出産後に、子宮が元に戻ろうとする為に痛みが起きるのだ。妊婦は出産後もお腹に氷嚢を乗せられ、ベットの上で唸る日が続く。食事の時も、体重をかけて座る事もできず、経産婦はドーナツ座布団を充て浮き腰でご飯を食べなければならない。

 しかし、何故かこれらの痛みは、日を追うごとに忘れてしまうから不思議だ。だからこそ、二人目の出産に挑めるのだと思う。これも女性にインプットされた、子孫繁栄の為のプログラミングなのだろうか?いや、母性の成せる(わざ)なのだと信じたい。

人間は、大企業の社長でも、世界を揺るがす大統領でも、ひとりも洩れなく、女性の体の中で育まれ、この世に産まれてきている。この先どんなに化学が発達し、クローン人間を作ろうとしても、女性の体の中で八ヶ月間育まれない限り、人間とはならない。母親の鼓動を聞き、母親の食べたものを血肉とし、人間となる。

 もし、それ以外の方法で人間を造ったとしても、それはサイボーグにすぎない。


この日の出産は、夫も入院中。しかも二日前には浮気相手であろう「桂木恵子」のことで口論をするという状況下での分娩となった。

診察が終ると陣痛の合間をぬって分娩室に歩いて移動した。分娩台の上で陣痛の間隔が短くなっていく苦しさと戦っていた時に、看護婦さんから、

「ご主人が来てますよ」と、

入院中である筈の夫が廊下に居ることを知らされた。

私が入院した事を聞きつけ、真夜中に黙って病院を抜け出して来たのだった。

なんだか、ドラマのワンシーンのように思えた。嬉しくもあったが、相変わらずの破天荒ぶりに鼻を鳴らした。

今度は二度目の出産でもあり(すぐに産まれるだろう)と思っていたのだが、隣の分娩台に寝ていた初産の一九才の女性に先を越されてしまった。そして、やっと産まれた赤ん坊は、希望通りの女の子だった。


廊下で待っていた夫が分娩室の中へ入ってくると、照れながら、

「お疲れ様!」と一言声をかけてくれた。

桂木恵子の名前を出した病院で、喧嘩別れをしてから始めての対面であった。

「女の子だよ!」と報告すると、

「うん」とだけ答えた。

何だか気まずい雰囲気だったが、普通の夫婦の会話があった。

 

豪放な夫は、病院へ戻る途中、お祝いの為にワインを買って帰った。もちろん病院での飲酒など許される筈はないし本人も飲めはしなかったが、入院患者と共に病室で祝杯を挙げたらしい。その結果、隣のベットにいたあの入院患者は容態が悪くなり、次の日、点滴を打つ羽目になった事も後で聞かされた。

思い出作りの為なら、縛りや常識など、払い除ける夫であった。 


子供が欲しいのになかなかできない人もいれば、欲しくないのにできてしまう人もいる。現実は、私などと比べようも無いくらいに、悲惨な女性を作りだし、事実、子供を産むも産まないも女性次第だが、すでに大きくなったお腹なら女は産むより生きる道はないのだ。

この二、三日のうちに、女として最も悔しい感情から、最も嬉しい感情に裏返った。



*心の鏡

@プレゼント

〈桂木恵子〉の名前を口に出してからも、その存在は気になっていたが、育児と介護に毎日追われ浮気の追撃などしていられなかった。そんなある朝、夫から女にとって嬉しい筈の話しがあった。

「明日、毛皮屋をやってる友人が家に来るから、毛皮のコートを見せてもらいな!」

と、言われたのだ。夫はいつも結論を知らせた。

「何?毛皮のコート?」

 突然の話しにピンとこなかった。

「誕生日のプレゼントにミンクのコート買ってやるよ。友人との付き合いで買わなきゃならないんだ」

「いらないわよ、毛皮なんて。着る機会ないじゃない」

 乳飲み子のいる主婦にとって、突飛な話だった。

「買い物に行く時、着ればいいんだよ!ともかく、明日来るから!」

 万事がこれであった。なにか、ピントが合わない。素直に感謝もできなかった。

〈猫に小判!〉それとも、〈夏に火鉢!〉というところだろうか。毛皮のコートなど今の私に全く興味のない代物だった。


 翌日、夫の友人が沢山のミンクのコートを乗せたバンでやってきた。恰幅のいい中年男性である。

「斉藤と申します。いつもご主人にお世話になっております。」

「こちらこそ!」

 無難なあいさつを済ませ、コートを見せてもらうことにした。

「母が寝てますので、二階へお上がり下さい」

 義母が一階で寝ていたので、あたりまえのように二階に通した。

しかし、義母はしっかり起きていて怪訝な顔をしてふたりの動向をじっと見ていた。義母は優しく根の良い人であったが、ひとつひとつの行動に、嫁として本当に疲れることがある。こんな事を、夫は理解する気持ちも余裕もないだろうが、毎日毎日の一言や癖、行動が大きなストレスとなって、人の命さえ奪うのだ。


 その中年男性は、何度も車と二階を往復して運ぶほど、たくさんのミンクのコートを持ってきてくれた。

 黒のロングとショート。茶色のロングとショート。八畳の畳の間に二十着ぐらいのコート絨毯のように並べてくれた。正札を見ると、目の飛び出る値段だ。

百万円、百五十万年、二百万円・・・・

バブル絶頂期でもあり、夫はこの時期、かなりの収入を得ていたが、こんな高い値段では買えないと思った。

「どうぞ着てみてください」

と商売人らしい口調でそう言うと黒いミンクのコートを持ち上げた。

「着る機会なんてないんですよ。私、あんまり毛皮好きじゃないんですよね」

 私は今さら言っても仕方の無い失礼な言葉を口走った。斉藤さんは、まったく私の言葉など聞かなかったように、私の肩にミンクを置いた。

 女の気持ちを見透かしたプロの対応は、抗う私の気持ちを包み、

「お似合いですよ」と微笑みながら一言いった。

着たことのないミンクのコートに手を通した時、言葉とは裏腹に、なんだかとても嬉しくなった。

洋服も宝石も靴もバックも、女の心の溝を埋めてくれる。毎日育児に追われている合間のほんのひと時、優雅な気持ちに(いざな)われ、着るかどうかも判らない毛皮のコートを購入する気持ちに傾いた。私の心を読むかのように、斉藤さんは空かさず言った。

「この値段ら三掛けになりますよ!」

(三掛け?)

「三掛けって七割引きですよね?」

「はい、卸値でやらさせていただきます」

(なんだか大きな割引きだけど、毛皮ってそんなに上乗せして定価を決めているの)とすごく驚いた。

 私の一番欲しかったコートは、桁違いの値段なので、手ごろな黒のロングのサガミンクにした。北欧産の雄。艶が良く毛並みも綺麗でシンプルなデザインだった。

私への〈慰謝〉の気持ちからなのか、このコートを買ってもらうこととなったのだが、世間では動物愛護団体のデモやらで、ミンクの毛皮に冷たい視線が注がれているようで、なかなか着る気になれなかった。

 それでも、ここぞとばかりにミンクを着て出かけていくと、友人達が誉めてくれたのだが、

「これ、主人のお詫びの印なの!」と、嘘とはいいがたい冗談を言ってみた。

もう一つのプレゼントは、ダイヤの指輪だった。これも又、夫の友人でダイヤの粒を売る宝石商を家に呼んで買って貰ったのだが、キラキラ光るダイヤの粒をダイニングテーブルの上にバラバラっと置いて選ぶというダイナミックな方法だった。

「この粒は、カットグレードの最高品質で、エクセレントというクラスです。この粒は、もっと大きな1,2カラットのベリーグットです。カラーは、ほとんど無色に近いEです。透明で綺麗でしょ」

ほとんど説明は頭に入らず、目の前にある三十粒ほどのダイヤの輝きに心が奪われた。

女は何故にこんなにもキラキラしたものに心が惹かれるのだろう。ただのガラスでも、

アクリルでも、キラキラしていれば心が弾む。

「これはいくらですか?」

1.2カラットのダイヤを摘まんで聞いてみた。いくら私が支払わなくても値段は気になった。

「六十万円です。小売りで買えば百万はしますよ」

驚きはしたが、これに決めた。これも夫のお詫びの印なのだから・・

贅沢な本心を言えば、赤いバラを手に、リボンのついた箱を渡して欲しかった。

〈愛の証しは、プレゼントで決まる〉というが、プレゼントには往々にして下心が詰まっているのかもしれない。 


@シナリオ

 我が家では、家族構成に似合わないスポーツカーを乗っていた。きっと、夫にとっては似合っていたのかもしれないが、二人の子持ちともなればスポーツカーも卒業しなければならないと思ったのか、ワゴン車に買い変えた。

八人乗りのため、かなり広く使えた。レジャーの時に、子供達を乗せて出掛ける恰好の車だった。

(オムツを取り換える時に、子供を寝かせられて便利だな)

そんなことしか私の頭にはなかった。

夫が出かけるある日の朝、

「ティッシュペーパー! 車になくなっているから入れといて!」

と夫が大きな声で私を呼んだ。自分で補給すれば良いのに、必ず私に用を頼む。

夫の茶碗を下げる事も、脱いだ洋服を畳むのも、全て私の仕事となり、まるで大きな子供の様に手が係る。

しかし、この時は少し趣が違った。車にティッシュがなければ私だって、とても困る。鼻をかんだり、子供の食べこぼしを拭いたり、無いと困るのはあたりまえの事だが、夫は一生懸命に説明をしたのだ。

「ティッシュがないとほんと困るよな。鼻水が出ちゃってさ。鼻かんでばっかりだよ。この前なんかお客さん乗せて『ティッシュ』って言われてないんだもの、困ちゃったよ。ちゃんと入れといてくれよな!」

 何にも聞いていないのに、その必要性を一生懸命に説明するのだ。

いつもなら、「ティッシュを車に入れておいて!」としか言わない筈なのに、何かの理由が夫を饒舌にさせたのだと思う。


下着の購入を頼む時も、

「こんなヨレヨレのパンツ履いていたら、会社の人に笑われちゃったよ。『今どきブリーフはないだろ!』とか言われちゃって、今度トランクスに変えようと思うんだ! サウナに行った時まずいからさ、新しいの買っておいてくれよ!」

 白いブリーフをみっともないなどと考えるような人ではなかった。きっと、

「そんなオジンくさいパンツ履いて!」

と会社の人ではない誰かに笑われたのだろう。今までなら、何でも 私の買ったものを喜んで着てくれる人であったのに。

私は、近所のスーパーへ行ってとびきり派手なブルーに黄色のトラの絵が書いてあるトランクスや、アメリカの国旗のような赤と青の縞に碇が書いてあるパンツを買って帰った。

(まるでヤクザみたい)と、思いながら、ささやかな復讐をした。

 その後、いつの間にか、それらのパンツは、行方も分からず箪笥から消えてなくなっていた。ならば、お気に入りのトランクスにマジックで「しんいち」とウエストのゴムに大きく書いた。夫には、

「誰にも見せるわけじゃないし、サウナで間違えないでしょ」

と嘯いた。


そして、帰宅が遅くなった時も、

「やあ、今日専務に捕まっちゃってさ、奥さんの実家で、もめ事が有るらしくて色んな事相談されちゃったよ。なんだか、奥さんが借金を作っちゃたらしいんだな。本当にまいっちゃったよ!」

「『帰ろう帰ろう』と言ったって、なかなか帰らないんだ。だから、飲ん兵は嫌だよな!」

 誰かの所為で帰りが遅くなったことを強調して説明をした。

 とても無口な人なのに妙に帰宅が遅くなった理由を解説するのだった。きっと家路に着くまでの間、シナリオを作成していたのだと思う。


@顔は口ほどに物を言う

夫は本来正直な人間なのだと思う。その証拠に嘘をつくとすぐ顔に出る鼻から左右に放射線状のシワが寄る。帰宅が遅くなった理由を私に報告している時も、まるで、猫のヒゲのような線が正直に顔に現れるのだ。

自分を 批判された悔しさが絶頂に達した時などは、小鼻が締り、鼻がとんがる。その反対に嬉しい時は鼻の下が伸びるのだ。

行きつけのスナックのママなどに、ちやほやされているだろう事を指摘すると、嬉しくて否定しながらも、ほんとに鼻の下が長くなる。

「スナックのママは仕事だから誉め捲るけど、本当の事は私しか言わないのよ!」

と、水を注しても一向に目が醒めず、毎週スナック通いをしているのだ。きっと、

「社長は歌が上手いわねー。なかなかこんな難しい歌、唄いこなせないわよ」

とか言われているのだろう。私たちとカラオケに行っても「マイウェイ」とか「群青」を大きな声で自慢げに唄っている。信じやすく騙され易い純粋な人間なのかもしれない。そして嘘を言っている時などは、目の玉が左右にキョロキョロ動いて落ちつきがなくなるのだ。焦った時には瞬きの回数も多くなり、実に分かり易い人だ。


心の動きは身体に現れ、それ以上に顔に現れ、顔以上に目に現われるのだ。

一寸の眼には隠された内面が映し出されるのだった。

「目は口ほどに物を言う」という訳で、これを見られまいと無意識に目を伏せたり、顔を合わさなくしてしまう。女性の視野は、男性より広く、異変を察知することができるらしいが、聴覚・視覚・味覚・臭覚・触覚・知覚・観覚・本能を駆使して、女は夫の浮気を見抜くのだ。 

大門真一の観察はこの後も続き、まるで探偵のようになっていたのだが、子育て介護に身も心も捕らわれていたので、決定的証拠を掴む機会もなかった。


 しかし、誤解がある事も否めない。私が高校生時代に、これに関する嫌な思い出があった。クラスの中でお財布が無くなり、ホームルームに犯人捜しが行なわれた。

「誰が取ったの。言いなさい!」と、

担任の女教師から生徒全員に向かって自白を迫られた。私はこの時、前の席に座っている私と同姓の幸子がやったのではないかと直感した。目撃したわけではなく、この直感もあてにはならなかったが、彼女には日頃から少々被害を被っていた。

自分勝手に人のノートや鉛筆を拝借され、私が気付き請求をするまで返してはくれなかった。お金の貸し借りでもとてもルーズだった。

「誰なの、この中にいるのは分かっているんですよ!」

 攻められる教師の言葉に

(やだ、どうしよう。幸子がやったのかしら?)と思っているうちに、私の顔はみるみる赤くなり、その赤くなっている自分に気が付き、更に、耳まで真赤になってしまった。

気まずくなっている私を見た教師は、

「判ったわ。早く手を揚げなさい」

と私を見て言うのであった。

(絶対に私じゃない)という事は、私が一番良く知っていた。

その件は、そのまま有耶無耶に終ってしまったが、時に勘違いがあることも肝に銘じなくてはならないのだ。



*穿った(まなこ)

@日曜出勤

 夫婦なら日曜日の午後、手を繋ぎ近くの公園を散歩したり、買い物に出かけたり、映画を見に行ったり。春には、桜を愛でる旅へ、夏には、浴衣を着て朝顔市へ、秋には紅葉を求め渓谷へ、冬には、雪の露天風呂へ。

こんな姿が私の描く理想の夫婦生活だったのに、およそかけ離れた毎日が過ぎていった。たまに旅行へ行ったとしても、夫はゴルフ場へ、子供と私は旅館に置いてきぼりを食わされ、その周辺で遊ぶしかなかった。この時は、近場にあったスネークセンターへ出かけて行ったのだが、蛇がこの世で一番嫌いな動物なのに、胃が痛くなる思いで観光をし、具合が悪くなった思い出が残っている。


夫は、最近では残業や付き合いが増え、帰宅時間もどんどん遅くなり、日曜出勤などと云うものも飛び出してきた。

接待ゴルフと称し、地方のゴルフ場に朝早くから出かる事も多くなった。

「大事なお客だから行かない訳にはいかないんだ。無理だって言ったんだけど、ゴルフ好きで付き合いが大変だよ! せっかくの日曜だってゆうのに本当に疲れるよ。まったく!」

本当に接待なら、私は、もっと喜んで行って欲しかった。

例え、密会でなくても私に気を使い、こんな事を言う人ではあるが、何だかこの日は言い訳がましく聞こえた。

ゴルフに行くと、朝六時頃から夜の九時頃まで、空白の時間、いや自由な時間が得られる、浮気には絶好の隠れ蓑となった。

そして、ゴルフから帰宅すると、たまに下着を裏返しに着て帰ることもあった。

 何万回となく下着を洗い畳んでいる主婦にとって、下着の裏表の違いなどは瞬時に目に付く。

「下着裏返しだよ!」

と、疑惑の想いを込めて指摘すると、

「朝から裏返しに着ていたんだよ!」

と、苦笑いをしながら答えた。

 ゴルフ場のお風呂に入った際に裏返ったのかもしれないのに、朝から裏返しに着ていたなどと分りもしないのに弁明するのだ。こんな時は私のワンポイント勝ちであった。

 疑惑が深まると、どうしても所持品検査をしたくなるものである。

スコアー表を探すと、以前の表はバック入れたままであったが、今日のプレーを記したものはなかった。

「今日のゴルフ、誰と行ったの?」

「うん!金井社長だよ。あと社長の取引先の人」

「あなたの成績は良かったの?」

「まあまあかな」当たり障りのない返答をした。

「じゃあスコアー表見せて!」とは、言えなかった。どうせ「忘れてきた」とか「捨てた」等と、言うに決まっているからだ。

争っても無駄なことでも黙っていられないこのジレンマは、浮気の疑惑を持った妻に共通して言えることなのかもしれない。


そして、夫にも出張と称する外泊が増えるようになった。仕事と言えば、何でも許されるという男の手段なのかもしれない。

その日は、服の買い付けに京都へ行くというのである。出張日程は三日間。行程を聞く暇などない私は、

「そう」と答えるしかなかった。

「四条河原町に行って、それから大阪に立ち寄って来るから」

(東京で商売していて、京都なんて関係あるのだろうか)と思いつつも聞き流していた。

新婚旅行の時も、折角の海外旅行予定を取り止めて、京都へ仕事のお供で行く事となったのだが、一石二鳥とほくそ笑んでいたのだろうか、今思い出しても腹が立った。すべてが、仕事中心の夫であったが、新婚旅行の時ぐらい、仕事を忘れて過ごしたかった。

それから、半年後ぐらいにハワイへ新婚旅行のやり直しに行ったのだが、ワイキキの海辺でウキウキしている私に夫はポツリと呟いた。

「仕事どうなっているかな、早く帰りたいな」

この一言で、すっかり〈バラ色の新婚旅行〉は色褪せてしまった。

〈ムード〉とか、〈デリカシー〉等と無関係な男と結婚をしたのも私の意志なのだが、すでにこの時、後悔していたのかもしれない。


出張はその後も増え、「仕事」の名のもとに近県や大阪に行き、家を空けることが多くなった。出張、イコール浮気は短絡的な考えかもしれないが、穿った目で見てしまうとすべてが疑惑となった。

 アリバイ用の駅のホームアナウンスが入ったカセットテープや、地方のお土産などが、東京駅で手に入るらしいが、夫はそこまで豆な人ではなく、普段からお土産も買ってこない事を習慣づけていた。ただ、私に、着もしない着替えのYシャツや、ネクタイを鞄に詰めさせた事ぐらいだった。

良き妻を演じるはずの私は、家庭や育児を放棄し自由に飛び回っているこの男に憎しみを感じるようになった。それでも、ひたすら介護、子育ての毎日は、間断なく続いた。


@携帯電話

携帯電話が普及するようになると、夫も早々と購入をしていた。家族を介さず会話のできるプライベート性の高いアイテムとして活用できるし、緊急性を要する連絡にはとても便利だ。

しかし、疚しい事があれば、証拠物件となり、着歴や発歴、メールは常に消去しなければならないし、知られて困る名前は、アドレスにイニシャルで入力したり、存在しない社名で入力したりと、常に気を使っていなければならず、携帯の傍も離れられない。絶対に触れさせたくないし、身から離さない。

夫は、着信があると、おもむろに席を立ち私から離れ、声高で返答した。

「はい、大門です」

今までなら私の前で受けていたのに、受話器の向こう側から漏れる声を心配し、席を立たずにはいられないようだ。

妻に面と向かっての会話では、プレシャーが大き過ぎる為なのかもしれない。

「はい、それじゃまた電話するから・・・・・・わかった、じゃあね」とこんな会話で終わった。具体的な固有名詞や名前は出てこない。でも、

(あの女だ)

時には、外から大した用事でもないのに家に電話を掛けて来る事があった。

「この前のあれだけどさ、どうなった?」

「そんなこと、家に帰ってからでいいじゃない。今日は何時頃帰ってくるの?」

「遅くなりそうだから、よろしく!」

何とも変な会話だが、これは、所在確認なのだと思う。妻が今、何所に居るのか確認する事によって、鉢合わせの恐怖感から逃れ、安心して密会を楽しむ為なのだ。

 

近所に住む友人の旦那さんなどは、寒い日でも、雨の日でも、度々屋外で携帯電話を掛けているところを何度も近所の主婦に目撃されている。

こんな事をすれば、大概の主婦は、

(あ!怪しい!きっと浮気相手に電話をしているんだ!)とピンと来るはずである。   

女同志の横のつながりを考えれば、奥さんにバレルのは必至だった。

 この旦那さんは〈生臭坊主〉と言われるような、下半身優先の僧侶だった。人は、職業や学歴では計り知れない〈H心〉を持っている。

むしろ、堅い職業の人ほど、日頃の鬱憤が蓄積し、〈H心〉に火が着くようだ。

その旦那さんのお相手は外国人だったが、やがて奥さんは子供を連れて家を出ていた。


@お風呂

夫はお風呂好きでもあった。でも今夜は少し違った。

「今日、サウナに行って来たから風呂はいいや!」

「珍しいね」

「ああ、取引先の人が無料のチケット持っていて、誘ってくれたんだ。」

「どこのサウナ?」と突っ込みを入れてみた。

「ああ、あの近くの、あの浅草の・・」

可愛そうなくらい、しどろもどろになった。

サウナに行って来たのなら、家で入らないのは当然であるし、確かに風呂上りのようにさっぱりしているし、石鹸の匂いまで微かにする。

(自宅では石鹸など絶対に使わないのだが)

夫は、いつ頃からの慣習か、風呂に入っても石鹸を使って体を洗ったことがなかった。

 そのうえ、いつの日か嗅いだ事のあるヘアークリームの匂いがした。

(・・・・・・・ああ、思い出した!これは以前、主人と行ったことのあるラブホテルのヘアークリームの匂いだ!きっとそこへ行ったに違いない)と確信した。

 安心の為か、昔、私と行き慣れたホテルを選んだようだ。蒲田駅の奥まった処にあるホテルで、少し料金が高いためアメニティには高級品を使っていた。そのヘヤークリームもビジネスホテルでは置いていない代物だ。乳白色をしたクリームは変わったデザインの小瓶に入っていた。

部屋もロココ調を真似た豪華な装飾で、ベットもやけに大きかった。

風呂は、二人が十分入れる大きさで、湯の出る蛇口はライオンのような恰好をしていて、お湯にライトで色も付けられた。

(あんなところで密会をしていたのか)


そして帰宅後、真っ先に風呂へ直行する事もあった。アンテナを張ってきた妻の臭覚から逃れる為に、風呂へ飛び込むのだろう。もちろん証拠隠滅の為である。

彼女の香水の匂いとか諸々であるが、逃れる為に焦り、お風呂へ直行する姿はあまりのも滑稽だった。

鞄をリビングに投げ置き、背広も脱がずそのまま脱衣所へ行き、

「今日は疲れたなー」

と、私に聞こえるように声高に湯船に浸かった。

それからも、風呂好きは続き、外出事には風呂に入ってから何処かへ出て行くことも度々あった。おまけに歯磨きもしていった。


もしデートならば、女性は外食をこよなく愛し、必ず食事をすることになる。好きな人と一緒に食事をすることで、愛が満たされている様な気がするくらい欠かせない行為だ。

外食をする事が分かっているなら、朝から妻に知らせてくれれば良いのに、疚しい思いは、それを成さない。

妻に知らせれば、

「今日、何かあるの?」

「誰と会うの?」

「何食べに行くの?」と質問攻めに合うのは必至である。

平和に朝の出勤を終えるには、その日、偶然食事をする事になった方が、都合が良いのだ。例え、帰宅後に質問を受けるとしても、時間稼ぎと成るし、運よければ妻が寝ているというささやかな期待も持てる。

夫の食事を作らなくて良い事が、妻にとってどれほどの開放感を与えるものなのかを夫は知らない。

〈彼女との楽しい晩餐〉を終えてきても、なかなか食べてきたとは言えないのか、夫が帰宅すると、

「ご飯は?」の私の問い掛けに対し、

「食べて来ないに決まっているだろ!」と、横柄な返答が帰ってくる。

(こんなに遅く帰って来たら、食べて来たに決まっているでしょ)

この「決まっているだろ」という言葉が私たち夫婦の関係を物語っていた。夫が私に相談をしなくとも、正しいと夫が判断したことは、決定してゆく。それに妻が従うのは当たり前なのだ。

 私は急いで簡単な食事を用意したが、一向に食が進まない。

外でいくら腹八文目に食べてきても、夕食を二回食べるのは、とても無理というものだ。

心の奥に疑惑を抱きながら、些細な行為も穿った目で観察をしてしまった。

私は、あの日の電話から、まるで探偵のようになっていった。

匂いは付いていないか脱いだ服を嗅ぎ、髪の毛はないか、車の中を、目を皿のようにして探したり、「信じるという大切さ」の微塵もなくなっていった。


しかしこの時までは、夫の行動を観察できる妻の余裕とでもいうべきものが、まだ残っていたのだった。



第三幕 ノイジー


*子供たち

@目撃Ⅰ

 第二子が生まれてから一年が過ぎた頃、以外にも第三子を身ごもっていた。

もう妊娠五か月であった。ただでさえお腹の出ている私の体形は見る見るうちに妊婦らしくなっていった。

こんな身体でも、次々と産まれてくる家事、育児をこなしていかなければならない。

毎朝、息子を幼稚園バスに乗せるために、近くのタバコ屋の前まで連れていくのだが、この日はうっかり遅れてしまい、バスに乗り遅れてしまった。

「ごめんね、拓くん。幼稚園バス行ちゃったみたい。幼稚園までママとかおちゃんと一緒に行こうね」

「うん!いいよ。朝からお散歩だね」

息子は物分りが良く、滅多に駄々を捏ねなかった。乳母車を押し、息子と手を繋ぎ、徒歩二十分は掛かる幼稚園まで公園の道を通り抜けて、楽しい話しを探しながら、三人の時間が流れていた。

 もう直ぐ幼稚園に着くという頃、道路の反対側の車線に見かけた車が止まっていた。

そのフロントガラスの奥には、なんと、とっくに出勤したはずの夫、大門真一が座っていたのだ。車の中で新聞を広げ、ゆったりとした時を楽しんでいるようだった!

この光景を見た瞬間に、私の心は震えた。

夫がここで〈毎日何をしているのか〉がはっきりと読み取れた。


夫と同じ職場に通っている〈桂木恵子〉と待ち合わせて、一緒に仲良く通勤をしているのだ。彼女は、この車が停車しているところから三分ほどのアパートに住んでいた。親切心で会社への通勤労力を軽減するために、車に乗せているのかもしれないが、私に内緒で待ち合わせをしていることが許せなかった。

子供のことなんか、眼中にないのだろう。まるでカッコウのように、子育てを人任せにして、自由気ままに空を飛んでいる不届きな鳥のようだ。

道を隔て、同じ時間に、同じ場所にいながら、私達と夫は別世界にいる事を実感した。車の中で新聞を読んでいた夫も、私達の存在に気が付いたが、私は子供の手をしっかり握り、

(あなたなんか、親でも夫でもない!)と、

心の中で叫びながら、知らん顔をして夫の車の前を通り過ぎた。

悔しさと悲しさで暫し無言となった。

「ねえママ、そうでしょ!」

娘が一生懸命に私に話しかけた。子供達が話す言葉も耳に入らなかった。

「ごめん、何が?」

 子供たちの声が私を現実に引き戻してくれた。


@引き金 

 食事の仕度をしていた日曜日の夕方、子供の声で電話があった。

「もしもし、大門さんですか?」

 可愛らしい女の子の声だった。

「はい、大門です。どなたですか?」

「カツラギ アイコです・・・・・・・・・・」

 聞き覚えの有る名前である。

「お母さんが帰って来ないんですけど・・・・・・・・」

 小さな声で遠慮気味に言った。

 きっと我が家へ電話することを躊躇っての事なのだろう。

「桂木さん?うちの会社で働いている桂木さんの愛子ちゃん?」

 あの桂木恵子の子供からの電話だった。子供とも以前、私の母の友人宅で会ったことがある。母親に似ていて、とても可愛い子供だった。突然の電話に驚くと共に、元気の無いその声に胸騒ぎがした。

「どうしたの、何かあったの?」

「お母さんがまだ帰って来ないんです。お腹が痛くて……」

 腹痛で困っていることよりも、彼女の寂しさのようなものが伝わって来た。ともかく容体を聞いてみることにした。

「とっても痛いの?吐き気はするの?何か昼間、変なものを食べなかった?」

色々な事が絡み合いどうするべきか悩んだ。母親の留守中に、まして浮気相手であろう家に行くことなど出来なかった。

盲腸を心配しながらも、

「凄く痛いのかな・・・? おばちゃん、行った方がいいのかな?」

と、そのつもりもなく聞いてみるとと、

「うん、来て欲しいんだけど」

と、以外な即答を受けた。様子を聞いて電話を切るつもりでいたが、この即答に気が変わった。

「じゃ、急いで今行くからね!」

母性とも言うべきものが、私をじっとさせて置かなかった。

私はふたりの子供を義母に預け、ヘルメットを被るとバイクに乗り彼女の家に走った。妊娠五か月といえどもお腹の出っ張りは八か月並で、誰がみてもバイクに乗る無謀な妊婦の行動に見えたと思う。

 桂木親子は、我が家より十分程のところに住んでいた為、バイクだと五分程で到着した。暗いアパートの階段を上り、桂木恵子の部屋のドアを叩いた。

「おばさんだけど、愛ちゃんいる!」

 ドアの奥から「ハイ」と声が聞こえた。

私は躊躇うことなくドアを開くと部屋の中へ入った。

愛ちゃんはしゃがみ込んで座っていたが、苦しそうには見えなかった。部屋に上がり込み、愛ちゃんの額に手を充てても熱はなく、痛みもさほど酷い様子ではなかった。ひとりで居る不安から一時的にお腹が痛くなったようだ。

何度も会った訳でもない私に電話を掛けて来たこの子に、愛しさと刹那さを感じた。

ほっとして、部屋の中を見渡すとタンスの引出しが開けたままになって下着が飛び出したり、流しの下のドアが開きっぱなしになって鍋や調味料が散乱していた。

(毎日、忙しくて大変なんだな)と、ただそう思った。

タンスの上には、見たこともない変わった新興宗教の本尊なども祭ってあった。

(離婚をし、親子二人で生きて行くことは、想像を絶する苦労と不安があるのだろうな)と、私はこれ以上の何も考えはしなかったのだが・・・。


「何かあったら直ぐに電話をしてね!」

 帰るに忍びなかったが、愛ちゃんに、そう言い残して帰宅した。

私が家に戻ってからすぐに、夫が帰宅。

「ただいま!」

 私はいの一番に、今あった事を伝えた。

「桂木さんちの愛ちゃんから電話があったのよ。具合が悪いから来てって言うんで、今行って来たところなの!」

 夫は驚きはしたものの、ニヤニヤしていた。

「具合はどうだった?」

「お腹が痛いって言っていたんだけど、大した事はなかったみたい」

「部屋は綺麗だったか?」

 と、夫は思いがけない質問をしてきた。

「きれいだったとは言えないかな・・・」

とだけ私は答えた。箪笥の引き出しが開いて、下着が飛び出したりしていることを同じ子育て中の女として伝えたくなかった。


 夫は、彼女の家に直ぐに電話をした。

「女房が行ったらしいけど、子供大丈夫なの?・・・・・・・・・」

 しばらく彼女と電話でやり取りをしている夫の姿に、ふたりの付き合いが長い事を感じた。従業員と社長。私よりも長い間一緒にいるのだから、親しくなるのは当然。だが、今迄一緒にいたであろう事が直ぐに理解できた。

今日は、日曜日。父親が家にいてくれたらどんなに助かるだろうか。仕事だと思えばこそ頑張れるのに、そんな私を尻目に、夫は日曜という一日を謳歌し彼女と遊んでいたのだ。

こそこそとしたやり取りが終わると、最後に

「部屋は綺麗にしておけよ!」

と、夫はまたも突飛な事を彼女に言い放った。 

まるで私が「彼女の家が汚かった!」とでも告げ口したようではないか。

彼女には、(裕福に暮らしている奥さんが、母子家庭の荒れた家の中を見て笑っている)とでも思ったのだろうか。

 この誤解が引き金となり、彼女からの露骨な挑戦が始まった。


*挑戦                                            @告白

 ある日、二度目の電話が入った。

「もしもし、奥さんですか?」

「はい大門の家内です」

 電話の声は以前と同じだった。

「ご主人と別れてくれませんか!」

「何言ってんの! あなたどなたですか?」

 私の中では、浮気相手は〈桂木恵子だ〉と決めていたが、主人に一度病院の玄関で鎌をかけただけで、この事は未だ暗黙の領域だった。

「あなた、桂木さんでしょ!」

 私の挑戦が始まった。

「違います。とにかく、ご主人と別れて欲しいんですけど………」

「そんな事できないわ。なんで別れなければ成らないの? こんな電話を掛けて来てどうするつもりなの!」

「奥さんより、私と居る時の方が、気が休まると言ってますよ」

「当たり前でしょ! 子供がいたら休まる暇なんてないわよ」 

(家庭には、子供の泣き声や、臭い生ゴミや、汚れた洗濯物が散乱するのだ。気など休む暇も無く毎日の戦いがあるのに、呑気な事を言うな)と思った。

「あなたは、主人が好きなの?愛してるの?」

「そんなことわかりません」

「分かりませんって、どうゆうこと。自分のしていることが分かってんの!」

 その後もしばらくの間、抜け殻のような会話は続いた。


 夫が帰宅すると、今日の出来事と共に、私の中にあった想いをぶつけた。

 ダイニングテーブルに座る夫の真向かいに腰を下ろし、私は静かに話を切りだし出した。

「今日、桂木さんから電話があったわ。彼女と浮気しているのは解かっているわ。私と別れてくれって言ってましたよ」

 そう詰め寄る私への弁解は何もなく、黙り込んだままだった。

「お願いだから彼女と別れて下さい!」

 私は、ダイニングテーブルに額が付きそうになるくらい頭を下げ懇願した。それでも夫は黙っていた。やっと口を開いたと思ったら、

「できない!」

と、伏目がちに一言、言った。私はもう一度、

「桂木さんと別れて下さい!お願いします!」

と、押し殺すような声で言った。

 その時、夫の口から出た言葉は想像もしていない一言だった。

「浮気じゃないんだ! 本気なんだ!」

何という言葉だろう。「本気」この一言でこれからの人生、そして全てが不安になった。自分に正直な人であったが、身重の妻に伝えるべき言葉ではないはずだ。そして、さらに身勝手なことを言った。

「おまえも一生懸命愛したらいいじゃないか!」

 夫の事をもっと愛せと言うのである。桂木恵子以上に愛せというのか!まっぴらごめんだ!確かに私は、夫を愛していなかった。

あの好きだった幻に終わった男性、「桜井」を、なんと二年間も、一日も欠かすことなく夢に見ていたのだから。

夢の中では、ただ淡々と会話したり、買い物をしたり、旅行に行ったり、ありとあらゆる夢の内容だった。夢に見ていることを不自然だとも思わず過ごしていたが、大変異常であることが、夫の言った言葉で気付かされた。

夫の心の中に、私の深く愛せない魂の冷ややかさが伝わっていたのかもしれない。夫もどこかで、他の人に心があることを分かっていたのかもしれない。

でも、この人に尽くそうと思って結婚したことに嘘はなかった。

 私は、ただ泣くしかなかった。

自分に正直な人だが、身重の妻に伝えるべき言葉ではないはずだ。

そしてもう一人私と同じく泣いている人がいた。親友、花田美咲だった。彼女が我が家にやってきて驚くことを告白した。

「めぐちゃん、家の主人浮気しているのよ。仙台によく出張に行って女と会っていたの」

「えー花田さんのご主人が!子供たちはどうするの?」

「私と結婚する前からの付き合ってたみたい。この前、主人の素行調査を探偵所に依頼したの。電話に盗聴器を仕掛けたんだけど、聞くに堪えない内容だった。子供もどうやらできているらしいし、毎回いやらしい会話をしてたわ。家も建ててあげてるみたい。離婚することにして、明日あの家を出るから!」

(やっぱり、やる事がはっきりしているというか、私みたいに愚図愚図していないな)と思った。

美咲は数日後、実家へ帰ると言って家を出た。

(常識から外れた自己中男がどこにもいるものだ)と思ったが、まさか親友の美咲の家にもいたとは驚きだった。妻の存在を何だと思っているのだろうか。自分のこと以上に腹が立ってきた。渦中にいると麻痺してしまうことが、他人の出来事を通して改めて口惜しさが増してきた。私の場合はどうすればいいのだろう。

別れる勇気もない。夫はそれを見透かしているのだろうか。穿った目ですべてを観察していた。


@存在の意味

 誰かが、「人の不幸は蜜の味」といったが、他人事なら、面白おかしく茶の間のおかずになったりもするが、自分の身に降りかかることは、地獄の苦しみとなる。

我が家にもその続きがあった。

あれからも何度となく、桂木恵子からの電話があった。

「もしもし、奥さんですか」

「はい。あなた桂木さんですよね! 主人から聞きましたよ。毎日のように会社の帰りに会っているんですってね」

「ええ、私から誘った訳ではありません」

 初めて桂木恵子として話しをした。

「どっちが誘ったのかそんな事知らないけど、ちょっと酷いんじゃない」

「ご主人は、子供を産んでもいいと言ってますよ。奥さん、ご主人と別れていただけませんか!」

と、彼女に再び言われた。

「本当に私と別れたら、あなた主人と結婚してくれる!一緒になってくれるの?」

私は本当に二人が愛し合っているのなら、それも仕方ないと思い始めた。

〈私という存在〉が人の幸せを遮っているなら、そんな〈存在〉でありたくないと本当にそう思った。

 しかし彼女は、

「そんなこと分かりません!」と答えた。

 確かに先のことなど解からないかもしれないが、人の家庭に入り込んでそんな返答は不誠実である。

彼女の話しを聞いていくと純愛から少しづつ、ずれているようにも思えた。

(一生を共にしたい)と思うなら迷わず「YES」と言うはずである。

「それじゃ困るわ!離婚しても意味ないでしょ!」

「奥さん、そんな事言ったって別れる気ないんでしょ!」

 私の本当の気持ちを彼女に問われているような気がした。

「別れるとか、別れないとか、あなたに言われる筋合いじゃないわ」

(彼女の愛が私の愛より上まっているなら、私は引き下がる)そんな程度の愛であるのだろうか?受話器を持ちながらも、自分の深層心理を探って宙にいた。 

ただ、子供のことだけ。ただ、お金のことだけ。夫は愛していない、ただの手段なのかもしれない。


そして、今夜も桂木恵子から携帯に電話が入った。 

今、彼女と別れて帰宅したばかりであろう夫に、桂木恵子から電話が入った。

「もしもし・・・・・・・・・うん分かった」と言うと、夫は携帯電話を切った。

「彼女が来て欲しいって言ってるんだ!」と、

(迷子の子犬を救いに行く)とでも言うように、私に電話の内容を伝えた。

「何であなたが行かなきゃならないのよ!」

「だって、彼女が『来て』って言ってるんだよ!」

妻を前に置いて、まったく理不尽な言葉であった。

(夜中に夫を呼出し、その呼出された内容を夫が妻に告げる)なんと私を無視した行動だろうか。私は、

「行かないで!」と叫んだ。

 それでも夫が、

「行って来る!」と言った瞬間、私は思いっきり夫の顔に平手打ちをしていた。

この時、自由にならない人の心にものすごく苛立ち、義憤を込めて夫を叩いた。

それでも夫は私の静止を振り切り、玄関から彼女のもとへと向かっていった。

 

私は、子供を叱る時以外、初めて人を殴った。女性には暴力行為がDNAの中から消されているのかと思うほど滅多に手をあげたりしないが、止めることの出来ない何かが、私を反射的に動かした。一時間もすると

「今日は帰らないから」と、夫から毒々しい声で電話が入った。

沢山の家族がこの家の中に居るのに、真っ暗な部屋の中に一人ぼっちで立っているように感じた。自分の存在を無視される事の悲しさは、とてつもなく深い悲しみだった。

(私っていったい何なんだろうか?一生懸命、良い妻になろうとしているのに、良い人間であろうと努力しているのに。夫からも愛されず、家族の面倒を見ながら家政婦さんのように生きているだけ。こんなことをする為だけに生まれて来たのだろか?)

ふと、「如蓮華在水」という一説が思い浮かんだ。

泥沼が深ければ深いほど美しい花が咲くと云う。

(私の前世での結果を受けて、今、この夫と夫婦でいるのかもしれない。お金があるのに、家があるのに、子供もいるのに、なんでこんな苦しみの中にいるのだろう。辛い今日も明日には過ぎ去った日となる。今を一生懸命生きてゆけば必ず道が開けてゆくはず。嘆いてばかりいても苦しみは増すばかり。この苦しみから逃げ出さず戦おう。最後は絶対に幸せになってやる!)

私は、イメージトレーニングのように、自分の存在を無視された苦しみから逃れるためこんな思考を巡らして、この泥沼から這い上がろうとしていた。


@キスマーク

 それでも、次から次へと桂木恵子の挑戦は続いた。

他人に聞かせると驚かれるが、長い間の習慣で私は夫の頭を毎日洗髪していた。〈グルーミングのつもりなのだろう〉と仕方なく続けていたが、ある夜も夫の頭を洗う為にお風呂場へ入ると、ハットするものが目に飛び込んできた。

夫の肩先にキスマークがあったのだ。明らかにそれと分かるほどの深紅の痣だった。

初めて見せつけられる夫と彼女との交わりに、嫉妬心が体中を熱くした。

心臓もドキドキと音を立てているようだった。

「キスマークじゃない!ふざけないでよ!人を馬鹿にするのも大概にして!」

普通の主婦ならかなりの確率で夫を問い詰め罵倒するはず。

なのに私は、心の中でそう叫び、タオルを放り投げ、黙って風呂場を出ていった。

 そのキスマークの挑戦は一度だけではなく、その後も何回となく続いた。

 一度に四つも五つも付けてくる事があった。

 首筋、肩、胸。主人の身体に痣のように点々と付くキスマークは、まるで伝染病の斑点のようにも見えた。

「いいかげんにしてよね!何なの、そのキスマーク!」

怒鳴る私に、主人は焦るでもなく、自慢下に愛された事への喜びに薄笑いを浮かべて、湯船に浸かっているだけだった。

このキスマークが、桂木恵子の「私への挑戦状」なのか、それとも夫を困らせようとする嫌がらせなのか分からないが、愛情の深さよりその気の強さを感じさせるものだった。

夫が私に「伝染病のようなキスマーク」を隠そうともせず見せびらかす姿は、まるでコントのようにも思え笑えもした。

この詳細を家庭裁判所に申し出れば「妻」の存在は勝利し慰謝料を請求できる話なのに、渦中の私にはそんなことを考える余裕さえなかった。



*悲劇

@ロミオとジュリエット

冬が始まった寒い夜、夫が真夜中に帰宅をし、自分の車の中に桂木恵子がいることを知らせた。

「今、車の中に桂木さんがいるんだ」

 今更、何を言われても、されても驚かなかった。

「家に入ってもらったら」

と私は彼女を家の中に入れるように言った。しばらくすると、夫が彼女を連れて裏庭から入ってきた。私は、玄関から入ってくるものと思っていたので、物凄く驚いた。まるで幽霊がはいってくるように二人が、裏庭の引き戸を開けて入って来た。

裏庭から入って来ること自体この騒動のすべてを現しているように思えたし、この時も心の中で「クスッ」と笑っていた。正面の玄関から入れる立場ではないが、何だか不自然で滑稽だった。

 

真っ暗な部屋の中に、私たちの人生に大きな石を投げつけた、その人が立っていた。

遭難から救援されたように、夫に肩を抱きかかえられながら灯りの付いていない奥の部屋に上がって来たのだが、誰も電気を付けようとはしなかった。

二人はそのままコタツの中へ傾れ込んだ。きっと、今まで別れ話しをしていて、決着が着かずここに来たのだろう。私は何も声をかけなかった。

 三人の間には何の話し合いがあるでもなく、暗く重い空気が漂っているだけだった。

 私は二人の傍から離れ、隣りの明るい部屋で襖越しに二人を眺めていた。

名門モンタギュー家の息子ロミオと、宿敵キャピュレット家の娘ジュリエットとの悲恋を描いた運命悲劇のように。

「どうしたらいいの。私たちがこんなに愛し合っているのに!どうして一緒にしてくれないの!」と言わんばかりに、二人の影はずっと寄り添っていた。

ふたりは抱き合いながら、私の目の前でいつの間にか眠ってしまったのだ。

この二人の姿を見ながら、私は自問自答した。

(いったいこの出来事は、私に何を言おうとしているのだろうか。皆苦しんでいる。私も苦しい。何でこうなるんだろう?皆が幸せに成れる道はないのだろうか。

苦労や悩みなどない、私が主役の人生を送りたい。でも何も起こらない人生など有り得ないし、それではつまらない。自然界でも、冬があればこそ、春の暖かさや、花の美しさがより一層引き立ち、野球においても、抜きつ抜かれつの激戦の末、九回裏の逆転ホームランで勝利する。こんな手に汗握るゲーム展開が面白い。わざわざ険しい山に挑戦する山登りも、自然と自身の限界に勝ち、登頂に立つ満足感を得る為に、そこへ向かわせる。すべて、難関も苦悩も乗り越えてこそ人生の醍醐味があるのだから)

地獄を見ているというよりも、達観にも似た心境だった。

私は、冷静に寒そうに寄り添う二人に毛布を掛ける余裕もあった。


@子犬

 こんな騒動の最中、我が家へ二匹の子犬が預けられた。主人の取引先の社長から、「飼い主が見つかるまで」と言う約束で頼まれたのだ。茶色の柴犬に似た雑種だった。

 子供達は大喜びで、子犬に頬刷りをし満面の笑みを湛えていた。

(このまま飼ってあげたい)と言う気持ちで一杯だったが、義母や義父、それに子供たちの面倒で手一杯だった。

「このわんちゃんは預かるだけなのよ。しばらくの間だけ、可愛いがってあげようね!」

と、息子と娘に前もって言い聞かせた。子供にとってみれば、まったく残酷なことである。情が移った頃返さなければならないのだから。引き取り人も決まらないまま一週間が過ぎたある日、夫の兄が倒れ入院をしたという知らせが入った。

 もちろん、お見舞いに駈け付けるところだが、私は連日の浮気騒動ですんなり行く気になれず抗った。

「私は行かないわ!」

「何言ってんだ!早く支度しろ!」

 と、夫は私の抵抗を察し怒鳴った。義母と義父も玄関で待っていた。

「行かない!」

 ささやかな私の抵抗であったが、なすが儘にならない私に怒り、夫は私の足を蹴ってきた。痛さより、悔しさでいっぱいだった。それでも、義父や息子が、

「めぐみ、どしたんだ! 早く来いや!」

「ママ、早く来て!」の声に促され、夫への服従ではなく病院へ向う事となった。

 男は、自分への従順がなされない時、暴力にでたりするが、何故悔しくても腹が立っても言葉だけで済まないのだろうか。この男に憎しみを感じた。


 自宅の玄関に、二匹の子犬を留守番役に置いて、半日の間、家を空けた。義兄のお見舞いを終え皆で帰宅したのは、午後七時を廻っていた。

カギを開け、家の中に入ると部屋の中がとんでもない事になっていた。

まるで空き巣にでも入られたように、部屋中に切り裂かれた洋服や、花瓶に有った花が散乱していた。子犬たちの犯行である事は一目瞭然だった。いつもキレイに部屋を片付けていた私は、この状況を見て、気の狂ったように泣き叫んだ。まるで悲劇の主人公のように。

「家が目茶目茶になっちゃった! 家が目茶目茶になっちゃった!」

夫は、何で私がこんなに泣き叫んでいるのかを理解していたと思う。ただ、犬の仕業だけで泣き叫んでいるのではない。破壊へ向かっている家を憂いて泣いていることを。

夫もさすがに私を哀れに思ったのだろうか、部屋の中に上がり込んでいた子犬を玄関に放り投げた。

「ドスン、キャンキャン」という音と共に、子犬は玄関のドアに体当たりをして失神をしてしまったのだ。息子は動かない子犬を抱きかかえ、死んでしまったのかと思い、彼もまた泣き叫んだ。心も部屋もめちゃめちゃになってしまった惨憺たる思いが鳴き声となって響いた。愛するものが消える事への悲しみが、家の中に散乱した。


@摩擦

 それでも夫の行動を静観するしかない私だったが、事態は刻々と変わっていった。

 愛し合う二人の間に明らかに亀裂が生じ始めたのだ。

 ある日、夫が夜遅くに帰宅すると、

「大変なことをしちゃったよ! お母さんどうしよう!」

 と顔面蒼白で私に言うのだった。

 もしかしたら(車で人でも撥ねて来たのだろうか)と思いドキッとした。

(いったいこの男は何をしてきたと言うのだろうか?)

 まるで時限爆弾のように、いつ破裂するか分からない恐さのある男だ。

「どうしたの?何があったの?」

と恐々と尋ねてみた。

「彼女を殴って怪我をさせてしまったんだ!」と夫は小さな声で言った。

(なあんだ!よかった)と正直思った。

「顔を殴ってしまって口の中を切っちゃたんだ。四針も縫ってしまって。お医者に『女性を殴るものではありませんよ』って怒られちゃったよ!」

 私を母親とでも思っているのだろうか、甘えて話しているように聞こえた。

 そのうえ、

「車の中汚れているから掃除してくれる!」

と、言うのである。

何事かと思いながら車のドアを開けると、助手席のシートが血でよごれていた。彼女の頬にパンチが当たり口の内側を切った時、飛び散ったのだった。

家族と天秤に掛けても愛する人だった彼女が、心変わりをしてきたことへの苛立ちから言い争いをしたようだった。

汚れた車内の血をティッシュと雑巾で拭き取りながら

「何でこんな事、私がしなければならないのよ!」と呟いた。

いつも物分りの良い妻として、黙って対処する自分自身の弱さが情けなくもあった。

 しかし、(心の中には〈強い自分〉が居て、それが表面に登場しないだけなのだ)と自分を慰めていた。ただおとなしく時を過ごしている私ではない。

男女の愛は、いつまでも同じテンションで続くことはありえない。

可愛くて素敵で、死ぬほど好きだと思っても、一緒に生活をしているうちに、オナラをしたり、イビキを掻いたり、寝起きの素顔を見ているうちに、いつの日かその思いは薄れる。人間としてどれほど完成しているか、成長させようと真摯でいるかが、愛すべき対象となっていくのだ。

 ふたりの間にもお互いの欠点が目に付き、摩擦が生じ始めてきたのだった。


前編をご精読いただきありがとうございました。

後編もご覧ください。


【前編】

第1幕 プロローグ

*始まりはドラマのように 

晴天の霹靂/シックスセンス/昭和の陰り/プロポーズは突然に/神田川  

*育自 

寧々様/離乳作戦

*陰徳あれば陽報あり 

決断/アル中と介護


第2幕 サイレント        

*メッセージ

イヤリング/助手席/残像/ルージュの伝言 

*オセロ

我慢の限界/出産は女の権利?                

*心の鏡

プレゼント/シナリオ/顔は口ほどに物を言う  

*穿った眼

日曜出勤/携帯電話/お風呂

 

第3幕 ノイジー   

*子供たち

目撃Ⅰ/引き金

*挑戦

告白/存在の意味/キスマーク

*悲劇

ロミオとジュリエット/子犬/摩擦


【後編】

第4幕 リアリティー

*恋敵

目撃Ⅱ/プライド

*味方

孤独からの脱出/妊婦の家出

*時の流れ

訪問者/過去の記憶          

 

第5幕 チェーン

*チェンジ

お水の世界/赤の他人/引越し    

*闇夜の国から

ありがとう/生まれ変わり/悲しい自由

*リベンジ

籠の鳥/麻畝の性/未来予想図


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